167.生活のお供
妖精族の里がミスリアとの同盟を受け入れるか否か。
テランの存在によって、その趣旨は逸れつつあった。
かつて自分達を襲撃した国、ギランドレ。彼らを手引きしたという一味の男が居るのだから、妖精族も魔獣族も心中穏やかでは無かった。
(なんで、ここで言っちゃうかな……)
リタとて、一番の懸念はテランの存在だった。
本音を言えば、皆が受け入れてくれる空気になった所で説明をしたかったからだ。
どういう経緯で彼と協力体制を築くに至ったかの言語化が非常に難しい。
気付けばシンに好感を抱いたので、もう大丈夫と言う訳にも行かない。
最悪の場合は、テランの糾弾だけでは済まない。
折角動き始めた居住特区。そこから人間を切り離すべきだという声が出てもおかしくはない。
けれど、妖精族の里への襲撃はその全てが第一王子派の企みでは無かった。
ギランドレを唆したという意味では、第一王子派が黒幕と言って差支えはないものの、その要求は妖精族の子供。
真に妖精族の里を手に入れようとしていたのは、あくまでギランドレという国だった。
更に言えば、妖精族に恨みを持つ出自不明の妖精族。
レチェリの存在が、妖精族の里を危機に追いやった直接の原因となる。
複雑に絡み合ってこそいるが、決して第一王子派が全ての元凶という訳ではない。
このおあつらえ向けの生贄が用意された状況で、果たして妖精族は冷静に事を見直せるだろうか。
もっと言えば、彼はミスリアの人間だ。話題が元に戻った時、ミスリアは受け入れられるだろうか。
そう納得してもらう為に、どんな言葉を紡げばいいのか。
「ううむ。世界の危機だということを理解してもらえればいいのだがな」
レイバーンは「このままでは世界が危ない」という事をこれでもかと押し出す。
間違ってはいないのだが、要領を得ない為か反応は芳しくない。
だからこそ、テランが前面に出て来たとも言えるのだが。
フローラは俯いたまま、奥歯を噛みしめている。
無理もない。ドナ山脈を越えて体力を消耗しきった上で、慣れない土地で神経をすり減らしているのだから。
リタもフローラと過ごして、人柄は理解したつもりでいる。彼女に協力をしてあげたいと思っているのも本心だ。
門前払いにさせたくはなかった。のに、テランが先走って口にしたのだから大変だ。
(嘘つくわけにもいかないし。どう説得すればいいんだろう)
リタとて同胞を裏切りたい訳でも、騙したい訳でもない。
きっちりと納得してもらった上で、受け入れてもらおうと考えていたのだ。
もっと順序が、正しい順序が踏めれば、説得もしやすかったのに。
中々思い通りには行かないものだ。尤も、ストルこそ勝手に同盟を結んだ自分に対して抱いている感情かもしれないが。
「テラン・エステレラと言ったな。教えてもらいたいことがある」
「なんだい?」
ストルがテランの顔をじっと見る。怒りや拒絶を孕んだ視線ではない。声色もいたって普通だ。
純粋に知りたい事がある。真摯に対応しようと、冷静に務めようとする意思が感じられた。
「邪神は魔力の他に、悪意を基に生み出されたと言ったな。
それはつまり、レチェリのような感情も利用されたということか?」
「そうだね。『怒り』という感情は必ずしも悪意を発するわけではないけれど、『憎悪』は違う。
非情に色濃く、重く、暗い。邪神を顕現するための養分としては極上だ」
テランは最後に「尤も、一人の感情だけで膨らむ程ではないけれど」と付け加えた。
それは暗にレチェリの感情も混じり合った可能性はあるが、それだけで顕現する訳ではないと伝えたかったからだった。
あまり直接的な事を言うのは好ましくない状況と判断し、出来得る限りオブラートに包んで見せた。
「そうか……」
ストルもまた、テランの意図を正しく汲み取った。
妖精族至上主義だった彼は、ギランドレの騒動で一番変わった人物とも言える。
同胞による裏切り。窮地を救った人間や魔獣族。何より、居住特区の様子をこの眼で見て来た。
種族の壁を越えて子供達が笑い合い、共に友情を育む光景は妖精族の長い人生の中で存在しなかったもの。想像すら、していなかった。
勿論、妖精族が一番大切だという考え方自体に変わりはない。彼にとっての大前提なのだから。
居住特区に住む人間の世界まで、自分達の手を伸ばしてしまえば妖精族の里を焼き尽くしてしまうのではないかという懸念。
ストルは怖かったのだ。自分達の手から零れ落ちる程のものを、抱えてしまう事が。
けれど、テランは言った。『憎悪』は邪神の養分としては極上だと。
レチェリが抱いていたそれは、まさしく『憎悪』。それも、かなり色濃く、根深かった。
彼女は今も牢で過ごしている。時々面会には行くが、闇は晴れ切ったのだろうかと不安になる。
妖精族という狭い世界だけでも、深い『憎悪』は生まれた。
悪しき神への顕現へと繋がった。悪意が、世界を呑み込む恐れがある。
解っている。リタの言い分が正しいのだ。確かに、この世に呼び寄せたのは人間が原因かもしれない。
ただそれは、人間という種族が最も多様性に溢れているから。
もしかするとレチェリだって、邪神の存在を知れば生み出そうと考えたかもしれない。
リタは決して他人事で切り捨てない。他の妖精族に先んじて他種族の友人を作り、他種族の者を愛した。
その上で、彼女は妖精族という種族を最も愛している。
子供っぽいところは抜けないが、やはり自分達の女王に相応しい人物なのだと思った。
神に祈りを捧げ、神器に選ばれ、自分達を導く存在。これから先の、妖精族の基準となるべき存在。
ストルは顔を手で覆い、熟考を重ねる。
相反する感情が混ざり合い、自分でも整理が追い付いていない。
出した結論は、考え抜いた末のものだった。
……*
妖精族の里。居住特区。
アルフヘイムの森で、最も種族間の摩擦が少ない場所。
ほぼ全員が顔見知りであるその地に、人だかりが出来ていた。
「はいはい。皆、見ていってね」
イリシャがパンと手を叩くと、集まった視線は一斉に彼女へ向く。
遊んでもらったり、おやつをごちそうになっている子供は特に顕著だった。
「イリシャちゃん、おかえり!」
「ごようは、おわったの?」
駆け寄る子供達は妖精族に獣人。そして、人間。
多様な種族が揃いも揃って泥まみれになっている。仲良く遊んでいた事だけは窺えた。
「ショウ! また泥だらけにして!」
「へへ、ごめんってば」
妖精族の子供。ショウの母親である女性が鼻息を荒くする。
ここのところ、子供達の中では泥の塊を投げ合うのが流行っていた。
ギランドレの孤児である少女、ヒメナが泥団子を作るのを見て全員が触発された結果でもある。
毎度毎度怒られるが、決して止める事はない。
多少雷が落ちようとも、彼らは止まらないのだ。
「まだお風呂沸かしてないんだからね!」
その言葉に、にやりと口元を緩めたのはマレットだった。
彼女は子供達を一同に呼び寄せ、薄い幕で周囲を覆う。
泥まみれの服を脱がせると、後は同じく泥まみれとなった子供達が幕の内側に立ち尽くすのみ。
「ちょっとアンタ、何してるのさ!?」
「まーまーまー。落ち着いて」
取り乱す母親を嗜めるために、同じ幕を傍に設置する。
よく見ると、金属の棒が取り付けられている。そこにあるのは、無数の穴。
「よし、コリス。やっちゃってくれ」
言われるがままコリスは、その幕にある装置。魔導具に取り付けられた魔導石を起動した。
棒に取り付けられた穴から出てくるのは、水。それも温かい、人が浴びるのに適したお湯だった。
「これは……?」
「魔導具によるシャワー発生装置だ。この魔導石って石で水と炎の魔術を生み出すんだ。
魔力も要らないし、風呂を沸かす手間も無くなる。水が出る筒は畳めるし、持ち運びも簡単だ。
水だけ出す事も出来るし、すぐに水が必要な時も用意出来るぞ」
事の発端は、マレットがピースやコリスと共にマギアを飛び出してからだった。
船旅や野営で風呂に入れないストレスから、マレットが即興で作り出した魔導具である。
「へえ、お湯が出るのね」「お、コイツは楽だな」
風呂は沸かすもの。どうしても急ぎだというのなら、魔術で造り出すもの。
だがそれは、詠唱や強いイメージを必要とする。毎日必要にも関わらず、その労力から面倒な家事のひとつ。
その概念を取り払う魔導具の存在に、住人達の視線は釘付けになった。
マレットは眼を皿にしていく住人の様子に、手応えを感じた。
興味さえ惹いてしまえば、後はこちらのものだとその眼を光らせる。
「坊主たち、シャワー浴びたら喉渇いただろ?」
「うん!」「お水飲みたい!」
濡れた髪をタオルで吹きながら、子供達が手を挙げる。
マナ・グラスで冷やした水やジュースを出すのも手ではあるが、それでは芸が無い。
ここは視覚的にも、周囲の観客を盛り上げる必要がある。
「シン、フェリー。頼んだぞ」
「任せて!」
「分かった」
マレットの呼び掛けに応えるように、シンとフェリーは予め渡されていた球体を取り出す。
各々二つ持ち、それを半分に開く。その中へ、ミルクや砂糖を放り込んでは蓋をする。
観客はそれをコップ替わりにするのかと思えば、全く違う。二人は揃って宙へと放り投げたのだから驚きだった。
「え?」「何をしているんだ?」
そのままお手玉をする二人の姿に、周囲がざわつく。
視線を集めるという目的は完璧に成されていた。子供達に至っては、互いに球体を投げて渡し合うシンとフェリーに拍手まで送っている。
さながら曲芸のようなパフォーマンスは、息の合った連携により数分間続けられた。
「はい、どーぞ」
投げ終えた球体を開くと、入っていたはずのミルクや砂糖はすっかりその姿を変えている。
魔導石が発生する氷と風によって出来上がったのは、氷菓子。
初めて見る食べ物に、目をまん丸にして見つめる子供達。
渡されたスプーンを手に取り、ひんやりとしいたそれを口に含むと。瞳を輝かせていた。
「なにこれ、おいしい!」
甘くて冷たいミルクが、口の中で溶けていく。シャワーで乾いた喉が、潤っていく。
初めて食べる口触りと味に、子供達の手が止まらない。その様子を見た大人達も涎を隠してこそいるが、視線を外す事が出来ない。
「これは、魔導石で氷菓子を作る魔導具なんだ。
勿論、使い方次第で別の料理も作れるけど」
氷菓子を作る魔導具。そのアイデアは、ピースとの会話によって生み出された。
口の中で溶ける、ミルクを使った甘くて冷たいお菓子。アイスクリームの存在を知らないマレットは、それを食べてみたくて仕方が無かった。
氷水を使って冷やしながら、都度かき混ぜるという手段で何とか再現したピース。
調理工程をしっかりと見物していたマレットが、もっと楽に食べられないかと思案した結果生まれたものだった。
見たことのないお菓子のお菓子の出現によって、子供達だけではなく大人も先刻以上に喰らい付く。
何より作り方が簡単だというのが受けたようだ。
完璧に客の心を掴んだと確信したマレットは、次々と発明した魔導具を披露していく。
ポットに入れるだけで野菜や果物を細かく刻んでかき混ぜる事によって、ジュースにしてくれるマナ・ミキサー。
マナ・ポットやマナ・グラスもこのタイミングで利用したが、評判は上々だった。
ピースが生前に利用していた道具の知識を基に、魔導石を用いて再現していく。
合体する魔造巨兵をまだ作れていない事は不満だが、やはり別世界の生活を知る事は楽しかった。
同時に、やはりピースは別世界の人間であるという裏付けも取れる。
シンが言っていた、記憶と意識を保ったまま別の身体に命を宿すという証明。
風祭祥吾という存在は、本人の与り知らぬところでいつしか大きな希望となっていた。
「うわあ、マレットさん。あっという間に住人を虜にしちゃいましたよ」
「凄いですね……。確かにこれなら、味方についてくれるかもしません」
魔導具を紹介するパフォーマンスを手伝う傍ら、アメリアとオリヴィアは感嘆の声を漏らす。
あっという間に味方へと取り込むマレットの手腕。楽で便利だという、生活の味方は主に主婦層を取り込んでいった。
一方でお菓子や玩具で子供層を取り込み、男衆にはマナ・ライドの模型等を用いて童心へと還らせる。
どれも魔導石で動かしているというのだから、恐れ入った。
魔導大国マギアが誇る天才は、決して軍事力の増強だけではない。こういった生活に寄り添う姿こそが、彼女本来の発明なのだと感心する。
「これがあれば、家事が凄く楽になるわ!」
「この模型同士で、競争させてみたいな……」
「とーちゃん、おれもそれ触らせてよ!」
賑わう居住特区の様子に釣られて、特区外からも妖精族と魔獣族の臣下が顔を覗かせる。
人が人を呼ぶ好循環が生み出され、その輪の中心に余所者が居るという状況。
「もっと、他に面白い道具はないのかしら!?」
誰かからか、その言葉が漏れた。
狙い通りだと、マレットは口角を上げる。
「いやあ、それがさ。アタシも居住特区で色々開発とかしたいんだよね。
出来れば、皆が住めるように口添えしてくれると助かるなー。なんてさ」
「当たり前だ!」
「そうよ、私が族長に言ってあげるわ!」
完全に住人を虜にしたマレット。彼らはもう、彼女を手放す選択肢はないと意気込んでいる。
彼女の魔導具は、他種族の心すらも掌握してしまっていた。
「マレットこっわ……」
両手揃ってVサインを掲げるマレットを見て、ピースはぽつりと呟いた。
直後、居住特区に現れる複数の人影が、人の群れを二つに分断する。
族長たちによる会議が終わりを告げた事を意味していた。