161.望まれぬ再会
三日月島より呼び出した地獄の番犬と鷲獅子。
一流の騎士や魔術師。黄道十二近衛兵級ですら単独では手の余る魔物。
まさか、こんなに簡単に葬られるとは微塵にも思っていなかった。
それは同時に、トリス自身が劣勢に陥った事を意味する。
(一体、どんな手段を使ったというのだ?)
自分の持っている情報ではフェリー・ハートニアは炎の刃を扱い、シン・キーランドの持つ疑似魔術はあのような威力を有していない。
第一王子やビルフレスト。延いては邪神にさえも届きうる刃。ミスリアの外から現れた、自分達にとっての脅威。
不思議な剣を扱う緑髪の少年の件も含めて、必ず持って帰らなくてはならない情報がそこにはあった。
「大体、お前はもっとアタシに感謝するべきだ!」
「それはいつもしてる。ピースの事も、受け入れてくれて感謝してる」
「お、おう。それなら、いいけどさ……」
「え? おれ?」
不意に名前を呼ばれ、きょとんとするピース。
まさか自分が巻き込まれると思っていなかったので、思わず間抜け面のままシンの顔を見上げてしまう。
彼はいつも通りの顔で、じっと自分を見つめ返していた。
唯一気になったのは、壊れた魔導砲をわざわざ左手に持ち替えたぐらいである。
それよりもマレットだった。
いつもの自分やコリスをからかうような余裕が見当たらない。
久しぶりにシンやフェリーと会ったとしても、人を喰ったような態度は変わらないと思っていたので意外だった。
「ていうかマレット。なんか余裕なくない?」
「は? なんでアタシに余裕がないんだよ?」
「いや、なんとなく……」
理解できないと言った風に目を吊り上げるマレットだが、内心は彼女も心の整理が追い付いてはいなかった。
恐らく自分だけが気付いている。シンと自分が30年以上前に、一度出逢っている事に。
どうして今まで気付かなかったのかと考えもしたが、初めて出逢った時のシンはまだ少年だった。
現在のシンと子供の自分が出逢ってしまった以上、同一人物だと考える機会は無かった。
確かにところどころ、雰囲気が似て来たなと思う事もあった。
けれど、やはり少年時代を知っているが故に別人として認識していたのだ。
そして何の因果か、マレットは気付いてしまった。
それだけならまだいい。もう逢えないと思っていた恩人に、再会出来たのだから。
問題はピースの存在である。
うっかりと「憧れていた人がいる」事と、「顔立ちや雰囲気が似て来た」と言ってしまった事を思い出す。
つまり過去に行ったというシンの話如何では、彼もまた気付いてしまう可能性が出て来た。
シンが過去で自分と出逢ったという事実に気付いた時、正直に言うとマレットの心境の大半を占めたのは嬉しさだった。
誘拐未遂の事件こそ起きてしまったが、あの日が自分にとっての出発点なのは疑いようもない。
一方で、マレットは知っている。彼がフェリーをどれだけ大切に想っているかを。
彼女の為に道を踏み外す事すら厭わないほどの情愛。
そしてフェリーもまた、シンの事を強く想っている。
灼神と霰神を渡した時に、フェリーは屈託のない笑顔を見せてくれた。
ずっと抱えていたモヤモヤが晴れたのだろう。成り行きを見守っていたマレットからすれば、遅いぐらいだ。
同時に安心もした。だからこそマレットは決断した。過去で、自分とシンが逢っている事を黙っておくべきだと。
自分がシンに対して抱いたのは憧れであって、決して恋慕ではない。
けれど、マレットは知っている。なんやかんやでフェリーは妬くという事を。
彼女は羨ましいのだ、自分の知らないシンを知っている人物が。
そして何より自分が気恥ずかしい。互いが気付いてしまえば、これからどうやってシンと接すればいいのか解らなくなる。
マレットは今、過去最大級に後悔をしている。「憧れている」と他人にポロっと口にしたのは本当に失態だった。
ピースが気付かないように。仮に気付いたとしても、口止めをどうするべきかにその頭脳をフル回転させていた。
「――ったく。なんとなくでヘンなこと言うなよ。
罰として、お前の成長記録をバラまいてもいいんだぞ?」
「それだけは勘弁してください」
「あ、やっぱピースくんもされたんだ……」
ピースの肩に手を置き、フェリーが慈しみの視線を向ける。
彼女の被害に遭った者だけが判る、共有できる辱めがそこにはあった。
「ちなみに、フェリーの記録を盗み見しようとはしていたぞ。一応、守っといてやったけど」
「マレットさぁん!? いやあの、それはですね……」
「ピースくん。そういうのは、よくないと思う」
意外にも、フェリーは怒っていなかった。同様の恥辱を受けたからか、哀れむような視線をピースへ向ける。
ピースは安堵する傍ら、より強い恐怖心を抱いた。
自分の前に立つ人物が、フェリー同様に流してくれるとは限らないからだ。
「――ピース」
「いや、あのですね。これには深い理由が……」
予想通りというべきか。シンの鋭い眼光がピースへと突き刺さる。如何なる言い訳も、彼の前で意味を成すのか判らない。
隣でケタケタと笑うマレットは、いつしか普段通りの姿に戻ったようだった。
(……あれ?)
痛々しい視線から逃げたい気持ちを抱えながら、ピースはある事に気付く。
シンから発せられているものが強い眼差しなのは疑いようもない。けれど、その質に疑問が残る。
怒り……が全くないとは思わないが、もっと違う意思が感じられた。
逃避したい自分の生み出した妄想である可能性も否定できないが、やはり食い違いがあるようにも思える。
それが何を意味するのかは、直ぐに答えとなって現れるのであった。
何やら下らない言い合いを続けている。
地獄の番犬と鷲獅子を斃したからと言って、余裕を見せすぎなのではないかとトリスは下唇を噛んだ。
屈辱を覚える一方で、好機でもあった。情報は正確に伝えなくてはならない。
上級の魔物でさえ容易く葬る魔導具。それらを一目確認しようと、潜伏している路地裏からその顔を覗かせた瞬間だった。
「――っ!?」
自分の髪を、鉛玉が掠める。そのまま鉛玉は、路地裏の壁に弾痕を生む。
固唾を呑み込みながら、トリスはその射線上に視線を動かす。
瞳に映るのは、右手に銃を構えたシンの姿。彼が銃弾を放ったという、何よりの証左。
その精度から、シンは自分の姿をはっきりと捉えている事をトリスは察した。
鷲獅子の出現地点から、凡その位置を把握。言い争いをしつつも、決して注意を怠っては居なかった。
壊れた魔導砲を左手に持ち替えたのは、利き手を自由にする為の予備動作。
釣られたのだと、トリスは瞬時に察した。
ビルフレスト相手に一杯喰わせるような人間が、戦闘中に気を抜くはずがない。
その事実を踏まえた上で、警戒しておくべきだったのだ。
恐らく彼は、周囲の音にも気を配っていたに違いない。
路地裏の反対に逃げる素振りを見せていれば、追ってきただろう。
(退くしかないか……)
低級の魔物を路地裏に召喚した方が、逃げ延びる可能性が高いと踏まえる。
トリスの判断は間違っていない。ただ、決断が遅かった。
「――なんだ!?」
路地裏の隙間を潜り抜けるように翠色の刃が舞い降りる。
翼颴から放たれた『羽』が、小柄なトリスよりも自由に動き回って彼女の退路を潰していく。
襲ってくる『羽』から身を護りつつも、トリスは炙り出されるように広場へと姿を見せた。
シンが執拗にピースを送っていた視線の理由は、『羽』の存在にあった。
自分が追うにしても、銃を撃つにしても平面的な動きになってしまう。
ピースの『羽』によって多角的な攻撃を可能としたからこそ、彼女を逃がさずに済んだ。
「覚悟はいいな?」
銃口が鈍い光を放ちながら、トリスへと向けられる。
上空では翠色の刃が、活躍の場を求めて待機している。
遅れて、不老不死の少女が両手に刃を形成した。
「……シン。お前、アタシを囮にしたのか?」
「人聞きの悪いことを言うな。ただ、術者を逃がすわけには行かないから注意していただけだ」
「そ、そうだよ。また、魔物が出てくるかもしれないし!」
慌てて取り繕うフェリーの様子を見て、マレットはため息を吐いた。
マレットの予測に過ぎないが、きっとフェリーは安心をしきっていたのだろう。
ピースの方はどうやら、執拗なシンの視線によって意図に気付いたらしい。ややぎこちない動きから、そう察した。
シンだけが、この場に於いて神経を張り巡らせ続けていた。
それはきっとこの10年で培ったものであり、二度と後悔をしない為に必要だったもの。
あの日、あの時。路地裏に連れ去られた自分を見失わなかったのも、こういった注意深さからのものだろうと納得をする。
「まぁいいか。シン、魔導弾だ。使え」
「助かる」
広げられた左手に、マレットは魔導弾を預ける。
その間、一度たりともトリスから視線を外す事は無かった。
トリスは絶体絶命だった。
近付けば、炎と氷の刃が待ち受けている。離れれば、銃弾による狙撃。
そして何より、頭上にある翠色の刃が注意力を奪っていく。
真っ当な方法で、この状況を切り抜けるビジョンが浮かばない。
唯一可能だとすれば、低級の魔物を召喚する事。再び、隠れ蓑として利用する手段だった。
しかし、召喚に用いた魔石はいつの間にか全て破壊されている。
呼び出すには、詠唱を破棄した上ではっきりとしたイメージが要求される。
もし詠唱を行おうものならば、直ぐに攻撃が繰り出される事は想像に難くないからだった。
彼らもまた、疲弊しているはずだった。
自分はそれを、ほんの少し加速させるだけの役割。つつがなく、達成されるはずだった。
少なくともトリスは想定してない。
またミスリアの外から増援が現れる事も、こんな強大な力を目の当たりにする事も。
唇が渇く。それを潤す動きですら、あの男は銃を放つのではないかと思うと動けない。
次の動作は、確実に彼らの意識を逸らすものでなければならない。
居住区に逃げ込めば、まだ逃げ延びる可能性は残っている。そのはずだった。
「……トリス姉か?」
自身の背後。居住区の方角から聞こえた声は、自分の知っているものだった。
分家である自分とは違い、ステラリード家の次期当主に当たる人物。
紅龍王の神剣を受け継いだ、イルシオン・ステラリード。
「――イルシオン様」
トリスにとって、彼が現れたという事実をどう捉えるべきか悩んだ。
イルシオンは英雄志向の強い、悪く言えば甘さの目立つ少年。その志は、クレシアを失った今も続いているのだろうか。
もしも第一王子派への憎しみが勝っているのであれば、神剣が容赦なく自分へ襲い掛かる事となる。
ただ、行動を起こすにはこのタイミングしか存在していないのも事実だった。
彼が現れたという事は、じきに増援もやってくるだろう。
悪化という形とはいえ、全員がイルシオンの存在を思考に組み込むこの一瞬がトリスにとっての勝負所となる。
脳裏で必死に描いていた術式を、自身の持つ魔力全てを用いて解き放つ。
黒狂犬、一角ウサギ、猪の魔物。
低級の魔物達が、始めと同じように湧いてくる。
自分の視界が、魔物で埋め尽くされた瞬間が開始の合図となる。
魔力の使い過ぎでズキズキと痛む頭を抑えながら、トリスは走り出す。
向かう先は居住区。逃げ切るなら、人の波が存在する場所は避けられなかった。
「させないっ!」
霰神から生み出された氷が、フェリーの眼前にいる魔物達を瞬時に凍り付かせる。
それをシンの放った重力弾で、それらを圧し潰していく。
瞬く間に呼び出された魔物は姿を減らし、視界が拓ける。
「……っ! トリス姉、後でじっくり話は聞かせてもらうからな!」
シンやフェリーとは違う方向から、イルシオンは紅龍王の神剣に炎を纏わせる。
焼かれる猪の魔物から、炎が立ち上る。
黒狂犬や一角ウサギがおののいた事で、イルシオンからもトリスが丸見えになった。
「――稲妻の槍!」
「いけっ!」
イルシオンから放たれる雷の矢と、ピースの『羽』が魔物を斬り裂きながらトリスへ迫る。
二方向から迫る攻撃に、トリスは抗う術を持っていなかった。
(ここまでか)
トリス自身、この時点で成す術はないと悟っていた。
しかし悪意の塊である邪神もまた、自分の為に呪詛を送った仲間を見棄てるような真似はしなかった。
稲妻弾と『羽』。そのどちらも、トリスに直撃する事は無かった。
雷の矢は消えてなくなり、翠色の刃は推進力を失い、板切れのように地面へと転がり落ちる。
「よう、トリス嬢ちゃん。間一髪ってぇとこだな」
現れたのは前髪を前に垂らした、だらしない男。
見るからにみすぼらしい男が、トリスを護る様に立っていた。
「……誰だ? それに、何が起きたんだ?」
シンが眉を顰める。得体の知れない男に対してもそうだが、攻撃が届かなかったという状況に対して訝しむ。
フェリーやイルシオンも、男の姿に見覚えがない。
「あ゛。あいつ……」
そんな中で、男の存在に反応を示した人間が三人。
顔を引き攣らせ、翼颴を構えるピース。
見覚えがあるとしながらも、シン同様に不可解な現象に興味を示すマレット。
そして、離れた位置にも関わらずさっと自分の尻を隠すように抑えるコリス。
彼らは、この男に出逢っている。
「……オッサン!?」
港町で出逢った、酒浸りの男。
ジーネスが、再びピース達の前に現れた。