171.隠されていたモノ
ギランドレを訪れたのは、今この時が初めてだとフェリーは確信している。
まだ『フェリー・ハートニア』になる前は、家の外からロクに出してもらった事がない。
アンダルに引き取られてからは、ずっとシンと共に過ごしてきた。
旅の途中で、フェリーが刻と運命の神を祀るこの遺跡へ立ち寄った記憶は一切ない。
その証拠に、ギランドレに到着した時点では彼女の感覚が狂わされる事は無かった。
大穴を下って遺跡へ侵入する。魔力を吸い取る石が、周囲を照らしていく。
淡い光が壁に掘られた文様を露わにして、見る者に何かを伝えようとする。
次々と文字を書き写していくマレットの隣で、オリヴィアとテランは少し疲労していたようだった。
発光の元が魔術師の魔力を吸い取っている事が影響しているのだと、テランは言っていた。
フェリー自身、違和感の正体は彼らと同様のものなのだと考えていた。
けれど、違う。祭壇の間に到着して、自分のものではない感情が顕著に表れる。
神を祀る祭壇が荒らされているから? いいや、違う。そんな信心深さも、怒りも持ち合わせていない。
フェリーは自分から滲み出る感情の正体を考える。
決して突拍子もない、壮大な感情ではない。フェリーも似たような感情を抱いた事がある。
(そうだ……!)
やはり、自分も知っている。これは恐れだ。小さな、小さな恐れ。
悪戯を隠して、見つからないよう必死に祈っている自分。
どうしてそんな感情が浮かんだのか、理由は定かでない。
ただ、自分の心は見つかる事を恐れているようだった。
……*
壁画や文様を書き写す事に、マレットやオリヴィアは夢中になっている。
見た事の無い文字。象形的でありながら、不思議と趣を感じさせる。
祭壇にまで通じ続けている文字は、一体誰に向けてのものなのか。
テランが解読した通りの言葉であるならば、後世の人間へ伝えようとしたのかもしれない。
一方で、祭壇の間に到達してからは道中と単語の合致はあまり見られなくなっていた。
部屋の造りからして違うので、言葉を紡ぎたい相手も変わっているのだろうとマレットは推測した。
「って、シンとフェリーの奴はどうしたんだ?」
「あれ? 本当ですね」
すっかりと遺跡の内容に夢中だった二人が、漸く離れている事に気付く。
シンは冒険者時代に、魔石を集める為に遺跡へ潜った経験がある。
だから一緒に喰いつくと思っていたのだが、その役割は自然とオリヴィアへ入れ替わっていた。
「シン! フェリー! どうかしたのか!?」
他に人が居ないのだから構い必要はないと、マレットが大声で呼びかける。
石造りの壁に反響して、遺跡中にこだまする。
「もう、ベルさん。大声出すなら言ってくださいよ!」
隣で耳を抑えながら、オリヴィアが毒づいた。
栗色の髪を尻尾のように揺らしながら、「悪い、悪い」とマレットが謝る。
やがて声が届いたのか、同じようにシンの声が遺跡の中で反響していく。
響く度に弱くはなっていたが、マレット達が聞き取るには十分な声量だった。
「すまない。少し、調べたいところがある! 後で合流しよう!」
三人が互いの顔を見合わす。ここまでの道中、上下したり道が弧を描いたりとはしたものの分岐するような事はない。
祭壇の間だって、一通り調べたからこそ脇の小部屋へと自分達は移動しているのだから。
「シンさん、何か見つけたんですかね?」
「ここまでは一本道のはずだけれど」
首を傾げるオリヴィアに、一度調査した事のあるテラン。
心当たりが思い浮かばず、二人はただ唸るだけだった。
「まあ、フェリーが居るんだ。シンも灯りは確保できているだろうし無茶はしないだろう。
何が在ったかは、後で訊けばいい」
遺跡へと向かう前。マレットはシン同様に知りたい事がもうひとつあった。
それはフェリーの体質について。不老不死の正体は、彼女の身体が巻き戻っているのではないかという仮説。
もしかすると、シンとフェリーはそのヒントを見つけたのかもしれない。
だとすれば、彼の中で最優先事項なのは疑いようも無かった。今も昔も、シンはフェリーの事を何よりも一番に考えている。
誰よりもその気持ちを理解しているからこそ、マレットは水を差さないようにする。
自分の力が必要ならば、シンは言うだろうと理解しているからだった。
話を聞く限り、他人には多少遠慮をするらしいが、自分にだけは何でも頼ってくる。
長年の付き合いによる確かな信頼関係がそこには在る。
だからこそ、マレットは転移魔術。そして、刻と運命の神について記述された物へ全力を尽くす。
フェリーの事は、後でシンに訊けばいい。彼女の為なら、シンはきっとなんでも相談してくれる。
「さ、アタシらはこれをとにかく書き写していくぞ。
流石に何度も戻って来ようとは思わないからな」
「たしかに……!」
マレットの言葉を受けて、オリヴィアは次々と壁画の内容を紙へと写していく。
壁画の内容もしっかりと、些細な事すら見落とさないようにと眼を凝らしながら。
……*
「フェリーが頼りだ。手を離さないようにな」
「ん」
シンが差し出した左手を、フェリーは指の部分だけ掴む。
彼女の魔力が無ければ、シンは暗闇に囚われてしまう。万が一にも、離れる訳には行かなかった。
硬い指先と、乾燥してカサカサと荒れた肌。それでも彼の温もりは確かに感じる。
どの指にある突起は、豆が何度も潰れた形跡だろうか。自分の指でなぞって確かめたい欲を、フェリーは抑えた。
(い、今はダメ! みんな、マジメに調べものしてるんだから!)
三日月島で誤解が解けて以降、距離がグッと近付いた事をフェリーも自覚している。
なんせ互いに気持ちを伝えあったのだから、こうやって手を繋ぐ事だって何もおかしくはない。
それでも、10年という月日は決して短くない。
すれ違っていた時間の長さが、手を繋ぐ事にさえ意識を割かせる。
彼の温かみに触れるだけで、胸の鼓動が速くなる。
ひんやりと冷たい空気の流れる、静寂が支配する遺跡。聴こえてしまっている可能性はゼロではない。
聴かれていたらどうしようと焦りを感じる一方で、フェリーは安心もしていた。
この感情は自分のもので、間違いない。フェリー・ハートニアは間違いなく此処にいる。
今は不思議な感情が奥底から溢れてこようとしているけれど、自分の気持ちは不変なのだという確信。
知ってか知らずか、シンがフェリーの手を握り返す。
彼の小指がすり抜けてしまった事が、フェリーはとても残念だった。
「それで、どうやって探せばいいのかな?」
フェリー自身の中に芽生えている、もうひとりの感情。
魔女が隠したがっているものを、どう見つければいいのか。
隠したがっているという後ろめたさだけは伝わるが、肝心の場所が判らない。
発光する石壁はフェリーの魔力を吸い取っている。周辺は暗く、見比べる事もままならない。
「嫌な感覚がしたのは、この部屋に来てからなんだよな?」
「うん」
シンの問いに、フェリーが頷く。
もしかすると、遺跡に到達した時点で既に魔女は後ろめたさを漏らしていたのかもしれないが、フェリーが気付かない程度のものだった。
顕著になった祭壇の間に何かがあると推察しても差支えがないと、シンは判断する。
「マレットたちが行った方は、何も感じないのか?」
「うーん……」
フェリーはポニーテールとなった金髪を重力に垂らすように、首を傾げた。
言われてみれば、この部屋から出ていくマレット達に思うところは無かった。
そうなると、やはりこの部屋自体に後ろめたさを感じているのではないかと思う。
「マレットたちには、なにも思わなかったよ?」
「そうか……」
シンは残った右手を口元に当てながら、思慮に耽る。
現状、ヒントでありアンテナとなっているのはフェリーが抱えている不可解な感情のみ。
それも、彼女を害する程のものではなさそうだ。彼女が戸惑う程度の後ろめたさ。
アタリを付けるには、あまりにも頼りない情報。
しかし、ゼロではない。確実に、遺跡内に在るもの。
だとすれば、シンに退く選択肢は残っていない。
頼りになるのは、フェリーの感覚だけ。自分は、その精度を上げる手伝いがどこまで出来るか。
この勝負は、そういったものに移り変わろうとしていた。
選んだ方法はフェリーの手を取りながら、シンが壁伝いに歩いていくといったもの。
彼女に巣食う不快感が増せば、周辺を重点的に調べようという原始的な方法。
半ばヤケにも思える手段だが、アテもなくぐるぐると部屋を回り続けるよりは幾分かマシだと思えた。
全てがフェリーの感覚による、完全に彼女を信頼した方法。
手をずっと繋いでいるせいで、フェリーの心臓はその働きを強くする。
指がすり抜け得そうになれば、慌てて深く握り直す。
互いの温もりが共有され、体温の上昇と歩き続けた事により段々と汗ばんでいく。
それでもフェリーは決して手を離さない。離したくない。
自分の奥底で感じる後ろめたさが、その場所へ導けばこの時間は終わってしまう。
どことなく勿体なさを感じるが、ついには終わりの時間が訪れてしまった。
「この辺りがいちばんイヤ……かも」
フェリーが指し示したのは、崩れた瓦礫の山。シンが一度テランと別れた、階段への入り口のすぐ横だった。
「出口……か?」
シンの額から汗が流れる。徒労に終わったのかもしれないという、疲労感から流れたものだった。
出口のすぐ傍だという事もあってシンの脳裏に過ったのは、魔女がこの遺跡で何かを持ち帰ったのではないかという可能性。
つまり、後ろめたさの正体も盗みを働いたからなのではないかという想像。
「ダメ……かな?」
役に立てなかったのではないかと、不安そうにフェリーが眉を下げる。
彼女は決して悪くない。自分に巣食う、他の誰かの感情を必死に読み取ってくれたのだ。
感謝こそすれど、責める理由はどこにもない。
「いや、ダメなわけがない。ありがとな」
フェリーの頭を優しく撫で、シンが礼を言ったその時だった。
彼女の頭と同等の高さにある石壁に、違和感を覚えた。
目を凝らし、顔をぐっと石壁に近付ける。
崩れた瓦礫に近寄り心配するフェリーを他所に、シンは違和感の正体を見つけた。
「……薄い」
「え?」
「この辺りだけ石の壁が、薄いんだ」
彼女にも見せようと、シンは身を屈める。
対照的に背伸びをして、フェリーがひょこっと顔を上げる。
崩れたお陰で石壁の厚みが横から確認する事が出来る。
シンの言う通り、一部分だけが明らかに薄くなっていた。
隙間から確認できるのは、空洞。
可能性として考えられるのは、隠し部屋の存在だった。
「中を調べたいな」
シンは別の部屋を調査しているテランを呼び、階段周りを土の魔術で支えるように頼んだ。
瓦礫を片付けていき、開けた視界には大きな空洞がひとつ出来上がっていた。
「シン・キーランド」
土の魔術で補強しながらテランも周囲の石壁を拾っては避けていく。
その際に気付いた、ある事をシンへと伝えようとしていた。
確信は持てないが、大きな意味を持つかもしれない言葉を。
「今、触れてみて判った。
この薄い石壁は、周囲の石壁を薄く削って魔術で無理矢理固めている」
「……なんだと?」
シンが眉を顰める一方で、フェリーもまた胸中に自分のものではない感情が湧き上がるのを感じた。
知られてはいけないものが知られた時のような、動揺の入り混じった後ろめたさ。
「この部屋は、元々あったものを誰かが隠した可能性がある」
テランの告白に、シンは自然と下唇を噛んでいた。
鬼が出るか蛇が出るか。気付いた以上は、進むしかなかった。
……*
「これは……。ひどいですね」
眼前に映る惨状を目の当たりにして、オリヴィアがぽつりと呟いた。
瓦礫を片付けた先に広がる部屋は、ある意味では祭壇の間以上の重要性を持っていたのかもしれない。
壁に刻まれていたであろう文様は、これでもかというぐらいに表面が削り取られている。何が描かれていたのか、一切の判別が出来ない程に。
部屋に設置されていたであろう道具も同様に、真っ黒に焦がされていて一体何だったのかすら判らない。
触れてしまえば脆く崩れてしまい、指の腹に黒い炭の跡を残すだけだった。
悔しさから、シンは奥歯を噛みしめた。
折角、フェリーの不老不死に関する手掛かりを見つけたと思ったのに。
隠された部屋の先にあるものも、既に隠滅されていた。掌の上で、遊ばれているような気がした。
「シン……」
自分の為に必死に足掻いてくれる彼が、辛そうな顔をしている。
いつしか自分に湧き上がっていた後ろめたさは消えていた。或いは、安堵したのかもしれない。
行い自体は知られても、本当に知られたくなかった事は隠し通せたのだと。
「そこまで落ち込むことはないだろ」
白い肌を、上着として着ている白衣を土埃で汚している女性。
栗毛を尻尾のようにぴょこぴょこと跳ねさせながら、マレットが言った。
彼女の表情は決して暗くない。むしろ「いいモノを見つけた」ぐらいに思っているようだった。
「壁の表面を削ったのは、恐らく風の魔術だろう。
削った後、段々と表面が風化しているし相当な時間が経っている。百年は下らないだろうな」
「ひゃ、ひゃく……」
壮大な話になってきたと、オリヴィアが指を折りながら数え始める。
「この炭みたいなのも、炎の魔術によって証拠隠滅を図られているんだ。
極めつけは――っと」
マレットは真っ黒となった瓦礫の表面を親指でなぞり、真っ黒な炭を自らの指へと移し替えていく。
瓦礫の表面に新たに現れたのは、曲線の一部と文字が欠けたものだった。
「これは……!」
まじまじとオリヴィアが顔を近付ける。この遺跡の文様とは違う、自分に読める文字だったからだ。
古代文字でもなく、ドナ山脈の北側に居る種族のものではない。人間が生み出した、人間の文字。
「この曲線は魔法陣の一部で、この文字はその術式を示したもの……?」
「アタシは魔術自体に詳しくないけど、オリヴィアがそう言うなら可能性はあるってことだな」
炭の向こうにうっすらと浮かぶ文字を見つけた時、マレットはそこまでの確信は持てなかった。
専門家で魔術の研究者であるオリヴィアが言うのなら、推察は当たっていた事になる。
「じゃあ――」
「人間の文字があるんだ。人間がこの場に現れた可能性は、かなり高いだろうな。
こんなトコでわざわざ証拠隠滅を図っているんだ。よっぽど見つかりたくないモンがあったんだろうよ」
フェリーの中に潜む魔女が、決して見つかりたくはないもの。
思い当たる節は、そう多くはない。
どんな怪我もたちまち元通りになってしまう、不老不死の能力。
ただの少女の中へと潜む、魂の存在。
シンがフェリーから取り除いてやりたい、ふたつのもの。
「シン……」
「ああ。きっと、そうだ」
シンはフェリーの瞳を見る。正しくは、その奥に潜む魔女を。
決定打となった訳では無い。問題が解決した訳でもない。
だけど、漸く掴んだ気がした。
不老不死の魔女。その尻尾を。