168.研究チーム爆誕
人の波を両断し、堂々とした立ち振る舞いで歩く者達。
妖精族の女王、魔獣族の王。そして、人間の国の王女まで加わるという錚々たる顔ぶれだった。
久しぶりの帰還から、突然の同盟宣言。
ストルやルナールに頭を抱えさせた案件は、ひとつの区切りがついたようだ。
「……なんだ、この騒ぎは?」
その結果を語るよりも早く、ストルが唖然とする。
妖精族だけではない。獣人も、人間の子供も居住特区に集まっているではないか。
特に祭り等の催し物をしている訳ではないのにと、周囲を見渡す。
人混みの中心。事の発端だと思わしき場所にいるのは、客人の姿だった。
見慣れない道具を持つその姿は、何をしようとしているのか全く理解できなかった。
「族長! この人たちも、居住特区に住めないの!?」
「見てよこれ! こんな美味しいお菓子、食べたことないでしょう!?」
「あの女の子も、魔術で分身を作ったりして凄いんだよ!」
「あっちの少年だってな――」
「いやいや、あの騎士の人も――」
次々と住人がストルへ詰め寄っては、マレット達を住まわせてやってくれないかと嘆願する。
自分達が会議をしている僅かな時間で、よくもここまで懐柔したものだと感心せざるを得ない。
マレット自身、少し前の自分ではこんな手段を考える事も無かっただろう。
マギアを発つ時にゼラニウムの街で庇ってくれた皆が居るからこそ、踏み出せた一歩。
自分の魔導具は、誰かを幸せにする事が出来るという確信が背中を押してくれた。
「落ち着いてくれ。妖精族にも、魔獣族にも関わる話だ。
みんな、心して聞いて欲しい」
それらをいったん宥め、ストルは自分の話を聞く様にと促す。
毅然とした態度を取る彼の口に、妖精族の少女が氷菓子を乗せたスプーンを突っ込む。
思わず「美味いな」と呟くストルの姿を見て、全員の気が緩んだ。
……*
結論から言うと、ミスリアとの同盟は締結される事となった。
先の戦いで背後にビルフレスト達の存在が在ったとはいえ、族長であるレチェリの復讐が原因のひとつだという事。
そして邪神は、世界を通しての脅威だという事。見て見ぬふりは出来ないと判断し、力を合わせるという決断をした。
勿論シン達の存在により、妖精族や魔獣族の心を融かしている事も要因としては大きい。
だが、それ以上に彼らはフローラの行動に敬意を表した。
心身共に限界が来ている状況で、彼女は自らの護衛であるアメリアとオリヴィアから離れた。
それはリタとレイバーンを信用しているという何よりの証だった。
仮に同盟が結ばれないとしても、リタがミスリア王都を結界で護ってくれたお礼をきちんとしたいと彼女は語る。
何より、彼女はただの一度も自国を卑下せず、相手を見下さず、対等な関係でいたい事だけで願っていた。
隠そうとしていても、案外そういった本心は見え隠れするものだ。それが溝を生み、やがて深くなっていく。
フローラ・メルクーリオ・ミスリアは理解している。自分が持っているのは『立場』だけで、それは必ずしも相手に『価値』があるものとは限らない。
だから真摯に向き合う事に従事した。嘘偽りのない真っ直ぐな言葉は、母親譲りの慈しみとなって妖精族や魔獣族に届いた。
「フローラ様、それでは……」
「これもリタ様やレイバーン様が尽力してくださったからです。
アメリアも、オリヴィアも、これから苦労を掛けると思いますが、よろしくお願いします」
「はい、お任せください」
「勿論ですよ!」
アメリアとオリヴィアは自らの胸を力強く叩き、忠誠を示す。
傅く彼女達の仕草を、子供達がよく分からないまま真似をする。
その様子が微笑ましくて、フローラは子供達の頭をそっと撫でた。
続いてテランだが、彼もまた妖精族の里での滞在を許可された。
それでも、過去の経緯を踏まえて全くの自由という訳ではない。
魔術を抑制する精霊魔術で彼を縛り付ける提案がなされ、テラン自身も了承した。
妖精族の里内では、複数人の族長による許可が無ければ解除はされない。
弟子との邂逅もすぐには許可されず、信用を重ねた後という運びとなった。
「それぐらいで済んで、有難いぐらいさ」
正直言って、自分だけ追放。もしくは牢獄入りも多少は覚悟をしていた。
妖精族の里に与えた被害を考えれば当然の事だし、受け入れる覚悟もあった。
排他的だった妖精族が、自分に対してこれだけ寛大な措置をくれるとは予想外だと思う反面、変わろうとする意思を強く感じる。
自分の望んだ、欲望のままに世界を変えうる邪神とは違う。経験した事のない温かみに触れた気がした。
余談だが、リタとレイバーンはストル達にこってりと絞られていた。
本気の声色で「二度と、勝手に同盟など結んでこないように」と釘を刺され、小さく丸まっていた。
……*
「ま、大体うまくいきそうってことだな」
マレットは賄賂だと言わんばかりに、氷菓子をどんどんと族長達に振舞っていく。
ストルは特に気に入ったようで、ずっと手が止まらない。ピースが腹を壊さないだろうかと心配するほどに。
「それで、マレット殿は研究所が造りたいと言っていたな」
アイスを頬張りながら、ストルが妖精族の里の地図を広げる。
出来るだけ広い土地が欲しいというマレットの要望は無茶かと思われたのだが、住人がこぞって背中を押してくれた。
皆してすっかり虜になってしまったのだ。彼女の生み出す魔導具に。
アルフヘイムの森が広い事もあって、マレットの要望が通る事となる。
ギランドレの北側。かつて、ギランドレ軍が屍人を用いて妖精族の里へ侵入した経路。
その付近に、マレットの研究所が造られる事となった。刻と運命の神についても調べたいと思っていた彼女にとっては、願ったり叶ったりである。
「マレットさん! お願いがあります! わたしも研究所の一員にしてください!」
そんな中、手を挙げる者が一人。ミスリアで転移魔術の研究を行っていた魔術師。オリヴィア。
彼女がマレットに取り入ろうとするのには、理由があった。
「あん? 別にいいけど……。オリヴィア、魔導具とか作りたいのか?」
「いえ、違います。ぜひ、てんっっっさい発明家、ベル・マレットさんに協力頂きたいことがございましてっ!」
「ほう、このアタシをねえ……。聞かせてもらおうじゃないか」
正直、マレットにとって『天才』という称号は聞き飽きている。何ならたまに自分で言う事すらもある。
しかし、何度言われても気の悪くする単語ではない。なにより、オリヴィアはミスリアでも指折りの魔術師。
マレットにとっても何か新しい発見があるかもしれないと考え、彼女の話を聞く事にした。
……*
事の発端は、テランに施された封印の魔術を見た事まで遡る。
「それにしても、精霊魔術って凄いですよね。魔法陣でこれだけのことが出来るんですから」
テランに施された封印の魔術を見て、オリヴィアは感嘆の声を漏らす。
彼女やアメリア。そして掛けられた本人であるテランは優れた魔術師であるが故に、それが高等技術である事を理解していた。
「でも、人間も召喚魔術を使う時は魔法陣を描いているんでしょ?」
反対に普段から触れているが故に、リタをはじめとした妖精族には人間の驚く理由が理解できない。
人間達こそ、次々と新しい魔術を開発している。伝統と伝承を重んじて、外界をの交流を断っていた妖精族には中々出来ない芸当だった。
「人間の使う魔法陣。主に召喚魔術は、使い捨てなんですよ。
魔力を流し込んで、発動する。残滓が残っていれば何度かは使いまわせますけど、それも一過性のものです。
リタさんがミスリアに施してくれたみたいに、魔力を供給し続けて効果を発揮する。
ましてや、魔導石で魔力を供給するなんて芸当は出来ません」
「へえ、そうなんだ」
「それに、魔法陣を描いて放置していても効果が無くなってしまいますね。
だから、人間の魔術で魔法陣を描くものはそう多くないんです」
魔力を用いて超常の現象を引き起こす所は同じなのに、色々と違うものなのだとリタは感心をした。
精霊魔術は魔法陣に魔術そのものを閉じ込め、必要に応じて使用者が魔力を流し込む。勿論、その術式を理解している事が前提となるが。
そういった点では、マレットの魔導具に少し似ている。魔導石との相性がいいのも、納得できる理由だった。
……*
「というわけで、わたしは魔導石と精霊魔術の知識が欲しいんです!」
「別に、アタシは構わないけど。魔導石は兎も角、精霊魔術はどうするんだ?」
「それは勿論、リタさんに!」
バッとリタへ手を差し出し、協力して欲しいとオリヴィアは懇願する。
リタとしても協力する事は吝かではない。しかし、彼女はそれ以上の適任者を知っているが故に断った。
「精霊魔術。特に、魔法陣関係なら私よりストルの方が上手だよ」
そう言って、リタはストルに声を掛ける。
ストルは怪訝な顔をしながら、己が呼び寄せられた理由の説明を受ける。
「……魔法陣について教えるのは良いが、それでどうするつもりなんだ?」
精霊魔術は妖精族に伝わる、由緒正しい魔術。
悪用されては堪らないという、猜疑の視線が送られる。
「それに関しては、アタシも聞いておく必要があるか」
魔導石は便利であるが、危険も孕んでいる。
現に、マナ・ライドを用いた自爆特攻という手段が横行した時代がある程だ。
納得できない使い方であるのなら、到底受け入れる事は出来ない。
「ええと、それはですね――」
オリヴィアは、自分が研究している内容を包み隠さず話した。
召喚魔術によって呼び寄せられるのではなく、任意の場所へ移動する転移魔術を生み出したいという事を。
ミスリアに居る頃からずっと研究していた魔術ではあるが、まだ何も送り出す事は成功していない。
邪神が顕現し、自分達はミスリアを離れる事となった。更に、いつ他国や魔物が攻めてくるかも判らない状況。
そんな危機に転移魔術があれば、避難が出来るとオリヴィアは話す。逆に言えば、こんな状況だからこそ一刻も早く理論を確立させる必要性が出て来た。
「わたしが考えているのは、こういった形なんですが……」
召喚魔術を基礎に、入口と出口に魔法陣を設置する。魔法陣は相互関係が望ましいが、最悪の場合は一方通行でも構わない。
理想形を話すのは簡単なのだが、実践に至るまで足りない物が多すぎた。
まず、前述の通り人間が描く魔法陣は使い捨てであり、放置しておくとそもそもの効果が失われる。
次に魔力の供給である。召喚魔術は、呼び出す生物に魔力が存在しており、魔法陣と魔力を呼び水に引っ張ってくる。
仮に朽ちない魔法陣が用意出来たとしても、出口に呼び水となる魔力が無ければ引っ張ってやる事は出来ない。
「だから、朽ちない魔法陣として精霊魔術の要素を取り込みたいんです。
魔力供給は、ミスリアを守護してくれているように魔導石をと思いまして」
「転移は誰にでも使えるようにするのか?」
ストルの問いに、オリヴィアは首を振った。
いくら何でもそれは危険である事ぐらいは、彼女も理解している。
「いえ、まずはここに居る人たちとミスリアの王族ぐらいでしょうか。
自由に出入りできるとなると、奇襲を受ける危険性もありますし。
ただ、邪神の動きをけん制する為にも出来る限り多くの場所へ行ければとは思っていますけど」
「それが解っているならいい。私もその魔術自体には賛成だ。
避難に使う事も出来るし、他国との交流きっと楽になるだろう」
「よかった。ありがとうございます」
その会話を聞いていて、最も驚いたのは妖精族の女王であるリタだった。
先の会議でもそうだったが、妖精族至上主義であったストルの姿はもう居ない。
彼も変わっているのだと思うと、なんだか嬉しくなった。
「出口に引っ張るのはいいとして、入口から送り出すのはどうするんだ?」
「それは――」
オリヴィアがチラリと覗いたのは、シンと会話をしているテランだった。
彼は刻と運命の神が生み出した古代魔導具の存在を知っている。
時間を渡るというオリヴィアが望んだものとは違う形ではあるが、シンを30年も前のゼラニウムに移動させた。
その時のシンの感覚を含め、理論として組み立てたいと思っている。
「成程、面白そうだね。僕も協力をしよう」
ストルがテランを呼びつけ、説明をすると彼はあっさりと了承する。
新たに魔術を生み出そうとするものを協力したくなるのは、魔術師の性だった。
「ただ、これだけじゃダメだな」
「えっ?」
マレットが下唇を親指でなぞりながら、呟いた。
送り出し、呼び寄せる。二つの現象を可能にするだけの出入口と魔力の供給。
素材は揃ったはずだと、オリヴィアは首を傾げる。
しかし、マレットは知っている。
この中で唯一、生み出したものによって意図せぬ悲劇を起こした人間だから。
「魔導石は魔力の塊だ。どこでも設置して、破壊でもされればそこらじゅうで爆発が起きる。
このままだと、あらゆる場所に爆弾を設置しているのと何も変わらない」
「それは、確かに……」
魔術の完成だけを目指していたオリヴィアにとっては、盲点だった。
マレットの言う通り、ただ設置するだけでは爆弾を放置している事と同義だ。
「それに魔導石を起動したままだと、隠していても魔法陣に気付かれる可能性がある。
存在がバレていれば、待ち伏せされただけで終わりだ。普段はオフにしておいて、入口から出口へと魔導石を起動する仕組みが必要だな。
転移自体も大切だけど、まずは隠す事から考えるべきだ」
魔導石の危険性を聞いて、ストルもまた手を挙げる。
精霊魔術の魔法陣が、決して万能ではない事を話しておかなければならない。
「そう言った意味なら、精霊魔術が描く魔法陣も消される恐れがある。
魔力さえ通っていれば多少の事では消えないが、魔力の供給が断たれているとなると落書きに等しいからな」
「う、ううーん……」
オリヴィアは頭を抱える。光明が見えたと思ったら、まだまだ課題は山積みだった。
それでも、一人で悩んでいた頃よりは余程いい。実現できる可能性は上がったのだから。
転移魔術があれば、第一王子派に遅れを取る事も無い。自分の研究が、世界を救うかもしれない。
「なんにせよ、オリヴィア・フォスターの理論には興味があるね。
問題はひとつずつ潰していくとして、転移魔術はぜひ創りたいと思うよ」
「そうだな。魔法陣だけじゃなくて、魔導刃みたいに魔導具で術式を代用させる事も出来る。
色々と模索してみるしかないだろ」
「私は魔術を創るという行為をした事が無い。精霊魔術や魔法陣ぐらいでしか力になれないかもしれないが、遠慮なく訊いてくれ」
「ありがとうございます……!!」
ずっと一人で、こっそりと研究していた魔術。夢物語のような、新しい魔術の創造。
それは完成形が見えないからというだけでなく、五大貴族の序列争いも考慮しての事だった。
進捗を焦らなくて済む代わりに、心細い。何より、孤独だった。
アメリアやフローラにも頼れなかった。応援の向こう側に見える期待を浴びるのが、怖かったから。
しかし、今は違う。自分の夢を一緒に叶えてくれようと、協力を申し出てくれた仲間が居る。
ふと、オリヴィアは後ろを振り向いた。アメリアとフローラが、優しく微笑んでいる。その向こう側に見える期待も、今は不思議と怖くない。
逢って間もない仲間なのに、必ず完成までたどり着けると思える事が出来たから。
こうして、妖精族の里に新たな人間の仲間が増えた。
同時に、後に世界を震撼させる魔術研究チームが誕生した瞬間でもあった。