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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第一部:第十一章 選んだもの、誓ったもの
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155.『救い』のかたち

 三日月島の夜は更けていく。

 フローラはアメリアとオリヴィアを連れて、この場を離れた。

 (ネストル)の亡骸を、弔うために。


「おとう、さま……」


 王宮ではなく、魔物の彷徨う島での最期。

 哀しみの顔を映したまま死を迎えた(ネストル)に重なるのは、姉である第一王女(フリガ)の姿。

 黄龍王の神剣(ヴァシリアス)によってグチャグチャに裂かれた彼女の姿を直視できず、フローラは目を逸らした。


「フリガ姉様……」


 フローラにとって、フリガは決していい姉では無かった。

 常に王位継承権について文句を言っていたし、何なら継承権の改正まで訴えていた。

 振り回される家臣も嫌という程目にしてきた。


 それでも、姉なのだ。

 母が違えど、同じ父から生まれた事には違いない。

 このような姿を見て、無感情でいられるほどフローラは冷徹な人間では無かった。


 だからこそ理解できなかった。

 (ネストル)も、実の姉(フリガ)の命さえも奪った(アルマ)の心境が。


「フローラ様。その、ご遺体は……」


 躊躇いながらも、アメリアが問う。

 非業の死を遂げた国王の亡骸を、このままにはしておけなかった。

 辛い選択を迫る事になるが、遺されたフローラが決めるべきだった。


「……ここに、埋葬しましょう。連れては、帰れませんから」


 王都に連れて帰ってあげたい気持ちと、母に見せる訳には行かないという気持ちがせめぎ合った。

 結果、フローラは三日月島(ここ)で埋葬すると決めた。遺体を見て悲しむ(フィロメナ)の姿を、見たくはなかった。

 せめてもの生きた証として、父と姉の髪を遺髪として持ち帰る事に決めた。


 フローラはその間、涙を流す事は無かった。

 本心では泣いてしまいたかった。けれど、泣けなかった。

 彼女もまた、まだ現実を受け入れられなかったからだった。


 ……*


「本当に、シンはいつもいつも……」


 傷薬を塗り、包帯を巻きながら、そこへ愚痴を添える。

 イリシャは慣れた手つきで、シンの傷を治療していた。


 あちこちにある裂傷や火傷は、痛々しさがあった。

 自分の身体も少しは大切にするべきだと、イリシャはシンを嗜める。


「すまない」

「ま、いいわ。フェリーちゃんも怒ってないみたいだし」


 フェリーの様子を見ると、どうやらリタ達に謝っているようだった。

 きっと魔女として暴れた事なのだろう。遠くにいて被害の少なかったリタは「気にしないで」と手を振っている。


 シンは魔女となって暴れるフェリーの姿を見ていない。

 故郷(カランコエ)が消滅した時もそうだった。彼の瞳に映るのは、いつも幼馴染の少女の姿。


「やっぱり、フェリーちゃんにはシンが必要なのよ」

「そうだと、いいけどな」

 

 治療を続けながら、イリシャが言った。

 確信めいたものがある。シンがいるからこそ、彼女の精神は安定しているのだと。

 フェリーが不老不死になって10年間。シンが答えに到達できなかった理由が、そこにあった。


 ――彼女の中には、()()がいる。

 

 かつてテランが、シンへ送った言葉。

 どう確かめるべきか悩んでいたその言葉が、重く圧し掛かる。


 その『魔女』に、自分は対面できていない。

 アンダルとの約束を守るためには、フェリーの中に潜むモノとの邂逅は避けられない。

 自分が居ては、『魔女』が表に出てくる事はない。

 シンはジレンマに陥っていた。これから先の行動を、考え直さなくてはならない。

 

 ただ、今は再会できた事を素直に喜ぼうと思った。

 色んな可能性が示された中で選んだ、最も大切なもの。

 逢いたくて堪らなかった少女が、手の届く位置にいる。

 今はそれだけで良かった。


「はい、終わり。もうフェリーちゃんのところへ行っていいわよ」


 治療を終えたイリシャが、シンの背中を軽くはたく。

 背中にその感触を残しながら、イリシャは呟いた。


「がんばってね」


 そう言って見送るイリシャは、優しく微笑んでいた。


 ……*


「シン。その、ケガはだいじょぶ?」

「ああ、大したことない。イリシャも治療してくれたしな」


 シンが軽く身体を動かして見せると、フェリーははにかんだ。

 あまりフェリーに心配を掛けないようにと、傷口を完全に隠してくれたイリシャに感謝をした。


「それでね、その。お話するまえに……。ひとつだけ、訊かせて?」

「どうかしたのか?」


 もじもじと指を付き合わせながら、フェリーがシンの様子を窺う。

 自惚れているだけなのかもしれないと、不安が脳裏を過る。

 それでも、確かめなくてはならなかった。シンの事が好きだからこそ、きちんと確かめたかった。


「あのね、えっと」


 そう決めたはずなのに、いざ口にするのには勇気がいる。

 もし勘違いなら、どんな顔をすればいいか分からない。

 逡巡するフェリーを、シンはじっと待った。


「ゆっくりでもいい。俺は、いつまでも待ってる」


 優しい言葉を掛けてくれるシンを見て、フェリーも腹を括った。

 これからもシンと一緒に居る為に、どうしても知りたかった事。

 10年間、怖くて抱いていた不安を言葉に乗せる。


「シンは……。その、あたしのコト、キライじゃ……ないの?」


 ちらりと彼の顔を窺うと、眉間に皺を寄せているのが判った。

 やっぱり訊くべきでは無かったと、頭を抱える。


「……どうして、そう思うんだ?」


 この時、シンは本気で困惑をしていた。

 何がどうなって、そういう疑問を抱いたのか。思い当たる節が全くない。

 だから純粋に訊き返しただけなのだが、フェリーは今にも泣きそうな顔をしている。


「だ、だって。その。あたしをはじめて殺したとき……。

 シン、死んでないあたしを見ては、吐いてたから……」


 フェリーにとっても、シンにとっても思い出したくない記憶。

 あの時、死ぬ事が出来なかったフェリーはシンの脇にある吐瀉物を見てしまった。

 彼女はそれを、人ならざる者への拒絶だと受け取った。


「あれは違う。その、俺がフェリーを殺すのが……、耐えられなかっただけだ。

 殺したくなんてなかった。自分に嘘をついてまで無理をしていたら、吐いてしまったんだ」


 シンもまた、この時初めて知る事となる。

 自分の心の弱さ故に吐き出した物を、フェリーがそんな風に捉えているなんて思ってもみなかった。


「そう……なの? じゃあ、あたし……。シンにキラわれてないの?」

「それは絶対にない! 俺がフェリーを嫌いになった事なんて、一度もない!」


 少しだけ気恥ずかしさもあったが、シンははっきりと否定をした。

 曖昧な返事をして誤解を生むなんて、もうしたくなかった。


「よか……った。よかった。あたし、シンに……キラわれて、なかった……」

 

 気付けば、フェリーは大粒の涙を溢していた。

 思い返せば、簡単に気付けるはずだったのだ。


 マレットの家に閉じこもっている時も。

 10年間も自分の我儘に付き合ってくれていた時も。

 そして今日、自分を『護る』と宣言してくれた時も。


 シンはいつも、自分の身を案じてくれていた。

 好意から来るものだと心の奥底で否定をしていたのは、自惚れたくないから。

 故郷(カランコエ)を、シンの家族を殺したという罪悪感から、自分は幸せになってはいけないと言い聞かせていたから。


 自分は怨まれて当然なのだと、嫌われて当然なのだと思い込んでいた。

 10年間陥っていた自己嫌悪が、ついに解ける。

 大好きで優しい、彼の手によって。


「悪い、フェリー。俺もちゃんと、言うべきだった」

「ううん。あたしも、ごめんね」


 フェリーは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも微笑む。

 その姿をとても愛おしいものだと感じながら、シンはその涙を拭った。


 ……*


 それからシンは、30年前の事を話し始めた。

 何よりも話す必要があると感じたのは、彼女も大好きだったアンダルの事。


「おじいちゃんと、一緒に冒険したの? いいなあ」

「最初は凄く怒鳴られたけどな。イリシャにちょっかい掛けてると思われて」

「あはは。おじいちゃん、イリシャさんのコト好きだったのかな?」


 フェリーはアンダルに魔術を習っていた頃、上手くできないシンへ怒っていた光景を思い出す。

 大人になったシンとアンダルは、どんな風にやり取りをしていたのだろうか。

 羨ましいし、その輪に加われなかった自分が少しだけ残念に想えた。

 

「いや、亡くなった奥さんのことがずっと好きだったみたいだ。

 ネクト諸島にお墓があるみたいだし、今度お参りに行くか」

「うん。あたしにとってのおばあちゃんだね!」

 

 逢った事は無いけれど、大好きだったアンダルが大好きだった女性(ひと)なのだから、素敵な女性(ひと)に違いない。

 急に現れて驚くかもしれないけれど、フェリーはきちんと挨拶をしたいと思った。


「それで、じいちゃんと約束した。フェリーを一生護るって。

 だから、俺はもうフェリーを殺さない。……殺したく、ない」


 そう語るシンは真剣そのもので、フェリーは真っ直ぐな瞳に引き込まれる。

 嬉しい反面、彼にずっと無理をさせていたのだと悟る。


 フェリーは自分の心に問いかける。

 本当に、死にたいのかを。


(……違う、よね)


 ただ、赦されたかっただけだった。

 シンに申し訳が立たないから、せめて復讐を成し遂げられればと思っていた。

 そのシンが『殺したくない』と言ってくれている。だったら、その通りにするべきだった。


「……うん。ありがと」


 フェリーは気付いた。『死』は決して自分への『救い』とならない事を。

 頷くフェリーの姿を見て、シンも安堵した。

 そして、もうひとつ。シンがフェリーを殺したくない。殺さなくてもいい理由を話さなくてはならない。


 まずは、カランコエに立ち寄った事を話した。

 その上で、ケントやカンナと逢った事も。

 シンが「まさか父さんに嫉妬されるとは思わなかった」というと、フェリーがくすくすと笑っていた。


 やがて段々と、シンの言葉尻が重くなる。

 唇が渇く。怖いのだ。決断した事を、彼女へ話すのが。


「――それで、カランコエを消滅させたのが誰だか判ったんだ」


 突然の事で、フェリーは身体を強張らせる。

 あれは自分がやったはずなのだと、今でも思っている。

 記憶がないなんて逃げずに、これから先も背負っていくつもりだった。


「だれ、なの……?」


 それでも、訊いてしまった。

 もしかするとまだ赦される部分があるのかもしれないと、フェリーは淡い期待を抱いた。

 訊くべきでは無かったと、すぐに後悔をした。


「――俺だ。俺が、じいちゃんにお願いしいたんだ。フェリーに逢いたいって。

 俺のせいで、父さんや母さんは死んだ。フェリーは何も、悪くなかった」

「な……んでっ!? どうして、そんなコトしたの!?」


 フェリーは思わず詰め寄ってしまった。

 やはり自分が居なければ、カランコエが消滅する事は無かった。大好きだったシンの家族が、壊れる事は無かった。


「どうしても、逢いたかったんだ。フェリーのいない人生なんて、考えられなかった。

 好きなんだ、フェリーが。何に変えても、ずっと傍に居たい。全部、俺の我儘だ」


 シンは「それに、今回の件でフェリーの中に誰かが居ると判った。故郷を燃やしたのはそいつかもしれない」と続けた。

 だが、フェリーの耳にその部分は一切入っていなかった。


(好きって言った……? シンが、あたしを?

 さっきはずっと護るって。えと、ええっと……。

 でも、でも――)


 思いがけない告白に、フェリーの頭はぐるぐると色んな感情が駆け巡る。

 嬉しかったり、むず痒かったり、僅かに緊張をしたり。

 心の奥底では、負い目もある。彼は自分が悪者になってまで、『罪』を背負ってまで、自分を選んでくれた。


 それは果たして正しかったのだろうか。正しい答えを出せる者は、何処にもいない。

 ただ、これ以上彼とすれ違いたくはなかった。互いを思いやるが故に互いを苦しめる事は、したくなかった。

 フェリーは、正直な気持ちをシンに伝えようと決めた。


「あの……ありがとう。シンが好きって言ってくれたの、本当にうれしいよ」


 まずは、心からの感謝。顔を紅潮させながらも、フェリーはシンの顔と真っ直ぐに向き合った。


「それでね、あたし……。うれしいケド、ワガママ……言ってもいい?」

「ああ、言ってくれ」


 シンが頷くと、フェリーは大きく深呼吸をした。


「あたしも、シンが好き。ずっと、好きだったよ。

 あたしもシンと一緒にいたいの。これからも、ずっと、ずっと。

 シンがいない世界はさびしくて、こわくて、きっとあたしはガマンできない」


 古代魔導具(アーティファクト)の効果によって、シンが過去へ移動した時。

 フェリーは死んでしまったと思った。あの距離の喪失感を忘れる事は、一生ないだろう。

 そんな思いを、二度と感じたくはなかった。


「だから、あたしは死にたい。いっしょの時間を生きたい。

 シンといっしょに年をとって、おじいちゃんとおばあちゃんになっても。

 ずっと、シンの傍にいさせて欲しい。……だいすき」


 新たな『願い』を、『救い』を、フェリーは求めた。

 今までとは違う『死』の形。人生を全うしたいという、切なる願い。


「ああ」

 

 シンはその願いを聞き入れた。

 自分が彼女へ送る事の出来る『救い』は、『死』である事に変わりがないかもしれない。

 それでも、今までとは心の持ちようが違う。命を懸けて為すべき事から、迷いが消えた瞬間だった。

 

「勿論だ。俺はじいちゃんとも約束してるしな。

 ずっと、フェリーと居るよ」

「世界も、護らないといけないしね。あたしも、いっしょに護るから!

 シンとずっといっしょに、いたいから!」


 力こぶを作るような仕草を見せながら、フェリーは笑った。

 その姿が愛おしくて、シンは自然と彼女の頭を撫でていた。


 三日月島での戦いは、こうして終わりを告げた。

 様々なものを抱えながら、一向はミスリアの王都へと帰る事となる。


 世界の命運はこれから一組の男女によって託される事を、人々はまだ知る由もなかった。

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