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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第一部:第十一章 選んだもの、誓ったもの
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幕間.アンダルが紡ぐもの

 恐る恐るジョッキを口につけ、その一口目を口内へ受け入れる。

 その様子を見て儂は、目の前にいる男が本当に初めて酒を飲むのだと実感した。


 口に合わなかったのだろうか、しかめっ面でジョッキから口を離す。

 あまりにも不味そうに飲むものだから、こっちの酒まで不味くなりそうになる。


「おい、いくらなんでもビビりすぎだろう。

 もっとこう、グイっと飲むんだよ」

「そうは言っても、ちゃんと味を確かめないと」


 シンは唎酒でもするかのような反論を示す。

 なんやかんや味の分析をし始めたようだが、それはあくまで酒を愉しめる人間がすることだ。

 初めて酒を飲んだ人間が、毒見をするように味わっていても仕方がないだろうに。

 

「この酒は喉越しが一番なんだ。お前の飲み方だと、旨いと思えないんだよ!」

「わ、わかったよ……」


 儂の言ったことを素直に聞いて、シンはジョッキの中身を喉へと流し込む。

 顔を真っ赤にしながら、頬をテーブルに張り付けたのはそれから間もなくしてのことだった。


 ……*


「うー……」


 起きてるのか寝てるのか判らない状態で、シンはテーブルに突っ伏している。

 そんなに強くない酒なのに、まさか一杯目でダウンするとは。


 息子と酒を飲むという、漠然とした夢があっさりと終わりを告げた。

 まぁ、本来なら叶わなかった夢だ。一杯だけでも付き合ってくれたことに感謝するべきだろうか。


「なぁ、シン。起きてるか?」

「起きれる……」


 聞こえてはいるようだ。微妙に呂律が回っていない気もするが。

 この数日、シンのことを儂なりに見ていた。

 

 遺跡や洞窟における探索で、窮地の人間を救ってそのまま詐欺に貶めるような人間は後を絶たないからだ。

 助けてもらった。ましてや命の恩人なら、その相手に対する心理的ハードルは下がりやすい。


 ただ、ああ見えてイリシャは決して警戒心が薄いわけではなかった。

 ギルドで彼女へ言い寄る男は少なくない。あの美貌なのだから、言い寄る男の心理は同意できる。

 

 やんわりと、しかしはっきりと断るが男共は食い下がる。シーリンにどことなく似ている雰囲気から、儂はイリシャを放っては置けなかった。

 庇護欲というやつだろうか。護らなくてはならないと、思ってしまったのだ。

 尤も、他の男同様に儂も送り狼だと思われていたらしいが。


 そんな彼女が、洞窟で初めて出逢った人間に気を許したというのが意外だった。

 いや、少しだけ嫉妬していたのかもしれない。どれだけ彼女の信用を得るのに必死だったと思うんだと、八つ当たりをしていた。

 だからこの小僧を、儂なりに見極めていた。


 洞窟も、野営の時も、シンは決して周囲への警戒を怠らなかった。

 儂やイリシャのことは信用しきっている反面、他の全てに神経を張り巡らせていたように感じた。


 思えば、シンも必死だったのだ。

 今でも信じがたい話なのだが、30年も先の未来から現れて、縋るものが欲しかったのかもしれない。


 この男なりに、信用を得たかったのだろう。

 疑い深く観察していたのは、少し悪いことをしてしまった。


 それはさておき、その神経を張り詰めていた男がこうやってその意志を緩めてしまっている。

 チャンスなのではないかと、儂はシンに訊くことにした。


「なぁ、シン。お前の好きな女の子のことなんだがな。

 おっと、名前は言うなよ。儂の考える楽しみが減るからな」

「んー? ろーしたの?」


 シンはもごもごと口だけを動かしている。

 今にも眠ってしまいそうな意識を、辛うじて保っているようだ。


「どんなところが、好きなんだ?」


 儂がいつ頃死ぬかは知らんが、もしかするとそういうことを言うのが照れくさい時期かもしれんからな。

 訊けるうちに訊いておくに限る。子供(ガキ)のシンをからかうのに使えるかもしれんしな。

 

 そう思ったのだが、シンは一向に答えない。

 寝てしまったのかと顔を覗いでみるが、ぼーっとテーブルの木目に視線を合わせていた。


「んーと……」


 もごもごと口を動かす。ええい、じれったい。さっさと言わんか。

 儂の念が通じたのか、シンは漸くその答えを口にする。


「わかんない」

「は?」


 おいおい、誤魔化すにしてももっとこう、なにかあるだろう。

 もどかしくなる儂の心を、シンが追撃する。


「ぜんぶすきらし、あんまかんがえたことない……」

 

 儂は言葉を失った。

 酔った勢いとはいえ、なんとまあ立派な惚気を聞かせてくれるんだ。


「あいつもおれのこと、すきらったらいいな……」

「それはお前の努力次第だな」

「うん。わかった……」


 それからシンは、むにゃむにゃと眠ったり起きたりを繰り返していた。

 寝ぼけながら儂のことを話していたが、想像以上に憧れているらしい。

 儂の冒険譚をたくさん聞かせてくれる。それ、体験したの儂自身なんだが。


 ただまぁ、慕われるというのは悪くないと思った。


 ……*


 儂がフェリーを引き取ったのは、シンの言った通り10年後のことだった。

 フレジス連邦国から砂漠の国(デゼーレ)へ向かう馬車。

 道中魔物に襲われている馬車の中に、その少女は居た。


 金髪の少女以外は、救けることが出来なかった。

 怖い思いをさせてしまったと、儂は少女にただただ謝った。

 何が起きたのか理解していないのか、ぽかんと口を開けていた。


 髪はボサボサで、服も身体もずっと洗われていないのか異臭を発している。

 無造作に伸びた前髪を持ち上げると、その碧眼は無垢そのものだった。


 周囲にいる他の子供や、食い破られている男達の死体。

 まき散らされた紙や、逃げないようにするための首輪や鎖。

 その時、儂はこの少女がどういう運命を歩もうとしていたのか理解をした。


「う?」


 いたいけな少女は、何も知らずに小首を傾げている。

 知る必要はないと思った。同時に確信をした。この少女こそが、シンの言っていた少女なのだと。


「なんでもない。儂と、帰ろうか」


 助けられなかった他の命を丁重に埋葬した上で、少女を抱きかかえる。

 目線が高くなったことで景色が変わったのか、少女はニコっと笑っていた。


 ……*


 シンやイリシャと訪れた時から、儂は定期的にカランコエに顔を出していた。

 いつしか常連のような存在となり、住みたいと行った時も快く迎えてくれた。

 

 とはいえ、流石に子供を引き取ってきたとなっては村中が天手古舞だった。

 ケントのやつなんて「攫ってきたわけじゃないですよね?」とかぬかしやがる。失礼な奴だ。


 女の子だから、カンナさんが一生懸命に髪を梳かしたり、身なりを整えたりと一通りの世話をしてくれた。

 二児の母親となった彼女は、慣れた様子だった。


 その様子を四歳のシンと、妹であるリンちゃんがじっと見ている。

 この時期のシンはまだ可愛げがある。儂が来るとよく「じいちゃん」と言って駆け寄ってくれた。

 いや、大人になってもその点はあまり変わらなかったかもしれないが。


「アンダルさん。この子、なんてお名前なの?」

「名前は『フェリー』にした」


 カンナさんに訊かれたので、儂は考えていた名前を伝える。

 元々はシーリンと子供が出来た時に考えていた名前だった。結果、それが叶うことは無かったのだが。


年齢(トシ)はええと……フェリー、いくつだ?」

「う?」


 問題は年齢だった。カランコエに移動するまでの間、様々なことを思い知らされた。

 フェリーは言葉を喋ることが出来ない。最初の風貌から予想していたことだが、両親からまともな教育を受けている様子は無かった。

 言葉そのものに触れる機会が無かったのか、こちらが何を言っても理解もしていない。


 なので、実際の年齢は判らない。ただ、それほど重要なこととも思わなかった。

 大人のシンだって何も言ってなかった。だから、儂はこの場でフェリーの年齢を決める。


「そうだよな、判らないよな。カンナさん、シンは四歳だったよな?」

「ええ」

「だったら、フェリーも四歳だ。それでいいだろ、フェリー?」


 言葉の通じないフェリーは小首を傾げるが、儂の笑顔に共鳴するようにぱあっと笑う。

 シンの言っていた通り、この子の笑顔は可愛らしい。

 こうして、フェリーはシンと同い年ということになった。

 

「はい、これ。お口に合えばいいんだけど」


 カンナさんが作った食事を、フェリーは眼を丸くしてみていた。

 どれもこれも見たことが食べ物に、どうすればいいのか判らない様子だった。

 

 美味しそうな匂いに食指が動いたのか、フェリーはそれを鷲掴みする。

 一度蒸されて柔らかくなった野菜が圧し潰されて、手の隙間からはみ出る。


「フェリー……」


 一緒に出されたスプーンやフォークに目もくれず、フェリーは野菜を掴む。

 そして、口の中へ押し込んでいった。

 舌に野菜を乗せ、上顎で圧し潰すようにしてから呑み込む。

 これも引き取ったばかりの、彼女の特徴だった。


 歯はきちんと生えているにも関わらず、決して使おうとはしない。

 使えば咀嚼音がするからだろうか。可能な限り音を殺して、そしてゆっくりと呑み込む。

 ただ、食器の使い方も知らない彼女の手と口周りは汚れてしまっている。


「カンナさん、悪い……」

「気にしなくていいんですよ」


 そう言って微笑むカンナさんだが、儂はこの状況を良く思ってはいなかった。

 生みの親の元で、どれだけ辛い思いをしてきたのだろうかと思うと胸が痛む。

 せめて儂は、精一杯の愛情をもって接してやらなくてはならない。

 そう思った時だった。


「ほら、よごれちゃってるだろ」


 徐にフェリーへと近寄ったシンが、彼女の手と口元を拭き取る。

 そしてそのまま空いた右手にフォークを握らせると、野菜に突き刺した。


「これは、こうやってたべるんだ」


 シンも隣で、自分のフォークで野菜を取る。

 そしてそのまま口へ運ぶと、フェリーが真似をした。


「かあさんのりょうり、おいしいだろ?」


 フェリーに言葉の意味は通じてなかっただろう。

 しかし、シンの笑顔に釣られるようにフェリーも笑っていた。


「あらあら、シンったら。妹が生まれてから、すっかりお兄ちゃんぶりたくなっちゃったんです。

 アンダルさん、ごめんなさいね」

「……いや、助かるよ。カンナさん」


 そうだ。儂だけじゃない。

 むしろ儂よりも、深い愛情を抱く人間がここに居るじゃないか。


「シン。フェリーのこと、頼んだぞ」

「まかせてよ! おれ、おにいちゃんだからさ!」


 儂が頭を撫でると、シンは満面の笑みでそう答えた。

 フェリーが羨ましそうに見上げているので、もう片方の手でフェリーの頭を撫でてやった。


「おれはシン。よろしくな」

「……ちん?」

「ちーがーうー! シン!」

「う?」


 微笑ましい二人のやり取りを見て、儂とカンナさんは顔を見合わせて笑っていた。

 和やかな雰囲気を察知したのか、リンちゃんまでシンにしがみついて「にーに」とズボンを引っ張る。

 それが楽しそうだったのか判らないが、フェリーもリンちゃんの真似をしていた。


 シンが居るなら、大丈夫だろうと儂は安心をした。

 今まで享受できなかった分も、幸せを取り戻してくれるだろう。


 ……*


 それから、8年が過ぎた。

 フェリーは益々可愛らしくなって、将来が楽しみだ。


 儂はというと、身体の調子が良くない。そろそろ、お迎えが来るのだろうと自分でも判る。

 フェリーには黙っている。この娘は儂の宝だ。曇った表情を見たくなかった。

 我儘でフェリーを振り回しているのは、重々承知している。


「なぁ、フェリー」

「どうしたの? おじいちゃん」


 小さいころからずっとやっている、小首を傾げる癖。

 とても可愛らしいのだが不安にもなる。シン以外の村中の男共も、虜にしてしまうのではないかと。


「シンのこと、好きか?」

「え?」


 動揺を隠せないまま、フェリーは両手で抱えていたコップの水を溢す。

 それだけで、もう答えなのだ。満足はしたのだが、この際はっきりと訊いておこうと思った。


「アイツのどこが好きなんだ?」

「まだ好きって言ってない!」

()()って言ってる時点で、好きなんだろう?」

「うぅ。おじいちゃんのイジワル」


 コップを口につけ、フェリーは口元を隠す。

 目線も逸らしているが、紅潮している顔は隠しきれていない。


「で、どこが好きになったんだ?」

「考えたコトない。ぜんぶ、すきだし……」


 既視感があった。もうずっと昔になってしまった話。

 儂がこの村の酒場で、大人になったシンから聞いた話。


 なんてことはない。シンとフェリーは互いが惚れた部分まで同じだったのだ。

 そう思うと、笑いが零れてしまって仕方がない。


「ふ、ふふ。ははははは」

「なんで笑うの!?」

「いや、そうだよな。全部好きだよな。じゃあ、そろそろ寝るか。

 明日もまたシンに会わないといけないし、カンナさんも朝ごはん作って待ってくれているだろう」

「そこにシンはかんけーないよ……。おやすみ、おじいちゃん」


 照れくさそうにしながら、フェリーは布団へと潜り込んだ。

 耳まで真っ赤にしているのを見て、儂はもう一度笑いながら灯りを消した。


 これなら大丈夫だ。

 シンもフェリーも、きっと互いを支え合って生きていける。


 シーリンが居なくなって、どうするべきか悩んでいた。

 儂にとってシンとの出逢いは、祝福だった。

 娘が出来て、息子が出来て。こんなに満たされた人生を全う出来て、感謝しかない。


 シーリンは逢いに行くのが遅くなったことを怒るような人間ではない。

 それどころか、儂の話をきっと楽しそうに聞いてくれるだろう。

 逢わせてやることは出来なかったが、あの世でたくさん話をしよう。


 儂の愛した娘と、娘が出来る前からプロポーズをしてきた男の話を。


(シン。約束、ちゃんと守れよ)


 大切なもの。愛すべきものを託せる人間がいることが、こんなに幸せだとは思ってもみなかった。

 これ以上ない穏やかな気持ちで、儂は瞼を閉じた。


 ……*


 翌日。

 キーランド家で、いつものように朝食を頬張るフェリーの姿があった。

 

「あれ、アンダルじいちゃんは?」

 

 昨晩、フェリーはアンダルと変な会話をしてしまった。

 故にシンの顔を見ると、多少なりとも意識してしまう。

 シンがそれを知る由は無く、誤魔化すようにフェリーは咀嚼を会話を進めていく。

 

「んーとね。起こしたんだけど、ゼンゼン起きないの。

 だから、『先にゴハン行くからね』って言っておいた」

「ふーん。珍しいこともあるんだな」

「ね」


 なんてことない会話だったが、ケントとカンナは互いの顔を見合わせた。

 子供達には隠していたが、アンダルの体調が優れない事は本人から聞かされていた。


「フェリーちゃん。後で、アンダルさんのところも行ってもいい?」

「うん! ゼンゼンだいじょぶだよ!」


 フェリーが眠る様に息を引き取ったアンダルと対面をしたのは、それからすぐ後の事だった。

 状況が受け入れられず、ずっと泣きじゃくるフェリーの手をシンはただ握る事しか出来なかった。


 対照的に、アンダルの表情はとても穏やかなものだった。

 満足そうに、眠っている。やるべき事を成し遂げた人間の顔をしていた。

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