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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第一部:第十章 邪神顕現
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127.三日月島の魔獣

 龍の背から吹き飛ばされる形で落下するネストルは、クレシア同様の景色を目の当たりにした。

 黒のカーテンによって造られた、迷宮のような仕切り。

 三日月島に元々存在している森や山の存在も相まって、その全容を把握するのは困難だった。


 それよりも今は、自分の身を安全に着地させる事が先決だった。

 黄龍王の神剣(ヴァシリアス)の持つ、風を操る力。魔力を注ぎ込む事でそれを駆使する。

 生み出された風はクッションとなり、ネストルの身体を労わるように優しく地面へと導いた。


 天を見上げると、フィアンマが黄龍だけではなく紅龍とも戦闘を繰り広げている。

 一族の長であるフィアンマへ牙を剥いた紅龍の群れ。何やらぶつぶつと呟く様は、正気を失っているようにしか見えなかった。

 自分の眼で確かめた訳ではないが、思い当たる節はある。ヴァレリアから報告を受けた、正気を失ったドーンやライラスに近い症状。

 

 黄龍王(ヴァン)の行方を追った紅龍が、息子(アルマ)の手駒として活用される事になるとは思ってもみなかった。

 解放する手段は無いのかと思考を巡らせるネストルの元に、近付いてくる足音がひとつ。


 小石や砂が地面と擦れる音が段々と大きくなっていく。

 一定の速度で近付いてくるそれは、互いが視認出来る状況で歩みを止めた。


「父上。お待ちしておりましたよ」

「……アルマ」


 ネストルの眼前に立つは、自分が止めると決めた息子の姿。

 失ったはずの指が、幻痛を与える。


「アルマよ、もう止めるのだ。こんな戦いに、何の意味がある?」

「意味はあります。それに、そんなものは後からいくらでも増やす事が出来るのですよ」


 新たに用意された剣だろうか。アルマの握る漆黒の刀身からは、禍々しい魔力を感じる。

 息子(アルマ)の向ける視線は、親と接するそれではない。明確な殺意が宿ったものだった。

 龍の背でイルシオンが自分へ投げかけた言葉を思い返す。


 ――迷いのある刃では、恐らくアルマ様は止まりません。


 それが真実だと、突き付けられたようだった。自分の眼前にある切っ先よりも、遥かに重い事実。

 久しぶりの再会で抱擁を交わすはずだった腕は、互いを傷付ける物を抱えている。


 間合いの外で、互いが呼吸を合わせる。その間にもネストルは熟考を重ねていた。

 どうすれば暴走する息子を止める事が出来るのか。ただそれだけを願い、考える。

 根本を断つ事で、考えを改めるだろうか。その為には、どうすればいいだろうか。


 結局、特効薬など存在しない。在ったとしても、恐らく自分ではない。

 そう悟ったネストルは、自嘲の籠った笑みを浮かべた。

 結局のところ、自分は力ずくでアルマを止める事しか出来ないのだろう。

 ならば、息子の戦意を折る。これ以上ないぐらい、完膚なきまでに。


 後ろ髪を引かれる思いを抱えながら、ネストルは黄龍王の神剣(ヴァシリアス)に己の魔力を込める。

 願わくば、その先にある想いが息子(アルマ)へ届く事を願って。


 ……*

 

 三日月島の北側に回り込み、上陸を果たしたレイバーン達も他の者同様に常闇の迷宮(ブラック・ラビリンス)が生み出した迷宮に囚われていた。

 突如現れた闇のカーテンが周囲を覆い、向こう側の情報を遮断する。


「ったく、変な魔術生み出しやがって」


 まず、ヴァレリアが邪魔だと言わんばかりに大剣を打ち付ける。他の人間が試した時と同様に、衝撃は吸収されて変化は起きない。

 次に、レイバーンが自身の持つ獣魔王の神爪(レイシングスラスト)を通して破壊を試みる。

 神器の一撃ならもしやという期待もあったのだが、違う結果を得る事は出来なかった。


「壊れませんわね……」

「硬いわけではないな。衝撃が吸収されているようだ」

「魔術なら、なんとかなるか?」


 互いが、互いの顔を見合わせる。ヴァレリアとレイバーンは、魔術というよりは武器を通して魔力をぶつける事を得意としている。

 グロリアもこの二人よりは幾分かマシだが、一流の魔術師に比べると大きく劣る。

 それでもと懇願されたので、一応魔術を放ってみるものの結果は大方の予想通りとなった。


「まあ、そうなるか」

「解っているなら、やらせないでください!」

「そうは言っても、念のためにだな」


 ヴァレリアの言い分としては、魔術に対する耐性が全くない可能性を確かめたかったというものだった。

 実際、凝り過ぎた構築を施した魔術には、組んだ術式以外の要素で綻びが生じやすい傾向を持つ。

 常闇の迷宮(ブラック・ラビリンス)も例外ではない。元々構築が難しい、闇の魔術を複合して生み出したもの。

 汎用性よりも『相手を遮断する』一点を強化した為、突破手段はある。ただ、その方法をこの三人は持ち合わせていなかった。


「とにかく、余たちはこの道を進むしかなさそうだな。

 袋小路であるなら、またその時に考えようではないか」


 聳え立つ闇のカーテンを見上げながら、レイバーンは言った。

 辛うじて空は視えるが、飛び越えるとなれば到底届きそうにない。

 相手の術中に嵌っているようで癪だが、眼前に広がる道を歩く以外の選択肢が残されていなかった。


「仕方ありませんわね」

「幸い、この島には人間の集落がなさそうだな。道に連なる臭いなら、判別できそうだ」


 壁の向こうにある臭いは、音同様に遮断されている。

 それが幸いした形となり、レイバーン達の目の前にある道。それだけの臭いを感じ取る事が出来た。

 土の臭いも草木の臭いも感じる事が出来る中で、明らかに異質なものを嗅ぎ取る。


 どこか懐かしくもある獣臭さ。

 それはつまり、魔獣(なかま)である可能性を示唆していた。

 遮断されていない範囲の音と臭いに、全神経を集中させる。


「二匹……いや、三匹か。気を付けるのだ、近付いてくるぞ」

 

 いち早く気付いたレイバーンの忠告により、二人は反射的に武器を構えた。

 須臾の間に忠告の主は姿を現す事となる。


 二つの頭を持つ、魔王の眷属。双頭を持つ魔犬(オルトロス)

 更に両脇には、双頭を持つ魔犬(オルトロス)とは違う二体の魔獣が居た。


 太く発達した四肢に鋭い牙を持つ魔犬。冥府の番犬(ガルム)

 執念深く、一度狙った獲物は必ず食い千切ると言われている猟犬。

 黒い毛に覆われたものと、やや銀色の毛に覆われた二匹並んでいる。

 合計三匹の魔犬が、レイバーン達の前に立ちふさがっていた。


「レイバーン様。一応訊きますけれど、お知り合いですか?」

「残念ながら、違うな」


 魔獣族の王たるレイバーンも、違う個体であれば双頭を持つ魔犬(オルトロス)冥府の番犬(ガルム)の知り合いはいる。

 だが、眼前に居る個体は明らかに違っていた。顔見知りであれば、臭いを間違うはずがない。


 この魔犬達は、三日月島の臭いとよくマッチしている。明らかに、この島に生息している個体だった。

 かつて、魔族が人間の世界に侵略を試みた際に起きた争いを生き残った魔獣の子孫だろうか。

 

 それにこの魔犬達が姿を現した際に見せた所作。舌なめずりである。

 血の味を知っている魔獣。人間を喰らった事がある者しか、決して行わない動作だった。


「一応訊くが、退いてはくれぬか? 余も同胞を傷付けるのは忍びないのでな」


 持ちかけた提案は、「グルルルル!」という唸り声によって否定された。

 これ以上言葉は要らないと、牙を伝った涎が地面へと浸み込む。


「そうか。残念だ」


 レイバーンが身を屈める。次の瞬間には、前方の魔犬との距離を一瞬にして詰めきっていた。

 隣に居たはずのヴァレリアとグロリアが、レイバーンの移動によって生まれた風で髪が靡いた事で、漸く移動に気付いた程だった。


「余にも、のっぴきならぬ事情があるのでな。本気で行かせてもらうぞ」


 瞬く間に双頭を持つ魔犬(オルトロス)の懐に潜り込んだレイバーンが、自身の持つ獣魔王の神爪(レイシングスラスト)を突き上げる。

 二つある頭。その一方は、一瞬にして顎から脳天までが串刺しとなる。


 レイバーン以外の者にとって、滴り落ちる血の流れがスローモーションに感じる。

 それ程までに一連の流れは鮮やかだった。自身の半身を失い、漸く命の危険性を正しく認識する双頭を持つ魔犬(オルトロス)

 身体を大きく振り回し魔獣族の王を振り払おうとするが、食い込んだ獣魔王の神爪(レイシングスラスト)は決して抜けない。

 手負いの双頭を持つ魔犬(オルトロス)を援護すべく、二匹の冥府の番犬(ガルム)が飛びかかる。

 それを払いのけたのは、ヴァレリアとグロリアだった。


「おお、助かるぞ二人とも」

「……本当かい?」


 礼を言うレイバーンだが、ヴァレリアは半信半疑だった。

 耳をピンと立てていたレイバーンは、明らかに冥府の番犬(ガルム)の接近に気付いていた。

 何なら、彼の邪魔をしてしまったのではないかと思う程だった。


「本当だ。不意打ちで片方の頭を潰せたが、これでいてこの魔物(オルトロス)はしぶとい。

 余としては、そっちの二匹(ガルム)は任せたいのだが。良いか?」


 ほんの僅かではあるが、ヴァレリアとグロリアには迷いがあった。

 それは眼前に居る相手が、魔獣だったから。魔獣族の王であるレイバーンの手前、攻撃を仕掛けてもいいものかと悩んでいた。

 例えば、龍族(ドラゴン)は同胞を大切にする。王宮に居たフィアンマがしきりに仲間の様子を気にしていた事から、それは顕著だ。

 魔獣族も同じではないのだろうかという懸念があった。


 レイバーンの先制攻撃によって、それは杞憂に終わった。同時に朗報でもあった。

 魔獣がいるからと言って、彼が寝返る事は無い。同胞が牙を剥いたからと言って、手心を加えるような者でもない。

 それはつまり、自分達の全力を尽くしていい事の証明だった。

 

「そういう事なら、アタシたちに任せておくれよ。

 アンタにだけ同胞を傷付けるような真似はさせたくない」

「ええ。一人一匹という事で、お願いいたしますわ」


 また、レイバーンも二人の言葉が心から信頼できるものだと感じ取っていた。

 彼女達も同じ人間と戦っている。それでも、自分を気遣ってくれているのだ。


 自分も同胞だからといって戦いを避ける理由にはならない。そもそも魔獣族の王は複数存在しており、人間ほどではないにしろいがみ合う事もある。

 気にする事はないのだ。自分はただ、愛する者や友人を護る。そして、その大切な人達が護ると決めた者も、護る。

 かつてシンやフェリーから貰った返しきれない感謝を形へする為に、レイバーンは自分が出来る事を成すと決めている。



 

「こンのぉ!」


 ヴァレリアの大剣による打ち下ろしの一撃を、黒い冥府の番犬(ガルム)は躱す。

 大剣から通された魔力が地面を割る。その上すらも、身軽な足取りで駆け抜ける。


 大きな口が開き、ヴァレリアの頭を食い破ろうとする。

 突き立てられた大剣を軸に身体を仰け反らせるが、番犬(ガルム)の牙は肩のプレートを抉り取った。

 まともに噛みつかれれば、一瞬で骨でも食い破られそうな一撃。


「くそ、すばしっこい……」


 強力な攻撃力により相手を圧倒するヴァレリアにとっては、聊か相性の悪い相手でもあった。

 これが人間同士なら、魔力を通して破壊した地形に足を取られるなりして猶予が出来る。

 だが、冥府の番犬(ガルム)は違う。足場を崩す事が決して自分の優位性(アドバンテージ)とはならない。

 むしろ、自分の機動力を失わせているような気さえする。


(さて、どうするか)


 久しぶりの感覚だった。黄道十二近衛兵(ゾディアック・ガード)就任以降、決して戦わなかった強い魔物。

 力一辺倒では勝てない相手だという事は、理解をした。ならばどうするか。

 細かい事を考えたり、実行するのは性に合っていない。

 それでも勝つ手段はあるはずだと、ヴァレリアは黒い冥府の番犬(ガルム)と視線を合わせる。


 口から漏れている涎が、不気味に糸を引いている。

 自分の血を味わいたがっている事を察するのは容易だった。




 一方のグロリアは、銀色の毛に覆われた冥府の番犬(ガルム)と対峙をしている。

 小回りの利く双剣を操る彼女は巧みに刃を操り、突進する番犬(ガルム)。その牙の軌道を逸らす。

 残った右手の刃を番犬(ガルム)へ向けるが、相手の魔犬も相当に素軽い。

 剣を咥え、身体を捻るとグロリアの体勢が崩される。そのまま、鋭い爪を彼女へと振り下ろした。


「させませんわっ!」


 このままではまずいと、グロリアは左手から剣を離す。そのまま流れに身を任せ、右手の剣を首元へと斬りつける。

 鋭い剣閃は冥府の番犬(ガルム)の頬を僅かに斬るが、反射的にグロリアから離れた為に致命傷とはならない。


「……全く、元気ですわね」


 冥府の番犬(ガルム)が口から離した剣を拾い上げ、再び双剣を構える。

 双剣のコンビネーションによって、攻撃を受け流す事は出来る。

 しかし、元々の膂力は魔獣である番犬(ガルム)の方が遥かに強い。強引に態勢を崩されてしまう。

 

 それでも、彼女の強みは双剣によるコンビネーションだった。

 スタイルを崩して勝てる程、甘い相手ではない。僅かなやり取りでも、実力は感じ取れる。

 その差が小さい事も、同時に理解していた。


(厄介な相手ですわね)


 グロリアは左手に握られた剣。その切っ先を冥府の番犬(ガルム)へと向ける。

 自分と番犬(ガルム)の間合いを正しく認識する為。そして、きっちりと相手の攻撃を捌く為。

 交差法(カウンター)を確実に決める為、グロリアは己の力を両腕に注ぎ込む。


 三匹の魔獣との戦闘は、三者三様の理由で硬直状態を生み出していた。

 三日月島での戦いは、激化していく。それにより溜まる第一王子(アルマ)派の痛みさえも、邪神顕現の糧とされていく。

 決着の時間は、刻一刻と迫っていた。

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