156.前を見るために、振り返る
半壊したミスリアの王宮。
その一室で、フィロメナは崩れ落ちた。
不安を抱えながらも、気丈に振舞って見送った夫。
その彼が一束の髪となって姿を変えて戻ってきたのだから、心中は計り知れない。
「申し訳ございません……」
ただ、それだけしか言えずにアメリアは頭を下げる。
主君を護れなかった上に、神器を破壊してしまった。いかなる罰も甘んじて受け入れるつもりだった。
「いえ、アメリアの……。誰のせいでも、ありません。
第一王子をはじめとした、多くの者の謀反。それは王家の不徳の致すところです。
それに――」
フィロメナは、遺髪を持ったフローラの顔を見上げる。
気丈に振舞ってはいるものの、目の下のクマや荒れた肌は隠しきれていない。
直接遺体を見た娘の疲弊は計り知れない。
「娘を護り切ってくれたことは、感謝します。
夫に続いてこの子までいなくなったら、私は――」
「お母様……」
フィロメナは力の限り、愛する娘を強く抱きしめた。
アルマの剣先によって傷ついた二の腕が痛むが、フローラは堪えた。
母はそれ以上の痛みを堪えているのだから、受け入れてあげなくてはならないと彼女自身も母を抱きしめる。
「母様、母様はどうお考えですか?」
「イレーネ? それはどういう……」
フィロメナとフローラ。二人の様子を見ていた第二王女は、自らの母であるヒルダへ強い口調で問いかける。
彼女もまた、幼い頃から知っていたからだ。自分の母が、同じ側室であるバルバラと共に王妃であるフィロメナと罵倒していた事を。
ヒルダ自身もまた、劣等感の塊であった。
貧乏貴族である彼女が、何故か国王に見初められた。たったそれだけで、世界が変わった。
慣れていない社交界に赴いては、毎度失敗をする。芋臭さの抜けない振舞いをバルバラに咎められては、彼女のストレス発散に利用されていた。
目まぐるしく変わる世界に対応出来るほどの器量を、ヒルダは持ち合わせていなかった。
かといって、この生活を失いたくはなかった。
気付けば少しでも優越感を得るために、正妻でありながら子を持たないフィロメナを口汚く罵っていた。
これは娘を守る為なのだと、自分に言い訳をして。
フローラが産まれた時に、自分はまた一番『下』に落ちたのだと頭を抱えた。
既に八歳となっていたイレーネも、ある程度の分別はつく。
イレーネは異母妹が生まれて嬉しいのに、母はそれを許さなかった。
そうすればバルバラやフリガが、怒り狂うのが目に見えていたからだ。
ヒルダとしては娘を守ったつもりなのだが、イレーネの視点ではつまらない大人同士の派閥とやらに子供が巻き込まれているだけだった。
もどかしい日々が続くうちに、フローラはフォスター家の令嬢と姉妹のように育っていった。
年の近いアメリアやオリヴィアが傍にいると、フローラは心からの笑顔を見せていた。
少しだけお姉さんだが、本当は混ざりたかった。しかし、その頃にはフローラも感じ取っていた。
自分の存在がバルバラやフリガに快く思われていない事を。そして母はよくバルバラと行動を共にしていた事から、関係を想像するのは容易だ。
だからなのだろう。
フローラがアメリアやオリヴィアに向ける笑顔と、自分に向ける笑顔。それが同種のものでなかった理由は。
一方で、王妃であるフィロメナは違っていた。
バルバラや母と接した後で、陰を落とす事もあった。
けれど、子供である第一王女や自分には優しく接してくれていた。
第一王女は余裕の裏返しだと受け取って、子供ながらに苛立ちを覚えていたらしい。
ある意味では、我儘娘の唯一思い通りに行かない相手だったのかもしれない。
周囲に当たり散らすフリガと違い、イレーネは密かにフィロメナへ憧れを抱いていた。
だからこそ、今しかないと思った。
父を失い、ミスリアにこれからどのような厄災が降りかかるかもわからない。
「母様だって、分かっているのでしょう?
本当はフィロメナ様に、謝罪をするべきなのだと」
「それは……」
事実、ヒルダはバルバラの死後、王妃へ嫌がらせをする事は無くなった。
かといって、第一王女の傍若無人な振舞いを止める訳でも無かったが、自分自身による嫌がらせは鳴りを潜めた。
そこまで理解をしているのであれば、過去の過ちを詫びて関係を再構築するべきだとイレーネは諭すように母へと語り掛ける。
「……それに、ビルフレストが王宮へ侵入した理由。
フェリー様が遭遇した位置からも、狙いはわたくしたちだったのかもしれません」
あの状況で、サーニャが注目を集める裏でビルフレストが暗躍する理由。
色々と考えてはみたが、思い当たる節は自分と母の暗殺ぐらいしか思い浮かばなかった。
その推察は当たっており、ヒルダは自分が嫌がらせをしていた王妃の娘に、間接的とはいえ命を救われた事となる。
「わかったわ」
しばらく考え込んだ後、ヒルダは一歩目を踏み出した。
踏み出そうと上げた足が、中々地に着かない。緊張と申し訳なさで身体中から汗が噴き出しながら、ヒルダはフィロメナの元へと歩み出す。
深々と頭を下げる母の姿を見て、イレーネは少しだけ安心をした。
自分もフローラやフィロメナに謝らなくてはならない。ちゃんと自分が庇っていれば、もう少し楽だったかもしれないのだから。
母のように勇気を出して一歩目を踏み出そうとしたところで、背中を軽く押される。
「行ってください」
鎧の金属板が擦れる音と共に、自分を送り出した男性。
自分の従兄であり、皆が三日月島に行っている間も護衛を務めてくれた黄道十二近衛兵。
ロティス・ミスリア。少し年上で第一王女と第三王女のどちらにつけないイレーネを気に掛けていた、兄のような存在だった。
「ありがとう、ロティス兄さん。
それと、敬語は不要だといつも――」
「そういう訳にも、行きませんので」
それでもと頭を下げるロティスに対して、イレーネは苦笑した。
……*
「これより、黄道十二近衛兵の定例会を始める。
……と言いたいとこだが、アタシしかいねぇな」
王宮の別室にて円卓を囲むのは五人。
ヴァレリア、イルシオン。そして、第一王子派から寝返ったテランとリシュアン。
最期に、ラヴィーヌの魅了によって操られていたライラスがこの場に揃っている。
「待ってくれ、ヴァレリア嬢! 自分やリシュアンが居るだろう!」
異を唱えるライラスだが、ヴァレリアがテーブルに円卓を叩きつける。
乗せられていた道具が宙に浮き、彼女が怒りに満ちている事を報せるには十分だった。
「そのままの立場で居られると思ってる方が驚きだよ。
アンタらは一度ミスリアを裏切った。それで、邪神が思っていたのと違うから戻ります?
そんなもんがまかり通ると思ってる方が不思議でしょうがない」
「だから自分は、操られていたと言っているだろう!」
「煩い。王宮で気絶なんかせずに、さっさと起きてりゃ回収されなかったんだ」
「そんな無茶苦茶な……」
半ば八つ当たりだが、止める者は居ない。
立場的にも、イルシオンしか止められないのだが彼にその気がないからだった。
同じ哀しみと怒りを共有しているからこそ、言えない事もある。
第一王子派から戻ってきた者達は、三者三様の反応を示す。
ラヴィーヌに操られていた為、ミスリアを裏切るつもりも、裏切ったとも思っていないと主張する筋肉質な男。
ビルフレストを裏切るつもりは無かったけれど、考えた結果シンにつく事を選んだとぶっちゃける隻腕の男。
そして、分家である劣等感から謀反の誘いに乗った。その結果、想像以上の化物を生み出したと悔い改めているのを口に出せないでいる寡黙な男。
実際に三日月島からライラスは兎も角、テランとリシュアンを連れて帰るのをヴァレリアは反対を示した。
この男達が暗躍したせいで、可愛い妹達の死へと繋がった。あの場で処刑したいぐらいだった。
ただ、ライラスが操られている事を証言したのはリシュアンだった。
邪神を顕現させて、遠巻きながら肌で感じた悪意の化身。おぞましいものだったからこそ、悔いている。
自分はどんな罰を受けても仕方が無いが、操られていただけのこの男を処刑させるのは忍びないと嘆願した。
そして、そのリシュアンを連れて帰ろうと決めたのは第三王女だった。
ひとしきり彼の顔を見つめた後、憑き物が取れた事をフローラは確認した。
フォスター家の顔を立てたいという部分もあるのだろうが、第三王女に言われては反論出来る者はいない。
戦力的にも、ミスリアの為に尽力してくれるのであれば受け入れるべきだと主張をする。こうして、リシュアンも連れて帰る事を決めた。
最期にテランだが、彼の処遇についてはシンへと委ねられる事となった。
理由は彼がシンを気に入った事により、ミスリア側へついた事に由来する。
尤も、そういう流れとなる前にイルシオンやヴァレリアは猛反対をした。
結果的に彼が第一王子派を逃がす最後の切っ掛けを生み出したのには、違いないのだから。
……*
三日月島を発つ前に、糾弾されかかっているテランはこう言った。
「シン・キーランドが許せないのであれば、その件も受け入れるよ」
言うまでもなく、シンは眉間に皺を寄せた。
テランと交戦経験のあるシンが、ミスリアの状況を考慮する。
これまでに戦った事のある魔術師でも、かなり厄介な魔術を操る実力者。
更に、ギランドレで一時休戦を申し出た時に受け入れるだけの器量はある。
明確に直前まで交戦していたリシュアンまで受け入れるのであれば、テランも引き込むべきだと考えた。
そうなると、怒れるイルシオンとヴァレリアを納得させる理由が必要となる。
テランが自分に投げたのは、自分ならその答えに行きつくからと考えているのだろう。
ニコニコと愛想笑いを振舞う彼の表情が、そう告げている気がした。
「――時間稼ぎか」
考え抜いた末に、シンが出した結論は時間稼ぎだった。
訝しむ仲間に、シンはその根拠を話始める。
「この男は、かなり前の段階。それこそ、ウェルカの事件から俺やフェリーのことを知っていた。
妖精族の里やギランドレの事件にも一枚嚙んでいる」
「じゃあ、あの時に余とシンを分断したのは」
「僕だね」
堂々とした振舞いで頷くテランに、レイバーンは頬を爪で掻く。
遠距離による攻撃を続けながら、屍人をも操っていた魔術師。
敵に回られると厄介なのは、その身を以って体験している。
レイバーンだけではない。フェリーやリタ、それにイリシャまであの時の会話を始める。
話の流れを戻そうと、シンが咳払いをした。
「そのふたつの事件を主導していたことからも、かなり中枢に食い込んでいてある程度の自由が利く人間だったと考える。
そんな人間が裏切ったとなれば、第一王子派が使っている拠点はどうなる?」
「場所がバレているなら狙われてもおかしくは――」
途中まで言いかけたところで、イルシオンをはじめとしたほぼ全員が納得をする。
フェリーとレイバーン。そして縛られているライラスだけが、首を傾げていた。
「そうだ。だから、この男が知っている拠点は全て使えない。
痕跡を消す時間と、新たな拠点を用意する時間。その分だけ、この男が稼いでくれた事になる」
「その通りだ。流石、僕の考えを見事に当ててくれて助かるよ」
「……初めから、お前が説明しろ」
「裏切り者が言うより、信頼されている君の口から説明してもらった方が説得力があるさ。
実際、皆納得してくれたようだし」
ため息を吐くシンだが、彼もまたテランに僅かながら感謝をしていた。
自分は見ていないが、戦闘が長引いていればそれだけフェリーは『魔女』で居る時間が長くなっていただろう。
フェリーが純粋な魔力の塊として扱われるのは嫌だったし、何より自分が戻ってきた時にいつもの彼女へと戻っている。
そうなれば、形勢は逆転しかねない。
ここにある全員の命は、薄氷の上で成り立っていた。
……*
「――ほら、戻る事に何も問題はないじゃないか!」
「それ以上の問題があるから、仕方なく受け入れてるんだよ! この筋肉ゴリラ!」
ヴァレリアに気圧されて、ライラスはたじろぐ。
力自慢の彼だが、ヴァレリアに稽古で勝てた試しは無い。
その為、妙な上下関係が出来上がっていた。
「自分は……。これからの贖罪は、行動で示したい、です」
「――あー! もう! お前らずっとおんなじ主張しかしねぇ!」
そう言ったリシュアンの眼差しは、真剣そのものだった。
頭をガシガシと掻き毟りながら、ヴァレリアはもう一度円卓に手を打ち付ける。
「とにかく、アンタらは四面楚歌に近い状況だと思っておくんだ。
陛下のこともそうだし、アタシは今すぐにでも妹の件で八つ当たりしたいぐらいには腹を立てている。
行動で示さなければ、後ろから討たれる覚悟ぐらいはしておくんだよ」
「……解りました。本当に、すみませんでした」
「自分もか?」
「アンタもだ」
頭を下げるリシュアンに釣られて、腑に落ちないと言った態度ながらライラスも頭を下げる。
テランもその動きに追従しながら、こうつけ加えた。
「実際、時間は稼いだ。ただ、それはあくまで邪神に対してのみだからね」
「テラン・エステレラ。それはどういう意味だ?」
訝しみながら、イルシオンが問う。
テランはいくつかの国の名前を挙げながら、こう言った。
「彼らはいくつかの国を唆しているからね。『ミスリアはじきに疲弊する』と。
尤も、アルマが王の座につけば彼らが返り討ちにしてその地位を盤石のものにするつもりだったんだけれど」
「今は、第一王子派は撤退しているぞ」
「けれど、ミスリアは疲弊している。実際に、陛下も亡くなったわけだしね。
唆したいくつかの国が、波状攻撃のように襲い掛かって来てもおかしくはない。
早い段階で仕掛けてきそうなところでは、魔導大国や砂漠の国辺りかな。
ああいや、王宮に奇襲をかけた際に、龍族の存在は国民に見られた可能性があるのか。
だったら、開き直って魔物を使ってくる可能性もあるね」
イルシオンとヴァレリアは絶句するほかなかった。
自分達の想像より遥かにまずい事態に陥っているのだと、その口から聞かされたからだった。
「デゼーレはともかく、マギアはまずいだろ……」
ヴァレリアが口元に手を当てながら、考え込む。
フェリーの魔導刃やシンの持っていた魔導弾。
実際は、市場に流通していないのだがミスリアの人間には知る由もない。
それよりも、あのレベルの魔導具で襲い掛かられると魔力の差は殆ど意味を成さない恐れがある。
あの二人に、マギアが作る魔導具の対処法を教えてもらう必要があると感じた。
「シンとフェリーは、何処に居るんだ?」
「武器が壊れたからって、確か王都に調達を……」
「ああああ! そうだった!」
イルシオンが答えると、ヴァレリアは頭を抱えた。
シンの持つミスリルの剣も、フェリーの持つ魔導刃も三日月島で壊れてしまっている。
それだけではない。アメリアの持つ蒼龍王の神剣すら、折れてしまったのだ。
国王の所持する黄龍王の神剣こそ回収をしたが、扱える者は居ない。
ミスリアでまともに扱える神器は、イルシオンの持つ紅龍王の神剣だけとなっていた。
最悪な状況が続く中、敵の魔の手は容赦なくミスリア王都へと忍び寄っていた。