159.霰神と灼神
魔導刀・翼颴。
ピースが新たに手に入れた力。その一端である『羽』。
翼颴から分離された翠色の刃は、彼の意志に従っ魔物を斬り刻んでいく。
それはピースを中心として舞い踊っているかのようにも見えた。
雑魚を蹴散らし、本丸への道が拓ける。
立ちふさがる地獄の番犬の威圧感を前にして気圧されそうになる。
見ただけでも判る。以前ウェルカで戦った双頭を持つ魔犬より、上位の存在だという事が。
それでも少年に引き下がる選択肢は無かった。
マギアで戦った邪神。『暴食』の元となった存在だが、あれに比べればまだ可愛げがある。
そして、自分は決して一人でない事を知っている。シンやフェリーが、いるのだから。
「ピースくん、それ……。なに?」
縦横無尽に飛び回る『羽』が何なのか、フェリーは理解しきれなかった。
ピースが操って、次々と敵を倒していく。その姿に目を丸くして、感嘆の声を上げる。
一方のピースは、フェリーの様子をちらりと見た。
あちこち服が破けていて、血が滲んでいる。また無茶をしたのだろうと想像するのは、容易だった。
同時に、どうして魔導刃を使わないのだろうかという疑念も湧き上がる。
「これは魔導刀。魔導刃の発展形です。
フェリーさんこそ、どうして魔導刃を使わないんですか?」
「魔導刃は壊れちゃって……。って、そうだ!
ピースくん、ちょっとだけここをおねがいっ!」
何かに気付いたのか、フェリーは踵を返しては一目散に走り出していった。
相変わらず慌ただしい人だと苦笑しつつも、ピースは少しだけ安心をした。
暴れ回る『羽』によって、黒狂犬や一角ウサギ、猪の魔物と言った小物は淘汰されていく。
地獄の番犬の三つの頭が、それぞれ別の『羽』を睨む。
飛び回る板切れを、明確に危険だと認識された瞬間でもあった。本番はこれからだと、ピースは翼颴を地獄の番犬へ向かって構えた。
……*
「マレット、どうしてお前がここに……」
シンは突如現れた旧知の仲に、驚きを隠せない。
ピースと共にいる事から、マギアで無事に合流できたという部分までは理解できる。
その後、仮にピースが旅へ出るとしても、どうしてマレットが一緒に来ているのか。
少なくとも、研究が大好きであまり外に出ようとしない彼女からは考えられない行動だった。
「ま、こっちにも色々あってな。ああ、そうだ。
こいつはコリスって言うんだ。見ての通り、将来有望だぞ」
マレットに促され、コリスはぺこりと頭を下げる。
地獄の番犬を見て、驚いたような怯えたような反応を示す彼女はきっと正常だ。
そして、マレットの言う『将来有望』が別の意味を指している事を理解したが、この場で口に出すのは避けた。
今は初対面の挨拶より、街に現れた魔物を対処しなくてはならない。
幸い、会いに行こうと思っていたマレットがこの場に居る。
彼女なら魔導弾を持ち歩いている可能性は、多いにある。
あれだけ獲物を求めて現れた冒険者の群れは、地獄の番犬に恐れをなしている。
一刻も早く、単独で立ち向かっているピースの援護へ戻らなくてはならない。
「マレット、魔導弾を持って――」
シンがそう言いかけた時だった。
彼の目の前を、金色の髪が流れるように通り過ぎていく。
「マレットぉぉぉぉ!」
「うお!?」
その持ち主であるフェリー・ハートニアは、タックルかと見間違う勢いでマレットに接近する。
そのまま勢いを緩める事なく、彼女の胸へと飛び込んだ。
マレットの力ではフェリーを支えきれず、二人してその場に倒れ込む。
「マレット! 武器、武器武器! ぶーきー!!
あたしにも、なんか武器ちょうだい! 魔導刃、壊れちゃったの!」
ぐいっと顔を近付け、魔導刃に代わる武器を要求するフェリー。
普段の彼女であれば、決して自分の胸に飛び込んでくるような真似はしない。
目をぱちくりとさせながらも、マレットはフェリーの顔をまじまじと見た。
初めて逢った時よりも、生き生きとしている。後悔から来る悲壮感は消え失せていた。
今までに会ったどんな時よりも、真っ直ぐな眼をしている。
「フェリー、お前。シンとなんかあったか?」
「うん、あったよ!」
またしてもマレットは、驚きで瞬きを繰り返す。
再会する度にイジっては、彼女の反応を愉しんでいた。
それが今はどうだ。即答できるではないか。
フェリーにとっても、シンにとってもいい変化があった事は容易に想像できる。
「そっか。よかったな」
「うん!」
「じゃ、その話は後でじっくり聞くとして……」
マレットはふたつの筒を取り出し、フェリーの目の前へと差し出す。
筒の先端部分がそれぞれ違っており、燃え盛る炎のような紅と、透き通る氷のような薄水色をしていた。
小首を傾げながら受け取ったそれらを、フェリーは交互に見つめる。
「新しい魔導刃。魔導刃・改だ」
「ピースくんが使ってるようなやつ?」
薄く鋭い翠色の刃。『羽』を舞い踊らせるピースを指しながら、フェリーは問う。
マレットは眉根を寄せながら、それを否定した。
「あれはフェリーには無理だ。魔力の制御、苦手だろ?」
「……うん」
翼颴の『羽』には、操って刃として成立させるだけの魔力。
そしてそれを手足のように操る空間認識能力と、魔力の制御を必要とされていた。
かと言って、魔力が強すぎると『羽』を操る難易度も格段に跳ね上がる。
「だからあっちは諦めろ。こっちはお前が持っていた魔導刃を発展させてある。
お前は習うより慣れた方が早いだろ? 今まで通り、魔力を思い切りぶっ放せ」
「分かった。ありがと、マレット!」
マレットの激に、フェリーは力強く頷く。
二本の魔導刃・改を握り締め、彼女は走り出した。
出逢った時と何ひとつ変わらない見た目。それでも、マレットから見ればその背中からは確かな成長を感じ取れた。
「さて、と……」
身体を起こし、マレットは押し倒された際に汚れたシャツから砂ぼこりを払う。
両手を払い合わせながら、シンの顔へ視線を向けた。
よく見れば、フェリーに負けず劣らず彼もすっきりした顔をしている気がする。
これはイジり甲斐がありそうだとほくそ笑むが、今は空気を読んで我慢を選択した。
「シン。お互いに積る話はたくさんありそうだけど、それは後だな」
「ああ。とりあえず、今は――」
魔導弾を受け取ろうと手を前へと出すシンだったが、マレットが首を振る。
決して拒絶した訳ではなく、彼女は自分の期待以上のものを渡そうとしている。そんな意図が、表情から汲み取れた。
「まあ、待てって。魔導弾もあるけど、お前にも渡す物があるんだ。
フェリーに渡した魔導刃・改と違って、こっちはちゃんと説明が要る。
間違いなく、アタシの最高傑作だよ」
マギアからミスリアへ。更に王都までの移動時間をフルに使って生み出された魔導具。
決して武器ばかりを作りたい訳ではない。それでも、今はきっと必要になる。
そして、自分の創った魔導具には、使用者の運命を左右するほどの力がある事をマレットは知っている。
だからこそ、預ける人間を選ばなくてはならない。
目の前にいる男なら、シンになら預けられる。
お人好しで、自分を追い詰めて、でも決して精神の折れない人物。
昔、少しだけ憧れた人物に似た面影のある男の為に、マレットは新たな魔導具を開発した。
誰にでも扱えるが、彼にしか扱わせるつもりのない、唯一の魔導具を。
……*
「なんなんだ、あの武器は……!?」
突如現れた緑髪の少年。彼が操る得体の知れない武器に、トリスは毒づいた。
まるで鳥のように舞う翠色の板が、刃となって召喚した魔物を次々と斬り刻む。
それだけではない。彼の持つ翠色の剣が発生する風も、その一撃が風の魔術を生み出しているに等しい。
少年の存在は、全く知らない訳ではない。
ウェルカでの戦いで、シン・キーランドやフェリー・ハートニアと共に戦っていた少年。
その経歴はおろか、出自すらも一切不明だった。
辛うじて判ったのは、名前がピースだという事のみ。
ウェルカでの騒動後、彼はシンやフェリーとは別行動を選択した。
以降は自分達の障害になる事は無く、その消息をいつの間にか立っていた。
転生したが故に天涯孤独の身であり、マレットの元にたどり着いた後は表立った活躍が少ない。
故にピースの情報を得る事が困難で、また邪魔をされなかったと認識している為にその存在を見失っていた。
これもゼラニウムの人間がマレットに好意的だった事もあり、周辺を探るような余所者が現れ辛かった事にも由来する。
マギアで『暴食』と交戦した時も同様だった。
人気の少ない廃教会で、捨て駒による召喚。更に、唯一の生き残りであるコリスはピースやマレットと行動を共にした。
いくつもの幸運が重なった結果、彼は今この場に立っている。
それは同時に、第一王子派の計画を乱す不確定要素が出現した事を意味している。
次から次へと現れる抵抗勢力に、トリスは苛立ちを隠せない。
彼女にはこのまま引き上げて、ビルフレストへ報告をするという選択肢も残されている。
だが、敢えて三日月島に棲まう最強の一角を呼び出した成果としては聊か弱いものだった。
彼らの一人でも多くを再起不能。最低限、戦力を削る必要があると考えた。
トリスはもう一体、三日月島に於いて地獄の番犬と双璧を成す魔物を召喚する事を決断した。
潜伏している路地裏に、新たな魔法陣を描き始める。
魔力の残滓から存在を気取られる危険はあるが、それを呑み込んでの利益を求める。
ミスリアの混乱を目論むだけの作戦は、自ずと規模を拡大していく。
放置するにはあまりにも危険な存在だと、トリスは直感していた。
……*
翼颴から放たれる『羽』。その一枚を、地獄の番犬の牙が捉えた。
涎を垂らしながら、屈強な顎が翠色の刃を噛み砕こうとする。
「きっ……たないなっ!」
ピースは噛みつかれた『羽』を回転させ、地獄の番犬の歯を削っていく。
同時に翼颴の本体から生み出された風で自分の身体を浮かびあげ、地獄の番犬の真ん中の頭。その顎を切り上げる。
風に乗って飛び散る血痕と同時に、地獄の番犬の悲鳴が咆哮となって街中に響き渡る。
鼓膜を強く揺さぶる衝撃に、ピースは思わず耳を塞いだ。
その隙を狙って、地獄の番犬は残ったひとつの頭。その口から風の魔術にも似た衝撃波を放つ。
咄嗟に翼颴の刃を前へと突き出すが、相殺しきれずにピースの身体が硬直してしまう。
目障りな子供は自由の利かない空中で、その動きを止めた。
好機だと言わんばかりに、地獄の番犬は自らの尾となる毒蛇をピースへ喰らい付かせようとする。
「っ!」
地獄の番犬が身体を反転させ、尾をピースの眼前にと突き出そうとした時だった。
突如現れた氷塊が、地獄の番犬の下半身を凍り付かせる。
毒蛇はその活動を止めてしまい、地獄の番犬自身の後肢も完全に氷の中へと埋まっている。
何が起きたのか理解が出来ず、遠吠えを上げる事しか出来なかった。
「え? 凍っちゃった……? なんで!?」
氷塊を生み出した張本人であるフェリーが、その状況に一番驚いていた。
マレットから渡された魔導刃・改。その一本である薄水色の柄。
そこから形成されるのはいつもの炎の刃ではなく、真っ透明な氷の刃だった。
魔導刃・改。固有の名は、霰神。
魔導石から発展を遂げた、魔導石・輪廻が組み込まれている新たな魔導刃。
メビウスの輪の如く吸収した魔力を、半永久的に魔導石内で増幅させていく。
それを『裏』の部分で放出し、刃を形成したのが霰神だった。
これにより普段の炎の刃とは逆転とした現象。氷の刃となり、フェリーの新たな力となる。
「うわ、マレットの奴。本当に造りやがった……」
九死に一生を得ながらも、ピースはその結果に若干引いていた。
二本の魔導刃・改は、翼颴同様、設計思想にピースの案が若干絡んでいる。
彼自身は「こんなの出来たら面白いよな」ぐらいに考えていたのだが、マレットは見事作り上げてしまった。
魔導石・廻以上に魔力を要求されるので、実質的にはフェリー専用の魔導刃となっている。
だからこそ、初めて見る結果にピースも驚く他なかった。
「よく分かんないけど、魔導刃よりすごい!
うん、これならあたしも戦える!」
正直、記憶が無いままに魔導刃が壊れていた際はどうしようかと思っていた。
けれど、新たに得た魔導刃・改があれば、自分はまた戦える。
柄を握り締める両手の力が、自然と強まった。恐れるものはないとでも言わんばかりに、フェリーは地獄の番犬の頭をじっと見上げた。
一方で、地獄の門番とも言われる地獄の番犬は屈辱に塗れていた。
下等種である人間。それも、こんな女子供に良い様にあしらわれている。
怒りで身を震わせ、自身の魔力で力を増大させていく。
肥大化した後肢が、霰神によって生み出された氷を砕いた。
地獄の番犬はもう容赦しないと言わんばかりに、フェリーへと飛びかかる。
肉はおろか骨まで断ちそうな鋭い爪が、彼女の眼前に振り上げられた。
「――負けないっ!」
けれど、それが彼女の身に振り下ろされる事は無かった。
地獄の番犬の脚は、爪を剥き出しにしたまま宙へと舞う。
信じられない光景に、地獄の番犬自身が眼を疑う。
斬り離された脚が地面へ落ちると同時に、炎によって灰となる。
燃え尽きた自分の脚を見て、地獄の番犬は焼き切られたという事を始めて認識した。
フェリーが右手に握っている、もう一本の魔導刃・改によって。
灼神。
同じく魔導石・輪廻によって増幅された魔力を『表』で発現した真紅の刃。
魔導刃の比ではない程に高まった熱が、あらゆるものを瞬時に焼き斬る。
神をも灼き尽くしかねないそれは、地獄の門番すら恐怖におののかせるには十分な威力だった。
この瞬間、地獄の番犬は己の矜持は下らないものだと思い知らされた。
三日月島でビルフレストの手によって屈服させられた時以上に、『死』を肌で感じている。
あの時は、恥と理解しながらもビルフレストに頭を垂れる事によって命を長らえた。あんな人間は特別なのだと思っていた。
だが、違うのだ。
自分に匹敵する、脅威となる牙はまだ存在していた。
大義もなく軽々しく越えてはいけない領域だと気付いた時には、既に遅かった。
「これで――」
「終わりだよっ!」
翼颴の『羽』が、地獄の番犬の脳天を上空から貫く。
頭蓋骨を突き破ると同時に、風の刃が高速で頭の中をグチャグチャに掻き乱される。
地獄の番犬はぐりんと白眼を向き、意識が遠のく。
最期に感じたのは、太陽と見間違うような高熱。
灼神による、葬送の一太刀。
呼吸も出来ない程、風と炎によって己の身体が崩壊させられていく。
絶命寸前の僅かな力を振り絞って、地獄の番犬は自分を圧倒した女子供の姿を確認した。
堂々と立つ二人の姿には、強い意志を感じた。
矜持のある相手に敗れた事。それだけが、自分にとって救いだったのかもしれない。
勝者をたたえながら、地獄の番犬はその身を灰に変える。
風に乗せられて、灰はミスリアの王都の中に散っていく。
その粒子は、瞬く間に誰の目にも留まらなくなっていた。