153.ぶつかり合う意思
イルシオンの言葉に、周囲が静まり返る。
動揺が伝播して、離れた位置にいるリタやレイバーンも只事ではない空気を感じ取った。
転移魔術について物思いに耽っていたオリヴィアでさえ、正気に戻ってしまう程に。
「イルシオン、何を血迷っているのですか?」
フローラの語気には、戸惑いだけではなく怒りも混じっていた。
「血迷ってなんていませんよ」
さも当然のように、イルシオンは返した。
シンへ向けられた紅龍王の神剣の先端は熱を帯びている。
継承者であるイルシオンの魔力を喰らっている。その時点で、彼が本気で吐いた言葉だといく事が伝わってきた。
「この男さえ居なければ、彼女は魔女と化す。
全てを焼き尽くす、怒りの化身。邪神さえも殺しうる、救世主が誕生する。
だから、シン・キーランド。貴様は死ぬべきだ。死ぬことで、世界を救え」
そう語るイルシオンの眼は据わっている。
顔に刻まれた皺が、いっそう深く刻まれる。
「イルくん、本気で言っているのですか?!?」
「そうですよ! 言っていいことと、悪いことの区別すらつかないんですか!?」
「本気に決まっているだろう! 悪いわけが、ないだろう!」
イルシオンは軽蔑の視線を送るアメリアとオリヴィアを一蹴する。
「たった二人の生命と精神で、大勢の人間が救われる。
何が間違っているというんだ!?」
「……それにすら気付かないのですね」
「バカだとは思っていましたけど、分別ぐらいはつくと思ってましたよ」
アメリアとオリヴィアは、イルシオンとの間合いを取る。
何が起きてもいいように。逆上する彼を取り押さえる為に。
「アメリア姉も、オリヴィアも本気でオレと戦うつもりか?
蒼龍王の神剣も折れて、詠唱破棄で魔術を連発して、消耗しているだろう。
そんな状態で、オレに勝てるとでも?」
事実、イルシオンの言う通りだった。
彼自身も相当消耗しているが、その手には紅龍王の神剣が握られている。
対抗しうる蒼龍王の神剣は魔女との交戦で折れてしまっている。
反対にイルシオンは魔女を止めるために動いては居ない。余力の差は明らかだった。
「実力行使に出るというのなら、僕も黙ってはいられない」
加勢しようと前に出るのは、テランだった。
シンの命を奪うというのは、彼にとっても心中穏やかでは無い。
「そうか。ならば、お前も死ね。
お前が居なければ、ビルフレストたちは撤退をすることは無かった。
彼女が、全てを終わらせてくれていたはずだった」
事実、イルシオンはテランにも強い怒りを覚えていた。
彼の持つ『エステレラ』という名前。そして、直前にビルフレストを逃がしているという事実。
それらの要素が、彼に殺意を抱くには十分な理由だった。
対するテラン自身は、第一王子派との戦闘には参加していない。
それでも魔造巨兵は破壊されてしまい、彼もまた魔女を相手に魔術を乱発している。
満身創痍のアメリアやオリヴィアよりはマシだろうが、イルシオンに勝てるとは言い切れない。
「その前に、ビルフレストが全てを喰らい尽くしていたかもしれない。
彼がみすみすと焼き尽くされるだけとは思えない」
テランの言葉に、アメリアも同意する。いくら顕現したとはいえ、邪神が一人の少女に苦戦をしている。
その状況で指を咥えてみているような人間ではない。
きっと何か手を打っていた。撤退を促したのは、これ以上ないタイミングだった。
「そんなものは。貴様が自分を正当化するため吐いているに過ぎない!
貴様自身が言った。邪神は『不完全』だと! 彼女が居れば、この場で殺せたんだ!
千載一遇の好機を潰したのは、貴様たちだ!」
フェリーは俯く。イルシオンの放つ強い言葉に怯えた訳ではない。ただ、この場に居辛いと感じてしまった。
周囲を見渡せば、水分が失われて罅割れた大地。巨大なクレーター。炭となった森林。
自分が魔女となって暴れた結果。ここまでしたのだから、邪神を殺せと責められているようだった。
フェリー自身に、魔女だった時の記憶は無い。
覚えているのはシンが消えてしまった喪失感。
イルシオンは、それをもう一度与えようとしている。それだけは、理解が出来た。
「フェリーは、何も気にしなくていい」
俯く彼女の頭上で、優しい声が聞こえた。
フェリーが顔を上げると、声の主はイルシオンと真っ直ぐに向き合っていた。
二人の強い眼差しが、交差している。
「イルシオン・ステラリード。俺は、フェリーを魔女として利用させるつもりはない。
それに、アメリアたちとお前が戦うのも避けたい」
歯の軋む音が聞こえる。ただ自分の要求を突っ撥ねるだけの、つまらない意思表示。
イルシオンが聞きたかったものは、そんな下らない言葉では無かった。
「何もかもが思い通りに行くと思うな! 貴様の命ひとつで、世界が救われることを知れ!」
向けられている紅龍王の神剣の先端が、シンの目の前にまで迫る。
神器から放たれる熱に怯む事なく、シンは答える。
「……俺も、死ぬつもりはない。けれど、お前が納得しないのなら仕方ない。
実力行使に出るなら、俺が相手をしてやる。だから、他の人にまで殺意を向けるな」
シンが放ったに、イルシオンは鼻で笑う。
「ハ! いいだろう。貴様もただ殺されるだけでは後味が悪いだろうからな。
ならば、決闘だ! 正々堂々と貴様を打ち負かし、オレは世界を救ってみせる」
「ああ、それでいい」
シンとイルシオン。
互いの提案に合意する形で、決闘が成立する事となった。
夜の三日月島が静けさを取り戻すには、まだ時間を必要とするようだった。
……*
「……なんて、言ってたの?」
不穏な空気を感じ取っていたリタは、遠距離から妖精王の神弓を構えていた。
しかし、共闘した相手を本当に射るのかという躊躇いはある。
故にレイバーンの耳を頼りに、状況を探ってもらっていた。
「シンとあの少年が決闘をすることになった」
「……もしかして、フェリーちゃんのため?」
何がどうなって、決闘に至るかは理解が及ばない。ただ、シンがそういった事を好む性格ではない事だけは知っている。
だとすれば、考えられるのはフェリー絡みだった。
「ああ。そうだな」
「またシンくんは……。ムチャばっかりしてさあ」
肩を落として深いため息を吐くリタだが、どこか安心もしていた。
突然消えて、突然戻ってきてもシンはシンだった。
フェリーの事を大切に想う気持ちには変わりがない。
一方でヴァレリアには思うところがあった。
イルシオンは元々、誰かの命を積極的に奪おうという人間ではない。
レイバーンの話を聞く限り、彼は怒りに身を任せているようだった。
「あのバカ。もしかして……」
考えられるとすれば、クレシア絡み。
彼女を失った事で、イルシオン自身が暴走をしている。
ヴァレリアも彼女の姉として、気持ちは解る。
そこまで強くクレシアを大切に想っていたのは、姉としては感謝の言葉を送りたい。
だからこそ、イルシオンに気付いて欲しかった。
その行動を、もしクレシアが知ったならどう思うかを。
……*
「シン、銃を……」
イリシャが差し出したのは、シンが落としていた銃だった。
決闘前に返さなくてはならないと感じたイリシャだったが、シンはやんわりと断る。
「まだ、イリシャが持っておいてくれ。後から武器を増やしたと言って物言いを付けられたくない」
「でも!」
元々はシンの持ち物だ。それに相手は神剣を持っている。
そんな事で文句を言われる筋合いはないはずだった。
「いいんだ。それよりも、俺がこれを返さないと」
シンが渡したのは、イリシャから預かっていたお守り。
30年前の彼女と自分を導いた、結婚指輪。
「……効果覿面だったでしょ」
「そうだな。ただ、口で教えてくれてもよかったと思うんだが?」
「ふふ。口で言ったところで、シンは信じてくれたのかしらね?
それに――」
イリシャはちらりとフェリーの顔を見る。
不安げな様子で、ちらちらとシンの様子を窺っていた。
「シンが、未来を変えないことを選択したのよ。
だったら、わたしがその流れを変えるわけには、いかないじゃない。
色々と話さなかったのはどうすればいいか判らなかったからよ。ごめんね」
謝るイリシャに対して、シンは首を横に振る。
口にせずとも、伝わっていた。
「未来を知っても、その通りでいてくれたんだ。イリシャには感謝しかない」
「……ありがとう。でも、ここから先は――」
「ああ、そうだな」
言わずとも解っている。ここから先は、誰も知らない未来。
自分がこの場で命を落とす可能性はある。だからといって、避ける訳には行かなかった。
イルシオンの眼を見た。
怒りに満ちた瞳。その根底には、深い悲しみがあった。
どうしようもない気持ちを納得させるために、こんな暴挙を選択してしまったのだ。
その気持ちは、痛い程に解る。
故郷が消えて混乱していた自分は、懇願されるがままにフェリーの胸に刃を突き立てた。
彼女が生きていた事が嬉しい反面、どうすればいいのか判らずにまた人を殺めた。
挙句に、今の今まで自分は愛する女性を手に掛け続けていた。
それが間違っていると知りつつも、無理矢理自分を納得させていた。
同じなのだ。だからこそシンには、イルシオンが行きつく先も見えている。
今はまだ分からなくてもいい。ただ、道を踏み外す前に止めるべきだと思った。
決闘を受ける理由の半分は、そこにある。
もう半分は、至極単純だった。
フェリーを道具として利用しようとした。それが許せない。
二度とそんな言葉が吐けないようにはするつもりだった。
そのフェリー自身は、納得がいっていないような、戦ってほしくないような不安げな顔をしている。
彼女の表情を曇らせてしまった事は、シンも反省をしている。
「……ああ、そうだ。フェリー、これ」
ご機嫌取りという訳ではないが、眉を下げるフェリーへ近寄り、シンは小瓶を渡す。
折角手に入れたものだから、決闘中に割れてしまっては勿体ない。
「なに、これ?」
フェリーは訝しみながら、小瓶の中にある液体を眺める。
すぐに中身の想像がついた反面、シンがそんな物を渡すはずがないと心の中で否定をする。
しかし、その中身は彼女が思った通りのものだった。
「香水だ。昔、フェリーが育てていた花の香りがするらしい。よかったら、もらってくれ」
「え……?」
30年前のゼラニウムで手に入れた、香水。
いたいけな少女に買ってもらったという事実だけが、少しだけ気恥ずかしい。
フェリーもまた、驚きを隠せなかった。思い当たる花はひとつしかない。
幼い頃にカンナやリンと別々の鉢植えで世話をして、こっそりと朝昼晩と熱心に水をやり続けた。
二人よりも綺麗な花を咲かせて、シンに見てもらおうと頑張っていた。
根腐れという言葉を知らなかった彼女は、自分だけ花を咲かせる事が出来なかった。
不貞腐れる自分を、シンが一緒に理由をカンナへ訊いてくれた。
無駄遣いをしないように諭していた彼が、自分に香水をプレゼントしてくれた。
その事実が嬉しい。一方で、自分が命を奪ったシンの家族を思い出させたのではないかと不安になる。
彼女の気持ちを知ってか知らずか、シンは言葉を続ける。
「フェリー。後で、話をしよう。
聞いてもらいたいことが、たくさんある」
それだけ言い残すと、彼はイルシオンの元へと歩み始める。
彼は既に自分ではなく、前を見ている。
行って欲しくない。どうしてシンが、命を懸ける必要があるのか判らない。
けれど、止める事も出来なかった。彼の決断を無下にしてはいけないと、感じ取っていた。
「うん。シン、あとでぜったいに、お話しようね……!」
「ああ」
振り返りこそしなかったが、シンははっきりと返事をする。
フェリーは受け取った小瓶を握り締め、祈る。
「フェリー・ハートニア」
不意に背中越しに、男の声が聞こえる。
右腕の袖をはためかせる隻腕の男。テランがそこには居た。
「知らない人……」
「……うん、今はそれでいいよ」
テランは眉根を寄せながらフェリーの隣へと立つ。
こうしてみると、本当にただの少女にしか見えない。
さっきまで殺気をばら撒いていた人間とは、別人のようだ。
「ひとつ、教えてはくれないか?
シン・キーランドは君にとって、どういう人間なんだい?」
「え? えっと、それは……。会ったばかりのひとに、言えないよ」
フェリーの顔が茹で上がりそうな程に赤くなっている事が、手に取る様に分かった。
テランにとっては、それだけで満足のいく回答を得られた。『光』なのだ。互いにとって。
「……勝てないはずだ」
フェリーに聞かれないよう、テランは呟いた。
かつてシンと交戦した際、眩い光の周囲を彷徨うだけの虫と評した自分を恥じた。
彼自身もずっと照らしていたのだ。不老不死の魔女を、恋する少女へ変貌させるように。
……*
「アメリア。オリヴィア。もしもの時は――」
「はい。何があっても、イルくんにシンさんを殺させたりはしません」
フローラが言い終わるより先に、アメリアが頷く。
彼が暴走している理由は、彼女も察している。
けれど、それが誰かを傷付けて良い免罪符には成り得ない。
「正直、わたしは今すぐにでもあのバカをシバきたい気分です。
何なら、シンさんの顔を立てているにすぎません」
「落ち着きなさい、オリヴィア。
まずは、信じましょう。シンさんがどう決着をつけるつもりなのかを」
憤慨するオリヴィアを、フローラが嗜める。
彼に命を救われた身としては、イルシオンの暴挙が許せなかった。
オリヴィアの気持ちも、理解出来る。その上で、フローラは見届けたかった。
怒り狂うイルシオンに対して、シンはどのような答えを示すのか。
或いは、単に牙を剥く者として命を奪うつもりなのか。
「二人とも。万が一、シンさんがイルシオンの命を奪おうとするなら……。
そちらも、止めては貰えませんか?」
アメリアとオリヴィアは眼を丸くしていたが、やがてその命令にも首を縦に振る。
この決闘は、本来なら意味を持たない。こんな事で誰かの未来を奪っていいはずなどない。
フローラの意思は、二人にも正しく伝わった。
……*
「最期の挨拶は、済ませたのか?」
せめてもの情けだと、イルシオンはシンが言葉を交わすのを止めなかった。
フェリーと会話する彼に、クレシアと自分を重ねた。もう二度と、訪れない時間に思いを馳せた。
「たったあれだけじゃ、時間が足りない。
それに、最期でもないさ。後できちんと、話さないといけないことがあるんだ」
「……言えなかったことを、後悔するなよ!」
紅龍王の神剣を構えるイルシオン。
対して、シンはアメリアから贈られたミスリルの剣を構える。
張り詰めた空気が、周囲に伝播していく。
「そんな玩具で、紅龍王の神剣と渡り合えるものか!」
容赦はしないと、イルシオンは残った魔力を紅龍王の神剣へ注ぎ込む。
躊躇いのない跳躍。大きく振り被られた紙剣、それだけで彼が本気だという事が伝わる。
シンはミスリルの剣で、紅龍王の神剣の一撃を受け止める。
重なり合う二人の剣閃が火花を生む。
シンにとって、決して敗けられない戦いが幕を上げた。