125.龍の王を越えるために
類まれなる才能。
自身の魔術制御と想像の具現化についてそう評されたのは、身体が弱く寝込んでいた幼少期。
クレシアはその言葉を、額面通りに受け取る事は無かった。
他人と比べた事が無いのに、優れているとだけ言われても困る。
同年代の子供は元気に外を走り回って遊んでいる。多少雨に打たれても、泥まみれになっても熱を出したりはしない。
二人の姉に至っては、元気過ぎて年上の男すら敵わないではないか。
自分はむしろ、他人より劣っている存在なのだ。誰にでも出来る事が、出来ないのだ。
弱い自分でも何とか出来る事を拾い上げて、大層に持ち上げてくれる。
貴族の娘だから。太鼓持ちはいくらでもいる。
だからせめてこれ以上に気を遣わせないようにと、弱音を吐かないように心掛けた。
よく遊びに来る貴族の息子が「アメリア姉はすごいんだ」と目を輝かせて言っていた。
剣も振れるし、魔術も使えると。ほらみた事か、自分なんて全然すごくないじゃないか。
そう腐ったところで、事態が好転する訳でもない。武術も魔術も嗜む「アメリア姉」とやらが、悪い訳ではない。
ただのやっかみだ。羨ましいのだ。どうして自分は、やりたい事を選べないのだろうかという。
それは彼女が生まれつき、大量の魔力を備えていたからだった。
フェリーが魔力を込め、力いっぱい殴りつけた際に自分すら傷付けたように、強すぎる魔力はその身すらも蝕む。
時間が経てば。彼女の身体が成長すれば、いずれは解決する問題ではあった。
問題は、幼くして擦れてしまった彼女が『いつか』や『将来』なんて言葉を素直に受け入れなくなっていた事。
誰もおべっかではなく、事実を述べただけである魔術の才ですら、クレシア本人は疑っていた。
今でこそ彼女の魔術。その礎となっている探知だが、当時は耳にしなくていい言葉まで耳にしてしまう余計な能力だった。
誰かが、誰かの陰口を言っている場面。自分の事を言われた訳ではないが、「自分もこんな風に言われているのだろう」と幼い子供が捻くれるには十分なものだった。
順調に捻くれていくクレシアに光を灯したのは、空気の読めない貴族の息子。
父より「健全な肉体は、健全な精神に宿る」と教えられたものだから、クレシアが元気になれば明るい子になると信じて疑わなかった。
いつものように母同伴で『アメリア姉』と『オリヴィア』の居るフォスター家へ向かう途中で寄った王都。
そこで彼は奇跡的な出逢いを果たす。それが銀髪の薬師だった。
傷薬の販売実演がてら、擦り傷を負っていたイルシオンに目をつけるイリシャ。
炎症は治まり、痛みもすーっと消えていくのはまるで治癒魔術のようだった。
過剰反応気味なイルシオンのお陰もあって、傷薬は飛ぶように売れた。
懐の温まったイリシャが、お礼にと果実のジュースを奢るとイルシオンは興奮気味に尋ねた。
「元気にしたいやつがいるんだ! なんとかならないか!?」
酷く曖昧な問いだが、前述の礼も兼ねてイリシャは子供であるイルシオンの話を真剣に聞いた。
勿論、重篤な病気である可能性は否めない。子供が身振り手振りで話した内容を鵜呑みにして、薬を調合する訳には行かない。
結果、イリシャは滋養強壮の薬を調合する事に決めた。
病気と闘うにしても、栄養の接種は必要だと考えた結果だった。
ただ、材料を市場で買い集めようとしても足りない。
割高になるが、ギルドへ依頼するのも吝かではない。そう思った時に、少年は言った。
「オレが集めてくる! どこにいけばいいんだ!?」
「え?」
イリシャが聞けば彼は、貴族の息子だという。市場に居る母へ話をつけ、肩には空っぽの鞄が下げられていた。
誘拐の可能性も警戒したのだろう。イルシオンには、護衛の騎士がつけられていた。
それでも彼には意地があった。「自分で集める」と言った言葉を、偽りにしたくなかったようだ。
材料を採取する間、護衛にその手助けを頼む事は無かった。
危険な魔物も悪党も居なかったので、イリシャは採取するイルシオンを眺めながら護衛とお茶をしたほどだ。
そうして出来上がった滋養強壮の薬は、クレシアの手に渡り身体へと染み渡った。
勿論、それが全てではない。彼女の成長に伴い、宿した魔力に負けない身体が出来上がっていった。
イリシャの薬は、その手助けをほんの少ししたに過ぎない。
それでもクレシアはイルシオンに感謝をしたし、イルシオンも名前すら訊いていないイリシャに感謝をした。
そして今、クレシアはイルシオンと共に三日月島に居る。
彼と旅をして、ほんの少しだけ外の世界を識って、自分は他の人より魔術の才に恵まれている事を認めた。
同時に、そのおかげで馬鹿な夢を全力で成し遂げようとする人間の力になれると思った。
その彼が、自分を信頼して無茶をしている。期待に応える以外の選択肢が、クレシアには存在していなかった。
「おおおおぉぉぉぉぉぉっ!」
振り下ろされた紅龍王の神剣は刀身に炎を纏い、黄龍王の胴体へ触れる。
全身に纏う硬鱗がその刃を身に食い込ませる事を決して許さず、イルシオンの刃を跳ね返そうとさえしていた。
「神器を持っているからと……。舐めるなよ、人間!」
「舐めてはいない! ただ、オレはオマエも超えて見せる!」
何度かフィアンマと手合わせをした際も、イルシオンは本気を出していない彼にあしらわれていた。
龍族の一族でも頂に立つ者。実力差は歴然だが、退く理由にはならない。
「まだ……まだッ!!」
――紅龍王の神剣よ。喰らえ。喰らえ。喰らえ。喰らえ。
イルシオンは紅龍王の神剣に願う。
それが紅龍の神へ捧げる祈りとして正しいものかは定かではない。
明確に自身の神を把握しているリタとは違い、不格好な願い。
伝わったのかは定かではない。事実として残るのは、紅龍王の神剣の発する熱が高まったという事。
ヴァンの硬い鱗を、ほんの少しだが焼く。真皮に伝わる熱が、ヴァンの表情を僅かに歪ませる。
「おのれっ!」
怒りを露わにする。痛みにより、イルシオンの危険性を改めた訳ではない。
誇り高き龍族の長たる自分が同胞の前で、下等生物に良い様にやられている。
耐えがたい屈辱に対しても感情だった。
その身から魔力を解放し、暴風を創り始める。捕まったら最後、か弱い人間の身などバラバラに引き裂かれてしまう風。
逃げ場のない空中で、人間が受けるには過ぎた魔術。即死が免れない状況。
イルシオンの背に乗っている少女が、風の魔術を得意としていなければ。
「させない」
クレシアはヴァンが生み出した風にすら、自分の魔力を混ぜ込み干渉を試みる。
制御を完全に奪える訳ではない。相手は遥か天井の存在なのだから、魔術の才能に恵まれていても出来ないものは出来ない。
ただ少しだけ、完成を遅らせる。同時に氷の魔術で空気を冷やす。
ありったけに冷える。それだけを、イメージした。
「生意気な真似を!」
紅龍王の神剣によって、僅かだが確実に焼け爛れていく皮膚。
振り払おうと風を生み出そうとしても、抵抗する少女。
飛び交う羽虫のような存在に、ヴァンは苛立ちを増していく。
遥か格下の、決死の抵抗。イルシオンがつけた火傷の痛みが、ヴァンから暴風を生み出すイメージを僅かに鈍らせた。
刹那、クレシアが膨らませていた風と氷の魔術による結果が実る。
生み出されたのは、下降気流。それはヴァンと、彼に斬りかかるイルシオン。そして、術者本人であるクレシアを呑み込む。
「ぬおおおおおっ」
自分の身が大地へ引き寄せられる感覚は、ヴァンにとって初めてのものだった。
天空を司る龍族である自分が、まさか大地に引き寄せられようなど、受け入れ難い事実だった。
しかし、僅かに掴んだ優位性をイルシオンとクレシアが決して逃しはしない。
それは明確に格上と認めた上で、全力で黄龍王へ挑んだ者。
逆に、格下と理解していつでも潰せる存在と侮った者。
その差が如実に表れている今だからこそ、総ての攻撃は意味を成す。
「紅龍王の神剣ッ! オレの魔力を好きなだけ持っていけ!」
イルシオンの咆哮に応える紅龍王の神剣は、その刀身に纏う炎を強める。
文字通り立たなかった刃は、今は食い込んでいる。支えているのは、クレシアだった。
風防壁を何重にも纏い、イルシオンと自分への負荷を軽減する。
落下速度を少しでも速めようと、魔術による重力を生み出す。
ヴァンが自分達を振りほどこうとしたり、防御壁を破壊しようとする。その度に風防壁による強化と調整を試みた。
「あれは……」
真下へ広がる景色の異様さに、クレシアはぽつりと呟いた。
暗黒が、帯のように広がって迷宮を創り出している。誰かの魔術によるものだろうか。
本来ならもっと分析を行いたいのが、状況が状況だけに出来そうもない。
抵抗する黄龍王の攻撃を凌ぎ切ったイルシオンとクレシアは、闇のカーテンに阻まれた迷宮。
その一室へと落下していく。
「クレシア、大丈夫か!?」
「うん。イルこそ……」
「オレのことは気にするな。これしきのこと、なんともない!」
強がっては居るが、既に二人とも消耗は激しかった。
外傷こそ大きく目立つものはないが、異常なまでに魔力を消費していた。
特に、複数の魔術を連続して使用したクレシアの負担は著しい。
王宮と同じく、身体がほんのりと熱っぽくなっているのを感じた。
「クレシア、ありがとう。少し休んでいてくれ」
彼女の様子を察したイルシオンが、眼前に立つ。意外と大きかった背中からは、どんな顔をしているか判らない。
神剣を構え、真っ直ぐに黄龍王を見据える。
「だから、調子に乗らないほうがいい。
これだけ屈辱を味わわせられたんだ。相応の覚悟はしてもらう」
暗闇の迷宮。その一角が、黄龍王の怒りによって震えていた。
……*
「アイツら、無茶苦茶にも程があるだろう」
上空で呆れ気味に呟くフィアンマだが、慌てふためく黄龍王の姿を見て溜飲が下がった。
彼に傷をつけたのが、自分達が預けた神器だからこそ余計に気分がいい。
「フィアンマ。油断するでないぞ」
「解ってる。ネストルこそ、振り落とされるなよ」
上空に残るは、数体の黄龍。長であるヴァンが落下した事により、群れはその統率に乱れが出ていた。
この機を逃す程、フィアンマとネストルは甘くなかった。
乗っているのがネストル一人になった事で、遠慮が不要となったと言わんばかりに、フィアンマは空を切る様に飛び回る。
動きで黄龍の群れを翻弄し、炎の息吹と背に乗るネストルの魔術によって黄龍にダメージを蓄積していく。
形勢は完全に逆転した。その時だった。
「……あれは」
フィアンマの視界を影が覆う。その正体は、空を舞う紅龍の群れだった。
心配していた同胞の姿を確認した事で、フィアンマの気が緩む。
「お前達! 無事だったのか!」
ただでさえ、黄龍の長であるヴァンは大地へと落下している。
ここに紅龍の群れが加われば、上空に居る黄龍の残党は恐れるに足りない。
高度を上げて仲間の元へと寄るが、フィアンマは気付いていなかった。
自分の同胞が、ぶつぶつと何か呟いている事に。
「喜ぶ。彼女が、喜ぶ……」
紅龍の群れが指し示す『彼女』が一体何のかは判らない。
だが、再会した一族の長よりも優先するべき事柄。それが女だという事に、ネストルは違和感を覚えた。
「待て、フィアンマ――」
「がっ!?」
その忠告は遅かった。フィアンマの耳に伝わるよりも早く、紅龍の群れが行動に移す。
上空から放たれる、紅龍の息吹。炎を纏ったそれは、フィアンマの背中に向かって吹きつけられた。
「何をするんだ、お前達ッ!?」
フィアンマの問いに紅龍が答える事は無い。ぶつぶつと「彼女の為に、喜んでもらう」そんな事を延々と呟いている。
正気ではないと判り切っているが、それでも心配していた同胞が姿を見せたのだ。
自分に牙を向けたとしてもすぐに割り切れるほど、フィアンマは非情に徹しきれなかった。
その一方で、フィアンマの事情などお構いなしに吐きつけられる炎の息吹や火球。
炎によるダメージはフィアンマには無い。だが、確実にネストルへのダメージは蓄積されていた。
「くそ、一体何だって言うんだ!」
毒づきながら同胞の攻撃が当たらないように軌道を変えるフィアンマを、今度は黄龍の息吹が襲い掛かる。
突風が襲い掛かり、背に乗っていたネストルの身がフィアンマから離れていく。
「ネストル!」
落下するネストルを捕まえようと追い掛けるフィアンマに、紅龍と黄龍の息吹が襲い掛かる。
このままではフィアンマの身が持たない。そう感じたネストルは、彼に向かって叫ぶ。
「私は大丈夫だ! まずは自分の身を案じるのだ!」
段々と遠くなっていく声が、救出を拒否した。
この戦いの大将であるネストルがそう言っている。フィアンマに覚悟を持たせるには、十分だった。
「……理由は知らないが、お前達もいい加減にしろよ。
少し、痛い目を見てもらうからな」
同胞も、黄龍も関係ない。自分に牙を剥くのであれば、存在している差を身を以って理解させる。
今までの比では無い圧倒的な威圧感が、三日月島の空を覆った。