149.迫る期限
「シン、これ――」
カランコエを発つ前、シンが準備していた昼食を口にしたイリシャが思わず口元を抑える。
自分が村でお世話になったイリシャの家。そこに出ている味付けと同様のものだった。
「ああ。村に居る間、か……ンナさんに教えてもらったんだ」
待っている間、自堕落に過ごす事に抵抗があったシンは村人達の仕事を手伝っていた。
子供の頃にフェリーや妹と手伝っていた事を思い出しながら、狩りや収穫などに精を出した。
一緒に働いていたケントが複雑な顔をしていたので、なるべくカンナと二人にしてあげようと画策したりもしたが。
「もう、隠さなくてもいいわよ。バレバレなんだから」
「そういうわけじゃ……」
「よく見れば二人に似ているもの。ねえ、お母さんに『男前』って言われた気分はどうだった?
良かったわね。お母さんに褒められて! わたしも息子によく『かっこいい』って褒めてたわ~」
「……それは掘り返さないでくれ」
取り繕うようにカンナの名前を言ったシンを見て、イリシャがくすくすと笑う。
差し入れとして受け取ったカンナの弁当を食べているうちに、シンは母の味を思い出していった。
何度か再現を試みても上手く行かなかった味付け。足りなかった物は引き算だった。
シンは母の味を再現しようと足りない物を探すうちに、色々な物を足していった。
決して味が悪い訳ではないが、母の味からは段々と遠ざかる。
いつしか自分の味にも慣れてしまい、母の味を忘れつつあった。
偶然ではあるが、今回久しぶりに彼女の手料理を食べた事により思い出せた。もっと単純でよかったのだと。
アンダルに己の気持ちを伝えた時と同じだった。『殺す』とか『救う』ではなくて、好きな女性を『護る』。それだけでいいのだと。
(……フェリーに、逢いたい)
母の味を噛みしめながら、シンは考える。
フェリーにもこの味を食べさせてやりたい。彼女は、母の料理を喜んでくれていたから。
それに、きちんと伝えなくてはならない。もう、殺したくはないと。
彼女がどんな反応をするかは判らないけれど、自分の腹は据わった。
ずっと後悔していた。あの日、フェリーに剣を突き立てた事を。
彼女の願いを叶えるのは自分の義務だと思っていた。
それでもやっぱり殺したくなくて、少しでも自分へ言い聞かせる為にフェリーへ金銭を要求したりもした。
自分に折り合いをつける為に、不老不死で失くす方法はないかと模索もしていた。
全部自分で決めた事だった。独りよがりの願いで、何度も彼女を傷付けながら歩んでいた。
今度はちゃんと話し合おう。どうすればいいのか。どうするべきなのかを。
決心が鈍る事はないけれど、逢えない日が続くのは意外と堪えている。
一刻も早く、フェリーに逢いたい。きっとまた逢えるはずだと信じている。
「これなら、儂の娘に料理を教える必要はなさそうだな。そもそも、儂も大して作れんからな。
シン、飯は全部お前が作ってやるんだぞ」
「ははは……」
アンダルが上機嫌で頬張る姿を見て、シンは乾いた笑いしか出なかった。
言われるまでもなく、この10年の食事はシンが作っていた。
彼女は食べなくても死ぬ事はないからではない。料理が大味だからだ。
火力は何でも全開だし、味付けもこれでもかというぐらい調味料を振るう。
灰汁を取る必要性も分かっていないし、漉すなんてもってのほかだ。
出来た料理をいつも「あれ? おかしいな?」と首を傾げながら食べるが、過程を見ているとその結果は何もおかしくない。
「ちょっと、シン。もしかして、アンダルにフェリーちゃんのこと言ったの?」
目を丸くしながら、イリシャがこそっとシンに耳打ちをする。
あれだけ未来の話を訊こうとはしなかったアンダルが、フェリーの存在を知っている事に驚いた。
「というか、無理矢理聞いてもらったというか」
「その、村が滅んだ下りとかは……」
シンは首を横に振った。流石にそこまでは伝えられるはずがない。
伝えてしまえば、彼の余生はきっと苦しいものになってしまう。
自分の好きなアンダルはそんな素振りを見せなかったし、出来れば知らないでいて欲しい。
カランコエが滅ぶ事を選択したのは自分だ。自分が背負うべき『罪』を、他の誰にも背負わせたくない。
大切な女性に逢いたいという欲望を貫き通した、自分勝手な願いが生み出す結末。
「そこまでは、言えない。じいちゃんに、責任を負わせたくない」
「……バカね」
村が滅んだ事も、フェリーが不老不死になった事も、シンはなにひとつ悪くないのに。
決して小さくない背中といえど、抱えきれないほどにたくさんのものを背負う必要はないのに。
不器用なシンを見て、イリシャは彼の頭を優しく撫でた。
もしも運命を変えてしまえばどうなるのか。
イリシャとて、その可能性を考えなかった訳では無い。
未来の話を教えてもらえば、生きる事に疲れ始めた自分にも何か変化があるかもしれないと思っていた。
同時に、良くない事を避けられるのではないだろうかという淡い期待もあった。
けれど、シンが選んだのだ。
自分よりもずっと辛い運命なのに、それを背負うと決心した。
ならば、自分も精一杯生きるしかないじゃないかと思い直す。
「けど、ドナ山脈……かあ……」
腕を組んで、イリシャはうーんと首を捻る。何を思って自分はそんな所に住んだのか。
気候はコロコロ変わるし、異種族と遭遇する可能性だってある。
シンの話を訊く限りでは、30年の間に開発が進んだ可能性もなさそうだ。
「まあ、うん。仕方ないわね……」
逆に言えば、ドナ山脈という過酷な地でも自分は生き延びるという事の裏付け。
思ったより逞しい、己の生命力に驚きつつも彼女もまた運命を受け入れた。
「イリシャ?」
「ううん、こっちの話よ。シン、ありがとね」
よく分からないと首を傾げるシンに、アンダルの怒号が響き渡る。
本気で怒っている訳ではないが、太い人差し指をびしっとシンへ指差す。
「おい、シン! いつまでイリシャを見て鼻の下を伸ばしとるんだ!
そんなだったらな、儂の娘は絶対に会わせんからな!」
「あらあら、それはシンも困っちゃうわね」
「笑いごとじゃないだろ。それに、鼻の下は伸ばしてない!」
イリシャが「やれやれ」と言いながら、アンダルの隣へ移動する。
彼の持つコップに水を灌ぐと、たちまちアンダルは上機嫌となった。
「はい。お酒じゃないけど、いいでしょ?」
「おっ、さすがはイリシャ。やっぱり綺麗だなぁ。そういうところも、妻によく似ている」
「ふふ。ありがと。奥さんも素敵な女性だったのね」
掌の上でアンダルを転がしながら、イリシャはシンに向かってウインクをする。
アンダルの言う通り、彼女の所作からにじみ出る美しさは天性のものだと思う。
それでいてどこか悪戯っぽい言動や仕草が、世の男どもを誘惑してしまうのだろう。
(まあ、フェリーもよく懐いていたけれど……)
シンはふと、思い返す。フェリーは逢った事が無いのに、初対面から彼女に一定以上の好意を抱いていた。
アンダルも同様だ。やはり、子供の頃に彼女の存在を聞かされていたのだろうか。
(俺やフェリーが、忘れているだけか?)
いくら記憶を遡っても答えが出ず、シンは考え込む。
イリシャやアンダルに声を掛けられるまで、ずっとそのままだったが答えは出なかった。
……*
それから数日。シン達はマギアから南へ進み、リカミオル大陸の南西にある国へとたどり着いた。
名はトポメラ共和国。そこの最南端にある港町で、彼らはふたつの船を手配していた。
「儂はここまでだな。シン、イリシャのことをちゃんと送り届けるんだぞ」
ひとつは、アンダルの乗る小型の船。
リカミオル大陸を更に南下した先にある、ネクト諸島へと向かう船だった。
亡くなった妻へ旅の報告と、娘の事を伝える為に。
息子とも酒を酌み交わした事を語るつもりだが、それはシンには伝えていない。
そもそも、飲んですぐに潰れて寝てしまったのだ。
後は大体、アンダルがシンの寝言に相槌を打ちながら一人で飲んでいた。
酔っぱらってなのか、安心してなのか、シンは大分気が緩んでいるようだった。
どれぐらい自分に憧れていたかを寝言で延々と言っていた時は、本当は起きているのかと疑ってしまうぐらいに。
「分かった」
シンは頷く。はじめはイリシャとアンダルのどちらについて行くか悩んでいたので、イリシャと共に旅をするように言ったのはアンダル自身だった。
表向きは護衛を任せたような形だが、照れくさいので妻の墓前で話す内容を聞かれたくないという理由も含まれていた。
「アンダル、色々とありがとうね」
「こっちこそ、楽しかったぞ」
アンダルはイリシャと握手をし、そのまま軽く抱擁をする。
妻に似ていて、それでも明確に違う。不思議な感覚だった。
シンにしても同様だった。未来から来たと言って、自分に懐いている謎の男。
見ているだけでも解る。どれだけ不器用な人間かぐらいは。中々、他人に頼れないタイプだ。
そんな男が、我を押し通して願いを言った。
本来なら応えてやる義理もないのだが、そこまで大切に想える女性を「諦めろ」とは言えなかった。
自分が大切な女性に先立たれたからこそ判る。色んなものを全部無視してでも、本当に叶えたい願いは存在するのだと。
それが自分にしか出来ないのであれば、やってやるのも悪くはないと思った。残りの人生を、誰かの為に費やす事も。
「シン、約束は守れよ。それと、シーリンにも紹介しておいてくれ」
そう言って、アンダルは一枚の紙をシンへ投げる。
書かれていたのは、ある場所の住所。彼の妻が眠る場所だった。
「……分かった。絶対に、連れていくよ」
「おう、頼んだぞ。それじゃあ、またな」
満面の笑みを浮かべながら、アンダルの乗る船は出向した。
甲板の上に立つアンダルが見えなくなるまで、シンとイリシャは見送り続けた。
「行っちゃったわね」
「……そうだな」
少しだけ名残惜しそうに、イリシャが呟く。
彼女もまた、アンダルとの出逢いはいいものだったと感じている。
毒の大蛇の遭遇時こそ、その場には無かったが彼は自分をとても護ってくれていた。
どんなに彼自身に魔物が近付いてきても、優先してくれていたのだ。
下心を持った冒険者に誘われた事は何度もあるが、彼らはいざ危機に直面すると己を優先する。
立派な冒険者だと、アンダルの事を心から尊敬した。
「それじゃあ、次はわたしたちの番ね。いきましょう」
そう言うと、イリシャは客船の方へ向かって歩み始めた。
彼女の向かう先は、リカミオル大陸から東に進んだ大陸。イーラ。
……*
毒の大蛇の皮が予想以上に高く売れたらしく、彼女は奮発して個室をふたつ確保していた。
魔導石搭載型の船は存在していない今、長い距離の航海では何があるか分からない。
彼女の判断は、懸命だと思った。
「そういえばシン。元の世界に帰れる算段はついているの?」
シンの客室で、彼女は尋ねた。夕食を摂る前に、どうしても訊いておきたかったらしい。
彼女としても心配しているのだろう。自分がこのまま、この時間に囚われてしまうのではないかと。
尤も、シンもその事をずっと気に掛けてはいる。
アンダルにずっと護ると約束した手前、フェリーの元へ帰らなくてはいけない。
最悪、32年間をこの世界で過ごすことも吝かでは無いが、自分としては今すぐにでもフェリーに逢いたい。
「これを見てくれ」
その希望のひとつとして、シンが取り出したのは古代魔導具の短剣だった。
相変わらず淡い輝きを放ってはいるが、その刀身は半分ほどまで短くなっていた。
「なに、コレ?」
「遺跡で拾った古代魔導具だ。
この世界に来てからずっとこの調子で光ってるんだが、日に日に刀身が短くなっている」
きっとそれが制限時間なのだろうと、シンは続けた。
刀身が全て消え去った後、自分がどうなるかは分からない。
元の世界に帰れるかもしれないし、同じだけ時間が過ぎているかもしれない。
別の場所に飛ばされる可能性だってある。最悪の場合、ただ光っていただけで帰れないかもしれない。
古代魔導具の全容が判らない以上は、推察に過ぎない。
「なるほどねえ……」
イリシャはぼんやりと短剣の光を眺める。
引き込まれそうな、不思議な光だった。
「因みにこれ、元はどれぐらいの長さだったの?」
「今日で丁度半分ぐらいだな」
シンがそう答えると、イリシャは指折りで日を数える。
丁度彼女と出会ってからの日を折り曲げ終わると、天を仰いだ。
「うーん。ギリギリ、かあ……」
「何がだ?」
「この船で五日間でしょ。その後、わたしが住んでいた辺りに行くのが結構ギリギリかなって。
どうせなら見て行って欲しいのよ、わたしの故郷も。結構、いいところなんだからね」
彼女はそう言うと、控えめにはにかんだ。