幕間.知ってしまった少年と、気付いてしまった少女
彼の事情など、なにひとつ知りはしなかった。
他国の人間でありながら、ミスリアの事件に首を突っ込む者。
偶然とはいえ、殿下を救ってくださったことには感謝をしている。
王宮に現れたビルフレストやサーニャを撃退してくれたことにも感謝している。
思い返せば、あの瞬間から彼に対抗心を抱いていたのかもしれない。
決戦の地が三日月島だと示された時、今度こそは「オレたちが」という気持ちが強かった。
焦っていたのだと思う。彼らはウェルカでの戦いも、ミスリアのために尽力してくれた。
オレがフラフラと出歩いて小さな事件を解決している間に、国の根幹を揺るがしかねないず事件で大きな被害を食い止めていた。
そんな中で、オレとクレシアの二人で黄龍王に一泡喰わせたときは、「やった!」と思った。
これまでの成功体験からオレとクレシアなら、どうにかなるはずだという驕りが無かったと言えば、嘘になる。
その結果、オレは一番大切な女性を失った。さよならの言葉すら、言えないままに。
幼い頃からずっと顔を合わせて、時々咳き込む少女。
羨ましそうに外を眺めながら、その声を聴きとっては物思いに耽る少女。
物憂げな表情と、少しだけ斜に構えた態度が気になって仕方なかった。
そんな顔をしていても、クレシアはとても可愛らしいと思えたからだ。
元気になれば、どんな笑顔を振りまくのだろうと興味を持った。
王都で出逢った薬師の女性。イリシャ・リントリィが作ってくれた薬の効果は覿面だった。
クレシアはたちまち元気になって、オレと外で遊ぶようになった。
大きな口を開けて笑うことはなかったけれど、とても素敵な笑顔だった。
ただ、アメリア姉とオリヴィアの話をすると機嫌が悪くなるので、あまり話さないように心がけた。
確かにオリヴィアも口が悪い時はあるけれど、アメリア姉は優しい。どうして二人ともダメなのかは、分からなかった。
数年後。オレが紅龍王の神剣使い手として選ばれた時のことだった。
本来なら騎士団の隊長でもなんでもやるべきなのだが、オレはそれを固辞した。
世直しをしたい。かつて魔族とミスリアが争った際に神器を振るった者たちは、今でも語り継がれている。
男なら、そのような人間に憧れるのは当然のことだった。
オレの願望は、騎士団なんかでは到底叶わないことを意味していた。
だから、旅へ出ることにした。
フリガ殿下は反対したらしいが、そこは父上や陛下が上手くやってくれた。
こうしてオレは、世直しの旅を始めた。ダメ元でクレシアを誘った時に、二つ返事でついてきてくれたのは嬉しかった。
ヴァレリア姉やグロリア姉には、くれぐれもケガなんてさせないようにと釘を刺されたけれど。
「当然だ。クレシアはオレが護って見せる!」
そう力強く頷くオレを、みんなは信じてくれたのに。
オレはクレシアを失った。
クレシアを護るどころか、オレが彼女に護られた。
本当は気付いていた。いつも、いつも、彼女の魔術によるサポートがあったからこそオレは戦えたのだと。
いつもオレが戦いやすい様に、彼女は色んな無茶に応えてくれた。
その結果が、遺体すら残らないなんてあんまりだった。
第一王子派が憎かった。奴らがクーデターなど企てなければ、クレシアは死ななかった。
邪神が憎かった。あんな存在が生まれなければ、クレシアは死ななかった。
ビルフレストが憎かった。クレシアの紡いできたものを、根こそぎ奪ったアイツが。
でもなにより、自分が一番許せなかった。
彼女を巻き込んでおきながら、自分だけのうのうと生きていることが。
護ると約束しておきながら、ずっと護られていたことが。
英雄になると言っておきながら、そんな振舞いをなにひとつ見せられなかったことが。
心から愛していたのに、つまらない誇りで一切口にしなかったことが。
クレシアがいなくなってからは、もう何も視えてはいなかった。
ただ、オレからクレシアを奪ったビルフレストが許せなくて、怒りに身を任せた。
自暴自棄になっているオレを救ったのは、魔女だった。
オレでは到底生み出すことの出来ない炎。地獄の業火と呼ぶに相応しい炎が、三日月島を破壊する。
邪神もビルフレストも苦痛に悶えている。クレシアの仇が苦しんでいる様を見るのが、気持ちよかった。
英雄になるという誓いはとっくに頭の中から消えていた。
だから、許せなかった。シン・キーランドが。
あの男が魔女の前に現れるだけで、ただの少女へと戻ってしまった。
クレシアの仇を取るためには、魔女の力は不可欠だった。
シン・キーランドが魔女を少女に留めておくのであれば、どうすればいいかは簡単だった。
殺してしまえばいい。代償としてオレは魔女によって殺されるかもしれないが、一向に構わない。
要はビルフレストさえ殺してくれればよかった。
けれど、彼はそれを良しとしなかった。
あまつさえ、自分が世界を救うと言ってみせた。
クレシアを失って、実力の差を見せつけられて、オレは自然とその選択肢を封印していたのに。
疲弊したオレの攻撃をマトモに喰らっているこの男が、軽々と口にしたのは受け入れ難かった。
同時に羨ましくもあった。彼にはまだ救いたい、護りたい相手が居るということに。
でもそれは、この男がまだ何も失っていないからだ。失うことの辛さを知らないからだ。
だから簡単に覚悟を持つことが出来る。誓うことが出来る。失う痛みを知らないから。
彼に敗れた後でもそう、思っていた。
けれど、敗けた事実には変わりない。シン・キーランドにも、フェリー・ハートニアにも非礼を詫びるべきだと近寄った時だった。
――俺のせいで、父さんや母さんは死んだ。
不意に聞いてしまった言葉。彼もまた、大切なものを失っていた。
会話の流れで、魔女が故郷を燃やしたのではないかと読み取ることは簡単だった。
このまま聞いてはいけないと思ったオレは、その場を後にした。
「……シン・キーランド」
フェリー・ハートニアと別れた彼を、オレは呼び止めた。
見上げた先にある、シン・キーランドの瞳はとても澄んでいた。
「イルシオン・ステラリードか。どうした?」
「さっきは、済まなかった……! 聞いてしまったんだ、あなたの故郷のことを。
オレは何も知らず、あんなことを……」
どんな罵倒だって受け入れるつもりだった。
自分だけが不幸だと思っていた大馬鹿野郎を、罵って欲しいとさえ思った。
「俺が腹を立てたのは、フェリーを復讐の道具にしようとしたことだけだ。
他のことは、どう言われても気にしていない。
お前の言う通り、俺だけに過去を変えられる可能性があったのは事実だ」
シン・キーランドは、なにひとつオレの希望通りには動いてくれなかった。
魔女を呼び出そうということも、謝罪を受け入れて欲しいということも。
「しかし、それではオレの気が……!
オレは人道に外れたことをしかけた。あなたになら、どんな裁きでも受け入れる!」
赦してもらいたいというよりは、罰せられたかった。
自分勝手極まりないが、心に抱えた重みを少しでも軽くしたかったのだろう。
シン・キーランドは困ったような顔をして、眉間に皺を寄せる。
少し考えた後に、彼は裁きをオレに下してくれる……はずだった。
「だったら、お前も世界を救うのを手伝ってくれ。その為の神器だろう」
「……え?」
罰にもならない罰を口にした彼は、こう続ける。
「お前は俺を殺そうとしている時も、ずっと神器を振るっていた。
俺が掴んだ瞬間に重みが増したように、神器はお前以外を拒絶していたんだ。
だから、口では『殺す』と言ってもお前はそこまで堕ちていないと思っていたよ」
「紅龍王の神剣が……?」
オレは困惑することしか出来なかった。彼に指摘されるまで、神器に見放されていないことに気付いても居なかった。
紅龍王の神剣の刀身を見つめると、月の光を浴びて朱に染まっている。
鞘に納めようとすると、いくつかの装飾品が指に触れる。
どんな小さな事件でも、誰かの役に立つ度に増えていった装飾品。
オレを護るために砕けていったものもあるけれど、まだいくつかはその形を保っている。
クレシアが、オレに遺してくれたもの。
「う……。うぅ……」
嗚咽を漏らしながら、涙が零れていく。
クレシアも、紅龍王の神剣も。こんな情けないオレを見棄てないでいてくれている。
目の前にいるシン・キーランドもそうなのだと、漸く気付いた。
殆ど面識のないオレのためを思って、決闘を受けてくれたのだ。
「あり、がとう……」
オレは英雄にはなれない。相応しくないのかもしれない。
けれど、この人の力にはなれるかもしれない。なりたいと、心から思った。
……*
あたしはシンが好き。好きって言っちゃった。
シンも、あたしが好きだって言ってくれた。
こんなに幸せなコトが現実にあるのだろうかと、ほっぺたをつねってみる。
痛い。ちゃんと、痛い。
「……えへへ」
夢じゃない。あたしたちは、好き同士だった。
その事実が頬を緩ませる。これでもかというぐらいに緩ませる。
モチロン、浮かれている場合じゃないのもわかってる。
邪神は出てきちゃったし、戦っていた敵もいつの間にか逃げてしまった。
あたしがやっつけたってみんなは言っていたけど、あたしにはその記憶がない。
カランコエがなくなった時みたいで、ホントはちょっとだけ怖かった。
そして、そのカランコエを燃やした『罪』さえもシンは持っていってしまった。
ほんとうは誰よりもツラいのに、シンはきっとあたしのためにそうしてくれた。
思い返せば、いつもそうだった。シンが優しくなかったコトなんて、なかったんだ。
きっとシンは、あたしが何を言ってもムダだと思う。
あたしを悪者になんて、ゼッタイにしなさそう。
だったら、あたしにも考えがある。
シンのしたいコトをゼンブ、手伝っちゃえばいいんだ。
ふたりでいっしょに、世界を守っちゃえばいいんだ。
そしていつかフツーになって、ずっといっしょに暮せたらいいな。
「……あ」
なんて甘いコトを考えていたら、とんでもないコトを思い出してしまった。
あたしは、自分がシンにキラわれていると思っていた。
シンはいつかあたしを殺してくれるし、そうなればシンは自分のためにいろんなコトができると思っていた。
その時に、シンを支えてくれるヒトがいたらいいな。誰か、シンのコトを好きになってくれたらいいな。なんてバクゼンと考えていた。
当て嵌まりそうな人がいたのだ。ひとりだけ。
アメリアさんは、きっとシンのコトが好きだ。
そしてあたしは、そんな二人を応援しようと名前で呼び合うのを手伝ったりした。
「あああああああ! どーしよ、どーしよ、どうしようううううう!!」
サイッテーだ! サイテーだ、あたし!
アメリアさんのコト応援しておきながら、自分が先にシンへ好きって伝えちゃった!
そりゃあ、たしかにずっとシンのコトは好きだったけど、やっていいコトとわるいコトがある!
「――フェリーさん?」
頭を抱えるあたしに声を掛けたのは、他でもないアメリアさんだった。
どうやら、王様のところへ行って戻ってきたところらしい。首を傾げてあたしを見てる。
「アメリアさぁん……」
涙目になるあたしを見て、アメリアさんは困った顔をするしかできなかった。
「……なるほど。話は分かりました」
あたしの話を、アメリアさんはずっとマジメな顔をして聞いてくれた。
ミスリアが大変なコトになっていて、あたしのせいで神器が壊れちゃったのに、それでもちゃんと聞いてくれる。
「えと、その……。ごめん……なさい」
あたしはただ、もじもじと指先同士をくっつけるしかできない。
アメリアさんから見たあたしは、サイテーと言われても仕方ない。
「まずは、おめでとうございます。シンさんとフェリーさんの誤解が解けたことも、お二人が気持ちを伝えあったことも。
とても素晴らしいものだと思います」
「……え?」
これ以上ない優しい顔で微笑むアメリアさんを、あたしは直視できなかった。
どんなコトを言われても、受け入れるしかないと思っていたのに。
「……オコって、ないの?」
「怒るなんて、とんでもないですよ。私がシンさんと普通にお話できるようになったのも、フェリーさんのお陰ですし。
それにフェリーさんがシンさんを好きなのは、すごく伝わっていましたから」
「うぅ……」
イリシャさんやリタちゃんとはたくさんお話をしたけど、アメリアさんにはそんなコト言ったつもりなかったのに。
バレバレだったのだと思うと、すごく恥ずかしくなってきた。
「シンさんだって、フェリーさんのことを大切に想っているのは見れば分かりましたし。
お二人が好き同士でも、私は別に驚いたりはしませんよ」
「……ほんと?」
「ええ」
微笑むアメリアさんを見て、あたしは大きく息を吐いた。
ずっとキンチョーしていたのが、一気に解けた感じだった。
「よかったぁ。アメリアさん、シンのお母さんにフンイキも似てるし。
もしこれから、取り合いになったりしたらどうしようって」
「一番大切なのは、シンさん自身の気持ちですから。
けれど、いいことが聞けました」
「え?」
あたしが安心しただけなのに、どこにいいコトがあるんだろう?
「シンさんとお母さんは、仲が良かったのですか?」
「う、うん。シンは家族みんなとなかよしだったよ」
「なら、私もまだ諦めきれませんね」
「え? ええ?」
アメリアさんが何を考えているかわからなくて、あたしは瞬きするコトしかできなかった。
「私もフェリーさんのように、シンさんから好きと言ってもらいたいです。
だから好きになってもらえるように、精一杯頑張りますね」
「えと、それはどういう……」
「では、フェリーさん。私はこれで」
「え? あの、アメリアさん!?」
ニコりと頭を下げたアメリアさんだけど、顔を上げた時にはもう騎士の顔になっていた。
まだやるべきコトがたくさんあるんだと思うと、呼び止めるコトができなかった。
シンが色んな人に好かれるのは嬉しいし、アメリアさんがオコってないのもよかった。
けど。だけど。
「これってもしかして、ライバルって……やつ?」
あたしが思った以上に、アメリアさんはフトコロが広くて。
あたしが思った以上に、アメリアさんはシンが好きみたいだ。
負けていられない。シンを一番好きなのは、あたしだ。