144.栗毛の少女
リカミオル大陸。マギアに存在する街、ゼラニウム。
マギアに反映を齎した天才発明家、ベル・マレットが住まう街。
……というのは、あくまでシンが普通に過ごしていた時代の話。
30年前以上前の世界に広がるゼラニウムは、シンの知っているものとは大分様相が違っていた。
「ここが、ゼラニウムなのか?」
道幅は狭く、もしマナ・ライドがこの時代にあれば、走る度に歩く人間を轢きかねない。
建物にしてもそうだ。造りが自分の時代よりも簡素なものが多い。
「そうよ、何かおかしい?」
「俺の居た時代までに、大分様変わりしていると思ってな……」
イリシャとアンダルは、当然だと言わんばかり街の中を進んでいく。
シンだけが、自分の知っているゼラニウムとの違いを興味深く観察していた。
「マギアなんて、こんなもんだろ。領土は広いし、そこそこ資源はあるがそれだけだ」
領土だけ広い弱小国家。それが彼らのマギアに対する評価。
それがあと30年どころかもっと短い期間で、魔導大国とまで呼ばれるようになる。
改めて魔導石。そしてそれを開発したマレットが稀代の天才であるかを、目の当たりにしたような気がした。
……*
「じゃあ、わたしはギルドへ依頼完了の報告と、ちょっと薬を調合するつもりだから。
アンダル。シンのこと、お願いしてもいいかしら?」
昨晩の野営で、アンダルもシンの事を受け入れただろう。
シンに至っては、元々アンダルを慕っているのだから何も問題はない。
二人で親睦を深めさせてあげようという、イリシャの配慮でもあった。
「ああ、任せとけ!」
ドンと胸を叩くアンダルの姿を見て、イリシャは安心をした。
なんだかんだ言って、彼もいい大人なのだ。後の事は任せようと、イリシャは冒険者ギルドの中へと消えていく。
その様子を、アンダルはじっと眺めていた。
「見たか?」
「……何を?」
彼曰く、扉を開いた際に発生する風が、彼女の銀色の髪を美しく揺らす。
それを後ろから見るのが、神秘的で堪らないそうだ。
シンにはさっぱり解からなかった。
「お前、アレを見て何も思わないのか!?
あの髪がふわりと揺れて、肩に着地する瞬間を!
絹糸のような髪が振られて、こう……儚さと美しさに紛れた色気が顔を出すんだよ!」
「ごめん。本当に解からない。じいちゃん、もしかして女の人全員そんな感じで見てたのか?」
意外というか、自分が幼少期の頃はそんな素振りを見せていなかった。
若干引き気味のシンを、アンダルが手招きをしながら否定する。
ノッて来ないにしても、ここまで引かれるとは思っていなかった。
「待て、引くな。儂が年から年中発情しているみたいじゃないか。儂は今も昔も妻一筋だ」
「悪いけど、全然説得力が無いんだよ。イリシャに執着してるしさ」
「イリシャは特別だ。なんだろうな、本当にシーリンに面影が似ているんじゃ。
それでいてあの美しさだろ? 眼が奪われるのは仕方がない。な、お前もそう思わないか?」
「綺麗だとは思うけどさ」
とりあえず話を合わせておくべきかと思い、シンは小刻みに首を上下させる。
適当な相槌を打たれているように感じたのか、アンダルは気に入らなかったようで、目を覆いながら天を仰いだ。
「まぁ、お前は未来のイリシャを見ているからそんな反応になるのかもしれないがな。
さすがに30年も経てば、多少変わっているだろう」
「え……」
「どうかしたか? 未来でも、イリシャは綺麗なのか?」
「ああ、うん。イリシャは未来でも綺麗だよ」
今の会話から、判った事がある。アンダルは、イリシャが不老だとは知らない。
考えてみれば判る事だった。そもそも、彼女が家族の元を去った理由が不老なのだからおいそれと話す訳もない。
危うく口にする所だった。過去に飛ばされたという状況と、久しぶりにアンダルと逢えたからだろうか。どうにも気が緩んでいるようだった。
「そうかそうか。まぁ、イリシャなら何の不思議もないな。
――で、小僧。お前はいつまで儂にくっついているんだ?」
「え? だってイリシャが……」
イリシャの名前を出すと、アンダルは大きなため息を吐いた。
気怠そうに、呆れたように煙でも吐くのかというぐらいに。
「小僧、いいか? 確かにお前の強さは認める。まぁ、それなりに覚悟を持っているのも分かる。
しかしだ! 儂にはやらねばならぬことがある。お前の世話なんて、しているヒマはねぇんだ。
お前もいい大人なら、言われた通りにするだけじゃダメなのは判るだろう?」
「……ちなみに、何するの?」
「酒だ! 儂はひと仕事終えたら、絶対に飲むと決めておるんじゃ!
いいか小僧、儂は野郎と酒が飲みたいわけじゃない。そこの酒場に居るから、適当な時間にお前が戻ってこい」
「ええ……」
アンダルはそれだけ言うと、昼間の酒場へ姿を消した。
様子を覗くと、鬼の形相で睨まれたでシンはそのまま踵を返した。
「どうすればいいんだよ」
シンはポリポリと頭を掻きながら立ち尽くす。
ふと、古代魔導具の短剣を抜いてみる。
ずっと淡い光を放っているので、いつの間にか確認するのが癖になってしまっていた。
「……なんだ、これ?」
抜き出した短剣は、昨日と今日では僅かな違いがあった。
刀身が、僅かにだが短くなっている。何度も見た、何度も武器として使用した獲物だ。目測を誤るはずがない。
シンの眉間に皺が寄る。
奇妙な変化だけが与えられて、自分が何をするべきか見つける事が出来ない。
フェリーや仲間の無事や邪神の事を考えると、悠長にしていていいはずがないのに。
焦りとは裏腹に、古代魔導具は今日も淡く輝いている。
……*
ゼラニウムの市場。
ここには、世界各地から様々な物が集まる。
珍しい食べ物や、薬、衣類だけではない。魔石、魔導具だって売っている。
何だったら、怪しげな骨董品すらも置いてある。この間なんて、効果覿面の惚れ薬だと言って若い男性の興味を惹いていた商人さえも居る。
そんな中で、幼女と言っても差支え無い年齢の女の子がひとりで目を輝かせている。
古今東西あらゆるものが集まる、マギア一番の市場。心が躍って仕方がない。
高い位置で結ばれた栗色のポニーテールを尻尾のように揺らし、まん丸な目を輝かせながら品定めをする。
身なりが良い事から、貴族の娘だろうと思った商人があれやこれやと話し掛けてくる。
東の国の民族衣装や、西の国の伝統的な玩具。子供だと思って、大層な値段でぼったくろうというのが見え見えだった。
子供の身なりにそれなりのお金を使っているのだから、可愛い娘のおねだりなら親も財布の紐が緩くなるだろう。
姿の見えない両親の存在に期待しつつ、彼らは少女へ営業を仕掛ける。
しかし、商人達は見誤っていた。
一点だけは当たっている。それなりにお金を持っているという事だ。
少女は確かに貴族の娘だし、両親から愛されている。ただ、その両親がこの場に居ないとは露知らずに営業を仕掛けている。
更に言えば、彼女はそのようなものに興味はない。
身に着けているものだって、両親の趣味でそのまま纏っているだけだ。そこに本人の意思はない。
玩具だって木の板を重ね合わせた玩具や、木の輪っかを連ねた程度のものに興味が無かった。
専ら少女の興味を引くのは、余にも不思議な道具。魔力が込められた、魔導具だった。
とても4歳の少女が興味を持つものではない。両親の知人からはよく、変わった子供だと評される。
彼女からすれば、ただ木の板や輪っかをカチカチと鳴らす事を楽しむ方が不思議でしょうがなかった。
何がどうなって、不思議な現象を引き起こすのか。魔導具の方が、よっぽど楽しいではないかと少女は思う。
そんな彼女が両親も執事も同行せず、ひとり屋敷を飛び出したのには理由がある。
風の噂で耳にした情報。自分の欲しかった魔導具が、ゼラニウムの市場に並んでいるという噂だった。
魔法の腕輪。
腕輪に取り付けられた魔石へ、魔術をひとつだけ保管する事が出来る。
保管された魔術は、術者以外でも発動をする事が出来る。
魔術を保管すると言えば聞こえはいいが、取り付けられた魔石の許容量を超える魔術を保管する事は出来ない。
そして何より、大きな問題が使い捨てという点だった。
一度保管してしまえば、もう魔術を取り換える事は出来ない。
魔術を放てば、そこでお役御免になる。再充填も出来ない。
それでもこの時代では画期的な魔導具であり、魔術が使えない者の心強い味方となった。
仲間の魔術師に魔術を保管してもらう事で、連携の幅も広がる。
魔術大国ミスリアが造り出した、この時代で最も売れた魔導具のひとつでもある。
「おっちゃん! 魔法の腕輪ちょーだい!」
屈託のない笑顔で、少女は指を二本突き出す。
商人は困惑したが、彼女が金貨を取り出すとコロリと態度を変えて快く譲ってくれた。
「へっへっへ~。あとはどーすっかな~」
自分の腕にはぶかぶかの、掌には収まりきらない腕輪が二本。
目当ての物を手に入れ、ご満悦な様子で少女は市場を歩き続ける。
しかし、ご機嫌であるが故に彼女は気付いていなかった。
幼い子供が財布から金貨を取り出す意味も、それを見ている人間が居るという事も。
……*
財布の中身のはまだ余裕がある。他にも欲しい魔導具は沢山ある。
目ぼしい物を、後数点買おうかと少女が散策をしている時だった。
「あら、お兄さんお目が高いわね。その香水、この辺で採れた花から作られているのよ。
カノジョにプレゼントすると、きっと喜ぶわよぉ」
そう言って、足を止めて香水をまじまじと見ているのは黒髪の青年。
腰には剣が下げられており、鞘にはあちこち傷が入っている。
(ぼうけんがえりかな?)
そう思う程に、男の身なりは泥や血で汚れていた。
もしかすると、治療薬でも買いに来たのかもしれない。この市場なら、大抵のものは手に入る。
しかし、彼がじっと見ているのは香水なのだ。
眉間に皺を寄せ、無言で香水の入った瓶とにらめっこをしている。
意を決したのか、青年は財布を取り出す。どうやら生意気にも女が居るらしい。
そう思っていたのだが、じっと財布の中身を見た後に彼はそのまま財布をしまう。
(買わないの!?)
少女はその所作に、やや苛立ちを見せていた。
迷った挙句、財布まで取りだして買わない。金が入っていなかったのだろうか。
もう思うと、眉間に皺を寄せているのもがっかりしているように見えるから不思議だった。
こんな情けない男の傍にいる女性は、さぞかし不幸なのだろうと思ってしまう。
「はぁ……。おばちゃん、これちょーだい」
ため息をついて、少女は青年の隣へと立つ。
普段ならこんな事は絶対にしない。むしろ、両親や友人に変な人間を見つけたと笑い話にするレベルだ。
ただ、今日は機嫌が良い。魔法の腕輪を買えて、まだまだお金も残っている。
その精神的余裕が、少女に本来なら一切興味の無い香水を買わせた。
「あら、可愛いお嬢さん。香水を買っちゃうなんて、おませさんねぇ」
ニコニコする商人から、少女は香水を受け取る。
その様子をぼんやりと見ていた冴えない青年に、少女は買ったばかりの香水を差し出す。
「ほら、あげるよ」
「……俺に?」
初対面の少女に香水を突き出されて、青年は困惑の表情を見せる。
察しが悪い男だと、彼女はまたため息をついた。
「ほんっと、にーちゃんはカイショーなしだな。
カノジョにあげたいけど、おカネないんだろ? アタシが買ったげるからさ!」
「いや、別に金が無い訳じゃ……」
「はいはい。いーわけはみっともないよ。ここはスナオに受けとってよ」
そう言うと少女は、押し付けるように青年へ香水の入った小瓶を渡す。
彼女が手を離したので、落としてはいけないと青年はそのまま受け取る形となってしまった。
「じゃ。にーちゃん、カノジョとなかよくするんだよ」
少女はそのまま、青年の方を振り返る事なく右手を上げて去っていく。
腕に掛けられたぶかぶかの魔法の腕輪が、カランと音を立てた。
(きまった……)
ガヤガヤと音を立てる人込みを歩きながら、少女は自画自賛をしていた。
お目当ての魔導具を手に入れ、更に完璧なる貴族の振舞を魅せてしまった。
こんな事の出来る4歳児が他にいるだろうかと、誰かに問いかけたくなる程に。
少女は自分が思っている通り、何ひとつ悪くはない。
ただ、不用心だったのだ。
「――む、ぐぅ!?」
不意に路地裏へ引きずり込まれる。口元を抑えられ、声が出せない。
目線を動かしても、誰がそんな暴挙を振舞っているのかが一切見えない。
「へへへ。ガキの癖にそんな高級なモン買っちゃって、どうするんだい?
お嬢ちゃんじゃ、宝の持ち腐れだろう。おじさんたちが、ちゃーんとお金に換えてあげるから」
「そうそう。それに、お嬢ちゃんも可愛らしいね。大事にされてるんだろうね。
お父さんとお母さん。たくさんお金を払ってでも助けたいだろうねえ」
血の気の引くというのは、こういう事を示すのだろうか。
いつも市場に出る時は、両親や執事が居た。あれは、傍に居て守っていてくれていたのだ。
魔導具を買う事に反対されると思って、勝手に家を出た自分は何て浅はかだったのかと思い知らされた。
「むーっ! むーっ!」
少女は噛みついてでも逃げようと思ったのだが、口を開く事すら出来ない。
欲しい物が買えて、善い行いもした。最高の一日になるはずだったのに、どうしてこんな目に遭わなくてはならないのか。
猿轡をされ、麻袋に詰められようとした時の事だった。
「――むぐっ!?」
自分の身体が宙に浮く。むしろ、落下していく。
地面との距離は分からない。痛いのは嫌だと強く目を瞑ったが、落下は途中で止まった。
誰かが、麻袋を掴んだからだった。
ガサガサと袋の口が開いていく。
抱きかかえるように自分を持ち上げた人物には、見覚えがある。
「大丈夫か?」
先刻、露店で哀れな姿を晒した貧乏な男。
自分が、香水を買って与えた黒髪の青年がそこに居た。
金もなく、身なりもボロボロ。到底頼れるような風貌をしていない。
それなのに、少女は不思議と安心をしていた。