166.帰ってきた妖精族の里
魔導大国ミスリア。
その国王であるネストル・ガラッシア・ミスリアの死は国民に伏せられる事となった。
同時に、第一王子であるアルマとフリガの謀反も国民へ報せられる事は無かった。
それはひとえに、公表する事に対しての危険性を考慮してのものだった。
王宮の破壊に始まり、真実の王都による魔物の出現。徐々にだが治安の悪化も見られるようになってきた。
ウェルカでの事件もあり、国民自体がピリピリしているのが見て取れる。
決定的なのは、第一王子派から寝返った者による近隣国が攻めてくるかもしれないという情報。
黄龍王の神剣の継承者であるネストルは命を落とし、蒼龍王の神剣は折れてしまった。
その状況でミスリアを国を護る事は困難を極める。
国民を騙すようで気が引けるが、悩んだ末の決断であった。
隠しようのない、王宮の破壊は魔物の襲撃という形で報せられる事となる。
不安に駆られるのではないかと懸念の声への対抗策として、フィロメナは紅龍族との同盟を公表するに至った。
王族にのみ知らされていた三種の龍族との同盟。
そのうち、黄龍の一族は一方的に破棄を告げられた。公表してないのが幸いだったというべきだろうか。
対抗策。加えて防衛策として、フィアンマ率いる紅龍の一族との同盟を公にしたのにはふたつの理由がある。
ひとつは、フィアンマを動きやすくする事。
彼は三日月島の戦いで、翼を失った。人型に擬態できるとはいえ、空を飛べない彼は行動範囲を大きく制限される事となる。
ならばいっそ自由にしてやるべきだという、フィロメナの判断でもある。
もうひとつは、紅龍の一族をミスリアの防衛に充てる為。
これはフィアンマの提案でもある。彼も今回の謀反には、相当お冠だったようだ。
紅龍の一族が巡回する事により、他国の接近や対策。そして、人材不足を解消する為のもの。
「アイツら、絶対に目にもの見せてやる」
などと息巻くフィアンマであったが、ミスリアからすれば願ってもない提案だった。
ミスリアの領土は広大で、残された戦力をどう扱うかが鍵となる。
龍族という抑止力は機動力も、見た目も十分なものを備えているのだから。
妖精族と魔獣族については、蒼龍族と同様に同盟を結んだ事は非公表とされている。
フィアンマが「蒼龍族は、あまり縄張りから動くこともないしな」とぼやいていた。
恐らく、今回の騒動も耳に入っていない事だろう。
何にせよ、ミスリアは苦境に立たされている。
ミスリアから生み出された闇が、悪意の塊である邪神をこの世に顕現させた。
本来であるならば、邪神を滅するのも自分達の手で行うべきだとフィロメナは考えている。
だが、今のままではそれすらも叶わない。
邪神の討伐に全てを注ぎ込んで、国を失ってしまえば元も子も無い。
不甲斐無い事ではあるが、邪神の討伐は彼らに託される事となった。
……*
ミスリアの北側。ドナ山脈を越えた先にあるのは、広大な森。
魔力濃度の関係により、人間の世界ではお目に掛かれないような大木。
樹洞でもあれば、そこで寝泊まりが出来るのではないかと思う程のものだった。
それらが密集して出来たアルフヘイムの森に、妖精族の里はある。
太陽の光を存分に浴び、静けさと澄んだ空気が身体の中へと入り込む。
リタやレイバーンにとっては懐かしい感覚。
アメリアやオリヴィアにとっては、ミスリアとは全然違う魔力濃度と合わせて不思議な感覚だった。
長らく旅に出た箱入り娘が、堂々の凱旋を果たす。
多くの土産を抱えて。
「リタ様。どういうことですか?」
出迎えていたのは、族長の一人であるストル。
腕を組み、股を開き、仁王立ちで威圧するかの如く立っている。
「遺跡へ出かけたと思ったら、人間の世界にまで行くとはどういうことですか!?
しかも、人間と戦闘を繰り広げたですって!?」
ストルを含め、妖精族には苦い思い出がある。
同胞であるレチェリの裏切りで、女王たるリタが魔獣族の王を討ちかけた。
その背後には人間が絡んでいる。尤も、その企みから妖精族を護ったのも人間なのだが。
あの一件を乗り越えて、排他的な妖精族は終わりを告げようとしていた。
魔獣族と居住特区を作り、更にギランドレの孤児も受け入れた。
少しずつ変わっていた中で、再度人間と争ったというのだからストルは卒倒しかけた。
「いや、あのね。色々大変なことがあってね」
待ったをかけるかのように両手を上げ、たじろぐリタ。
これではどちらが長なのか判らない。
「キーランド、言ったはずだぞ。リタ様を頼むと」
「すまない……」
矛先がシンへ向き、反射的かつ本能的に謝罪の言葉を発する。
余程心配したのだろう。ストルの目の下にはクマが出来ている。
ちょっと遺跡を見に行くと言ったきり帰ってこないのだから、彼の気持ちは理解できる。
気が気でなかったのだろう。フェリーが同じ事をすれば、自分だって正気を保てるかどうか。
「ちょっと! シンくんは関係ないよ!
私がついていったんだから、責任は私のもの!」
「ほう。言いましたね? なら、この状況をご説明して頂けますでしょうか」
ストルが広げた手の先には、妖精族の里に初めて訪れる人間の姿。
青の髪を持つ、顔立ちの似ている女騎士と女魔術師。その二人に護られているような位置に立っている、ストロベリーブロンドの女性。
ミスリアの第二王女。フローラ・メルクーリオ・ミスリア。そして、その護衛を務めるアメリア・フォスターとオリヴィア・フォスター。
リタが叱られているこの状況を、心苦しく感じているようで視線が下を向いていた。
栗毛の髪を一本にまとめ、尻尾のように振る白衣の女性。
マギアの誇る天才発明家ベル・マレット。こちらはフローラ達と違ってアルフヘイムの森を観察、分析しているような目つきだった。
そして緑髪の少年ピースと、彼にくっつくあどけない少女コリス。
慣れない山道を越えるのに四苦八苦したのだろう。彼らの顔には、疲労の色が窺える。
極めつけは、慣れた様子で妖精族の里を眺めている隻腕の男。
かつてギランドレと争った際に、背後に居た男の一人。テラン・エステレラ。
これから妖精族の里で住まうのであれば、その事実を隠す訳には行かない。
この門を潜るハードルが最も高い男でもあった。
ストルの妖精族至上主義も大分軟化しており、気心を知れた人間であれば受け入れるようになっている。
シン、フェリー、イリシャが訪れる分には彼は何も言わないだろう。
だが、総勢七人の部外者を連れて来られると流石に警戒しない訳には行かなかった。
「あれは……」
後方でもう、自分達の主の帰りを同様に待ち望んでいた狐顔の獣人。ルナールが声を漏らした。
自分の知っている頃より成長こそしているが、見間違うはずもない。
ミスリアの王女、フローラ。そして、五大貴族であるフォスター家の令嬢が二人。
一体何があったのかと、ルナールは訝しむ。
主であるレイバーンの様子から悪い関係ではない事は窺えるが、明らかに異常事態だった。
「それは、その……。同盟、組んじゃったから」
人差し指を頬に当て、まるでぶりっ子のようにリタは首を傾げる。
可愛らしい事には違いないが、ストルは解っている。力押しで誤魔化そうとする時、リタの取る手段はふたつしかない事を。
愛嬌を振りまくか、逆ギレを起こすか。今回は前者のようだった。
「同盟……?」
とはいえ、ストルは聞きなれないその単語を反芻した。
意味は理解している。だが、信じられなかった。
「あの、だからね。このフローラちゃんの居る人間の国。
ミスリアとね、同盟を結んできたの。それで――」
「リタ様?」
今までより一際重みの籠った声が、リタに重く圧し掛かる。
身振り手振りで説明するリタだが、ストルが心配しそうな所は敢えて端折る。
その不自然さが、逆にストルの怒りを買ってしまった。
……*
その後、リタはミスリアで起きた事を包み隠さず話した。
途中でフローラやアメリアが頭を下げながら、リタへの感謝と巻き込んでしまった事への謝罪の言葉を重ねる。
眉吊り上げていたストルだが、段々と落ち着いてきたのか最終的には黙って聞いてくれていた。
その上で、彼ははっきりと口にした。
「いくら女王だからと言って、そんな勝手を受け入れられるとお思いですか?」
「それは、その……」
流石のリタも、ストルの言いたい事は判っている。
ギランドレの孤児を受け入れた時とは話が違う。戦火を巻き込みかねないのだから、妖精族の安全を優先するのは彼の立場からすれば当然だ。
しかし、リタにも言い分はある。
ストルはあの悪意の塊を見ていないからそう言えるのだと。
邪神はミスリアだけではない。やがて妖精族の里を含めた世界に厄災を撒き散らす存在に成り得る。
力を合わせて対抗する事が、巡り巡って妖精族の為になるのだと。
「レイバーン様。恐れ入りますが、私も同盟には承服いたしかねます」
魔獣族に、ミスリアという国。その両方を知っているからこそ、ルナールは恐る恐る告げた。
話を聞く限り、ミスリアの火種を運んできたというこの状況は好ましくない。
魔術大国ミスリアは、その強大さから他国にとって疎まれる存在でもある。
ドナ山脈を越える事はそうそうないだろうが、それでも楽観視は出来ない。
「ううむ。ミスリアで暮らしていたルナールなら、受け入れてもらえると思ったのだが」
レイバーンにとっては、アテが外れた事になる。
尤も、だからといってルナールを責める気にはならない。
ただ自分が読み違えた。それだけの事だった。
「リタ様やレイバーン様には、沢山のご迷惑をお掛けしました。
私含めミスリアの者は、その御力に助けられました。心より感謝の気持ちを申し上げます。
そして、その上でお願いいたします。どうか、私達に力をお貸しください……!」
「お願いします。どうか……!」
フローラは、赤みの掛かった美しい金髪が地面に触れるかという程、一層頭を深く下げる。
アメリアとオリヴィアも同様に、彼女以上に頭を下げる。
こんな若輩者の頭をいくら下げた所で、妖精族や魔獣族にとっては対岸の火事だという事は判っている。
いくらリタやレイバーンが親身になってくれていても、他の者からすれば無関係でありたい厄介事なのだと痛感した。
「……ストルさん、ルナールさん。どうしても、ダメ……かな?」
フェリーもまた、彼女達の横に立って頭を下げた。
幼少期にその身を売られ、そして引き取られた先の故郷すらも失ったフェリーにとって、フローラ達がミスリアを失う可能性がある事は見過ごせない。
「俺が言えた義理じゃないけれど……」
シンもまた同様だった。故郷を、家族を失う辛さはシンも理解している。
何より、シンは嬉しかった。リタやレイバーンが、自分に協力すると言ってくれた事が。
そんな二人が、自らの同胞に受け入れられてない事は申し訳なさを覚えた。
「お前達にまで頭を下げられたら、断り辛いだろう」
ストルとて鬼ではない。自分達を護ってくれたシンやフェリーに頭を下げられると、途端に心苦しくなる。
だが、邪神の恐ろしさは理解できなくても、人間の恐ろしさは知っている。
ミスリアと同盟を結ぶ事が、やがて新たな厄災を引き起こさないだろうかと懸念するのも仕方がない。
ふたつの感情が、彼の心の内にある天秤を揺らす。まだ、メリットがデメリットに釣り合っていないのだ。
「――邪神の齎す混沌は、やがて妖精族や魔獣族をも呑み込むことになる」
同盟を受け入れられない、渋り続けるストルやルナール。
困った様子のリタやレイバーンに助け船を出したのは、テランだった。
「何故、そう言い切れる?」
「妖精族の里をギランドレが襲撃した背後に、邪神の一味が絡んでいるからさ」
訝しむストルに、テランは答えた。
元より、自分の背景は話す必要があった。妖精族の里に囚われている弟子の件も含めて。
これからシンに協力するのであれば、自分の贖罪は避けては通れない。
ならば、説明するタイミングは今しかないという判断だった。
「どういうことだ? 何故、貴様が知っている?」
「その件も含めて、きちんと話がしたい。場を用意して貰えないか?」
見慣れない男の提案を受け入れるべきか、ストルは熟考する。
少なくとも、敵意は感じない。リタやレイバーンも、この男の存在を受け入れているからこそ連れて来た。
本当に妖精族や魔獣族にも危害が及ぶのであれば、門前払いにする事自体が危険である可能性。
自分の考えを整理する上でも、同盟について他の族長の意見を訊くべきだと判断をした。
「……分かった。同盟に関しては、貴様の話を聞いた上で判断しよう」
テランの提案が受け入れられる形で、話し合いの場が設けられる事となる。
妖精族の族長と、魔獣族の臣下。そこにリタ、レイバーン、フローラ、テランが加わる形で会議は始まった。
その間、他の者は一旦待機する形となる。敵意が無いものの、若干名の妖精族や魔獣族に監視される形で。
「ほんじゃ、アタシたちも始めるか」
唐突に、マレットがそんな事を口走る。
背負っていた荷物を下ろし、鞄の中に手を突っ込んでは様々な魔導具を取り出し始めた。
位置が下がった事により、彼女のポニーテールが益々尻尾に見えてしまう。
「マレット、なにするの?」
得体の知れない道具を取り出す女に、妖精族達は警戒を始める。
こんな事では、話が纏まっても追い返されるのではないかとフェリーが不安になった。
「いや、な。話し合いがどっちに転ぼうと、いきなりトラブったわけだろ?
妖精族の里のみんなも警戒すると思うんだよ。
だから、アタシたちは今の内に住んでいるやつらを味方につける」
「今まさに、警戒されてるんだけどな……」
ピースは呆れながらもしゃがみ込み、マレットの取り出した魔導具を受け取り始める。
彼女と共にマギアから渡ったからこそ、その魔導具の意味が解る。
そして、何をしたいかもうっすらと見えていた。良からぬことを企んでいないのだけは、確実だった。
「ここはマレットに任せてみるか」
「だいじょぶかなあ……?」
「任せとけって」
シンがそう言うならと、フェリーも無理には止めようとはしない。
だが、ピースとは違いマレットの意図は汲み取れないままなので、多少の心配は残っている。
小首を傾げるフェリーに、マレットは「お前たちにも、協力してもらうからな」とケタケタ笑っていた。