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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第一部:第十一章 選んだもの、誓ったもの
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141.きみと出逢った日

 光に包まれる瞬間。シン・キーランドは確かに見た。

 純白の子供が、小さな両手を広げている姿を。


 その手を掴むべきだったのだろうか。

 掴めば、何かが変わっていたのだろうか。

 どうすればいいか判らないまま、シンは光の中へと吞まれていった。


 ……*


 硬い感触が、身体に密着している。

 気付かない間に奪われていた体温を補填しようと、自然と身体を震わせる。

 

「っ……」


 ゴツゴツと頭に当たる感触が不快で、シンは目を覚ます。

 肩が凝って、背中が突っ張る。僅かに痛む頭を抑えながら、自分が置かれている状況の異質さに気付いた。


「なんだ、ここ……」


 視界は暗闇で覆われており、瞳に何も情報を何も与えてはくれない。

 自分がもたれかかっていた物が岩だという事だけが、手触りで辛うじて判った。

 肌に触れる空気がやけに冷たく、外気から遮断されている空間なのではないかと推測をする。

 端的に得た情報から導き出すなら、洞窟のような空間に似ている。


(……どういう事だ?)


 ここは三日月島ではない。いや、仮に三日月島だったとしてもおかしい。

 自分は洞窟になんて入っては居ない。それどころか、気を失う前までは戦闘を繰り広げていた。


 シンが背中に手をやると、痛みが走る。

 膨張していく黒い球体。邪神を呼び出す『扉』の破壊を試みた時だった。

 一瞬の隙をついて、サーニャは自分の背中を切り裂いた。大きな傷では無いが、その感触が今も背中に残っている。

 つまり、あの出来事は現実に起きている。古代魔導具(アーティファクト)の短剣を『扉』に突き立てたのも、夢ではないはずだ。


 そこまで記憶を掘り返して、シンはある事を思い出した。

 古代魔導具(アーティファクト)の短剣は、一体どうなったのだろうか。

 『扉』に突き立て、亀裂が入った事までは覚えている。


 身体を起こし足元を見渡すと、手探りをする必要すらなくすぐに見つける事が出来た。

 ミスリルの剣。その鞘の下敷きとなる形で転がっていた。

 魔力を吸い過ぎた影響なのか、刀身はほんのりと青白い光を放っている。とても淡く、神秘的な光。

 ずっと見ていると引き込まれそうになる所を、シンは頭を振ってリセットする。

 

 光を放つ物質。この短剣を拾った、ギランドレの遺跡でも似たような現象はあった。

 隻腕の魔術師(テラン)から魔力を吸い取り、壁が光を放つ。それを道標に自分達は歩みを進めていた。

 

 だが、今はまるで状況が違う。

 シンは古代魔導具(アーティファクト)に吸い取られる程の魔力を有してはいない。

 過去に何度かこの短剣を用いて魔力を吸い取った事はあるが、その魔力に反応して光を放った事など無い。

 ましてや、三日月島の中央からこんな暗闇の中に移動している説明がつかない。


「まさか……」


 脳裏に過ったのは、ここが死後の世界だという可能性。

 そうだとすればなんとも味気が無い。受けた傷さえも治っていないから、余計にそう感じてしまう。

 それだけではない。もしも死んでいるのであれば、シンには大きな後悔が残る事となる。


 自分の幼馴染で、大切な女性。フェリー・ハートニア。

 彼女を遺して逝ってしまったなど、考えたくなかった。

 約束も守れず、彼女を悲しませるだけ。護る自信がないからと、冒険に連れて行かなかった子供の頃から何も変わってはいない。


 情けなくなって、ふと口元へ手を伸ばす。

 自分の体温が、長時間地面に触れていた事で冷え切っている掌へ移るのを感じた。

 

 この温もりや、背中の痛みが死んだ人間のものであるはずがない。

 悲観的になってはいけないと、自分に戒められている気がした。

 

(そうだ、俺が諦めていいはずがない)

 

 フェリーを『救う』。彼女が望んだものを、与える。

 シンが自分で決めた事。訳の分からない状況に陥ったからといって、そう簡単に諦めて良い物ではない。

 彼女を永遠の哀しみの中へ幽閉させる訳には行かない。


 ここが何処なのかも、何故移動したのかも解らない。

 しかし、自分が歩みを止める理由にしてはいけない。

 邪神の『扉』が影響した結果なのかもしれない。だとすれば、フェリーや他の皆が気掛かりだ。

 

 まずは状況を正確に把握する為、シンは歩き始めた。

 古代魔導具(アーティファクト)の短剣が放つ、淡く儚い光。

 その頼りなさは、今の自分を象徴しているような気がした。


 ……*


 ああ、どうしてこうなったのだろう。

 彼女は頭を抱え、天井を見上げる。

 松明の向こうの広がる岩の塊は、何も教えてくれない。


 連れとはぐれてしまって小一時間。体感では数時間を越えている。

 腕っぷしに自信がない彼女は、段々と不安と焦燥感に駆られる。

 

 こうなった経緯を、冷静に思い返してみる。

 故郷へ立ち寄る為の旅費を稼ごうと、冒険者ギルドに立ち寄った。

 最近、旅に同行する事となった魔術師と二人で、この洞窟に関する依頼を請けた。


 依頼自体の実入りが良いという理由もあるが、洞窟内に生えている草や苔が薬の材料にもなる事を彼女は知っていた。

 ならば旅費の問題も一気に解決するのではないかと、二人でこの洞窟へ入る事を決めたのだ。

 

 故郷へは立ち寄るだけであって、決して帰るつもりはない。多少の未練こそあるものの、故郷を後にしたのは大分前の話になる。

 今はどんな風に景色を変えているのかすら知らない。思い入れのあるものはどれぐらい残っているのだろうか。

 それぐらい昔の事なのに、立ち寄ろうと考えた。

 少し、生きる事に疲れたからかもしれない。原点回帰というやつだった。


 組んでいる魔術師の男とは、決して付き合いが長い訳では無い。

 最初は森で薬草を採取していた時だった。たまたま、魔物討伐をする為に同じ森を訪れた彼と目が合った。


 自分の顔を見て、大層気に入ってくれたらしい。

 彼女自身、その手合いには慣れている。自慢では無いが、昔からよく異性に好意を持たれたものだ。

 まさか、初老の男にまで言い寄られるとは思っていなかったが。

 どうやら先立たれた妻の若い頃によく似ていたらしい。口説き文句としてはそう珍しくもないので、聞き流した。


 丁重にお断りしたのだが、初老の男は慌てて「そういうつもりではない」と言った。フラれたから見栄を張ったようにも思えたが、彼の尊厳を護る為に聞き流してあげた。

 ただ、少し話を聞いてみると彼も旅をしているらしい。当てもなく、ふらふらと。

 意外とウマが合ったのと、互いに路銀が必要という事で、この周辺にいる間は協力してお金を稼ごうという約束を交わした。


 彼の放つ炎と風の魔術はとても素晴らしいもので、魔物の討伐を避けていた彼女にはありがたい物だった。

 一方で初老の魔術師も高価な植物や鉱石に明るくなかったようで、完全に利害関係が一致した形となる。


 何度か組んでお互いの信頼感も増した二人は、意を決して洞窟の中へ潜り込む事を決意する。

 受けた依頼はふたつ。最近洞窟で発見された大蛇の魔物の討伐と、魔石や鉱石の採取。


 初老の男は言った。「その魔物は斃した事がある」と。

 彼女は言った。「その魔石と鉱石は、拾った事がある」と。

 完璧だった。懸念点など、一切存在しないはずだった。

 

 その結果が、遭難である。

 蝙蝠の群れに視界を遮断され、流されるままに足を動かした彼女は完全に魔術師の男を見失った。

 由々しき事態だった。とりあえず、蝙蝠に噛まれなかったのだけは不幸中の幸いだろうか。


 少し待機してみたのだが、魔術師の男が現れる気配は無かった。

 なので歩いてみたが、一向に再会できる気配はない。

 もしかして、彼はもう洞窟を出てしまったでのはないかと不安が過る。


 自分も外に出るべきではないか。しかし、蝙蝠に流されて道が判らない。

 もし、魔物に出くわしてしまったら。戦って勝つ自信はない。かといって、逃げ切れるだろうか。


 魔術師の男は、自分のような不安はないだろう。肉体的には全盛期を過ぎているだろうが、彼は相当に強い。

 対して自分は、細い腕では何も倒せない。魔術も使えない。それなりの魔力こそあるが、攻撃に転化出来るほどでもない。

 いよいよ、魔物に遭遇すれば終わりなのだ。森なら逃げきれても、洞窟ではそうも行かない。


 道なりに歩いていると、彼女はやがて広い空間へ足を踏み入れる。

 人工的なものではなく、長い年月をかけて自然が造ったものだという事は一目で判別が出来た。


「ここで、少し休もうかしら……」


 座るには丁度いい高さの椅子に腰かけながら、彼女は「ふう」とため息をついた。

 神経を削りながら慣れない道を歩き続けて、既に衣服は汗でべとべとに湿っている。

 流石に着替える訳には行かないにしろ、休憩をするには丁度いい場所だった。

 単純な通路ではなく、こういった部屋の方が魔術師の男も気に掛けるのではないかという期待も込めて。


 しかし、疲労から彼女の頭から抜け落ちていた。魔物が巣食う、洞窟の危険さを。

 足音や灯りすらも、魔物が駆け付ける餌としては十分だ。

 更に、緊張から流れ出る彼女の汗。その匂いは、魔物をおびき寄せる餌としては極上のものだった。

 生きた人間が、そこに居る事を意味しているのだから。


「……え?」

 

 ずるずると身体を引き摺る音が聞こえる。背筋が凍るような音だった。

 恐る恐る、音のする方へ顔を向ける。松明の灯しだす炎が、音の主を照らす。

 

 炎によって赤みが掛かっているが、本質的には白いであろう胴体。

 恐らく比率だけ見れば()()()と表現しても差支えはないのだろう。

 問題は、その胴の幅が自分の横幅を越えている事。それでいて、長い身体はまだ部屋に入り切っていない。

 自分が通ってきた道とは別の通路。気付けば、何本かの道がこの部屋に続いていたのだ。

 その一本から、身体を必死に移動させている最中だった。


 間違いなく、それは蛇だった。冒険者ギルドで依頼を請けた、討伐対象の魔物。毒の大蛇(サーペント)

 爬虫類特有の眼が、自分の姿をまじまじと見る。気持ち悪くて、胃液が食道を逆流してきそうになる。

 チロチロと伸びる、先の割れた舌が全身に鳥肌を立たせる。

 大きく空いた口。その牙から漏れる液体は、体内に侵入すると死に至る猛毒となる事を彼女は識っている。


 金縛りにあったかのように、彼女の身体が椅子から動かなくなる。

 完全に弱肉強食の喰う者、喰われる者が確定しているからこそ、この状況が保たれている事を察した。

 もし、立ち上がって逃げようものなら毒の大蛇(サーペント)は全速力で追ってくるだろう。


 この部屋は、言わば罠だったのだ。

 迷い込んだ旅人、腰を落ち着かせる旅人を捕食する為の。

 そして自分は、まんまとその罠に掛かった事となる。


 恐怖の底で、思い返すは自分の人生。

 それなりに長い人生を生きてきて、生き続ける理由が段々と解らなくなった。

 だからと言って、こんな最期を望んだ訳ではない。

 ずっと生きているのに、自分の立場を弁えずに背伸びをした報いなのだろうか。

 後悔の念が、彼女の頭の中をぐるぐると駆け巡る。


「……けて」


 誰にも聞こえるはずがないのに、自然と彼女は呟いた。

 それはまだ、「死にたくない」という意思表示。


「お願い! 誰か、助けてっ!」


 彼女が精一杯の声を張り上げると同時に、毒の大蛇(サーペント)はその身体を這いずり駆ける。

 大きく開かれ、裂けた口で彼女を丸呑みにしようと襲い掛かる。


「――っ!!」


 顔を背け、目前に迫っている『死』から目を逸らす。

 だが、いくら時間が経とうとも毒の大蛇(サーペント)の口が彼女へ届く事は無かった。


 直視しないよう、薄目で開いた視線の先に在ったもの。

 それは毒の大蛇(サーペント)の口に薄い膜のようなものが巻き付いて、強制的に閉じさせられている姿だった。


 毒の大蛇(サーペント)はギョロリと眼球を動かし、その膜を操る者を睨みつける。

 標的が彼女から、自分の食事を邪魔した人間へと移り変わる。


「……悪いが、お前に殺されるつもりはない」


 だが、彼は毒の大蛇(サーペント)の殺意など意に介さず次の行動へと移っていた。

 固く握られた剣を、真っ直ぐに振り下ろす。それは硬化した毒の大蛇(サーペント)の鱗すらも削いでいく。


「――!!」


 毒の大蛇(サーペント)がのたうち回ろうとも、まだ身体全てが部屋に収まった訳ではない。

 頭を振り回そうとも、巻き付いた薄い水の膜がそれを妨害する。

 その間にも男は、毒の大蛇(サーペント)を斬り裂いた。何度も何度も、執拗に同じ場所を。

 骨まで達しても、決して手は緩めない。胴を斬り離し、毒の大蛇(サーペント)が動きを止めるまでそれは続けられた。


 間近で見せられる、大蛇の解体ショーを彼女は途中から見ていない。

 正確に言うと、のたうち回る毒の大蛇(サーペント)と眼を合わせたくなくて顔を背けていた。

 物音が止まった事を確認して、彼女はゆっくりと顔を上げる。


「大丈夫だったか?」

「あ、危ない所でした……。ありがとう、ございます……」


 一仕事終えた命の恩人が、優しく声を掛ける。それに応じる形で、彼女は軽く会釈をした。

 毒の大蛇(サーペント)を剣一本で対峙したのだから、どれだけ屈強な男なのだろうかと思っていた。

 意外にもその男は細身だった。身体付きが締まっているので、かなり鍛えられている事だけは判るのだが。


「ただ、すまない。俺もここが何処だか判っていなくて。

 もしも、アンタが良かったら――」


 気まずそうにする彼の顔を、一目見ようと松明を持ち上げる。

 炎に照らされて映し出される青年は、自分の顔を見て驚いていた。


「――イリシャ?」


 毒の大蛇(サーペント)を斃した青年。シンは、信じられないという顔をしていた。

 助けられた女性。イリシャ・リントリィには、それが何を意味するのか解らない。

 

「え? あ、はい。そうですけど……。

 あの……。どこかで、会いましたっけ?」


 きょとんとしながらイリシャが答えると、シンは眉間に皺を寄せる。

 そこそこ男前なのに、台無しだな。と、イリシャはぼんやりと思い浮かべていた。

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