132.悪夢が始まる
「全く! この私を、いつまでこんな辛気臭いところで待たせるつもりなのかしら?」
常闇の迷宮により作られた一室。
安全だと案内されたそこでも、フリガの悪態は止まる事を知らない。
「ですが、アルマ様のご指示ですので……」
「アルマも、誰のお陰でこれだけの兵を集める事が出来たと思っているのかしら。
もう少し私に感謝するべきだとは思わない?」
「ははは……」
同意を求められ、テネブルはぎこちなく笑い返す事しか出来なかった。
最初から第一王子派の計画に賛同していた黄道十二近衛兵は、ビルフレストと除けばカルロパとラヴィーヌ。
アルマ、フリガの母であるバルバラと懇意にしていたカルロパが主に第一騎士団を、黄道十二近衛兵に関してはビルフレストとラヴィーヌが主に勧誘を行っていた。
カルロパはよく回る舌を武器に、第一騎士団を丸め込む。
唯我独尊という言葉が相応しいフリガよりも、カルロパの方が騎士達の説得には向いていた。
事実、彼女に振り回される家臣は後を絶たず、放置していれば内部崩壊は免れなかっただろう。
元々は第一王女派であるステラリード家。本家の当主であるルクスが、アメリアに助けを求めた事からもその危うさが窺える。
それを第一王女ごと抱え込み、第一騎士団を第一王子派に迎合させた手腕は見事としか言いようが無かった。
事実、テネブルはビルフレストに勧誘された際に真っ先に思い浮かべたのはフリガの存在だった。
彼女が納得するのだろうかと、不安をビルフレストへ吐露した。
ビルフレストは「問題ない」と答え、事実彼女がビルフレストへ惚れ込んでいる事もあって最悪の事態は免れた。
とはいえ、現状は問題を先延ばしにしているに過ぎない。
懸念点を取り除く為に、テネブルには重要な役割を与えられていた。
「それではフリガ様。このような催しは如何でしょうか?」
テネブルは常闇の迷宮を操り、闇のカーテンに変化を齎した。
それは影絵のように鮮やかに、みるみる形を変えていく。
四方が壁に包まれたと思うと、様々な動物を模った壁が姿を現す。
「幼稚ね……。でも、嫌いじゃないわ」
口では子供が愉しむようなものだと切り捨てたフリガだが、内心では満更でも無かった。
自分のお気に入りが、自分を愉しませる為に勤しんでいる。
その献身的な姿は嫌いではないと、笑みを浮かべた。
テネブルとしても都合が良かった。
常闇の迷宮の維持には相当の集中力を必要とする。自分以外の魔力も混ざっているのだから尚更だ。
反面、その事をフリガへ正直に話す事は躊躇われる。
癇癪を起こした彼女を宥めるのは至難の業であり、とても魔術の操作に必要な精密なイメージを維持する事が出来ない。
この闇のカーテンを操る事でフリガを楽しませる事が出来るのであるなら、一石二鳥だった。
それはそのまま、今後の作戦が成功へと直結する。
「フリガ様。それでしたら、こういうものは如何でしょうか?」
闇のカーテンを地面にまで延ばし、そのままフリガの座っている椅子を持ち上げる。
馬車の用に走り回ったり、上下に動いたりと混乱しない程度にフリガの身体を揺らす。
「へえ、不思議な感覚ね。風を感じて気持ちが良いわ。
テネブル、もっと速度を上げて頂戴!」
「は、仰せのままに」
まるで椅子で乗馬でもしているような不思議な感覚に、フリガは興奮を覚える。
彼女の命令に従って、速度や動きに変化を与えて退屈させないように神経を張るテネブル。
一方で、彼は異変も感じ取っていた。
何者かが闇のカーテン。その一部を破壊した感触。
一筋縄ではいかない事、そして自分に科せられた使命の重さをテネブルは改めて肝に銘じた。
……*
常闇の迷宮の破壊。
テネブルが感じたそれを起こしているのは、妖精王の神弓を放つリタだけでは無い。
彼女との合流前に、アメリアが蒼龍王の神剣で試そうとした事。
魔術結界を切り裂くと言われた神剣の加護を、今まさに検証していた。
精神を落ち着かせ、蒼龍王の神剣を身体の一部として受け入れるような感覚。
「蒼龍王の神剣よ、我が身体の一部となりて悪きものを斬り裂く力となれ――」
リタの助言を受け、神剣に願いを込める。
イルシオン同様に、正しく供えるべき神。その方向性を、アメリアは把握出来ていない。
生真面目な性分が幸いしてから、もっと蒼龍王の神剣の事を正しく知らなくてはならない。アメリアはそう感じていた。
徐々に魔力を浸透させ、刀身が淡く輝く。
祈りが通じたかどうかは、誰にも判らない。
それでも刀身を掲げ、アメリアは常闇の迷宮の壁に向かって振り下ろすと、刀身の触れた先から闇のカーテンは裂けていった。
「で……できました!」
「さすがです、お姉さま!」
思惑通りに事が進み、自然と声の弾むアメリア。
拳を握るオリヴィアの他にも、リタがパチパチと手を叩いて祝福していた。
「こっちも、なんとかなるかもしれない」
アメリアから少し離れた位置でそう言ったのは、シンだった。
その手には古代魔導具の短剣が握られている。
闇のカーテンが魔術によるものであるなら、この短剣で対処出来るかもしれない。
そう考えたシンが、刃を突き立てると見事に予想通りの結果が返っていた。
シンの目論見通り、闇のカーテンは刃の触れた部分が消えて無くなる。
アメリアやリタに比べると手間や時間こそ掛かるが、この壁の突破は可能だという証明。
また分断される可能性がある以上、解決策は多いに越した事はない。
「ううむ。意外とみなさん、なんとか出来るものですね……」
自分はどうしようも無かったオリヴィアが、少し悔しそうな素振りを見せる。
神器を持つ姉やリタはともかく、魔術の使えないシンまで解決策を持っている事に複雑な感情を抱く。
「そうは言っても、俺の場合は短剣のお陰だからな。使ってみるか?」
「えっ、いいんですか?」
言われるがままに、オリヴィアは古代魔導具の短剣を受け取る。
直後に襲い掛かる脱力感が非常に不快で、即座にシンへと返す。
「それ、気持ち悪いです。なんか呪われてたりしませんか?」
「今のところは、何も起きてないが……」
案の定というべきか、やはりオリヴィアにも古代魔導具の感触は不評だった。
一体どういうカラクリなのか。魔力を吸い取る事に、何の意味があるのか。
吸い取った魔力はどうなっているのか。
疑問を挙げればキリがない。この場にマレットが居れば、喰い付いただろうにとシンは残念に思う。
「シン、今わかってて渡したわよね?」
不意に、イリシャがじっとシンを見る。
追従するように、リタとフェリーが続けた。
「シンくん、そういうのダメですよ。やらしいです」
「……シンのあんぽんたん」
「いや、そういうつもりで渡したわけでは……」
予想外の攻撃を受け、シンはたじろぐ。
それを側から見ていたアメリアとフローラが首を傾げる。
「アメリア、今のやりとりっていやらしいの?」
「いえ、私にもよくわかりません……」
二人は顔を見合わせて、再び小首を傾げた。
一方で当事者であるオリヴィアは、この状況を面白がっている。
「そんな、シンさんっ! 王宮でわたしに無茶振りしただけでなく、弱らせようだなんて……!」
フェリーが僅かに頬を膨らませる。シンは、額から脂汗が滲み出る。
勿論、姉であるアメリアや付き合いの長いフローラは気付いている。
オリヴィアの悪ふざけが始まったという事に。
「オリヴィア――」
「でも、オリヴィアちゃんも私に無茶振りさせようとしてたもんね。島の入り口で」
ため息をつきながら、オリヴィアを止めようとしたアメリア。
それよりも早く口を開いたのは、リタだった。
「いやあ、それはだって適任者がリタさんしか居なかったというか……」
「ほらぁ、自分の時だけ言い訳するのは良くないよ。
あの時だって、オリヴィアちゃんなら出来るって任せたんだから。その後、私だってドキドキしたけどさあ。
ねえ、シンくん。そうだよね?」
「あ、ああ……」
リタがパチリとウインクをすると、シンは反射的に頷いた。
むくれるフェリーを宥める為に援護したのかもしれないが、そもそもリタが追従しなければ良かった話なのでは。
腑に落ちないと思ったが、シンはそれを決して口にする事は無かった。
「オリヴィア。馬車の中でもそうだったけど、あまりシンさんを困らせないの」
「あ、フローラさま。それは……」
腰に手を当てて「もう!」と鼻息を荒くするフローラは、可愛らしいと思う。
だが、オリヴィアとしては今ここでその話を持ち出してほしくは無かった。
「……オリヴィア」
「はっ、はいっ!!」
背後に感じるのは、怒り。背中が汗で滲むのを感じる。
透き通るような美しい姉の声が、低く冷たい物に感じる。
「どういう事か、後で詳しく訊かせてもらいますね」
「は、はいぃ……」
アメリアのにこやかな笑顔の裏にある怒りの感情を、オリヴィアは正確に読み取っていた。
少しでも戦場の辛気臭いムードを和らげようとしたのだが、悪ふざけはするものではないと反省をした。
……*
三日月島の北側で、魔獣と交戦を続ける三人。
相対する魔獣との戦いを初めに終えたのは、グロリアだった。
「もう、貴方の速度には慣れましてよ!」
飛び掛かる冥府の番犬。その大きく開かれた口にある牙。
グロリアが狙うべきは、その一点だった。
左手に握られた剣。その切先を歯の隙間に差し込み、持ち上げる。
刃は歯茎を突き破り、やがて上顎まで裂かれていく。
苦痛を伴う叫び声が、闇のカーテンに覆われた一画で響き渡る。
番犬自慢の牙は、歯茎が裂かれた事によりぐらついている。
「まずは、一本!」
右手の剣を横薙ぎに払い、番犬の牙を折る。
激痛に耐えながら、番犬は負けじと鋭い爪をグロリアへ向ける。
その行動が、グロリアにとって導かれたものだとは気付いていない。
「お次は、爪ですわね!」
冥府の番犬の爪。血管まで通った部分へ容赦無く刃を向ける。
鮮血が飛び散り、血溜まりの水分を弾くかのように爪が落下する。
続け様に自分の武器である牙を爪が折られた冥府の番犬は、激痛に耐える。
下級種族に良いようにやられてしまっては、魔獣の沽券に関わる。
その矜持が、番犬の眼に未だ光を灯す。
しかし、それはあくまで精神論。
傾いた戦況で、グロリアは攻撃の手を休める事はない。
爪の折れた冥府の番犬の前脚へ、容赦無く双剣を突き立てていく。
振り解こうと前脚を上げた瞬間を見計らい、番犬の背中へと飛び移る。
そのまま背中越しに心臓へと剣を突き立て、雷の魔術を連発する。
「――落雷ッ!」
突き立てた剣を避雷針代わりに、心臓を直接狙い続ける。
自分は魔術がとりわけ得意な方ではない。魔力をそのまま攻撃へ乗せても、姉ほどの破壊力は期待できない。
ならばと、グロリアが出した結論が急所への直接攻撃だった。
のたうち回る冥府の番犬が抵抗を続けても、決して離れはしない。
何度も何度も何度も。剣越しに心臓へと魔術を撃ち込む。
やがて、魔力を消費しきって詠唱の破棄が難しい。そう思い始めた頃に、冥府の番犬は力無く横たわった。
「全く……。しつこい犬でしたわね……」
雷を浴び続け、あちこちが黒く焦げてしまった剣を引き抜く。
焼けた肉の臭いが刃にも移っていて、グロリアは咽せた。
(さて、ヴァレリア姉さんとレイバーン様は……)
二人の戦況はどうなっているのだろうか。まだ終わっていないのならば援護をしなくてはならない。
その思いで振り返ったグロリアの身体が、何かにぶつかる。
「全く、一体何が……」
自分の真後ろに、障害となるものは無かったはずだと訝しむ。
その正体は、とても形容のし難いモノだった。
そしてそれを熟考する時間は、グロリアには与えられなかった。
……*
グロリアからやや遅れて、ヴァレリアも冥府の番犬との戦闘を終える。
足場を崩して倒して、番犬の脚が止まった瞬間。その一瞬で、首を斬り落とす。
言ってみれば簡単だが、いくら足場を崩しても動く事を止めない冥府の番犬に苛立ちを感じていた。
止めの一撃は、その辺りの恨みもふんだんに込められているものだった。
「レイバーン殿、こちらは終わり――」
援護に向かおうと、レイバーンの元へ向かうヴァレリアは、驚きのあまりしきりに瞬きをしていた。
獣魔王の神爪により、双頭を持つ魔犬が今まさに細切れにされている瞬間を目の当たりにしてしまったからだった。
「おお、余も丁度終わったところだ」
「……みたいだね」
ヴァレリア感嘆する一方で、やはり自分達の助力は不要だったのではないかと思う。
それほどまでに、圧倒的な実力の差を見せつけられた気分だった。
「それで、グロリアはどうなのだ?」
「ああ、グロリアも心配要らないとは思うけど――」
砂利が擦れる音が聴こえて、二人はその方向へ身体を向けた。
武器は構えたまま、警戒のレベルを一段階上げる。
視線の先を現れたのはグロリアと、その背後にいる黒い人間のような何かだった。
身長はレイバーンと同じぐらいだろうか。人間ではない事だけは、その風貌と発する圧迫感。そして、言い様のない不快感だけで理解させられた。
所々に埋め込まれたかのように存在している金色の紋様が、気味悪さを際立たせる。
その何かが現れたのは事を一番驚いているのは、レイバーンだった。
(いつの間に現れたのだ……!?)
魔獣族の発達した鼻や耳をもってしても、全く感知が出来なかった。
突然現れたとしか表現が出来ない。全身の毛が逆立つ。本能が、関わってはいけないと警鐘を鳴らす。
「おい、グロリア。その背後のヤツ……」
ヴァレリアがそう問うと、グロリアは徐に自らの剣を抜く。
そして、彼女は口を開いた。耳を疑うような言葉を、口にした。
「神の礎に。ビルフレスト様の御霊に、我が身を捧げます。
これが、あの方のお望み。あの方が、悦ばれる結果――」
そう言い残すと、グロリアは握った刃を自らの首へと突き刺した。
何度も、何度も。抜いては、刺す。それを人形のように繰り返す。
その度に上がっていく血飛沫。頚動脈が裂かれている事は明らかだった。
「グロ……リア……?」
大剣を落として、目の前の出来事を夢だと首を振るヴァレリア。
広がって行く血の臭いが、無情にもそれを否定していく。
その背後で不気味に笑う、異形の存在。
開かれた右眼は、金色に輝いていた。