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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第一部:第十一章 選んだもの、誓ったもの
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150.また逢いましょう

 リカミオル大陸の東に位置する大陸。イーマ。

 この世界に四つ存在する主要な大陸のひとつであり、最も多くの国が存在する大陸でもある。

 シンとイリシャが乗る船はイーマ大陸の西にある国、クンストハレを目指していた。

 

「シンはクンストハレに行ったことあるのかしら?」

「いいや。イーマ大陸にも行くのも初めてだ。他の大陸に寄った事はあるんだけどな」


 客船の食堂で食事をしながらイリシャが尋ねると、シンは首を横に振った。

 特別な理由があった訳ではないが、これまでの旅でクンストハレはおろかイーマ大陸に足を踏み入れた事はない。

 強いて言えば「行く流れにならなかった」が理由なぐらいだ。


「それじゃあ、他の国は全部回ったってこと?」

「そういうわけじゃない。一応、大陸に足を踏み入れたことはある程度だ」

「へぇ。わたしは人間の国なら全部回ったけどね」


 胸を張り、イリシャが得意げに語る。

 シンは皿に乗せられた魚料理をナイフで切りながら、流すように答えた。


「生きている時間が違うだろ」

「……どういう意味かしら?」


 ムッとしかめっ面をしながら、イリシャはシンの顔を覗き込む。

 机に手を乗せた時の衝撃で、グラスの水面が波打つ。


 前にも似たような事があったのを、シンは思い出す。

 本気で怒っている訳ではないと伝わってはくるものの、イリシャは意外と年齢を気にしている。

 不老といえど、やはり思うところはあるのだろう。


「……俺も、時間があったら世界中を見て回りたいって思っただけだ」

「そ? それならいいけど」


 大きく息を吐きながら、イリシャが乗り出した身を元に戻す。

 彼女はフェリーと違い、実際に永い時間を生き抜いてきた。

 何度も出逢いと別れを繰り返して、それでも尚生きている。

 思うところがあるのだろう。悪い事をしたと思った。


「それでね、クンストハレは芸術的に盛んな国なのよね。

 色々前衛的な形をした建築物とか、美術館とか色々あるから見に行ってよ」

「そうは言っても、どれだけ時間が残っているのか……」


 船に乗ってから既に四日が経過した。やはり、古代魔導具(アーティファクト)の短剣は刀身が短くなっている。

 この調子で行くと、後二日ぐらいしか猶予はないだろう。この時間旅行の終わりが近付いている事をシンは実感した。


 不安は尽きない。戻れるかどうかもだが、フェリー達はどうなっているのだろうか。

 邪神は顕現してしまったのだろうか。

 戻った時には最悪の事態になっている事すら、想定しないといけない。


「ほーら。また眉間に皺を寄せてるわよ」


 イリシャはシンに教えるように、自分の眉間を人差し指で圧す。

 どんな顔をすればいいのか判らず、シンは眉を顰めたまま彼女の顔を見た。


「いいのよ。今、全部を回らなくても。むしろシンが戻った後に行って欲しいわ。

 フェリーちゃんとデートしたらいいじゃない。デートコースは見繕ってあげるから」

「そうは言ってもな……」


 自分も芸術に明るい訳ではないが、フェリーはそれに輪をかけて知らないと思う。少なくとも、そんな話題を一度もした事がない。

 マレットの影響もあるが、シンはどちらかと言うと実用性を重視する。

 二人で行って楽しめるのだろうかと、不安が脳裏を過る。


「いいのよ。そんなに肩肘を張らなくても」


 シンの心を読んだかのように、イリシャが微笑む。

 傾けた頭に沿って、彼女の美しい銀髪が揺れた。


「芸術だからって、難しく考える必要はないわ。

 二人で同じ感想を抱くかもしれないし、違う感想を抱くかもしれない。

 感じたことを教え合うだけで、楽しいものじゃない?」

「そう、だな」


 彼女の言う通りかもしれない。芸術だからといって、高尚なものと考えすぎていた。

 自分達は決して評論家などではない。フェリーと一緒に見て、感じたままに二人で分かち合えばそれで充分じゃないか。


「それに、フェリーちゃんは服を買うのが好きなんでしょ?

 案外、センスあるかもしれないじゃない」

「……想像がつかないな」

「いやいや、分からないわよ? わたしが夫と美術館に行った時なんかはね――」


 そういうと彼女は延々と、夫との惚気話を始めていった。

 初めからそうするのが目的だったのじゃないかと思う程に、彼女は活き活きとしている。

 時間の流れに取り残されていくのが、寂しかったのかもしれない。

 もしくは、大切な男性(ひと)の事を久しぶりに話せるのが嬉しかったのかもしれない。

 

 楽しそうに話すイリシャに、シンは静かに耳を傾ける。

 語り足りなければ、再会した際にまた聞かせてもらおうと思った。


 ……*


 クンストハレまでの船旅は非情に順調で、海の魔物に遭遇する事なく目的地を迎えた。

 港に降りたイリシャが、潮風を浴びながら身体を伸ばす。


「んーっ! 久しぶりの大地は格別ね」


 シンも彼女の言っている事に同意した。

 彼女の厚意で、奮発して良い部屋に泊まったとはいえ五日間は揺れとの戦いだった。

 船酔いに見舞われる事は無かったが、やはり地面を踏みしめると安心をする。


「それで、何処にいくつもりなんだ?」


 古代魔導具(アーティファクト)の短剣は、最早数センチしか刀身を残していない。

 いつ、イリシャの前から姿を消してもおかしくない状況だった。


「そうね。観光……と行きたいけれど、付いてきてもらってもいいかしら?」


 僅かに見せた表情は、申し訳ないと言った顔だろうか。

 戸惑いながらも、イリシャはそう言った。


 ……*


「ここよ」


 そう言って彼女が案内をしたのは、港からそう遠くないブルネという街だった。

 建築物の芸術性を評価されているらしく、外から見るだけでも造りが異質だという事が伝わってくる。

 どうやって造っているのかというより、それで家全体のバランスが取れているのが不思議といった具合に。


 住宅街を抜け、たどり着いた先には規則正しく石碑が並んでいる。

 ところどころにある十字架も含めて、この場所が何を現しているかはすぐに理解した。墓地なのだと。


「……久しぶりね。ずっと来なくて、ごめんなさい」


 ある石碑の前で、イリシャが腰を下ろす。

 最後に誰かが供えたであろう供花は、時間が経過しているのか枯れ始めていた。

 少しだけ寂しそうな顔をしながら、イリシャが自分の用意した供花と差し替える。


「時季外れだものね。でも、誰かが来てくれているだけで嬉しいわ」


 誰のものかだなんて、野暮な事を訊く気は起きなかった。

 これはきっと、リントリィ家の墓だとシンも察している。


「夫がね、わたしのために造ってくれたのよ」


 そう言って、彼女は石碑に連ねられた名を指でなぞっていく。

 最初に刻まれているのは、イリシャ。

 続いて刻まれている名は、ユリアン。


「この男性(ひと)が、わたしの夫。心から愛した、最初で最後の男性(ひと)

 わたしと彼が手紙でやり取りしていたこと、知っているのよね?」

「ああ……」


 現代でイリシャを逢った時に、彼女自身が言っていた。

 息子が結婚する際に、自分の体質が原因で諍いが起きて欲しくはない。

 だから死別した事にして欲しいと。


 初めは反対していた(ユリアン)と息子も、イリシャの決意を覆す事は出来なかった。

 結果、イリシャは家を出ていくが(ユリアン)とは手紙で連絡を取り合っていた。

 その手紙が途絶えたから、彼は亡くなったのだとイリシャは察したと。


「手紙が来なくなった時にね、思わずここに来てしまったわ。

 息子夫婦に見つからないように、こっそりと。ここに名前が刻まれている時、胸に孔が空いた気分だった。

 けれど、わたしの時間は進んでいない。怪我や病気はするから、きっとフェリーちゃんと違って死ぬことはあると思うわ。

 わたしがそれを恐れて、ずっと避けて来ただけ」

「それは当たり前のことだと思う。誰だって、死にたいわけじゃない」

「……そうね」


 誰もが限りある命だからこそ、懸命に生きている。

 それは事故だったり、事件だったりで理不尽に奪われるかもしれない。

 最後の刻がいつ来るかなんて、誰にも判りはしない。


 ただ、彼女はその要素が他人よりひとつ少ない。『不老』という形で、時間に縛られる事は無かった。

 羨ましいと思う人間はごまんといるかもしれないが、シンはイリシャの様子を見て心から羨ましいとは思えなかった。


「彼がわたしの意思を尊重してくれたからこそ、わたしは安易に『死』を選んではいけないと思ったわ。

 もしもバレると、とんでもない事になるから色々なところを旅しながらね」


 苦笑して誤魔化すイリシャだが、その歩みがどれだけ神経をすり減らしていたかは想像がつく。

 なんせ、一切老ける事がないのだ。数年間は気付かれなくても、いずれ必ず知られる事になる。

 イリシャだけが、変わる事のない見た目なのだから。


「数年単位で居住地を考えながらね。ずっと家を持っていても怪しまれるから、そりゃあもう売ったり買ったり大変だったわ。

 ……あ、だからドナ山脈に住もうと考えたのかしらね? あそこならほとんど人は通らないでしょうし」

「どうなんだろうな」


 冗談っぽく言うが、実際にそうだったのかもしれない。

 ドナ山脈(あそこ)なら、少なくとも定期的に訪れる人間はいないだろうから。


「それで、機会があればお墓参りをしていたんだけどね。

 段々と名前が増えていくのを、どう受け止めればいいのか判らなかったわ」


 そう言って彼女は指をなぞらせていく。

 息子のアル、その妻のマリー。孫、ひ孫と名前は連なっていく。


「寂しさが募る反面。こうも思うの。

 わたしと夫が育んだものは、ちゃんと繋がっているって」


 儚げな微笑みを浮かべるイリシャを、シンはじっと見る事しか出来なかった。


「けれどね、段々と怖くなってきたの。

 もう、わたしの子孫は墓石に刻まれるまで顔も名前も判らないわ。

 紡がれている事が愛おしい反面、自分が生きている意味はなんなのだろうって。

 段々と、生きる事に疲れちゃったのね」


 すっと立ち上がり、イリシャは息を吐く。

 彼女がずっと悩んでいた事を他人に話せて、少しだけだが気が楽になった。

 自分がどうやって、何を以て生きる意味を見出していくのか判らない。

 かといって死にたい訳ではない。本当にただ生きているだけの人生になりかけていた時だった。


「だから最後に、もう一度このお墓に挨拶しようと思ったの。

 自分の人生を、これからどうするかを見つめ直す為に」

「イリシャ、まさか……」

「いやいや、違うわよ。死ぬのは怖いもの。

 できれば、死にたくはないわ。矛盾しているって、解っているけどね」


 神妙な顔をするシンを見て、イリシャは笑って否定する。

 そのままシンの瞳を真っ直ぐに見つめ、彼女は続ける。


「アンダルと出逢ったのはそんな時よ。最初は口説かれているかと思ったけど、意外と彼は紳士だったわ。

 それからね、シンと出逢ったのは。はじめは、命の恩人に口説かれた場合はどう対処するべきなのか悩んだわ」

「その割に、あっさりと断ろうとしていたけどな」

「そりゃあ、わたしはずっと夫一筋ですから! 結婚指輪だって、本当に焦ったんだから」

「俺も結婚指輪だとは思わなかったよ。未来のイリシャが『お守りだ』って言いながら無理矢理押し付けたんだ」


 頭をポリポリと掻くシンを見て、イリシャがくすくすと笑う。

 結婚指輪と知って、彼なりに申し訳ないと思っているのだ。負い目を感じる必要は全くないというのに。


「過去のわたしに信じさせるためといっても、無茶苦茶をしたわね」

「全くだ」

「でも、わたしに効果的なのは間違いないわ。やるわね、未来のわたし」


 イリシャはひとりうんうんと頷く。

 彼女にとって結婚指輪は、何物にも代えがたい大切な物だった。

 だからこそ、未来のイリシャはギリギリまでシンに預けようとしなかった。

 ミスリアへ行く前に渡したのは、もうタイミングが見つからないかもしれないと判断しての事だ。

 更に言えば、タイミングを見誤ると要らぬ誤解を招くかもしれない。人が少ないうちに渡そうと思った部分もある。


 まんまと未来の自分の策に嵌った形となるイリシャだが、心では安堵していた。

 未来の話を訊いたのは、決して自分が楽をする為ではない。

 自分はこれから先の人生も、きちんと生き抜く事が出来るのだろうかという不安を払拭したかったから。

 

 心配は無用だった。シンの話では、自分は笑顔が多いらしい。

 色んな種族の友人が増えているらしい。相変わらず、綺麗だと言ってくれる人が居るらしい。


「シン。ありがとね」


 イリシャはそっと彼の頬に手を伸ばす。

 自分より僅かに高い体温が、自分の心まで温めているような気がした。


「俺は礼を言われる様なことを何もしていない。全部、イリシャのおかげだ」


 シンは照れくさそうに眼を逸らしながら、そう返した。

 この時代に飛ばされて、最初に出逢ったのがイリシャで良かった。

 そうでなければ、時間を遡った事にさえ気付かなかったかもしれない。

 ドン山脈の時も、ギランドレへ向かう時も。彼女の助力が無ければどうなっていたのか判らない。


「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいわ」


 彼女はシンの頬から手を離すと、背中を向けた。

 自分の夫だけではなく、息子や孫が先に逝っている事実に対して思うところはある。

 夫や息子に逢いたい。息子の嫁に、姑としてどのように接しようかと考えた事もある。


 全て叶わなかった、過ぎてしまった事。

 口惜しさはある。けれど、彼女はまだこの世界で生きようと決めた。

 

 まだ出逢っていない友人が居る。

 ほっとけない、危なっかしい友人と再会をしないといけなくなった。

 彼の想い。その行く末を見守ろうと決めた。


「さて、そろそろお昼ご飯にしましょうか。

 シン、ここの名物はね――」


 イリシャが振り返った先には、もう誰も居なくなっていた。

 さっきまでいた未来の友人は、影も形も残っていない。


「そっか。行っちゃったのね」


 彼はこの時代で、形としてはなにひとつ残してはいない。

 もしかすると、全て夢だったのかもしれない。


 けれど、それでも良かった。

 生まれた想いは、決して嘘ではないのだから。


「――またね。シン」


 イリシャは突風によって舞い散る花びらに向かって、微笑みながらそう告げた。

 彼に贈るつもりだった挨拶を、風へ乗せるようにして。

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