169.前を向き始めて
妖精族の里の離れ。
マレット達の研究所が造られる予定の場所に、実験場として設けられた広場がある。
雑草が生い茂る広いだけの土地で、少年は虚ろな眼で空を眺めていた。
白い雲が、空という大海を泳いでいる。妖精族の里の空を。
「なんだ? 楽しそうだな、ピース」
寝起きのマレットが、仰向けで空を眺めているピースの顔を覗き込む。
彼女の屋敷で寝泊まりしたり、一緒に旅をしていたから知っているのだがマレットはかなりラフな格好で寝ている。
そんな状態で彼女は屈んでいる。気を抜くと、食い入るように重力へ従う胸に視線が吸い込まれてしまう。
いつものようにからかわれるオチが見えているので、口惜しさを感じながらも首を横へと向けた。
「楽しいわけないだろ!」
ピースが怒る理由は、勿論マレットも理解している。一連の流れを見ていたのだから。
稽古の一環だとして、木剣を構えるシンとピース。「好きに打ち込んできていいぞ」と言われたので、思い切り正面から打ち込みに行った。
この世界に転生した直後よりは強くなっているだろうと自信を持っていたが故の行動。ウェルカの時とは違い、一泡吹かせようといった企み。
彼の野望は、虚しくもあっさりと打ち砕かれる事となる。
ピースとて馬鹿正直な一撃が当たるとは思っていなかった。受け止められる、もしくは受け流されるという前提の元で二撃目をどうするか。
シンが受け止めるのであれば滑らせようだとか、受け流すのであれば切り替えそうだとか色々とシミュレーションはしていた。
だが、シンはピースの一太刀を引っ掛けるようにして受け止めた。
滑らせるには支えが弱く、切り返すには刃が逃げ切れない。そんな絶妙な力加減。
どうするべきかと逡巡している間に、シンの左手によって利き手の手首が抑えられる。そうなると、後は混乱するしかなかった。
次の瞬間、ピースの身体は宙を舞い視界いっぱいに青空が拓ける。そのまま尻餅を着く様に地面へ落下し、今に至る。
「どうにかしようっていうのが見え見えだ。お前が勝手に俺の受け止め方を決めたら、外すだけでどうにでもなる」
「はーい……」
この稽古中、ピースは何度投げられたのかもう数えていない。
ありとあらゆる攻め手が、彼のいなしから投げへと繋げられる。
ならば自分がカウンターを狙えばいいのだと待ち構えてみても、初手から投げられる。
身構えていたはずなのに、気付いたら投げられる。
おかげで、受け身だけには自信がついた。
魔導刀を使えば、少しは善戦出来るのであろう。
しかし、肝心の剣の腕前が上がらなければ意味が無い。
ピースとしても、翼颴ありきの戦闘スタイルになるのはまずいと懸念している。
魔導刃より遥かに強力な刃を形成し、更に『羽』で多角的な攻撃を可能とする翼颴。
代償として、魔力は魔導刃よりもはるかに速い速度で消費していく。戦闘継続時間は、確実に短くなっているのだ。
シンのように手元にあるものを何でも使えるようになるとは思えないが、手札が多いに越した事は無い。
そう思いながらピースは立ち上がり、また投げ飛ばされた。
始めた時より高くなった太陽の位置が、時間の経過を教えてくれていた。
「今日はここまでだな。俺で良ければいつでも稽古には付き合うぞ」
「……ありがとうございました」
結局、ピースはシンに一太刀も入れる事は無かった。
人知れず邪神の分体と戦って撃退したり、フェリーと協力して地獄の番犬を斃したり。
自分では強くなったつもりだったが、魔術や魔導具ありきの強さだったと思い知らされる。少し、ほんの少しではあるがピースは悔しいと感じていた。
「疲れたか?」
「疲れたというか、虚無感が勝るというか……」
シンが差し出した手を受け取り、ピースは身体を起こす。土の水分を吸収して、肌に張り付いたシャツを剥がす。
背中を覗くと、雑草の葉汁が服を緑に染めている。土も繊維に入り込んでいて、洗うのが大変そうだった。
「うーむ。ここまでとは」
すっかりと染みついた敗北の軌跡。一太刀を浴びせるという事ですら、高望みしているようだった。
まずは、背中が汚れない事を心掛けようとピースは目標を改めた。
「それで、あっちは何してるんだ?」
リンゴを齧るマレットが指を差した方向には、フェリーとアメリアが同様に木剣を握っている。
シンやピースの稽古とは違い、アメリアが横に構えた木剣へ向かってフェリーが打ち込む形だった。
「フェリーさんは、ちゃんとした剣術を師匠から教わってるんだよ」
マレットから受け取ったリンゴを齧ながら、ピースが答える。
剣の腕に関しては、フェリーもずっと悩んでいた事だった。
魔導刃を使って、強力な炎の刃で相手を焼き切る。
大抵の敵は、それでどうにかなっていた。しかし、それでどうにもならない相手がいる事も知った。
ミスリアの王宮で対峙したビルフレスト。皮肉にも彼との戦いが、フェリーに剣術の重要性を説く形となった。
規格外の魔力を注ぎ込んだ魔導刃ですら、彼には一切通用しなかった。
あの時シンが現れなければ、自分はどうなっていたか判らないとフェリーは今でも考えている。
マレットと再会した事により、灼神と霰神を授けてもらった。
以前より強力な魔導刃とはいえ、ビルフレストも新たな能力を身に着けた。
自分自身が強くならなくてはいけない。そう思い立ったフェリーは、アメリアに剣の師事を頼み込んだ。
「本日はここまでにしておきましょうか。フェリーさんは筋が良いですよ」
「ホント!? アメリアさん、ありがとうございました!」
もう一組は既に稽古を終えている事に気付いたアメリアが、自分達もと稽古を切り上げる。
汗を滴らせながら、フェリーは深く一礼をした。
「ふう。シンたちもおつかれさま! ピースくん、いっぱい投げられてたけど、どしたの?」
「アタシも訊いたけど、ピースはどうやら『羽』のように空を飛んでみたかったそうだ」
「そんなわけあるか!」
即座に否定するピースだが、フェリーはきょとんとしている。一瞬、本気で信じてしまったらしい。
肩をバシバシと叩きながら「びっくりさせないでよお」と言っているが、驚いたのはピースの方だとモノ申したかった。
「ところで、マレット博士。教えていただきたいのですが」
「ん? どうした?」
『羽』の話題となり、アメリアがマレットへ尋ねる。
魔導具の仕組み自体について、訊きたい事があるようだった。
「『羽』なんですけど。他の人の魔力で混線してしまうことはないのですか?」
アメリアが知りたいのはこうだった。戦闘中ともなると、大気中に様々な魔力が漂う事となる。
魔力を放出する魔術と違い、自由自在に動かす事が出来るのなら他人の魔力に干渉される恐れがあるのではないかという事だった。
オリヴィアの流水の幻影や死霊魔術師が操る屍人も同様に遠隔操作をしているが、これらはイメージが弱まると行動を停止してしまう恐れがあるからこその質問だった。
「本体である魔導刀と、付属している『羽』にはピースの魔力を認証してあるからな。
他人の魔力が干渉することはないし、逆に奪われても他の奴だと翼颴の『羽』は動かせないぞ」
アメリアが抱いた疑問と同様の問題は、かつて作った魔導具で経験した事がある。
マナ・ポインタという相手の居場所を感知する魔導具。これらは魔力を流すと、周囲総てのマナ・ポインタが反応するという欠点を抱えていた。
だからこそマレットは、遠隔操作を行う武器である『羽』の生成時に魔力の認証を取り入れた。
たっぷりと実験に付き合ってくれたピースには、これでも一応感謝はしている。
「何なら、試してみます?」
「ありがとうございます。ピースさん」
ピースが翼颴を差し出すと、アメリアは受け取って魔力を流す。
魔導刃の時とは違い、『羽』はおろか刃が形成される事も無かった。
「……起動しませんね」
少しだけ残念そうにアメリアが呟く。
彼女もまた、焦っていた。蒼龍王の神剣が折れてしまった以上、戦力としての自分はその価値を落としている。
激化するであろう戦いに耐えうるだけの力を得なければならないと、強い責任感が彼女を圧し潰そうとする。
「アメリアは『羽』が欲しいのか?」
「え、ええ……。『羽』というよりは、神剣を失った身なので代替案が必要と言いますか……」
ピースから魔導刃を借りてはいるものの、やはり戦力の低下は否めない。
オリヴィア程新しい魔術を開発するのが得意ではない彼女は、自分だけ取り残されているように感じていた。
彼女の話を聞いて、マレットは「ふむ」と下唇を摘まんだ。
研究仲間の姉であるし、何とかしてやりたいという気持ちはある。何より、フェリーやピースも懇願の眼差しを送ってきている。
「そうか。まあ、その点はアタシに出来る範囲で追々解決してやるよ」
マレットとしても、新たな『羽』を創るいい機会だった。ピースとの会話で、『羽』は何種類か作成を試みた。
結果として、最も完成の早かった強襲型を翼颴に組み込んでいる。いずれは他の型も造りたいと思っていたので、渡りに船である。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
承諾を得られて、アメリアの顔がぱあっと明るくなる。
嬉しそうなアメリアを見て、フェリーもニコニコと笑っていた。
「ベルさん! お待たせしました!」
どんな『羽』を作ろうかと考えている最中。元気いっぱいの声が風に乗って草葉を揺らす。
先日、マレットと共に転移魔術の研究をする約束を取り付けた魔術師。オリヴィアがそこには居た。
背には鞄を抱え、服装も魔術師らしく、魔力を通しやすい法衣に魔術を唱える為の杖。完全装備の状態だった。
「って、あれ?」
「待ってないけど。どうしたんだよ?」
身に覚えのないマレットが訝しむ傍ら、きょろきょろとオリビアが周囲を見渡す。自分以外が、とてもラフな格好をしているではないか。
薄着の女性陣は目の保養だし、シンも身体ががっしり鍛えられている事がよく分かる。
ピースは少年なのでシンにこそ劣るが、それでもきちんと鍛錬を積んでいると伝わる体つきをしていた。
「皆さん、朝からありがたや……」
「オリヴィア……」
「いや、だからどうしたんだよ?」
眼福だと拝み倒すオリヴィアに、いつもの悪ふざけが始まったのだとアメリアがため息をついた。
……*
オリヴィアの話はこうだった。
自分とマレット。そしてストルとテランで転移魔術の研究を行おうという目的を進めたい。
研究所が建つのはもう少し先の話になるので、それまでは青空の下で研究を進める事となる。
しかし、その前にどうしても調べておきたい所があるという。
かつてシンとテランが迷い込み、刻を渡す古代魔導具を手に入れた場所。
ギランドレの遺跡。刻と運命の神を祀るその場所を、確認したかった。
テランの話ではもう古代魔導具は残っていないし、色々な場所が壊れているという。
それでも、調べて置く価値はあった。時間を移動する為ではなく、人間を転移させるヒントはないだろうかと考えてのものだった。
「フローラさまの許可も得たので、わたしとしては一刻も早く向かいたいわけですよ!」
出て行ってもいいかと主君に相談した時、彼女は自分以上に喜んでくれた。
護衛の事を心配していたオリヴィアに対して、「私自身も妖精族の方に受け入れてもらいたいのです」と言ってしばらく護衛は不要だと言い放った。
自分達を受け入れてくれた妖精族の里に対して、フローラが示せる誠意の形でもあった。
今はコリスと共に、イリシャの手伝いとして子供達の相手をしている。新しい刺激を得て、フローラ自身も生き生きとした顔つきをしていた。
懸念が無くなったオリヴィアは、今すぐにでも遺跡へ向かいたいというテンションでこの場に姿を現したのであった。
「俺も連れて行ってくれ。調べたいことがある」
「それは勿論。元よりシンさんにはお願いするつもりでしたよ! 時間を遡った張本人ですし!」
手を挙げるシンに対して、オリヴィアは笑みで返した。
彼は古代魔導具を用いて過去へ遡った唯一の人間。そして、以前にもギランドレの遺跡を確認している。
調査をしたいオリヴィアからすれば、シンとテランの存在を外すわけには行かない。
後は魔導具の製造に携わり、知見に溢れてるマレット。
最後にフェリーが「あたしも行きたい!」と主張をしたので準備を整えた後に、五人で向かう事となった。
「シン」
「ああ」
シンとマレットが互いに目を配らせ、同時に頷く。
二人にはオリヴィアの言う、転移魔術に関するヒントの他に知りたい事があった。
それは、時間を巻き戻すという事。
フェリーの身体は、彼女の時間を巻き戻しているのではないかという疑念。
仮にそうだとしても、いつ、どこで、どうしてそうなったのかという経緯までは判らない。
それでも調べない理由が無かった。不老不死の秘密に近付けるかもしれないという一縷の望みに、賭けたかった。