134.凶刃一閃
一歩目は、同時に踏み出された。
互いの中間地点で、刃が交差する。
強い意思が込められた剣閃は、言葉以上に雄弁だった。
黄龍王の神剣がアルマの持つ漆黒の剣に触れた瞬間、ネストルは様々なものを感じとる。
先の戦闘で味わった屈辱。必ず自分を超えるという、強い意思。そして、濁り切った彼の精神。
望んだものは何でも手に入った。不要なものは全て消えていった。
異常にまで膨れ上がった優越感。それでも尚、アルマは腐り切ってはいなかった。
家臣に対して、謝意を示す。何でも手に入るからこそ、その裏で奔走している人間が居る事を理解している。
それがビルフレストやカルロパであり、自分が不在のミスリアで暗躍したサーニャ達も、当然ながら含まれている。
自分が担がれている神輿だと、理解している。だが、それはアルマ自身が望んだ事でもある。
留まる事を知らない欲望。アルマ・マルテ・ミスリアという器からそれはついに漏れ出た。
だから必要となったのだ。ミスリアという器が。
最大の障害である国王は、抵抗を続ける。
まだその器で我慢をするようにと、抑圧する。
まるでミスリアと同じようだった。貴族とそれ以外。本家と分家。凡ゆる格差を『我慢』の一言で解決を試みている。
無能な者が出自だけで、有能な者の人生を狂わせる。
平和という名の抑圧は、確実に弱者へ不満を溜め込んでいった。
反乱が起きなかったのは最も強い力を持つ者が、国王だったからだ。
ならば、その玉座に自分が座ればいい。
国に、自分に有益な者に相応の待遇を与える、実力主義の世界。
それは世界中に蔓延る野心を全て喰らって、唯一無二の王を生み出す為の一歩。
アルマは見せなくてはならない。証明しなくてはならない。
魔術大国ミスリア。世界すら統べる事が出来る可能性を秘めながらも、日和り続けている現国王との違いを。
どれだけ手を汚そうとも、覇道を歩む者ならそれを避ける事は出来ない。
自らの手が汚れる事を避ける主に、従う家臣など居ない。
アルマは担ぐに値する神輿だと、同志に証明しなくてはならなかった。
その太刀筋は彼の振るう刀身のように真っ黒で、それ故に汚れる事を正当化しているようにも感じ取れた。
黄龍王の神剣で受け止めるが、漆黒の刀身は欠ける事が無い。
玉座の間で交戦した際に破壊した宝剣。
あれ以上の代物を用意しているとは思わなかった。
ならば何故、先の戦闘で使わなかったのかとネストルは疑念を抱く。
ネストルには知る由もないが、アルマの持つ剣は神器のなり損ないである。
邪神を創造する際に、アルマが欲したうちのひとつである神器。
それすらも創造しようと動いた、第一王子派の研究者達。
だがそれは、神を創造するに等しい暴挙でもあった。
生まれてすらいない、司るものすら曖昧な邪神を根底に造られた剣は、アルマの望む物とはならなかった。
神器とは神が生み出し、この世界に住む者へ与えられたとされる創造物。
その神すら誕生していない段階では、神器としての体を成すはずも無かった。
それでも第一王子派は研究を続ける。
分体の邪神像同様に埋め込まれたのは、邪神の『核』。その欠片。
邪神の分体が二柱顕現した事により、剣にも変化が訪れた。
刀身は漆黒に染まり、禍々しさを増す。
アルマがその手に取ると、魔力と悪意を吸い取る。その一方で、ネストルへの屈辱感が増して行くのを感じた。
今の自分なら、この剣なら、父を超えられる。神剣を超えられると直感した。
故にアルマはこの刃を振るう。迷いのない殺意を込めて。
ネストルもまた、アルマが先日以上に濁っている事を感じ取っていた。
明確な殺意。その身勝手な行動で、多くの人間を傷つけた。
到底赦されるものではない。自分の行いを理解させなくてはならない。
それなのに、思うように攻め切る事が出来ない。
欠けた指の分、力が入らない。歯を食い縛り、爪先を地面へめり込ませ、ネストルは踏み止まる。
息子に刃を向ける事の後ろめたさもあったのかもしれない。
侮辱とも取れる躊躇。悪意をその身に宿しているアルマが、ネストル本人よりも先に気付いた。
「この期に及んでまだ悩むのですか!
なら、潔く消えてくれッ!!」
漆黒の剣尖が黄龍王の神剣の刀身、その腹を捉える。
そこを起点に、アルマは己の身体を神剣の下へと潜り込ませた。
「アルマ、何をっ!?」
このまま刃を押し込めば、アルマの背中を斬り落とせば、彼は死ぬ。
どうしてそんな、命を棄てるような真似をするのか。アルマの行動は、ネストルの理解や常識。その外側に在った。
圧倒的な力量差による屈伏は難しいと、先の交戦で感じ取っていた。
ならば、どうするべきか。その結論が、今まさに求められている。
終わるのだ。腕を下げるだけで、彼の胴を真っ二つにするだけで。
試されているのは、覚悟。息子を手に掛ける覚悟が、そこにあるのかどうかだけ。
首魁であるアルマを殺せば、この戦いは終わる。
フリガとて、アルマ無しにミスリアへ牙を剥けるとは思えない。
自分が息子を殺した汚名を永遠に背負うだけで、これ以上は誰も苦しまない。
「アル……マ……ッ!」
消え入るような声で、愛する息子の名を呟く。
腕に力を込め、刃をアルマの背中に食い込ませる。
ぷつりと皮膚が裂ける感触がした。黒い服装からは、どれぐらい血が滲んでいるかは判らない。
後もう少し押し込めば、終わる。
半開きになった口。荒い呼吸。強張る身体。
その上でネストルは疑念を抱く。
――本当に、アルマを殺めれば終わるのか?
まだ15歳のアルマが、これ程までに歪んだ。その背後に見える男、ビルフレスト・エステレラ。
アルマが死んだところで、彼は新たな象徴としてフリガを担ぎ上げるだけではないのだろうか。
そして、フリガはビルフレストに恋慕を抱いている。
取り入って、実質的な支配をするのであればアルマよりフリガの方が何かと都合がいい。
決起する為だけに、アルマは利用されたのではないか。
白にも黒にも染まる年頃の少年を、唆したのではないか。
湧いた疑念は、ネストルの動きを止めるには十分なものだった。
アルマを殺す事すらも、ビルフレストの計画の内であるならば。
願望にも似た考察。この期に及んで、都合の良い解釈を求める。
背中の皮膚が裂ける痛みを感じながら、アルマは父親に失望していた。
「何故、刃を止めたのだッ!!」
刃を潜り抜けたアルマは、剣を突き上げる。
切先がネストルの顎から右眼に向けて直線を描く。
ワンテンポ遅れて、ネストルの悲鳴と共に血が噴き出す。
「があ……あぁ、あ……」
「あのまま刃を振り下ろしていれば、終わっていたものを。
貴方の甘さが、殺さなくても何とかなるという傲慢さが、この結果を生んだのだ!」
失望と怒りの入り混じった、詰るような叫び。
事実、アルマは僅かではあるが腕を振り下ろされる覚悟をしていた。
先日の完敗。その実力差が、僅か数日で埋まるはずもない。
何処かで命を懸ける覚悟が必要があると考えていた。
それは自分の覚悟の証だったはずなのに、父親の弱さを証明する結果となった。
歯痒さが残る結果。まだこれ以上、自分を愚弄するのかとアルマは怒る。
怒りのまま漆黒の刃を振るう。黄龍王の神剣の刀身が重なる。
アルマは構わず常闇の迷宮の生み出した壁へ、彼の身体を押し付けた。
裂かれた背中から血が滲む。痛みがアルマの顔を僅かに強張らせるが、構わなかった。
対するネストルは押し込まれ、斬られまいと抵抗するのが精一杯だった。
右眼の視界が奪われた。残った左眼が映すのは、漆黒の刃。
丁度アルマの顔を隠しており、彼の表情を読み取る事が出来ない。
そして、ネストルは悟ってしまった。
自分にアルマを、愛する息子を殺す事は出来ないと。
アルマは自分よりも強い覚悟を持ってこの戦いに臨んでいる。
それでも止めるのであれば、眼前にある剣を破壊する他ないと感じた。
重なった刀身からでも伝わってくる悪意。
悪酔いしてしまいそうなほど邪悪な剣がなければ、アルマとて抵抗する術を持たないはずだ。
父親として、国王として。二つの成すべき事を両立させなくてはならない。
一縷の望みを懸けて、ネストルは動いた。
「ぬ……おぉぉぉ!」
ネストルは黄龍王の神剣へ魔力を込める。
生み出された竜巻は、アルマの視界を奪う。風が、互いの密着した二人を引き離す。
「小癪な真似を……!」
アルマが反射的に剣を払うが、ネストルはそれを弾く。
そのまま体の位置を入れ替え、今度はアルマが壁に追い詰められた形となる。
「アルマ、ここまでだ!」
一撃で剣を折る為に、自身の魔力を一点に凝縮させる。
黄龍王の神剣の刀身に風が纏わりつき、小型の竜巻となる。
そのまま、漆黒の刃をへ向かって神剣を振り下ろした時だった。
常闇の迷宮の壁が、延びるように二人を遮断した。
術者がアルマを護る為に延したのだろうかと思ったが、構わなかった。
ネストルは己のありったけの力を込め、そのまま振り切る。
刹那、飛び出してきた漆黒の壁が姿を消す。
その先に在るのは、アルマでは無かった。
「……フリガ」
何が起きたかを理解する前に、黄龍王の神剣による渾身のの一振りは、第一王女の身体を斬り裂いていた。
「……え? おと……さ、ま……?」
纏った風が、フリガの服を、皮膚を、肉を、骨を、グチャグチャにしていく。
細かく刻まれた肉の破片が、びちゃりとネストルの頬まで飛ぶ。
「――――――ッ!!!!」
声にならない悲痛な叫びが、周囲に響き渡る。
常闇の迷宮により遮断された音が、アルマ以外の耳に届く事は無かった。
テネブルがフリガに用いていたご機嫌取りは、この為の布石でもあった。
フリガ本人に悟られる事なく、自分が移動してもおかしくない状況を作り上げる。
あとはタイミングを見計らい、ネストルの前に愛娘を差し出す。
目的は、内部崩壊を生み出しかねない第一王女の抹殺。
あわよくば、国王の戦意も削ぐ。その一環で行われたものだった。
「フリガ、フリガ……!あ、ぁぁぁ……」
ネストルは胸から腹にかけてグチャグチャの肉塊となった娘を抱く。
すでに息絶えており、残った身体がだらりとネストルの腕へ沈み込む。
唇が渇き、残った左眼がから止めどなく涙が溢れる。
滲んだ視界に映るのは、動かなくなった愛娘の他にもうひとつ。
地面に突き立てられた黄金の刃。愛する者の血で汚れた、黄龍王の神剣。
ガチガチと歯の根を合わせながら、ネストルはそれを見た。
これが、自分の娘の命を奪ったものだと。ほんの僅かだが、憎しみの感情を抱いてしまった。
その瞬間、黄龍王の神剣は輝きを失っていく。
神器は所有者を選ぶ。黄龍王の神剣はこの瞬間、自らを拒絶した人間を見棄てた。
正しい意味では、ネストルが向けた負の感情は黄龍王の神剣では無い。
命を奪う、武器そのものに憎悪を抱いた。そして、それを扱う自分自身を嫌悪した。
「まさか、ここまで効果があるとは。
威張ってばかりの姉上も、最期は役に立ったという事ですか」
哀しみに暮れるネストルの頭上から、アルマの声が聞こえる。
見上げた先には、漆黒の刃を構えるアルマの姿が在った。
失意の底に居たネストルは、反応が遅れる。
黄龍王の神剣に手を伸ばすが、地面と一体化したかのように抜ける事は無かった。
「姉上をその手で殺め、神剣にも見放され、哀れですね。
せめて、姉上とは同じところへ送ってあげますよ」
漆黒の刃が振り下ろされる。
その身を預けているフリガごと、凶刃はネストルを斬り裂いた。
崩れ落ちるネストル。フリガの遺体が、抱擁のように覆い被さる。
「アル……マ……。おま……ちがって……」
父として、息子へ最期に渡せるものは言葉だけしか残っていなかった。
だが、それすらも伝える事は叶わなかった。
広がっていく血の池が、全ての終わりを告げていた。
「……さようなら、父上」
光を失っていく父の眼を見届け、アルマは呟いた。