173.魔女の真意は
ギランドレの遺跡へ向かったシン達は決断をする。妖精族の里へ戻るのは、明日にしようと。
遺跡の内部を隅々まで調査するのであれば、たとえ一日でも足りない。テランの情報を元に、まずは要点を纏めるつもりではあった。
しかし、想定外の部屋を見つけてしまった。何者かの手によって、意図的に隠蔽された部屋。
フェリーに関する情報が得られないかと躍起になるシンだったが、曲線の一部と魔術式だと思われる文字の欠片。
それ以上の情報を得られる事は出来なかった。
テランとオリヴィアが土の魔術で補強を重ねつつ、部屋を一通り観察したマレットが呟いた。
「人が住んでいた形跡はないな」
彼女が言うには、このように炎の魔術で焼き、風の魔術で周囲を破壊しても営みの形跡というものは簡単に消し尽くせるものではないらしい。
この部屋には、明らかにそれがないというのがマレットの見解。
「家具を片付けた後に、部屋を壊したとかはないんですか?」
「こうやって燃やしている時点で、家具を個別に片付ける理由がないだろう。
明確な目的があって、この部屋を利用したと考える方が妥当だ。
壊した後に、わざわざ壁まで偽装していたんだ。どうしても知られたくないことがあったんだろう?」
挑戦状でも叩きつけているかのように、不敵な笑みを浮かべるマレット。
視線の先に居るフェリーはポカンと口を開けていたが、やがてそれが自分の中に潜む魔女へ向けてのものだと気が付いた。
「えと、もうヘンなカンジしなくなっちゃった。……ごめん」
自らの眼で隠蔽を確認出来たからなのか、フェリーを戸惑わせる感情は既に消え去っていた。
三日月島で暴れた『魔女』が表に出てくる気配を見せないのは、フェリーの精神が安定しているからだろうか。
恐らく、その大部分を担っているのはシンの存在だと全員が当たりを付けている。
「いや、変な感覚を教えてくれただけでも助かる」
「――だな」
微妙な空気を咳払いで誤魔化しながら、マレットが相槌を打つ。
実際、フェリーの中に潜む魔女は大きなヒントをくれた。
魔女が反応すらしなければ、シン達は瓦礫に埋もれた部屋を見つける事は出来なかった。
三日月島の一件もそうだ。怒りの感情を湧き上がらせ、あらゆるものを焼き尽くそうとした。
超常の存在かもしれないが、決して『神』やそれに準ずるものではない。
怒りの赴くままに破壊を繰り返し、悪戯が知られやしないかと後ろめたさを感じる心はまるで人間の行いそのものだ。
フェリーの中に居る魔女は、人間だ。
自分がそうだと思い込みたいが故に、都合のいい情報をかき集めているのかもしれない。
不確定要素や不安は勿論拭いきれない。それでもひとつ、またひとつと可能性の扉が開かれる。
暗闇の中、我武者羅に手を伸ばしていた頃とは違う。シンにとって、隠蔽されたこの部屋は紛れもなく希望の象徴だった。
……*
廃墟となったギランドレ城の一室で、シン達は夜を過ごす事に決めた。
魔力を吸い取って発光する遺跡内にて、オリヴィアやテランの魔力に限界が近付いたからだった。
絶対量が少ないマレットは、殆ど魔力を吸い取られる事は無かった。シンに至っては前回と同様に、ほぼ居ないと同義である。
今回の調査は終了として、体力と魔力の回復する翌朝に妖精族の里へと戻る事にする。
「うーん。やっぱり、転送に関する記述は殆どありませんよね」
書き写したメモの解読を進めながら、寝袋に身を包んだオリヴィアがため息をついた。
長い旅路で寝袋を使った事がないと、フェリーは眼を輝かせて見ている。
いつ襲われるかも判らない野営で、致命的なミスにならないようにとシンが買う事を拒否していたからでもあった。
「てんそーって、そんなにムズかしいの?」
フェリーがメモを覗き込むが、何を書いているのかさっぱり判らない。
テランは一部解読をしたと言っていたし、マレットやオリヴィアは勿論、シンも魔術が使えなくても考察には参加していた。
自分だけ置いてけぼりを喰らっているようで、少しだけ疎外感を感じる。
「難しいっていうより、刻と運命の神にとっては重要じゃないってことだな」
「……どゆコト?」
マレットが補足を入れても、フェリーにはピンとこない。
寝ころんだまま小首を傾げると、金色の髪が波打つようにシーツへと広がっていった。
「刻と運命の神はあくまで時間を遡る古代魔導具を作ったんだ。
その結果として、使用者。こないだはシンを過去へと送った。
刻と運命の神にとっては時間を遡る事が重要で、人を送ることについてはオマケなんだよ。
だから、人を送るって下りの部分はテキトーに書かれてるんだ」
「もう、きっちり設計図を残しておいてくださいよ!」
寝袋に身を包んだまま、オリヴィアはゴロゴロと部屋を転がっていく。
やがて部屋の端にまでたどり着いた彼女は、その動きを止める。
「オリヴィアちゃん、だいじょぶ?」
うつ伏せになったまま剥き出しの頬が、冷えた床によって熱を失っていく。
同時にオリヴィアの頭も冷やしていく結果となり、狭まった視界も相まって彼女の思考は奥深くまで潜り込んでいく。
「そっか、人力とはいえこれもわたしが移動していることには変わりがない。
目的地もないけれど、身体を動かせる範囲には限界があるから壁で止まった。
壁画を見る限り、送り出した先については描かれていない。つまり、古代魔導具も恐らく出口は設定されていなかった。
きっと時間という軸が追加された上で、移動可能な時間と場所に送り込まれた。
いや、魔力が尽きて戻ってきたこと自体が出口? だとすると、やっぱり転移先で術式としての繋がりを一旦解除しておく必要が――」
ブツブツと思いついた事を口に出し、とっ散らかしていく。
そうして吐き出した部品を頭の中で再度組み立てる為に、オリヴィアは延々と呟き続けていた。
床に向かって語り掛ける美少女の姿は異様で、流石のフェリーも若干引いていた。
「ありゃ大丈夫だ。放っておけ」
「う、うん」
呆れた様子を見せるマレットだが、彼女も同様にのめり込む事は少なくない。自覚もしているので、親近感が沸いた。
もっと早く知り合いたいと思った程だ。
「マレットは、なにか考えてあるの?」
「ん? アタシなりにも考えてはみるけど、魔術師に任せた方が良さそうな領分ではあるしな。
アタシは文字の解読とか、魔導石での魔力制御がメインになりそうだ」
「でも、魔導具とかいろいろ造ってるよね?」
「つっても、あれは道具を動かしてるだけだからな。今回は人間自体を飛ばすんだ、組み込む式も違ってくるんだよ」
「なるほどー」
マレットは解っている。「なるほどー」と言ってはいるが、フェリーは一切理解をしていない。
彼女は研究メンバーではないし、一向に構わないのだが。
「それよりも、だ」
徐にフェリーの傍へと寄ってくるマレット。目的が判らず、フェリーが訝しむ。
すると、彼女は突然自分の胸へと手を伸ばした。広げられた掌が、胸元へと押し付けられる。
「ちょっと、マレット!?」
トクントクンと、心臓の拍動が伝わってくる。彼女は紛れもなく生きていて、こうしていると普通の少女と何ら変わりない。
フェリーと知り合った10年前からずっと知っている鼓動だった。
「フェリーが不老不死なのは身体が時間を遡っているんじゃないかって、シンと話したことがある。
実際、お前の中に居るヤツは何かを隠している。それが刻と運命の神の遺跡にあるんだから、いいセン行ってるんだろうな。
今日ここに来たのは転移魔術のこともあるけど、お前のためでもあるんだ。シンは言わないだろうから、アタシが代わりに伝えといてやる」
マレットが「ま、お前も来たがってたから丁度良かったけどな」と言いながらケタケタと笑った。
「……そうなんだ」
暖かい気持ちに包まれているのを、フェリーは感じ取った。
フェリーは三日月島でシンに想いを伝えた。ちゃんといっしょに年齢を重ねたいと伝えた。
でも、今ならはっきりと判る。彼はずっと前から考えてくれていたに違いない。
自分を『殺す』手段と同時に、本当の意味で『救う』方法を。そう考えると、堪らなく愛おしかった。
「と、いうわけでだ。こんな風にシンにもムネぐらい触らせてやれ」
ふと、思い出す。そういえばマレットは、自分の胸に手を当てている。何の意味もないのに。
「なんでそうなるのさ! マレット、いっつもそんなコト言う!
シンはそーいうジョーダン、キラいだもん!」
マレットの手を払い、両腕で胸を覆い隠す。寄せられた胸を見て、マレットは「わざとやってんのか?」と訊いたがフェリーには意図が伝わらない。
フェリーは思い出す。以前に冗談で「カラダで払う」と言った時に、シンは照れていた。あんまりこういう事でからかうのは良くないと、今なら思う。
けれど、同時にこうも思う。あの時のシンは、少し可愛かったかもしれないと。
「冗談じゃなかったら良くないか?」
さらりとマレットが言った。お互いに好き同士なのだから、問題ないだろうと言う。
益々戸惑うフェリーに待ったをかけたのは、オリヴィアだった。
会話の一部が耳に入ってきたのか、ぶつぶつと呟いていた魔術理論の構築を中断してまで会話に参加をする。
「ダメですよ! フェリーさんの中には不老不死の魔女が居るんですから!
なんかこう、二人がイチャイチャしすぎた時に今日みたいな変な感情が入り混じったら、大変じゃないですか!?」
何をそんなに慌てる事があるんだと、マレットが訝しむ。少し考えた後に、理由が判った。姉の援護をしているのだと。
ミスリア滞在中も、妖精族の里への移動中も、オリヴィアとフローラは頻繁にアメリアを気にしていた。
確かに、傍から見ているだけでも伝わってくる。アメリアがシンに恋慕を抱いている事ぐらいは。
シンとフェリーが想いを伝えあっていたとしても、それはまた別の話なのだ。
自分の溢れる気持ちを封じ込める。諦めきれるとは限らない。諦めの悪さは、抱いてしまった感情が本物である事の証左でもある。
正直に言うと、マレット自身だって思うところはある。
憧れていた青年が、まさかのシンだったのだ。驚いた反面、知らぬ間に再会を果たせて嬉しい。
恋心はよく分からないが、それだって特別な感情である事は認めざるを得ない。
だから、ある意味ではアメリアに尊敬の念すら抱く。
知っていて尚、その気持ちが揺らがない事に。
そしてこの妹は、彼女の恋を応援し続けている。分が悪いと知りながらも。
しかし、オリヴィアは今回強引に動きすぎた。
流石のフェリーでも意図に気付くのではないかと、マレットがフェリーへと視線を動かす。
「うーん……。そうだよね。あたしの中に、ほかのひとが入ってるから……。
あんまりシンに心配かけちゃうのも、良くないよね」
(マジかー……)
そこには、オリヴィアの言葉を鵜呑みにするフェリーの姿があった。
呆然とする一方で、少しだけシンが可哀想にも思えた。
「そうですよ! まずはフェリーさんの中にいる魔女を、やっつけましょう!」
「うん! そうだよね! あたし、がんばるよ!」
「別に、同時進行でもいいだろうに……」
意気込む二人の声にかき消されて、マレットの呟きは聴こえていなかった。
内心、この提案でオリヴィア以上に安堵したのはほかならぬフェリーだった。
シンの事は好きで、触れ合いたいと思っている。なんなら、手を繋ぐだけでも舞い上がりそうな程に嬉しい。
一方で、触れられる事は恥ずかしい。マレットから提案された時に想像をしてみたが、顔から火が出そうだった。
衝動的になってはいけない。ちゃんと心の準備が必要だと、自分に言い聞かせていた。
……*
「なんだか、向こうが盛り上がっているね」
声こそ聞こえないが、壁越しに部屋が揺れているのが判る。
喧騒の女性陣と違って、シンとテランは淡々と寝る準備を進めていた。
「まあ、元気なのはいいことだ」
今回の探索は、収穫が多かったと実感する。フェリーの不老不死、その手掛かりになりかねないものを見つけた事は大きな一歩だ。
内心では歓喜に震えた。フェリーを普通の少女に戻せる可能性が、僅かでも上がったのだから。
だが、表面化していないとはいえ別の存在が彼女の中に巣食っている事実には変わらない。
自分の感情以外のものが蠢く身体に、フェリーはどう思うのか。落ち込んだりはしていないのかと、気にしていた。
壁越しに伝ってくる振動を見る限りでは、問題ないだろう。シンは抱いた心配が杞憂に終わった事を喜ぶ。
マレットもオリヴィアも、なんだかんだ言ってフェリーとは仲が良い。元々彼女は、友人を作る事に長けている。
表向きは嫌がっていても、マレットに感謝をしている事はシンも知っている。
オリヴィアも性格が似ているからか、直ぐに打ち解けた。喜ばしい限りだ。
だからこそ、彼女から後ろめたさを全て取り除いてやりたい。
中に潜む魔女は、フェリーには不要なものだ。
「テラン。お前に訊きたいことがある」
「フェリー・ハートニアのことだね?」
テランは待ち構えていたかのように訊き返し、シンは頷く。
彼は二度、フェリーの中に潜む魔女と相対した事になる。
一度目はフェリーに『楔』を打ち込んだ時。
もう一度は、魔女と入れ替わったフェリーを三日月島で目撃した時。
シンはただの一度も、魔女と対面した事は無い。
それは彼自身が、フェリーの精神を安定させる存在であるが故の事だった。
今後も遭遇できる保証はない。だから、口伝でもいいからとにかく情報が欲しかった。
だから、魔女に関しては他人の情報を擦り合わせなくてはならない。
いつか対面する必要があると考えつつも、現段階ではその手段は思いつかない。
「フェリーの中に居る魔女は、どんな奴なんだ?」
余りに抽象的な質問に、テランはどう回答するべきなのか戸惑う。
シンも全容が掴めていないからこそ、はっきりとした質問を述べる事が出来ないのだろうと推察をしたうえで、テランは答えた。
「少なくとも、目的のためなら他人を殺す事に躊躇は無いだろうね。
更に言うなら、フェリー・ハートニアの身体を使ってはいるけれど彼女よりも数段上の魔力を発していたよ。
遺跡の部屋を破壊して隠蔽している様子から、きちんと魔術も使えるんだろう」
テランは「僕の感じた限りだけどね」と最後に付け加えたが、どうにも腹にストンと落ちてこない。
人を殺める事に躊躇が無いと言うのは、故郷で既に経験している。
シンが引っかかったのは「目的のためなら」の部分だった。
熟考の上に出した言葉なのかもしれない。反対に、自然に出てしまった言葉なのかもしれない。
どちらにしろ、テランは感じ取ったのだ。魔女には果たすべき本懐があるのだと。
故郷を燃やした時も、テランの右腕を燃やした時も、三日月島で現れた時も、目的が在ったと言うのだろうか。
在るとすればそれは、一体何なのか。
テランの一件はまだ理解が出来る。自分に仇なす存在への反撃だ。
三日月島の邪神についても、同様の理由付けが出来る。だが、邪神の撤退後も暴れ続けていたのは何故なのか。
極めつけは故郷だ。カランコエこそ、魔女にとっての脅威は存在していない。目的が、見えてこない。
シンは下唇を噛む。目頭を抑えたり、頭を掻き毟っても一向に冴える事はない。
一見繋がっていなくても、きっと何かあるはずだと自分へ言い聞かせる。
熟考を重ねた結果、とある突拍子の無い事が思い浮かんだ。
(まさか、な……)
偶然と必然が混じり合う、世迷言。だけど、完全には否定が出来ない。
シンは己の心に、思った事をしまい込んだ。
今は言うべきではないと、思ったから。