158.再会する者たち
トリス・ステラリードは前線での戦闘を行わなかった事から、三日月島からの撤退時にある任務を言い渡された。
それがミスリア王都の混乱。特に現体制への不安を煽る事であった。
本来であれば、そのような手段を採る予定は無かった。
ミスリアを崩壊させたいのではなく、手に入れたい第一王子派にとって無闇に民への不信を買う訳には行かなかったからだ。
最初に企んだ暗殺が成功していたのであれば、頭をアルマに挿げ替えるだけで済んでいた。
黄龍王が上空にて待機していたのも、あくまで万が一に備えての事だった。
だが、万が一は起きた。
そもそもの発端は、イルシオンとクレシアの乱入から始まる。
仮にも王の住処でありながらも、風の魔術の中でも最大級の威力を誇る颶風砕衝を、クレシアは容赦なく撃ち込む。
同様に神器である紅龍王の神剣が壁を斬り裂いてまで玉座の間に現れた。
この時点で国民に隠し通す路線は不可能となり、黄龍王を追った紅龍王により龍族の姿も晒す事態に陥る。
その為、再び寝返る貴族の存在をビルフレストは懸念した。
故にサーニャが黄龍を用いて陽動と内通者の抹殺を企て、水面下ではビルフレストが第二王女の暗殺を目論む。
先の戦闘で消耗した状態なら、それは叶うものかと思われた。
ただ、生きていた第三王女とその護衛が招かれざる客を連れて来た。
挙句の果てに、一切警戒をしていなかった銀髪の女性が三日月島の存在に言及をする。
第一王子派としては、かなり計画を狂わされている。
極めつけは、死んだと思われていたテランの裏切り。
シンが推察した通り、彼はかなり深いところまで邪神の顕現について把握している。
証拠の隠滅と、彼の知らない拠点の用意。時間稼ぎというテランの目論見は、ほぼ完璧な状態で達成されつつあった。
こうなると、第一王子派は保険として用意していた他国への煽惑に頼らざるを得ない。
元々は王位の奪取後、力を誇示する為の自作自演として用意されていた案。
ミスリアが手に入る可能性があると知れば、どう転んでも第一王子派の都合の良い様に動いてくれる国は多い。
しかし、美しく完璧な状態のミスリアが手に入る可能性は極めて低くなった。
開き直りといえばそれまでなのだが、それならば可能な限りミスリア側の神経を削る作戦を彼らは選択した。
それがトリスに与えられた任務。
テランが言及していた手段のひとつ。魔物の襲撃よる、ミスリア王都の混乱だった。
ミスリアに潜伏し、何度も魔物を出現させる事でじわじわと消耗させ続ける。
トリスは元黄道十二近衛兵という立場上、その存在が国民にも知れ渡っている。
部下を連れて、街中で喧嘩をするという茶番を演じたのも視線を欺く事を目的としていた。
そして今まさに、市街地を混乱に陥れようとした所だった。
召喚に必要な魔力を増幅する為に用意された、魔石を配置していたトリス。
最後のひとつが、銃弾によって砕かれる。
「何をするつもりだ?」
魔石を砕いた張本人は、鈍く光る銃口を彼女へ向けている。
怪しい動きをすれば撃つという意思が、否が応でも伝わってくる。
直接相対するのは初めてだが、トリスはこの男を知っている。知っているが故に、眉を顰めた。
三日月島で邪神の『扉』へ果敢にも挑み、光の中へ消えたはずの男。シン・キーランド。
テランが三日月島でビルフレストに語った「死んでいない」という言葉が、現実のものとなる。
すぐ傍には、彼を追って走ってきた金髪の少女。
邪神さえも撃退した、破壊の化身。不老不死の魔女、フェリー・ハートニア。
「シン・キーランド。それに、フェリー・ハートニア……」
思えばこの二人にどれだけの邪魔をされたのだろうか。
常に結果を出し続けてきたビルフレストでさえ、辛酸を舐めさせられた相手。
トリスの優先順位が居住区に於ける国民の混乱よりも、シンとフェリーに移り変わった瞬間でもあった。
「すぐに判りますよ」
トリスは掌に魔力を込め、既に配置してある魔石へ反応するように流し込んだ。
阻止するべく放たれたシンの銃弾は彼女の二の腕を掠めるが、トリスの術を止めるには至らない。
魔石は連鎖するようにそれぞれを魔力の線で結んでいく。
魔力によって描かれた魔法陣は淡い光を放ちながら、無数の魔物を生み出した。
黒狂犬。一角ウサギ。猪の魔物。
どれも特別な強さを誇る魔物ではない。この世界で多くの個体が確認されている魔物。
単体であれば、シンとフェリーの脅威には成り得ない。問題は、質よりも数だった。
「えと、いくらなんでもさすがに多くない!?」
あっという間に魔物で視界が覆い尽くされ、フェリーは思わず顔を引き攣らせる。
術者であるトリスや、召喚した元である魔法陣は魔物の群れによって隠されてしまった。
舌打ちをしながら、シンが魔物の群れに向かって銃を放つ。
照準をつけずとも、命中するような状況。現に黒狂犬に銃弾は当たり、その場に倒れ込む。
音から逃げるように霧散する魔物たちだが、開けた先に現れるのもまた魔物だった。
ミスリア王都の周辺でも、特に目撃する機会の多い魔物達。
近い順にありったけの数を、トリスは召喚していく。
幸い魔力は、魔石が補ってくれている。この程度の魔物であれば、術者であるトリスへの負担は小さかった。
「シン、どうしよう?」
向かってくる一角ウサギの角を掴み、フェリーが魔物の群れへと投げ返す。
武器を持たない彼女は、一体を対処するのにも手間がかかる。
シンは埋め尽くされていく魔物によって相手が本来行おうとしていた事を察する。
居住区。もっと言えばミスリア国内における混乱の誘発。治安の悪化を狙っていると。
引っかかるのは、呼び出した魔物だった。
どれも冒険者であるなら討伐出来ても不思議ではない魔物達。
自分達や騎士団でなくとも、十分に対処が可能なはずだった。敢えて呼んだにしては、弱すぎる。
それでも、あくまで冒険者であればの話だ。
戦闘が出来ない人間は、出来る人間の何倍も居る。一匹たりとも、逃す訳には行かない。
シンとフェリーは、今もなお召喚され続ける魔物の討伐に追われる事となる。
「とにかく、街の人を傷付けるわけにはいかない。
俺達で、魔物たちを対処しよう」
「う、うん」
言ってはみるものの、状況は最悪に近かった。
フェリーが丸腰であるだけなら、彼女を戦場から下げれば済む。
問題はシンも武器が銃しか残っていない事だった。そしてその弾薬は、ここにいる魔物を一発ずつで仕留めたとしても明らかに足りない。
使い切ってしまえば、シンも丸腰になってしまう。
危機を乗り越える為には、対処療法では追い付かない。
術者を叩かなければ、こちらの体力が先に尽きてしまう。
「フェリー、さっきの女を見つけたら教えてくれ。
アイツを倒さないと、きっとこの戦いは終わらない」
「……ゼンゼン見えないけど、やってみる」
いくら目を細めても、視界に映るのは犬、猪、兎の群れ。
動物は好きな方だが、こう多いと流石に眩暈がしてくる。
感じた嫌気をぶんぶんと首を振って払い、フェリーは頷いた。
二人がトリスを探している中、彼女は獣の群れの中で息を潜めていた。
シンとフェリーに見つからないように、慎重に彼らの視線の届かない場所へと移動していく。
あくまでこの魔物は目眩まし。街の住人へ被害が行かないようにと立ち回る彼らの心理を見越しての事だった。
本命を召喚するのはこれからだ。
ゆっくりと集中し、詠唱を唱えなければ召喚すらままならない強力な魔物。
三日月島に生息する、危険極まりない存在を王都へ呼び出す準備をトリスは始めていた。
……*
シンとフェリーの努力とは裏腹に、魔物が際限なく現れるという事態はすぐに街中で知れ渡る。
居住区に住む戦えない者は家へと閉じこもり、腕っぷしに自信のあるものはその現場へと足を進める。
街中が慌ただしくなり、静寂とは無縁の空気が生み出されていく。
ミスリアの冒険者ギルド付近にある食堂は、その動きが顕著だった。
いくら魔術大国ミスリア。その王都にあるギルドといっても、依頼の数には限りがある。
報酬を求めて大量の冒険者が押し寄せ、ゼロサムゲームと化したこの状況にとっては朗報だった。
魔物の皮や肉は、冒険者ギルドが買い取ってくれる。
高騰する武器や傷薬を調達して資金が底を突いた者にとっては、稼ぎ時が出現した事となる。
「おい、急げ! 他の奴らに遅れを取るんじゃねェ!」
「一角ウサギの角と、猪の魔物の肉は売れるからな!」
「黒狂犬の皮も忘れんなよ!」
瞬く間に食堂の人口密度は下がっていき、店主と給仕を除けば僅か三人の客しか残っていない。
「なんだか、慌ただしい……ですね」
呆然とその様子を眺めながら、少女はコップに注がれた水を口へ含む。
ごくりと飲み込んだ水が、喉を通って旅の疲れが癒されるのを実感した。
「魔物って言ってたよな。……ミスリアが攻め込まれているのとは違うか?」
一本にまとめた栗色の髪を、尻尾のように揺らしながら女性はパンをちぎる。
パンの欠片を口へ放り込んでは、窓の外から街の様子を観察していた。
「……一応、おれたちも行ってみる?」
冒険者の少年は手に持ったフォークで皿の上の料理を刺しながら、提案した。
目的があってミスリアの王都へ辿り着いたは良いが、その先に関しては無計画で途方に暮れている。
少年はかつて、街中に現れた魔物の討伐に参加した事がある。
大々的に褒美がもらえたりした訳では無いが、やはり街の人が不安を抱くのは心苦しい。
尤も、大量の冒険者が押し寄せているし、話に耳を傾けていた限りそれほど脅威になる魔物ではなさそうなのだが。
「そーだなー……」
栗毛の女性はぼんやりと窓の向こうを眺める。
この中で、戦闘を行うのは少年のみだ。腕自慢が揃う場所に三人揃っていくべきなのかは疑問が残る。
かと言って、少年一人だけを向かわせるのも抵抗があった。
少年の身を案じての事ではない。
彼女達がミスリアに訪れた事情から、別行動をあまり取り過ぎないようにしているからだった。
煮え切らない返事をする中で、外を走る冒険者の話声が彼女の鼓膜を揺らした。
「おい、なんでこんなに魔物がいるんだよ!?」
「知るか! でも、マギアの武器を持った奴が一番乗りらしい」
「ああ? ヨソ者かよ!?」
会話の内容に左程興味はない。どうせ食堂に居た者と同じ、目の前の小銭に目が眩んだ冒険者なのだろうから。
それでも耳に残ったのは会話の節に、聞き捨てならない単語が現れたからだった。
――マギアの武器持った奴。
マギアの武器。それがすぐに断定されるような人間に、一人だけ心当たりがあった。
少年も同様で、二人は顔を見合わせる。
「それって、まさか……」
「やっぱ、お前もそう思うか?」
唯一事情を呑み込めない少女だけが、コップに口を付けたまま二人の顔を交互に眺める。
「アイツ、昔から面倒事に巻き込まれるのは多かったからな……」
「ああ、なんかわかる気がする」
目をぱちくりとさせる少女をよそに、二人の意思は固まっていた。
……*
次々と押し寄せてくる冒険者。
ある者は前に出て刃を振るい、ある者は後方から魔術を放つ。
「これなら……」
二人では手いっぱいで、このままシンとフェリーは魔物の群れに呑み込まれてしまう所だった。
自分達はこの街の冒険者に助けられたのだと、フェリーは顔を明るくする。
しかし、シンは苦虫を噛み潰したような顔をしている。状況が好転したとは断定できなかったからだ。
「おい、それはオレが倒した魔物だぞ!」
「その前にウチのツレが魔術で焼いてただろうが!」
騎士団とは違い、明らかに魔物の討伐。それにより得られる目先の金に群がる者達。
魔物の数が減り始めると同時に、冒険者同士の諍いが増えていく。
これでは状況の収集をつける事が出来ない。
何より、この状況を創り出した張本人が姿を消していた。
(術者はどこだ!?)
周囲を見渡すが、トリスの姿は見当たらない。
魔物の群れに隠れているのであれば、人間を見つける事は可能だったかもしれない。
しかし人間の群れに隠れている今、一目見た程度の彼女を見つける事は困難を極めていた。
シンの表情を見て、フェリーも状況が好転していない事に気付く。
自分も受けた傷こそ治っているが、あちこち破けた裾や袖に染みついた自身の血が戦闘の状況を物語っていた。
この程度の魔物で、傷を負う状況が良いはずもない。
更に、これ以上の危険が訪れるのではないかと不安に駆られる。
そして、その不安はすぐに現実のものとなった。
トリスの描いた魔法陣が、一際強い光を放つ。
その危険性を察知するよりも速く、それは召喚された。
現れたのは黒狂犬よりも遥かに大きく、双頭を持つ魔犬より多くの頭を持つ魔物。
地獄の番犬、ケルベロス。三日月島に生息する魔物で、最も危険な個体のひとつ。
三日月島を拠点として占拠する前に、ビルフレストが屈服させて下僕とした魔物でもあった。
「ひっ……」
地獄の番犬の危険性が書かれた本。
本に書かれていた文言を思い出すよりも速く、身を以ってその場に居る人間へと知らしめる。
両側の頭によって瞬く間に二人の冒険者が噛み千切られ、残るひとつの頭による咆哮は彼らを委縮させるには十分な威圧感を放っていた。
弱い魔物相手に群がっていた彼らをあざ笑うかのように、噛み千切った人間を吐き捨てる。
肉塊がゴロゴロと転がり、赤い染みが広がっていく。その痛々しさから、直視できない者まで現れる。
六つの眼による眼光が、冒険者達を睨みつける。次の得物を選定されているのではないかと、息を呑む。
冒険者達がたじろいで、気持ちだけではなくその身を引かせる。その間に魔物達は召喚されていき、再び視界が埋め尽くされていく。
「どうしよう、シン。アイツ、危険だよね?」
「……ああ、まずいな」
双頭を持つ魔犬でさえ、魔導弾や魔導刃を駆使して倒した魔物。
それよりも高みに存在する地獄の番犬は、今のシンやフェリーでは太刀打ちできる相手ではない。
かといって、尻尾を撒いて逃げる訳には行かない。
そんな事をしてしまえば、王都は混乱で滅茶苦茶になってしまう。大勢の死者が出るかもしれない。
何より、シンはイルシオンに宣言をした。「世界を護る」と。
例え打開策が無くとも、ここで退く事は選択肢の中に存在していない。
しかし、問題は山積みだった。増えた一角ウサギ達が状況を悪化させる。
地獄の番犬だけに集中する事を許してはくれない。
更には、地獄の番犬に恐れをなした冒険者達が混乱した場に収拾を許さない。
打開策が見つからず、シンの額から流れた汗が顎まで到達した時だった。
「――なんだ!?」
上空から翠色の刃が何本も振り落ちてくる。舞うように飛び回るそれは、美しくもあった。
瞬く間に一角ウサギや猪の魔物を斬り刻み、地獄の番犬の意識すらも刃へ向けさせる。
「久しぶりです。シンさん、フェリーさん」
翠色の刃は一通り暴れた後に、持ち主の剣へと戻る。
そこには、シンとフェリーの知った顔があった。それも、ふたつも。
一人は緑色の髪をした少年。
別の世界で命を落とし、その記憶を持ったままこの世界で生を受けた少年。ピース。
かつてウェルカで共に戦い、また新たな旅へ出る為に分かれを告げた。
その手に握られているのは魔導刃によく似ているが、明確に違う。
もっと長く、そして美しく形成された剣だった。
「ピースくん!?」
もう一人は、シンとフェリーがずっと世話になって止まない人物。
数年ぶりだが、見間違うはずもない。
尻尾のように揺れる栗色の髪も、寝不足でやや鋭くなった目つきもそのままなのだから。
魔導大国マギアの誇る稀代の天才発明家。ベル・マレット。
ミスリアの王都に居るはずのない人物が、何故か居る。
「マレット……」
「よっ、久しぶりだな」
状況が呑み込めず戸惑う彼らを他所に、マレットはその手をひらひらと宙に舞わせていた。
ケタケタと笑う向こう側で、状況が芳しくない事はきちんと把握をしているようだった。