162.怠け者はやり過ごす
突如現れたみすぼらしい男は無気力な見た目とは裏腹に、迷いなくトリスを護る様に現れた。
その時点で、シンは警戒を怠ってはいけない相手だと認識をした。
「マレット。あの男は誰なんだ?」
ピースの口調から顔見知りの可能性があると判断して、マレットへ問う。
だが、その様子は芳しくはない。
「いやあ、アタシたちも一回会っただけだしな。
ポレダっていう港町で飲んだくれてたオッサンだ。
そういや、アタシのムネとコリスの尻触ってどっか逃げてったな」
「え゛」
最後の一言を耳にして、距離があるにも関わらずフェリーは思わず胸を覆い隠した。
相対するジーネスは嘗め回すような視線でマレットをひとしきり見た後、思い出したかのようにポンと手を叩いた。
「んー……。ああ! あの時のおっぱいでかいねーちゃんか!
妹ちゃんもいるし、そこの金髪ちゃんも中々……」
「フェリー、良かったな。褒められてるぞ」
「うれしくない!」
厭らしい視線を感じ、フェリーは嫌悪感を示す。
ジーネスを嗜めるような怒号が響いたのは、彼の背後からだった。
「ジーネス!? 貴様、今までどこに居た!?
それに、飲んだくれていただと……!?」
「トリス嬢さぁ、そんなにがならないでくれよ。
ワシだって一生懸命急いで、漸くミスリアまでたどり着いたんだから。
酒は晩酌だよ。それぐらいは許してくれって」
「いや、そのオッサン港町で昼間から飲んだくれてたぞ。一週間って言ってた」
「ちょっと、そういう事は言わなくていいの!」
マレットの告げ口によりトリスは軽蔑の眼差しを隠す事なく、ジーネスへ向ける。
格好よく救けに来たはずが、四面楚歌の状況となった自分を慮って天を仰いだ。
隙だらけの状況を突くが如く、再び翼颴の『羽』が彼を取り囲む。
「そんな事よりオッサン、何でここに居るんだよ!?」
「誰だ、ボウズ? ワシはお前みたいなガキの知り合いなんて……」
首を真横に傾け、ジーナスは困惑した表情を向ける。
挑発でもなんでもなく、彼は本気で思い出せないでいた。
「おれも港町で逢ってるんだよ!」
苛立ちを隠せないピースは、自然と翼颴を握る手に力が籠る。
ジーネスは細めでじっと眺めた後に、漸く美人姉妹と思っていた女性陣にコブがひとつついていた事を思い出す。
「……あの時の弟君か!」
「弟じゃないっつーの!」
わなわなと震えるピースをよそに、ジーネスは飄々とした態度を崩さない。
余裕の表れか、ただの無警戒なのか。堂々とシン達に背を向けては、トリスを自らの肩に担いだ。
「おい、ジーナス! どういうつもりだ!」
「そう粋ぶりなさんな、トリス嬢。お前さんも、もう殆ど詰んでたんだから」
「貴様、どこを触っている!? やめろ!」
トリスの尻をポンポンと叩き、ジーネスは落ち着く様に促す。
彼の考えとは裏腹に怒りと嫌悪の籠った眼差しがトリスより送られるものの、背中越しであるが故にジーネス本人へは全く届いていない。
敵陣のど真ん中に突如現れつつも、ジーネスは余裕の表情を崩さない。
剣呑な雰囲気を感じ取れていないとでも言わんばかりだったが、その姿に一種の攻め辛さを感じていた。
一度推進力を失った『羽』。そして、かき消されたイルシオンの稲妻の槍。
それらのカラクリを解かなくてはならないと、シンとマレットは状況の分析に努めている。
「マレット、どう見る?」
「『羽』がもう一回使えるようになってるのが、キモだな。
破壊したわけじゃない。アタシは操っていた分の魔力が消えたと見てる。
ちゃんと視たわけじゃないから、確信は無いがな」
「……やっぱり、そう考えるか」
概ね、同じ事をシンも考えていた。確証に至らない件まで含めて。
状況的に、シン達が硬直状態を維持するのは悪くない。
イルシオンが援軍として現れたという事は、じきにヴァレリアや騎士団もこの場へ駆けつけるだろう。
数さえ揃えば、押し切れる可能性は十分にある。
ただ、それはジーネスも重々承知の上だろう。
仲間を庇う為とはいえ、わざわざ現れたのだから何かしら勝算はあるはずだと警戒は怠らない。
銃口をジーネスへ向け、僅かな動きすらも見落とそうとはしない。肝心のジーネスは、向けられた銃口を見て顎の髭を軽く撫でていた。
「なぁ、あんちゃんよ。まぁ……怖いカオするのは判るぜ。こわーい魔物とやり合ったんだからよ。
けどまぁ、ワシらもここいらでお暇しようと思ってるんだ。見逃しちゃぁくれねぇか?」
「断る」
芯が通っていないのか、人間一人を担いでいるというのに、ジーネスの身体は揺れている。
一見してやる気が感じられないにも関わらず、その余裕を含んだ表情が攻め辛さを生む。
「そうは言っても、お前さんたち攻める気がないだろう? 時間稼ぎなのが見え見えだ。
だったら、ワシらもボーっと立っておく理由がないんだよ」
「なっ、おい! ジーネス!」
ヘラヘラとした余裕を崩す事なく、ジーネスは踵を返した。
無防備な背中を晒すと共に、担がれたトリスの顔が晒される。
刹那、シンは引鉄を引いた。
トリスは身体の自由が利かない状態で、敵前に晒される事の恐怖を覚えた。
「――っ!」
銃弾は間違いなく自分に当たると、トリスは死を覚悟した。
だが、その恐怖とは裏腹に銃弾は地面へとのめり込む。トリスにも、ジーネスにも命中はしていない。
弾痕を作り出したのは、先刻までジーネスの足が在った場所だった。彼自身は、ほんの僅か身体を動かす事でシンの銃を避けている。
「あんちゃん、冷静だなぁ。さっき使っていた、魔術の弾丸。アレ、使わないんだもんなぁ」
背中越しに掌を振るジーネスに、シンは舌打ちをした。狙いが見透かされているようで、やり辛い。
実際、魔導弾を使うべきかは悩んでいた。
魔導弾による魔術の発生もかき消す事が出来るのか。
不発に終わった場合、その弾丸は一体どうなるのか。
検証をするべきだろうかと考えた結果、シンは彼の機動力を確実に削ぐ事を重視した。
しかし、ジーネスは弾丸を避けてみせた。
それはつまり、魔導弾も躱す可能性があるという事を示された。
射線の先には居住区がある。だからこそ、シンも威嚇として足元へ銃を放った。
実質的な魔導弾封じ。手の内を見せるよりも、余程効果的だった。
「なら、これでっ!」
「止めて見せる!」
眉根を寄せるシンを見て、状況が良くない事をフェリーは察した。
足元に霰神による氷を発生して、機動力を削ごうと試みる。
上空からは『羽』による追撃。魔導弾と違い、ピースの制御下にある以上、的確にジーネスを狙う。
極めつけは、距離を詰めるべく走っていくイルシオンだった。紅龍王の神剣による直接的な攻撃を試みる。
尤も、それらの行動はジーネスの予測の内に入っていた。
彼が空いた右手から取り出したのは、煙玉。瞬く間に白い煙が周囲を覆い尽くす。
「くそっ!」
一手遅く、イルシオンの斬撃も、フェリーの氷も手応えを感じない。
ピースの『羽』に至っては、地面へと突き刺さる。
翼颴に魔力を通し、『羽』から発せられた風が煙を散らし終えた時には、既にジーネスの姿は消えていた。
「……逃がしたかっ!」
何の成果も挙げられなかった事よりも、ミスリアの脅威と成り得る存在を逃がした事実にイルシオンは地団駄を踏んだ。
加えて、トリスの存在も気掛かりだった。黄道十二近衛兵のステラリード家は揃って、第一王子の下に身を置いている。
三日月島で遭わなかった事から、裏切っていない可能性を僅かではあるが期待していた。それが、虚しくも打ち砕かれてしまった。
「逃げられちまったな」
「……ああ」
結局、ジーネスは手の内を全て明かす事は無かった。引き際も、総合的に判断しての結果だろう。
トリスにしてもそうだ。第一王子派の追撃は想像以上に早い。ミスリアに何らかの対処が必要である事を実感させられた。
けれど、同時に希望も現れた。
マギアに戻らなくてはならないと思ったタイミングでマレットと再会出来たのは僥倖というほかない。
それに魔導砲に魔導刃・改。
ピースの持つ魔導刀。邪神に届きうる刃が、備わっていると確信できるものだった。
「ところで、シンさん」
ピースは翼颴を戻し、フェリーと共にシンに駆け寄る。
僅かに後方で様子を窺いながら、イルシオンも二人に追従をした。
「あの人、誰ですか?」
「それはこっちのセリフだ」
シンの知り合いのようなので、イルシオンも敵だとは考えないようにしていた。
ただ、持っている魔導具の種類からしてマギアの人間である事は明白だった。
先刻のテランの話から、ほんの僅かだが警戒をしてしまう。
「……俺も訊きたいことがある。ここに居る理由も、あの娘についても」
シンがコリスに視線を合わせると、彼女は驚いたように視線を外す。
眉間に皺を寄せたままのシンが、少し怖かったようだった。
「ま、色々と話すことはありそうだな。お互いに」
マレットが腕を組んでそうまとめた頃、イルシオンから遅れてヴァレリア達が現場へと到着をした。
地獄の番犬によって命を落とした冒険者を弔い、彼らは王宮へ戻る事となる。
情報の整理と、今後の方針を決める為に。
……*
「――この痴れ者っ! 離せ!」
ジーネスに担がれたまま、トリスは手足をばたつかせ抵抗する。
それは子供のようで、とても貴族の淑女からは程遠いものだった。
「いやいや、トリス嬢。せっかく逃げてるのに大声だしちゃ位置がバレちゃうでしょ。
それに、命の恩人なんだからもう少し感謝してよ」
「くっ……」
ぐうの音も出なかった。あの状況で逃げおおせる術を、トリスは持ち合わせていなかった。
まさか居るとは夢にも思っていなかったジーネスに、救われた形となる。
「貴様のような人間が適合して、どうして私が……」
トリスは納得がいかないと、愚痴を漏らす。
彼女もラヴィーヌ同様、ビルフレストに心酔をしていた。同様に、邪神の分体に適合すると信じて疑わなかった。
結果は、どの能力も彼女に適合する事は無かった。たかが侍女である、サーニャでさえ適合したのに。
劣等感は膨らんでいき、焦りと苛立ちを生む。自分を担いでいるこの飲んだくれの男でさえ、邪神の能力に適合してみせたのだ。
「そりゃあ、トリス嬢が普通だからだ。いい事じゃねぇか。
ワシだってまだ踏ん切りがついてねえよ。右脚を斬り落とすなんてよ」
高笑いをするジーナスに、トリスは怒りさえ覚える。見下されている気がした。
傷つく覚悟すらない者が覚悟のある自分を差し置いて選ばれる。その理不尽さが、やるせない。
「何がいい事だ! 私なら、手足の一本ぐらい――!」
そこまで言いかけて、トリスは気が付いた。
ジーネスの口振りでは、まだ彼は邪神の分体をその身に宿していない。
「待て、貴様。ならば、先刻のやりとりは……」
「ああ、これだよ」
ジーネスが懐から取り出したのは、濁った宝石のようなもの。
彼女は知っている。それが邪神の『核』から取り出した物である事を。
「まだ移植していないが、僅かに反応してくれた。ワシを認めたって証だな。
いやあ、失敗したらどうしようかと思ったぜ。ま、無駄な戦闘をしなくて済んでなによりだ」
「なっ……! ならば、飛び出してきたのは確信があってのことではないのか!?」
「おうよ。お互い、悪運が強くて良かった良かった。
結果的に、ハッタリも十分利いたようだしな。ハッハッハ!」
トリスは言葉を失った。
結果的に上手く行ったから良かったものの、一歩間違えば二人ともやられていた。
自分やジーネスが死ぬだけならまだいい。最悪の場合、顕現前に邪神の分体が破壊される怖れすらあった。
そんな事が起きれば、また計画に支障が出てしまう。ビルフレストの期待にも、応えるどころか足を引っ張るだけの結果として。
「ふざけているのか!? 貴様、もう少し自分の重要性をだな!」
「仲間を大切にしていると言ってもらいたいね。
トリス嬢は、もうちょっとワシに感謝してもいいと思うぞ」
そう言いながら、ジーネスはトリスの尻をポンポンと叩いた。
その行動自体が、彼女の反感を買っていると知りつつも。
「この……っ、痴れ者がっ!」
任務を遂行できない屈辱どころか、不快な感触と、恥辱がトリスに襲い掛かる。
それでも抵抗は許されない。この男は計画に於いて重要で、自分は彼に劣る。その事実が揺るがないからだった。
「はいはい。痴れ者で結構だよ。ワシはお前さんたちみたいに高尚なものを持っちゃいないんだ。
遺りの人生を楽するために、しかたなーく働くのさ」
「――っ!」
怒りで顔を紅潮させたトリスから発せられる怒りの声が、ジーネスの鼓膜を揺らした。
互いに、その表情を確認する事なく二人はミスリア王都から離れていく。
第一王子やビルフレスト。そして邪神との合流を果たす為に。