126.常闇の迷宮
三日月島の中央。そこにはひとつの山が存在している。
その山の麓に遥か昔から存在する塔が、今は第一王子派の本拠地と役目を変えている。
マーカスが創り上げた邪神の『核』を用いた、邪神像の製造。
完全な姿で『神』を生み出すのではなく、邪神像を媒介に分体を生み出す。
その後、本体を顕現する為の『扉』を開く。
それが、マーカスが投獄されている間に決定した邪神顕現の方向性であった。
完全な邪神を呼び起こす案は、『核』製造の困難さと『扉』がシンによって破壊された為に計画の修正を余儀なくされた。
まずはこの世界に、神という存在を定着させる。完全体となるのは、あくまで顕現した後の話。
結果的に、『核』の破片を用いた邪神像は思わぬ副産物を齎した。
七つに分けられた分体は、適合する者に超越した能力を授ける。
ひとつはラヴィーヌの持つ金色の右眼。他者を惑わし、己の意中のままに操る。
分体が顕現されていなかった事により、王宮での戦いでは二人を操る事が限度だった。
それもビルフレストがサーニャを連れて王宮を襲撃した際に、三日月島に残った者の魔力と祈り。そして、悪意によって分体の顕現に成功する事により解決した。
右眼と邪神の分体が接続され、彼女は『色欲』の能力を真に開花させた。
そして、今は邪神の左腕がビルフレストに移植されようとしていた。
フェリーによって焼き切られた左腕に、新たなものが結合していく。
「……変わった感覚だな」
ビルフレストが呟いた。
魔術による縫合で神経を繋ぎ、異物であるはずの漆黒の腕が自分と溶け合う。
なんとも言い難い、同じ邪神の身を移植した者でなければ判らない感覚だった。
彼が移植した腕に対応する邪神の分体は、マギアにて一度顕現している。『核』となる邪神像を新たに生成し、再びこの世界との『扉』を開く。
大層な魔術師も居ない中、魔導具でこの世界をのし上がった魔導大国マギア。その貪欲さを取り込んだ腕。
ビルフレストは新たな左腕に視線をやる。
神経を接続したとはいえ、完全に自分のものとするには時間が掛かりそうだった。
「マーカス。この後の手筈は、解っているな?」
「勿論でございます。『扉』を生成し、邪神様本体の顕現へと移行いたします。
二体の分体が顕現している今なら、この世界との接続は容易になるかと」
七つに分けた分体を除き、うち二体をこの世界に呼び出した後ならば『神』の顕現も可能であろう。
その為に一流の魔術師が、塔の深部にて術式を創り上げている。
何日もの間、代わる代わる呪詛に等しい祈りを魔力と共に捧げている。
煮詰められた悪意は、一つの塊となってこの世に生まれつつあった。
……*
「まさか貴女が、私の護衛なのかしら?」
心底嫌がっているという気持ちを、これでもかというぐらいに表情に乗せる。
フリガの眉間に深く刻まれた皺が、自分への評価そのものなのだとサーニャは察した。
「いえいえ。ワタシは安全な場所までお連れするだけですよ。
上空に龍族が飛んでいるのを確認しましたから。
ここは目立ちますので、移動をしましょう」
サーニャの言葉に偽りは無かった。
三日月島にある塔は、存在が知られれば一瞬にして危険な場所へと変わり果てる。
上空の龍族が、この塔の存在に気付いている可能性は大いにあるのだ。
こと戦闘が始まれば、この女は足手まとい以外の何者でもない。
遠ざけておくのが、互いの為となる。彼女が納得するかどうかは別として。
「だったら、ビルフレストでも良いのではなくて?」
「ビルフレスト様は、左腕を移植中ですので。集中力と手術に耐える時間が必要なのですよ」
舌打ちをしそうになるのをぐっと堪え、サーニャは笑顔で答える。
この女は本当に事態が判っていない。今、まさに自分達は攻められているというのにこの発言だ。
彼女は今までの人生で不自由をした事がない。故に希薄な警戒心がどれほど他人を苛立たせるかすらも理解していない。
移動をしながらも、一挙一動に文句を言うフリガ。その意図に気付いたサーニャは呆れてものも言えなくなった。
これはただ、縄張り争いで威嚇しているだけなのだ。「ビルフレストは自分のもの」と主張しているだけだ。
本当に愚かな女だと思う。
彼は誰かのものになるような人間ではない。それすらも、気付いていないのだ。
表面的に、所作の美しい彼を見初めるのは好きにすればいい。
問題は自分がビルフレストに見合う人間だと過大評価をしている事。
家柄以外何も持たない女に靡くほど、彼は愚かではない。
(この人も、適合しそうなもんですけどねえ……)
高飛車な態度を取るフリガを受け流しながら、サーニャはぼんやりと考えた。
彼女だって『傲慢』辺り適合してもおかしくはない。むしろ最適解に近い。
そう思ったところで、考えを改める。
適合したところで、彼女がその身を抉りだすような真似をするとは思えない。
仮に移植をしても、到底思い通りに働くとは思えない。
自分達の悪意によって創られた神と言えど、その点は意外と見ているのかもしれない。
サーニャはまだ見ぬ自身の神へ、感謝を捧げた。
「さ、つきましたよ」
暗闇のカーテンが道を塞ぐ。
周囲は黒で囲まれ、戦闘が起きているというのに騒がしい音は何ひとつ聞こえない。
「何よここ? こんな辛気臭い所に連れてきてどういうつもりなの?」
「そう仰らずに。テネブル様がご用意してくださった、安全な場所ですので」
フリガの反応を予測していたサーニャは、気にしないようするで手を広げる。
闇のカーテンが壁となり、周囲を遮断するのは良いが周囲が薄暗い。
存在するのは椅子にテーブル。そして、彼女が暇を潰せそうなものがいくつか用意されていた。
何をしても文句を言うのは判り切っているが、彼女が怒り狂わない程度の準備はしたという様子でもあった。
「フリガ様。お待ちしておりました」
現れたのは、黒いローブに身を包んだ魔術師の男。金色に縁どられた文様は、エトワール家の者である事を示している。
テネブル・エトワール。黄道十二近衛兵を務めていたエトワール分家の者。
かつて、テラン・エステレラと共に闇の魔術について基礎構築を行った者だった。
「あら、テネブル」
「はい。こちらでも、フリガ様にお会いできて光栄です」
黄道十二近衛兵としては第二王女へ仕えていたテネブルだが、彼はフリガとも面識がある。
というよりは、フリガが一方的に彼を気に入っていた。
整った顔立ちに、細く美しい緑色の髪。実年齢こそ31歳とフリガより年上だが、やや童顔気味で可愛らしさも残っている。
ビルフレストが第一王子と共に留学に出た際、風が吹く度に気分が代わるフリガを宥めていたのが彼でもあった。
自分の護衛中にも関わらず呼びつける自分勝手な行動が第一王女と第二王女の間に溝を生む切っ掛けとなっているが、フリガには気付く由も無かった。
「貴方がここに居るのなら、退屈はしなさそうね」
「ええ、お任せください。なんといっても、この空間は私どもで造り出した闇の魔術である蝕みの世界を応用し――」
「ああ、そういうのは良いから」
自身の生み出した空間。その安全性を伝えようとするテネブルを、フリガは一蹴する。
彼女にとって安全とは、あって当たり前のものであり、特別注意を要するものではない。
実際、侵入者を分断しているこの闇のカーテンの出来は素晴らしいものであった。
相手を闇の中に閉じ込めた蝕みの世界を基礎に、遮断壁闇の術式を組み込み壁で遮断するように空間を形成する。
壁の性質に一工夫欲しいという事で、更に影縫による伸縮性を追加して迷宮の変化すらも可能とした。
常闇の迷宮と名付けられた魔術は、最高の出来だと自負するものだった。
問題は、三日月島を覆う程の魔力が彼には存在していないという事。
第一王女派であるステラリード家の黄道十二近衛兵二名が、島の隅に立つ事で彼を補助し、発動を実現させている。
「それでは、ワタシはこれで。フリガ様、失礼いたします」
「ふん。早く戦場へ行きなさい。少しは役に立つところを示したらどうなのかしら?」
「はい、そのつもりです。ではでは!」
相変わらず鼻につく言い方をするが、サーニャはいつものように受け流す。
今は少しだけ気分が良いのだろう。お気に入りの、テネブルが居たのだから。
テネブルは大変かもしれないが、常闇の迷宮によって彼自身も状況の把握が完璧ではない。
フリガが居た方が、気が紛れるだろう。自分なら絶対に嫌だが。
「さて、と。それではワタシも行きますかね」
屈伸をし、続いて腕を伸ばす。身体を解した後に向かう先は、戦場。
第一王子に頼まれた事は、これで完了をした。どうして自分に頼んだのか、判らない。
もしかするとただの消去法か、もしくはその場に居たからか。どちらにせよ、サーニャもアルマの事は嫌いでない。
自分も身体を張っているからか。それとも、真っ直ぐに自分を評価してくれたからか。
「ま、どっちでも同じですね」
理由はどうあれ、自分の目的を達成するにあたって彼の協力は不可欠だ。
彼も、そう思っている。それならば持ちつ持たれつつだと、サーニャは迷宮の中を走り始めた。
……*
「うーん。これ、明らかにヘンですよね?」
三日月島へと続く橋の上で、オリヴィアは仲間に同意を求めていた。
常闇の迷宮により、シンがフェリーとアメリアから分断された瞬間。
闇のカーテンは島の外に居たオリヴィア達の視界にも入る事となる。
島を覆うような黒の壁。異常が起きている事は、容易に想像できた。
シンからの合図が来るまでは橋の向こう側で待機をする約束をしていたが、今では彼らの無事を案ずる状況に陥ってしまった。
そう判断したフローラが、橋を渡る事を選択する。
幸い第一王女派の軍は現段階では三日月島へ迫ってはおらず、シンの懸念は杞憂に終わっていた。
「一体、中はどうなっているのでしょう」
「いや、フローラさま。絶対触っちゃダメですからね?」
手を伸ばすフローラを、オリヴィアが慌てて止める。
その先には光すらも吸収しそうな暗闇が壁となって聳え立つ。
見ているだけで不安になるそれが、島全体を覆っている。囲まれている者達は、正気を保てるのだろうかとさえ思う。
「でも、このままってわけにもいかないわよねえ」
そういうと、イリシャは一本のガラス瓶を投げる。中に入っているのは、彼女が調合した聖水だった。
本来は魔物を忌避させる為に使う香水のようなものだが、リタによって光の魔術が魔術付与されている。
少しでも効果があればと思ったのだが――。
投げた勢いは殺され、瓶がそのまま橋へと落ちる。
パリンと割れたそれは、中身を足元へ撒いただけの結果に終わる。
「……ダメみたいね」
「でも、変に勢いが殺された感じでしたね。衝撃を吸収しているような……」
肩を落とすイリシャに、オリヴィアは新たな発見事項を身振り手振りで挙げてフォローする。
結果として、下手に攻撃を仕掛けても意味が無さそうという手詰まり感だけが増していた。
「でも、なんか煙出てるよ?」
「え?」
しかし、リタだけが足元に注目をしていた。正確に言うと、撒かれた聖水の一部分。
闇の壁に振れた部分のみが、煙を出して蒸発している。まるで、拒絶反応を示しているように。
「ふうむ……」
オリヴィアは唇を指でなぞりながら、その現象の意味について考えられる。
瓶は勢いを殺され、液体は触れた部分が蒸発をする。つまり、聖水自体に効果があったという事。
誰がこんなものを創ったのかは判らない。ただ、オリヴィアはこれが魔術によるものとして仮説を立てる。
理由は至極単純で、そうでなければ手詰まりだからだった。
そして、この魔術を生み出した者の立場になって考える。自分なら、何を遮断したいか。
まず、互いの連絡手段を奪う。そして、安易な合流を許さない。衝撃を吸収する仕様なのも、その為だろう。
次に、島全体を覆う程の魔力の壁を個人で生み出せるだろうか。恐らく無理だ。
きちんと魔術が扱える前提のフェリーや、妖精族のリタならあるいは可能かもしれない。
しかし、知る限りは第一王子派の戦力には組み込まれていない。なので、居ない者として仮説を進める。
つまり、人間が出来る範囲の事。複数人が協力して創り上げている可能性は否定できないが、それだとイメージの統一が難しい。
複雑な要素を入れるのであれば、大量の魔術師は投入されていないだろう。多く見積もっても五人以内。
黄道十二近衛兵級が用意しているとなれば、可能かもしれない。
次に、聖水によって壁が拒絶反応を示した事について。
拒絶反応を示したという事は、突破手段があるという事。見るからにこの魔術は闇の力を秘めている。
リタの妖精王の神弓なら、破壊できるのではないかと言う可能性。
「リタさん、射っちゃいましょうか」
「え? うん。いいけど……」
弓を引く仕草を見せるオリヴィアだが、破壊された時に内外問わず悪影響が出る可能性を懸念はしていた。
「ただ、最初は弱めにして少しずつ威力を上げていきましょう。
あ、出来ればわたしたちの周囲に結界も張って頂けると助かります。わたし、光の結界は用意出来ないんですよ」
「……オリヴィアちゃん、容赦ないね」
シンの要望にきっちり応えた所を見せてしまったからだろうか。
オリヴィアも大概、容赦のない要求をしてくる。
それでも、リタは弓を構える。中にいるレイバーンが、みんなが邪神と遭遇している可能性だってある。
自分達だけが、止まっている訳には行かないのだから。