175.大いなる一歩
小人族が同盟に参加して、早十日が経過した。
まだ実践には至っていないが、テランを中心としてギランドレの遺跡で得た情報を元に転送についての構築を進めていく。
一方で、ストルを中心として元々は精霊魔術である召喚魔術から召喚についての理解を深めていた。
発起人であるオリヴィアは二人の結論を組み合わせつつ、総合的な設計と術式の細かな調整を行っている。
「扉を潜り抜ける感覚ですか」
「成程。出口なら、その表現が適切かもしれないな」
「うむ。生憎、余は召喚されたことはないがな!」
「まぁ、魔王様を気軽に呼び出されても困りますからね……」
オリヴィアは今、シンの提案によりストルと共に魔獣族の居城へと赴いていた。
魔術について明るくないシンが意見を述べたのには、過去にレイバーンと会話した事に由来する。
元々はミスリアへ訪れる機会があった際に、アメリアに共有しようとしていた情報。
魔力を有した素材で魔法陣を描けば、召喚に必要な魔力量は少なくて済む。
街中に双頭を持つ魔犬が出現した事に対する調査ではあったが、今となってはオリヴィアの転移魔術に活用が出来そうだと口添えをしてくれた。
初めに話を聞いた時、オリヴィアは出口としての機能を持たせるのであれば少量の魔力で済むと安堵したが、落とし穴は存在した。
魔法陣を描く為に必要な魔力を有した素材が、強い魔力を放っていては意味が無い。
ストルも精霊魔術自体が「本人の資質による差を軽減する為の技術」だと言っている。
代わりとして魔法陣に予め魔力を用いた素材で描けば、誰でも同様の効果が得られるのだと。
成程、リタも専ら攻撃は魔術ではなく妖精王の神弓を使っていた気がする。
資質に溢れた彼女は、そのまま攻撃に転化できる神器が最適解だったのだと、オリヴィアは一人で納得をしていた。
知りたかった事は他にもあるので、この際にオリヴィアとストルはこの場で一気に解消させてもらう事とした。
実際に移動する場合はどのような感覚なのかと、臣下の魔物にレイバーンは確認する。
内容としては、「見えない扉を潜り抜ければ召喚先へと到達する」というものだった。
ある意味で予想通りかつ、期待通りの回答。
「やっぱり、術式の終わりが設定されていると簡潔ですね」
規模は違えど、邪神の顕現もあのドス黒い球体から現れると言う終わりが設定されていた。
ピースが見たという邪神像もそうだろう。依代に込められた魔力と悪意が、形となって現れる。
新たにものを生み出すという意味では、流水の幻影に近いかもしれない。そう考えると、オリヴィアは途端に気分を害した。
自分の生み出した最高傑作が、本質的に邪神の顕現と同様だなんて考えなければよかったと後悔をする。
害した気分は兎も角、召喚魔術にしてもなんにせよ終わりから逆算する形で術式が構築されている魔術は多い。
出口を作るという一点については、大きな障害は発生しない。術者がそこにさえいれば。
転移魔術は出口に術者が居ないからこそ厄介なのだ。その事実を突きつけられた気がした。
遠く離れた魔導石にどう接続するかが、肝だった。
……*
入口を担当するテランが求められるものは、対象の転送だけではない。
出口に設置された魔導石を起動し、魔法陣として機能させる手段の確立も求められていた。
オリヴィアの望む形で転移魔術を完成させるのであれば、個人技で解決する術式であってはならない。
使い手が仮に死んでしまった場合、一瞬にして意味を成さなくなる。
「さて、どうしたものか」
「アタシが作った魔導具に、こんなのがあるぞ」
考えに耽るテランへ手を差し伸べたのは、マレットだった。
彼女はとある魔導具の仕組みを、彼に説明する。
マナ・ポインタ。そして、翼颴に取り付けられた『羽』の存在。
魔力の反応と、認証による使用者の抑制。これらの技術を流用し、組み合わせる事で遠隔的な起動が可能ではないかというものだった。
「遠隔起動か……。ベル・マレット、それは世界中の何処でも可能なのかい?」
「流石にそこまでの精度で作ったことはないわ。徐々に実験していくしかないな」
マレットは肩を竦めると、慌ただしくその場を去っていった。
彼女も小人族の王と転移に関わる魔導具の作成を行ったり、新たな武器の開発に着手している。
妖精族を虜にした、生活に役立つ魔導具だって量産しなければならない。ある意味で、最も忙しい人物だった。
尤も、ギルレッグ自身もマレット以外に仕事を抱えているようだ。
アメリアから折れた蒼龍王の神剣を預かっては、何やら打ち直す手筈を整えている。
リタやストルと相談した結果、住居や研究所の建設も小人族が受け持つらしい。
ストルも妖精族の里や居住特区の仕事を抱えているし、オリヴィアだってフローラの護衛を全くしない訳には行かない。
妖精族の里で魔術の使用を封印されている自分が、ある意味では最も自由に時間を使える。
だからこそ、転送の部分は何としても自力で答えを見つけなくてはならない。
強くそう思うが、不思議と焦燥感は無かった。
今までも、闇の魔術の構築で色々と頭を悩ませていた。今回も同様に頭を悩ませている。
けれど、楽しさが勝っている。自分の中にある感覚が変わりつつある事に、テランは驚いた。
……*
テランとストルが各々の結論を出した、転送と召喚の魔術。
オリヴィアは自分の研究内容と照らし合わせ、新たな共通の術式として構築をしていく。
参考にする魔術は在っても、そのまま流用が出来る訳ではない。取捨選択が何より必要となる。
例のひとつを挙げるならば、シンが使用した時を遡る古代魔導具。
仮に戻ってくるまでが術式の終わりだとした場合、中継地点としてどうして過去を参照する事が出来たのかという疑問がある。
しかし、今回やろうとしている事に関して言えばどうでもいい部分でもある。理解が及ばなくても、使わないのであれば時間を割く必要が無い。
ならばとオリヴィアは、その辺りの術式を全て削り取った。
テランの解読していった文様と壁画の情報から、消去法という形で不純物を取り除いていく。
彼自身が構築した魔術式と転送の根幹部分に関わる記述のみを、一旦の形として手元に残した。
続いては、ストルが基礎構築を済ませてくれた召喚術。
レイバーンから得た情報を元にして、これらも不要と思われる部分を徹底的に削っていく。
一方で、「扉を潜る感覚」は大切にした。術式の結果として組みやすいのと同時に、移動しているという自覚が芽生えると判断したからだ。
最終的に転移魔術が発展した場合、自分の立っている場所が判らなくなる人間が出るかもしれない。
使用者の精神的影響を考慮しての、術式への追記だった。
後は出来上がったふたつの術式を、一度合体させる。
鑢で滑らかにするように、異なる術式の繋ぎ目を消していく。
必ず設定した終わりへ辿り着くよう、途中で組んだ魔術式が崩れないように、必要な事だった。
繋ぎ合わせた後は魔術式の記述を統一した上で、ふたつの魔法陣へと出力していく。
オリヴィアが研究を重ねていた転移魔術。その試作品が、完成した。
……*
翌日。実験の場には多くの者が集まった。
オリヴィア、ストル、テラン。そして、マレットにギルレッグ。
研究チームの一員だけではなく、シンやフェリー。アメリアといった、彼女達を応援していた者が一堂に会する。
地面に描かれたのは、ふたつの魔法陣。
転送を担当する入口部分には、半円の上部に術式がみっちりと書き込まれている。
20メートル程先に描かれた出口の魔法陣には、半円の下部に術式が書き込まれいた。
組み合わせる事で、ひとつの魔法陣として魔術が作動する。そう言った内容だというのは、見て取れた。
「それでは、行きますよ……」
入口の魔法陣に置かれているのは、リンゴだった。皮の上から、ナイフでサインを刻んでいる。
オリヴィアが魔法陣にそっと魔力を流し込むと、それは淡い光に包まれて姿を消す。
刹那、出口として描かれた魔法陣から同様に淡い光が放たれる。中から現れたのは、全く同じリンゴだった。
「す……っごい!」
フェリーが感嘆の声を漏らし、パチパチと手を叩く。
出口のリンゴには、確かにオリヴィアの刻んだサインが存在している。
本当に転移魔術が完成したのだと、歓声が湧き上がる。
「やったな、オリヴィア!」
「ストルも、テランもありがとうございます。
……でも、まだなんです」
珍しく歓喜に沸くストルだったが、オリヴィアはまだ冷静だった。
この術式を仕上げた彼女だけが知っている。転移魔術はまだ未完成だという事を。
ここから先は、初めて実験をする。自分の仮説が正しければと、オリヴィアは固唾を呑み込んだ。
「……次は、シンさん。魔法陣の上に乗ってもらえませんか?」
「俺が?」
指名を受けたシンが訝しむ。オリヴィアの顔は、どう見ても強張っている。
つまり、この先の成功が保証されていないのだと察した。
オリヴィア自身が一番理解している事であり、説明しないのは不公平であると思った彼女は口を開いた。
「ええと、シンさんにお願いした理由は検証がしたくてですね。
――これを見てください」
オリヴィアは自分が魔法陣の上へと乗る。
魔力をいくら込めても、淡い光が放たれるだけで彼女が転移する事は無かった。
「次は、これを見ていただければ」
続けて、オリヴィアは流水の幻影で自分の分身を創り出す。
流水の幻影によって生まれた分身も、オリヴィア本人と同様に転移せずに立ち尽くしている。
「この通り、わたしも分身も転移が出来ません。だけど、リンゴやわたしが持っている道具は転移が確認できたんです。
それが質量によるものなのか、それとも転移する対象の魔力総量なのかが知りたくて……」
「それで、俺か」
シンは自分が指名された理由に納得した。
魔力を持たない自分が転移されるのであれば、現在組まれている術式は転移出来る魔力総量に限界がある。
逆に自分も転移が出来ないのであれば、魔力に加えて質量の限界があるかもしれない。その場合は、再度検証を煮詰めていくのだろう。
流水の幻影による分身で行って見せたのは、生命か否かで違いが発生している訳ではないという証明。
「失礼なことを言っているのは、判ってるんですけど……。
お願いします! どうしても、知りたくて!」
「失礼でもなんでもないだろう。大切なことだ、俺に出来ることなら協力するよ」
その言葉通り、シンは躊躇なく描かれた魔法陣の上へと足を乗せた。オリヴィアや研究チームの皆を信用しての行動でもある。
大きく息を吐き、オリヴィアが魔力を込めるとシンの身体が淡い光に包まれる。
不思議ではあるが、経験した事のある感覚に似ていた。
吸い込まれるような感覚と、そっと背中を押されるような感覚。
僅かな時間の間に一連の流れは行われ、自分を包んでいた感触を証明するものは何も残っていない。
「シン、こっちに来ちゃった……」
そっと目を開いた先には、驚きで目を丸くしたフェリーの顔が在った。
後ろを振り返ると自分の傍にいたはずのオリヴィアが、フェリー以上に目を丸くしていた。
その距離は、20メートル程離れた位置にある。
足元にそっと目をやると、描かれている魔法陣のとは違う紋様。
半円に描かれている文字が、別のものへと置き換わっていた。
「やっ……た!」
「オリヴィア! やったな!」
「はい、はい……!」
何度も力強く拳を握り締め、両手を掲げる。同時に、リンゴを転送した時以上に歓声が湧き上がる。
ストルとも、テランとも。オリヴィアはそこら中に居る人間とただひたすらに握手をして喜びを分かち合う。
うっすらと涙ぐんでいるのがバレているかもしれないが、構わなかった。それほどに、嬉しかった。
人間の転移に成功した。課題は山積みだが、今はその事実を素直に喜んだ。
オリヴィアがずっと創りたかった魔術は、この瞬間をもって夢やロマンで片付けられるものではなくなったのだから。
……*
転移魔術の試作品が完成したという事で、マレットとギルレッグにも仕事が回ってくる事となる。
現状の転移魔術で、魔力の供給と魔法陣をどうやって維持するかについて話し合うために、マレットが状況を取りまとめた。
「ってーことは、今はこんな感じだな」
まず、一定以上の魔力を有している物体や人は転移出来ない。具体的に言えば、人間はシンしかまだ転移が出来ない。
それ故に流し込む魔力は少量で済むが、転移出来るのは精々20メートル前後が限界だった。
「冷静になってみれば、ダメダメですね……」
一通り歓喜して我に返ったオリヴィアが肩を落とす。
とりあえずの形は出来上がったものの、試作品の域を出ない。自分が望むものとは程遠いのだと、突き付けられた気分だった。
「そんなことはないぞ! 十分に偉業だ!
それに、私としては初めての経験で実に有意義だったと思う!」
「……ありがとうございます」
慌ててストルが落ち込むオリヴィアを元気づけようと言葉を紡いでいく。
新しい魔術を創るという、妖精族の中では考えもしなかった事。
それを成し遂げた一員に加われた事を、ストルは心底誇りに思っている。
「ま、その辺は改良の余地があるとして」
発明が失敗する事など、数えきれないほどにある。
マレットは落ち込むオリヴィアを一切気にする様子なく、話をつづけた。
「一先ずこの魔法陣を基礎として、アタシとギルレッグは魔法陣の維持と隠匿をどうする考えておく。
魔術師組は、術式や魔法陣を調整したら逐一教えてくれよ」
「はい。ベルさんも、ギルレッグさんも、よろしくお願いします!」
「おう、任せておけ。丁度、こっちの打ち直しも終わったところだしな」
「ギルレッグさん。それって――」
ニィっと白い歯を見せたギルレッグは、一振りの剣を掲げる。
三日月島にてその刀身を失った神器。蒼龍王の神剣が、その手には握られていた。