143.星空の下、己に誓う
「未来から来ただぁ?」
胡坐の上に肘をつけ、気怠そうに頬杖をつく初老の男。
アンダル・ハートニアは馬鹿馬鹿しいという表情を作りながらシンの話を聞いていた。
「そ、不思議でしょ?」
縫合を終えたイリシャが、手を洗いながら面白そうに言った。
対照的にアンダルは面白くなさそうな様子で口を尖らせる。視線の鋭さからまだ疑われているのだと、シンも理解をした。
「イリシャ。本気で信じているのか?
多少、ヘンな奴の方がお前の印象に残るとかそんな理由でついたウソかもしれんだろう」
「そうは言ってもねえ。わたしとしては、物的証拠もあるし信じるしかないもの。
世界は広いのだし、不思議なこともたくさんあるわ」
自身が不老という特殊な存在だからか、自身の結婚指輪を見せられたからか、イリシャはシンの話を頭ごなしに否定する事は無い。
それどころか、既に彼の主張。その大筋を受け入れている。
「だとしてもだ、儂は子供もおらんのだぞ? どうしてじいちゃんなんて呼ばれる筋合いがあるんだ?」
「俺も本当の孫じゃなくってさ。近所に住んでるじいちゃんだったんだ」
「あれ? でもさっき、カランコエの出身だって言ってなかった?」
「ああ。そうだけど」
イリシャが首を傾げるが、シンは何がおかしいのかが理解できていない。
物心ついた時から、アンダルは近所に住んでいた。何もおかしい事は無い。
「なんで儂がマギアに住まなきゃならないんだ。儂はネクト諸島の出身だ。
カランコエなんて、行った事もないわ」
「あら、家は処分して根無し草って言ってたじゃない。
案外、カランコエの村を気に入って住むのかもしれないわよ?」
「知らん。儂はもう死ぬまで旅をし続けると決めとる。
未来から来たかなんだか知らんが、こんな小僧の言われた通りにするつもりはない!」
顔を背けるアンダルは、まるで子供のようだった。
このままではまずいと、シンは焦って弁明を始めた。
「ちょっと待ってよ。アンダルじいちゃんが近所に住んでいたのは事実なんだ。
俺はじいちゃんに魔術を教わっていて……」
その言葉に、アンダルの眉が微かに動く。
ここで初めて、彼はシンの存在に興味を持った。
「教わっていて……? つまり、儂の弟子ってことか?
ふむ。この儂も、弟子を取るほど丸くなってるとはなぁ……。
ま、儂の才能を継ぐ者は確かに必要だしな。うんうん。それなら、マギアに住む事もあり得るのか」
ひとしきりの自画自賛を済ませ、アンダルは力強く何度も首を上下に振る。
シンが小さい頃、アンダルは自分とフェリーに沢山の話をしてくれた。
その中のひとつが、冒険者時代の話。因みに彼はイリシャの話をした事がない。
いや、仮にしていても子供の自分達が知らない人物だから聞き流していただけかもしれない。
昔話をするアンダルは魔術で色んな魔物をバッタバッタと倒しており、子供の頃に憧れた事を思い出す。
「それで? 儂の弟子はどれぐらい魔術が使えるんだ?」
出逢った時とは打って変わって、アンダルは期待の眼差しをシンへ向ける。
ばつが悪くてその視線を直視できないまま、シンは彼から眼を逸らした。
「どうした? 弟子よ、久方ぶりにあった師匠の前だからって照れなくてもいいだぞ?」
「シン? 見せてあげればいいじゃない?」
アンダルはどころか、イリシャまでシンの魔術に期待をしている。
事実、彼女は期待をしていた「毒の大蛇を圧倒するぐらいだから、きっと魔術も凄いに違いない」と。
その表情が読み取れてしまったシンは、益々ばつが悪くなる。
「いや、その……。使えない……」
「ん? なんだって?」
ぼそっと、逃げるように早口気味にシンは言った。
笑顔のままで訊き返すアンダルの顔を見て、更に胸が痛む。
「俺……魔術、使えないんだ。魔力が殆どなくて……」
「いやいや。意趣返しのつもりか? そんな冗談は要らないぞ。
流石に、弟子に取るぐらいなんだから魔力がどれぐらいあるかは儂だって把握するだろう」
笑い飛ばすアンダルだが、シンは反対に顔を俯かせる。
幼少期にどれだけ呼ばれ、どれだけ教え込まれても一切使える事が無かった魔術。
今でこそ気にしてはいないが、子供時代は少しだけ落ち込んだりもした。
フェリーも魔術の扱いが下手ではあったが、自分のように何も出せないという事は無かった。
村の人間だって、自分よりは魔力を持っている人達ばかりだ。明確に魔力を用いて何も出来ないのは、自分だけだった。
とうの昔。何なら、フェリーが不老不死になる前には割り切っていた事。
それがまさか、今になって世話になった人物を傷付ける結果になるとは思ってもみなかった。
「本当……なのか?」
神妙な顔をするシンの様子から、それが本当なのだとアンダルも気付いた。
シンは徐に手を広げ、魔力を練るイメージ。炎を創り出すイメージを浮かべる。
だが、結果は何も変わらない。他の人間から見れば、ただ手を広げているだけだった。
「ごめん。じいちゃんの教え方っていうより、俺なんだ。
俺が単純に、才能が無かっただけなんだ」
「ちょっと、手ェ貸して見ろ」
アンダルは、広げたままのシンの右手を取る。
そこには確かに、欠片程の魔力も感じられない。練り込むのが下手という問題ではなく、触れていても魔力の存在が感知できないのだ。
「……確かに、魔力を全然感じないな」
「ごめん」
「お前が謝る事じゃないだろ、そこは」
魔力の総量は先天的に備わっているものだ。外見以上に遺伝しやすい特徴でもある。
だからこそ貴族はその血を護ろうと、より高めようとする。勿論、突然変異的に魔力の高い者が現れる事もあるが。
後天的に魔力の最大量を増すというのも不可能ではない。ただ、結局はそれも才能に依存する。
かと言って、シンのように魔力を殆ど持たない人間が稀有かというとそうでもない。
そのような人間は、他の仕事をするだけなのだ。農作物を作ったり、家を建てたり、料理をしたりと。
この世界には、魔力を使わないで生きていく方法はいくらでもある。戦わない人間の方が多いのだから。
だからこそ、アンダルは驚きを隠せなかった。
魔力を全く感じない代わりに、硬く分厚くなった手の皮。
豆が潰れて、裂けて、固まって。際限なくそれを繰り返した証。
それは紛れもなく、彼の研鑽の結果だった。
魔力を持たなくても、冒険者や騎士になる事は勿論出来る。
ただし、それは大きなハンデを抱える事を意味していた。
魔力は魔術に使用する以外にも、自身の肉体を強化する事が出来る。
殆どの人間は無意識にそれを行っており、名を上げるほどに高い魔力を有している。
この男は、それすらも望めないはずなのだ。
魔力による身体能力の強化も無い。そんな人間が己の身ひとつで毒の大蛇を圧倒した。
毒の大蛇の死体を見ていなければ、俄かには信じ難い事だった。
通常、この手の魔物は単独で戦う事はあまりない。大きさもさることながら、何より毒を持っている。
アンダル自身も単独で倒す自信はあった。離れた距離から、魔術を撃ち続ける。以前に倒した時と、同じ手段を用いて。
それでも万が一という事がある。だから、薬師であるイリシャと行動を共にした。
結果、はぐれてしまって彼女を危険な目に遭わせた事は深く反省をしている。
一旦その話は置いておくとしても、シンはやり遂げてしまった。
猛毒を持つ毒の大蛇を、剣一本で斃してしまったのだ。
勿論、イリシャに気を取られている間に先手を打てた事は要因のひとつだろう。
しかし、それでも猛毒を持つ大蛇へ接近するには相当の胆力を要求される。
かつては冒険者として名を馳せたからこそ、判る。
この男は、相当な数の死線を潜り抜けて来たに違いないと。
魔力を持たず。他人より遥か後ろのスタートラインに立ちながら。
「……じいちゃん?」
訝しむシンの声で、アンダルは我に返る。
僅か、本当に僅かではあるがこの男を認めてしまった自分に苛立った。
「じいちゃんって呼ぶな! 調子に乗るなよ、小僧!
儂一人でも、あんな蛇なんぞサクっとイチコロだったんだからな」
「わ、わかってるよ。でも、俺は小僧じゃなくて……」
「煩い! お前なんて小僧で充分だ!」
どうやらすっかり嫌われたらしいと、シンは珍しく落ち込む。
子供の頃、尊敬していただけに嫌われるのはどうも悲しい気持ちになってしまう。
勿論、この状況で彼が自分の事を信じられないのは無理もないと理解はしているのだが。
「もう、いつまで喧嘩してるのよ。それより、早くこの蛇解体しましょ?
このまま転がっているのも、気味が悪いわ」
腰に手を当てながら頬を膨らませるイリシャの声がこだまする。
命の危機に陥ったからなのか、彼女は毒の大蛇からありとあらゆるものを解体していった。
まずは牙。冒険者ギルドへ提出する事で討伐の証明とするのだから、理解は出来る。
次に、彼女は血を集め始めた。血清を作る為だというのだから、これも理解は出来る。
最後に、蛇の皮を剥くようにシンへ指示を出したのだった。
「高く売れるから、とにかく削いで!」
聞けば彼女とアンダルは、旅をする為の路銀を稼いでいる最中だという。
自分も、この世界でいつ金が必要になるかは分からない。ここは従うべきだと、毒の大蛇から大量の蛇皮を剥ぎ取った。
皮が剥がれ生々しくなっていく蛇の死体が気持ち悪いのか、イリシャは途中から直視しないようにしていた。
その後、もうひとつ請けていたという冒険者ギルドの依頼。
魔石と鉱石の採取を終えて一行は洞窟から脱出する事となる。
その間、シンは古代魔導具の短剣を小まめに観察していた。
短剣は変わらず、淡い光を放ち続けていた。
……*
洞窟の外に出ると、星明りが彼らを出迎えた。
すっかり暗くなり、洞窟の中以上に外は冷え込んでいる。
それでも、シンには判る。冒険者をやっていた頃、マレットの元へ定期的に帰っていた頃。
何度も目にした事のある風景。間違いなくここはマギアで、ゼラニウムの近くにある森だった。
「本当に、マギアなのか……」
イリシャとアンダルに聞こえないよう、シンが呟く。
何があって、三日月島……ラーシア大陸のマギアから、リカミオル大陸のマギアまで飛ばされたのか理解が及ばない。
しかも、30年以上昔に遡るというおまけ付きで。
ただ、解っている事はひとつだけ。この世界に、フェリーは居ない。
その事実が、シンの胸に孔を開ける。
「今日はもう遅いし、ここで野営にしましょうか。
ギルドには、明日報告へ行きましょう」
イリシャがポンと手を叩き、提案をする。アンダルは勿論、彼女の意見に賛成をした。
シンとしても、戻る手段が判らない以上は断る理由が無かった。
「いいか小僧、お前はあっちで寝るんだぞ。イリシャには指一本触れさせんからな」
「何言ってるの。アンダルもでしょ」
焚火の反対側にシンを追いやろうとしたアンダルだが、彼もまたイリシャへ追いやられる。
恨めしそうにアンダルが「お前のせいだぞ」と言うが、それもイリシャに「いつもそうでしょう」と窘められていた。
……*
夜が更けていき、見張りを担当する事となった。正確に言うと、代わってもらった。
魔物避けの焚火が、パチパチと燃え上がる。
手持無沙汰のまま、シンは枝を火の中へと放り込む。
本来なら、もう少しイリシャが起きておく予定ではあった。
休むように促したのは、シンだった。彼女の為ではない。自分がただ、眠れないだけだ。
「なんだ、小僧。見張りを言い出すなんて、何か企んでるのか?」
目を覚ましたアンダルが、シンの隣へと座る。
まだ警戒されているのかと思うと、居た堪れない気持ちになる。
「そういう訳じゃないけど。じいちゃんこそ、俺を疑うのは止めて欲しい」
「そうは言っても、儂からすれば疑う理由しかないもんでな」
アンダルの言う通りでもあった。彼やイリシャからすれば、自分の存在は相当に胡散臭い。
こちらが一方的に知っているのだから、余計にそう感じるのだろう。
「だが、お前が相当にデキる奴ってことぐらいは儂も見抜いている。
その気になれば、イリシャを人質にして儂を殺すぐらいは余裕だろう」
そこまで言われるのは、流石のシンと言えど心外だった。
「絶対にしないよ。これでも俺、じいちゃんのことは尊敬してる」
「よくお前、本人を前にして平然と言えるな」
「子供の頃は、言えなかったんだ。じいちゃんに逢えたんだから、伝えてみようと思っただけだよ」
アンダルが顔を向けると、シンは頬杖をついて視線を逸らしている。
さらりと言ったものだと思ったが、この男なりに照れてはいるようだった。
そして、同時にアンダルは気付く事になる。
シンの失言による、30年後の自分について。
「そうか、儂はお前の時代では死んでいるのか」
「……あ」
しまったという風に、シンは口元を手で覆う。
小さな声で「ごめん」という声が聞こえたので、アンダルは鼻で笑って返した。
「気にするな。年齢的にもおかしくない。
そうか、儂は死んでいるのか」
空を見上げるアンダルの顔は、夜空に輝く星よりももっと遠くを見ているように思えた。
何かを探しているのかもしれないが、シンには解らない。
「その、死因とかは……」
「要らん。いつ死んだとかも絶対に言うなよ。残りの人生がつまらなくなる」
アンダルは即座に、強い口調で言い聞かせるように返す。
シンはただただ、頷く事しか出来なかった。
「ただ、まあ。そうだな。いつまでもシーリンを待たせる訳にも行かないからな」
「シーリン?」
「なんだ、儂から聞いていなかったのか。先立たれた儂の妻だ。
お前、意外と儂のこと何も知らないんだな」
アンダルは鼻で笑うと、自身の事について話し始めた。
シンの話は「要らない。うっかり未来のことを知るのも嫌だ」と言って断固拒否をしながら。
彼は妻との馴れ初めから、病気で先立たれた事も。所々惚気ていたが、嬉しそうに話す彼を邪魔したくは無かった。
そこから彼が語り始めたのは、『命』の大切さについて。
「たったひとつしかないのに、それを失くしただけでもう会えなくなるなんて理不尽だよな。
いや、もう誰とも会えないシーリンの方が余程理不尽な目に遭っているか……」
そう語るアンダルは、とても悲しそうだった。
彼の気持ちは痛いほどに判る。互いに『命』があったとしても、今は大切な人に会う事が出来ない。
それからもいくつか話をして、ついにはその質問が飛び出す事となる。
「小僧はこれからどうするつもりなんだ? このまま帰れない可能性だってあるだろう」
アンダルの言う通り、どうやって訪れたのか解らない以上、帰る手段も思いつかない。
それでもシンは、自然とそう答えた。直前に聞いた、彼の言葉に影響されたのかもしれない。
「帰れなくても、30年待つ事になっても、逢うよ。
そうしてでも、逢いたいんだ。フェリーに」
たとえ戻れなくなったとしても、フェリーとだけは再会したい。どんな形となろうとも。
邪神の事も、勿論気掛かりではある。だが、この世界に居続けるなら止められるかもしれない。
フェリーの哀しみを、ひとつでも減らせるかもしれない。そうしないといけない。
そうじゃないと、自分を保てそうになかった。
知らない時間で、独りぼっちになってしまいそうで。
思い詰めたような顔をしているシンの姿を察してか、アンダルはシンの頭にポンと手を乗せた。
出逢った時のような警戒心や敵対心は、いつの間にか消えていた。
「……やれやれ」
仲違いをしないだろうかと心配していたイリシャが、安心をして眠りについたのはその直後の事だった。




