146.産声を上げた日
「アンダル? シンはどうしたのかしら?」
ゼラニウムの酒場。用事を終えたイリシャは、真っ先にそこへと向かった。
一仕事を終えたアンダルが酒を飲む事を彼女も知っており、二人が親睦を深めるには丁度いいと思っていた。
シンは明らかに彼を慕っている。だからこそ、気を遣ったつもりだった。
イリシャ自身、未来から知人が現れたという事態に困惑している。
知りたい事や訊きたい事がたくさんある中、未来で逢う事が出来て時間に限りが見えない自分よりも、アンダルと話をさせてあげようと思ったのだ。
それなのに、酒場にはアンダル一人しかいない。
炒った豆に軽く胡椒をまぶしただけのつまみを肴に、美味そうに酒を飲んでいる。
「おー、イリシャ。こっちで何か――」
顔を赤くしながら、へべれけのアンダルが手招きをする。
いつもなら肩をすくめて「仕方ないわね」と言いつつも相手をしてくれるのだが、今日は様相が違っていた。
アンダル自身も、途中で気付いている。シンがこの場に居ない事を、訝しむイリシャの姿に。
「アンダル。シンはどこへ行ったのかしら?」
「いやー。あはは……」
目を泳がせているアンダルを見て、イリシャはため息をついた。
……*
そのシンはというと、ゼラニウムの廃屋で執事服を着た老人と依然として戦闘を繰り広げていた。
尤も、シンに戦意は無い。誘拐犯の一味だと誤解されているのは癪だが、戦う理由が無い。
ただ、老人の操る槍が非常に厄介だった。
予備動作が殆どなく、最短距離で自分へと向かってくる。
「ッ……」
ミスリルの剣。その腹で受け止めても、彼の槍はその動きを止めない。
到底重い一撃だとは思えないのに、触れた瞬間から強烈な圧が掛かる。
思えば、最初の一撃もそうだった。柄での一撃を地面へ受け流した時。想定以上に床が破壊されている。
剣は弾かれるが、シンは身体を捻る事で迫りくる穂先を躱す。僅かに裂けた袖の切れ端が、槍へと張り付いた。
(すごいちから? ううん、ちからの向きがかわってるような……。どんな魔導具なんだろ?)
栗毛の少女はシンと老人の攻防をじっと眺める。動きが眼で追えている訳ではない。
思ったよりも槍の威力が高くて驚いているだけ。だが、それが槍の特性なのではないかという正解にたどり着こうとしていた。
槍に掛かる重力の向きだけが変わってい。故に吸い込まれるように速く、強烈な一撃を与える事が出来る。
彼女はまだ『重力』というものを知らない。故に言語化が出来ない事だけがもどかしかった。
少女は魔導具が大好きで、これも何かの魔導具。もしくは魔術付与が付与された武器だと考える。
だが、実際はもっと貴重で、偉大な物だった。
マギアにて存在が確認されている唯一の神器。銘は宝岩王の神槍。
武と大地を司る神、テスカグラフの加護を受けた槍だった。
シン達のいる時代でも宝岩王の神槍はマギアに存在しているが、その継承者は王族ではない。
元々マギアの王族は魔導石の発明以降は、魔導具に傾倒している。魔導石さえあれば、神器は不要とさえ考えている。
神器に固執しておらず、その所在にも興味が無い。故に、とある貴族に仕える武人が所有している事を知る者は殆ど居ない。
武人自身も、名声には興味が無かったので尚更その名が世に広まる機会を失っていた。
実際に神器と相対しているシンも、宝岩王の神槍の所在を知らない。
彼も魔導具が発展したマギアで生きていた人間なので、深く考える機会が無かったともいえる。
「小僧。やはり小悪党にしておくには勿体ない。この砕突のオルテールの攻撃をここまでいなす者は、そうおらぬぞ」
宝岩王の神槍の継承者である老人、砕突のオルテールは再び槍を真っ直ぐに構える。
マギアの人間という事でオルテール自身の魔力も決して高くはない。神槍に喰わせる魔力は、左程持ち合わせていない。
それでも存分に神器の能力を使いこなしているのは彼が単に祈りを捧げているからだった。
武と大地の神に、毎日欠かさず祈りを捧げる。護るべき者を、護れるだけの力が欲しいと。
神は毎日捧げられる純粋な祈りに答えた。それが、宝岩王の神槍の力の源泉。
愛と豊穣の神に命を捧げるリタと、同種のもの。
故に怒りを抑える事が出来ない。愛すべき主君を傷付けた物に、相応の痛みを与えなくてはオルテールは収まらない。
問題なのは、その相手は全てシンが倒してしまったという点。極限にまで高められた忠誠心が、極限にまで視野を狭めている。
「それは誤解だって、何度言えば判るんだ!?」
「黙れ! 言い逃れしようなど、男の風上にも置けぬ奴め!」
シンの言葉に一切耳を傾けず、オルテールは神槍を突きつける。
重力の向きをかえられた穂先は、シンに向かって落ちていく。
「ああ、もう!」
ミスリルの剣から水の羽衣を出し、向かってくる穂先の前へと広げる。
薄い魔術付与で張られた防護膜を、穂先が容赦なく貫通していく。
それで構わなかった。シンは、その様子が見たかった。
触れた瞬間、広げた羽衣が自分に向かってへこんだのをシンは見逃さなかった。
穂先が触れて、貫かれるまでの一瞬。確かに、貫く勢いより先に羽衣は自分の方へ靡いていた。
はためいている訳ではない。だから、風ではない。他にもっと適切な表現は無いかと考えている間に、槍はシンの眼前にまで到達する。
さっきまでの繰り返しのように、ミスリルの剣。その腹で槍を受け止める。
やはり、軽く突いたとは思えないような強烈な一撃だった。気を抜けば、壁にまで吹っ飛ばされそうなぐらいに。
(いや、違う)
数度の攻防を経て、シンも少女と同じ答えにたどり着く。
吹っ飛ばされるのではなく、落ちていく方が表現としては適切ではないかという感触。
補足するなら、重力弾に近い影響を槍の穂先から感じ取った。
(――重力か!)
あの槍の穂先と同じ方向へ、重力が働く。理屈は解らないが、起きている事象には納得がいった。
それならば、最小限の動きから鋭い突きが生まれる事も理解できる。それでいて、吹き飛ばされそうな程の破壊力が存在する事も。
最初に床を貫いたのも、穂先の向きを変えたからに違いない。
(この小僧、宝岩王の神槍の能力に気付いたようだな)
一方で、オルテールもシンの様子から自分の神器が齎す能力を理解された事を察した。
今でこそ執事を兼任しているが、彼もまた百戦錬磨の強者。
ここまで攻撃を受けきっているシンに油断する気等、毛頭も無かった。
互いが深く呼吸をする。独特の緊張感が、廃屋の中に張り詰める。
無益な戦いを止めないといけない立場にある少年でさえも、その空気に呑まれた。
「じ、じい……」
それでも、止めなくてはいけない。誰よりもオルテールの強さを知っているからこそ、少年はそう考える。
このままでは、自分を助けてくれた親切な青年が誤解で殺されかねない。
精一杯声を張ろうとした彼を止めたのは、栗毛の少女だった。
「あのにーちゃんならだいじょうぶだ。おまえも男なら、このたたかいをみまもるんだ」
少女の眼は真剣そのもので、親切な青年を信じ切っているようだった。
少年は雰囲気に流されて、頷いてしまう。二人の強者による戦いを、見守る事を選択してしまった。
きゅっと口を紡ぐ少年に対して、少女は眼を輝かせていた。
あの不思議な槍をもっと見たい。青年の剣から出た水の布みたいなものは、一体何なのか。
老人はうっすらと笑みを浮かべている。きっと青年を殺すつもりは無いのだろう。
青年は難しい顔をしているが、同じく老人を殺すつもりはなさそうだ。
だったら、観察してもいいのではないか。少女の好奇心が、必要の無い戦いを続けさせる。
「――ハァッ!」
オルテールが突きを繰り出す。今までより腰の入った、より速く落ちていく突き。
対するシンは同様に、ミスリルの剣から水の羽衣を出現させた。
「無駄だ! その程度の膜など、また裂いてくれる!」
「――分かってる」
動作に迷いが生じる事なく、オルテールの突きは水の羽衣に触れる。ここまでは、先刻の攻防と同じ。
違う点は、貫いた瞬間から始まる。
鋭く襲い掛かる槍の先端が水の羽衣を貫いた瞬間に、シンは腕を下げる。
穂先は羽衣の動きに引っ張られ、軌道がほんの僅かに下を向く。次の瞬間には、シンが剣の刀身で穂先を叩いていた。
下を向いた槍は、床へと吸い込まれていく。穂先は瞬時に床板を抜き、槍の自由が奪われる。
「小癪なッ!」
オルテールが舌打ちをする間に、シンは前へと踏み出す。
足元の柄を強く踏み、更に槍の自由を奪う。そのまま槍を奪おうと、宝岩王の神槍の柄を握った瞬間だった。
「――!?」
シンに襲い掛かるのは、強烈な重み。
重力の影響を受けた訳ではない。シンの肩を外すのかという勢いで、急激に宝岩王の神槍がその重さを増す。
継承者以外が神器を扱おうとする事に対する、神器からの拒絶反応だった。
「その槍から、手を離せ!」
シンが握った事により、オルテールもまたその重みを感じる事となった。
一刻も早く取り返さなくてはならないと、シンの手を掴もうとする。
宝岩王の神槍から手を離す事により、シンは間一髪手を掴まれる事を避ける。
そのまま逆にオルテールの手首と胸倉を掴み、背負い投げを試みた。
「甘いわ!」
しかし、オルテールもまた百戦錬磨。シンの手を瞬時に解き、逆に彼の襟元に指を潜らせる。
何十年も研鑽を続けた、分厚い指がシンの首へと触れた。
「そうはさせるか」
自由にさせてはいけないと、シンはその指を払いのける。
オルテールには劣るものの、彼にもまた己の身を苛め抜いて作り上げた身体がある。
掌の硬い感触が、オルテールにも伝わる。
「やりおるな、小僧……」
感心すると同時に、オルテールの脳裏にある疑問が浮かび上がる。
触れた硬い感触。垣間見えた、傷だらけの手。とても誘拐などという卑劣な行為に走る人間だとは、到底思えない。
現にこの男は、自分から攻撃を一度も仕掛けてはいない。全て受け止めるか、反撃を試みているだけだった。
一度疑問を持てば、頭が冷える。
オルテールはここで漸く、周囲を見渡せるほどの視野を獲得した。
壊れた廃屋の家具に紛れて、大の大人が三人も寝ているではないか。
安い、大した事のない剣を持ち、楽をしようという考えだけが前面に押し出されているだらしない身体。
目の前にいる青年の仲間とは、似ても似つかぬ存在。
「つかぬ事を訊くが……。小僧、この寝ている者どもの仲間ではないのか?」
「最初から、そう言ってるだろう」
「では、儂の持つ神器にも興味が無いと?」
「神器だと……!?」
そう言われて、シンは得心が行った。この時代の魔導具にしては、異様なまでな完成度を誇る武器だと思った。
魔術付与されているにしても、アメリアの持つ水の羽衣を軽々と貫くようなものをこの時代のマギアで用意出来るとは思えない。
神器と言われれば、全てが納得できる。きっと自分が奪おうとしたのも、継承者ではないが故の拒絶反応なのだと理解をした。
「アンタを抑える為に一時的に奪う必要はあると思ったけど、盗もうとまでは思ってなかった。
そもそも、それが神器だと知ったのは今だ」
「そうか……」
老人から怒気が消え去り、握られた拳が解ける。彼から戦意が失われた事を確認したシンは、安堵のため息を吐いた。
このまま戦っていれば、多少の怪我は覚悟しないといけなかった。
そう思うと、無事に事が済んだだけでも儲けものと思うべきなのかもしれない。
「『そうか……』じゃないよ! じいや、この人は違うって言ったよね!?」
戦いが終わったと見て、少年がオルテールの元へ駆けつける。
小さな子供に叱られる武人の姿は不思議な光景で、栗毛の少女はケタケタと笑っていた。
……*
その後、憲兵が到着した事により誘拐犯は無事に引き渡された。
オルテールと少年は何度もお礼と謝罪をして、そのまま自分の屋敷へと帰っていった。
シンはというと、栗毛の少女を連れてゼラニウムの市場を歩いている。
いくつか欲しいという魔導具を買うと言って聞かないので、せめて買い物の間だけでも護衛をする事にした。
「……にいちゃん、ありがと」
夕焼けが市場を照らし街中が朱色の染まる中、少女は一本にまとめられた髪を尻尾のように振りながら言った。
「俺の方こそ。香水買ってもらっちゃったしな」
「ははは。それはださいから、こんどはちゃんと自分で買うんだよ」
「……そうだな」
ケタケタと笑う少女の頭に、シンはポンと手を乗せる。
その隙をついて、彼女は少し照れながらシンに腕輪をつけた。
「それ、ふたつ買ったからあげるよ。魔術をいっかいだけホカンできるらしいし。
こわいやつとたたかう時に、つかって!」
皮で作られた腕輪には、魔石が散りばめられている。
本日の目当てだった魔法の腕輪。そのひとつを、彼女はシンへ譲る。
照れくさくて口には出さないが、彼女なりのお礼だった。
「いや、香水貰っただけで十分だ。これは受け取れない」
「そう言わずに! にいちゃん、ちょっとカッコよかったからサービス!」
そう言うと少女は、シンの元を離れ元気いっぱいに走っていく。
「ここでいいよ、またね!」
沢山の荷物を抱えながらも、少女は大きく手を振る。
シンはそれを返しながら、少女が見えなくなるまで見送っていった。
「またね……か」
そんな機会はあるのだろうかと、シンは貰った魔法の腕輪をじっと眺めていた。
叱られてしょげくれたアンダルと、「もう!」と鼻息を荒くしているイリシャを見つけたのはそれからすぐの事だった。
……*
「もう、じいやは人の話をちゃんと聞いてよ!」
「面目ございません……」
少年は屋敷の庭で、頬を膨らませながら木剣を振っている。
その隣では、指南役のオルテールが小さくなっていた。
「でも、あのおにいちゃんすごかったの?
オルテールがやっつけられない人、はじめて見たよ」
屋敷に帰ってからというものの、少年はずっと自分を助けてくれた青年の話ばかりしている。
今回の件で、どうやら彼に憧れてしまったらしい。いつもは剣と並行して行うはずの槍の稽古も、本日はやりたがらない。
「儂も本気ではありませんでしたが、あの小僧も同様でしょうな。
何より度胸がある。もう一度戦いたくはありませんなあ……」
「そもそも、いっかいも戦わなくてよかったはずなんだけど」
「はっはっは! これは坊ちゃまに一本取られましたな!」
屋敷の庭に、オルテールの笑い声が響き渡る。
少年は呆れて何も言えなかった。
「しかし、オルガル様もあの者ほど強くなれる素質を秘めております。
その頃には心身立派な武人となりまして、儂も神器を任せられますでしょう」
「……うん。じいやの神器は、まかせてよ!」
「勿論ですじゃ。では、そのために槍の稽古を……」
「うーん。今日は、剣だけでいいかな」
がっくりと肩を落とすオルテールを見て、少年はくすくすと笑っていた。
……*
「たっだいまー!」
夜の屋敷に、元気いっぱいの声が響き渡る。
天真爛漫な笑顔を迎え入れたのは、少女の両親だった。
「おかえり、ベル。遅かったじゃないか」
「うん! ほら、こんなに魔導具かってきたんだ!」
そういって、ベルと呼ばれた少女は玄関先に買ったばかりの魔導具を並べていく。
あまりに楽しそうに並べるものだから、両親はそれ以上何も言えなかった。
「ベルちゃん、今日はとても嬉しそうね。魔導具を買えたことがそんなに嬉しかったの?」
「うん! すごいにーちゃんがいてさ! ビンボーだけど、つよくてさ!
剣とかもびゅーって水がでてきて、ヘンなじーさんとバトルしてたんだよ!」
身振り手振りで話すベルの姿に、両親は顔を見合わせる。
娘が楽しそうなのは喜ばしい事だが、何を言っているのかさっぱりわからない。
「ベルちゃん。お母さん、もうちょっと女の子らしいことも覚えてくれたらうれしいかなー」
「んー? むり、つまんないもん」
即答するベルに、彼女の母親はがっくりと肩を落とす。
小首を傾げるベルを持ち上げたのは、彼女の父親だった。
「ベルは、ベルの好きなことをやればいいさ。
だけど、一人で買い物は危ないから行っちゃだめだ。お父さんかお母さん。せめて、執事の人を連れて行きなさい。
今日はたまたま何も無かったかもしれないけど、いつ怖い人に誘拐されてもおかしくないんだからな?」
「……はーい」
ここで自分が誘拐されかかったと言えば、両親はどんな顔をするだろうか。
ベルの脳裏に、そんな事が過ったが口にはしない事にした。
今日の出来事は、彼女にとって特別な一日だから。
たくさんの魔導具を買えて、ちょっと変わった青年に会って、不思議な剣や槍を目の当たりにした。
神器というのはよく解らないけれど、今日みた魔導具より凄い物を作りたいという欲求が生まれてしまった。
そんな彼女が魔導石を生み出し、この国に反映を齎すのはもう少し先の話。
ただ、天才発明家ベル・マレットは、この日に産声を上げた。
切欠となった青年との再会を果たすのは、これから少し先の未来。
青年が、少年の頃の話となる。




