123.魅惑への誘い
シン達が架け橋を渡り、三日月島へ近付いている中。
レイバーンはヴァレリアとグロリアと共に、北へ迂回しての侵入を試みる。
元々はレイバーンの巨体は橋で狙い撃ちにされかねないという事で、単独での行動を視野に入れていたのだが、ヴァレリアとグロリアがそれに乗じた形となる。
グロリアの魔術によって生み出した氷の船に乗り、同じく風の魔術で船を進める。
この辺りは人間の集落が少ない事もあってか、レイバーンの鼻も王宮よりは利くようになっていた。
「人間は魔術を器用に使うな」
氷の船を指で突きながら、レイバーンはしきりに感心をしていた。
思えば、ルナールもかつては人間の集落で生活をしていた。その際に彼女は、変化の魔術を身に着けたという。
フィアンマもそうだった。不完全ではあるが、龍の姿から人型へと擬態する事が出来る。
魔獣族として生きる自分にはあまりない発想だった。
一番の武器は己自身だし、戦いと言えば専ら力比べだ。だから、魔力の使い方もその方面に傾倒していく。
妖精族や小人族はどうなのだろうか。そんな興味が、うっすらと湧いてくる。
「人それぞれですわよ。ヴァレリア姉さんなんて、魔力で何かを壊すことしかできませんもの。
この船だって、『アタシも手伝う』と言わなければ、もっと早く造れましたのに」
頬に手を当てて、グロリアはため息をついた。
初めは二人で船を造ろうとしたのだが、ヴァレリアの力加減が上手く行かずに氷の瓦礫を積み上げていく。
その事を、チクチクと針で差すように蒸し返す。
「アタシはそれで色んな人を護ってんだよ! 別にいいだろ!
第一、グロリアだって中々船の形にならなかったじゃねえか! アメリアやクレシアだったらすぐに出来てたぞ!」
「造れないよりはマシですわ。危うく、泳ぐことになるところでしたのよ?」
「はっはっは! 余はそれでも良かったんだがな!」
グロリアがやれやれと言った様子で、再びため息を吐く。
「勘弁してください、レイバーン様。無駄に体力を消費して、戦闘どころではなくなってしまいますわ」
「そうそう。アタシなんて、デカい剣持ってんだ。泳ぐのも一苦労だよ」
「はっはっは、それもそうだな!
それにしても、二人は余をあまり警戒しておらぬようだな」
レイバーンの鼻は、二人から一切の敵意を感じない。
通常、少しでも緊張しているのなら身体に汗が滲む。この距離なら、レイバーンはそれを嗅ぎ逃す事は無い。
ヴァレリアとグロリアには、それが無い。自分も緊張をしないで済む一方、僅かにだが驚いていた。
「それは……なあ?」
「ええ、そうですわね」
ヴァレリアとグロリアは目を合わせ、互いが納得したように頷く。
他人の心の機微に疎いレイバーンは、彼女達が何に頷いているのかが解らない。
「最近、龍族やら妖精族やら魔王やらが味方だし。
まあ、一方の龍族は敵だったりするけども。
かといって、同じ国の人間も敵だし。もう、見た目で敵味方が区別できないっていうか」
「レイバーン様は見た目こそ厳ついですが、親しみやすいですもの。何なら、シンさんより話しかけやすいですわ」
「ううむ……。シンはシンで、優しい男なのだがな。生真面目というか、物事を重く捉えすぎるというか。
兎に角、悪い男ではないのだ。余は、シンにも沢山友人が出来て欲しいぞ」
頬をポリポリと掻くレイバーンを見て、グロリアが苦笑する。
隣では、ヴァレリアも笑いを堪えていた。
「ほら、そういう所が人間臭いのですわ」
「う、うむ……」
自分はずっとこうだったと、戸惑うレイバーンをよそに船は陸へと到着する。
上陸した三人が空を見上げると、フィアンマと黄龍が戦闘を繰り広げていた。
「クレシアちゃん、大丈夫かしら……」
「そこは陛下とイルシオンを任せよう。アタシ達は、島の中心へ向かうぞ」
闇の帯となって、柱のように立ち昇る不気味な魔力。
自分達に課せられた目的地へ向かって、三人は歩み始めた。
不快な魔力が身体に纏わりつくような感覚がする事には、敢えて誰も口にする事は無かった。
……*
「なんか、カンタンについちゃったね」
架け橋を渡り終え、重くなった空気。
それを払いのけるかのように、フェリーが呟く。
「という事は、島の中に敵の戦力が集中している。気を抜くなよ」
「わかってるってば」
フェリーに注意を促しながら、シンは橋を落とされなかった理由を推測する。
落とさなかったのではなく、落とせなかったとすれば。
道中で、五大貴族であるステラリード家も動くよう指示があった事をアメリアから聞かされた。
当主のルクスが抑え込む事により、王都への襲撃は免れた。
しかし、ミスリアの南部から北上してくる第一王女派は、三日月島へ進路を変更する事が出来る。
友軍を受け入れるルートとして、架け橋が必要だったのだとすれば。
「……まずいな」
もっと早く、その可能性を考慮するべきだった。
今、橋の向こうに居る者で戦えるのはリタとオリヴィアのみ。
運悪くタイミングが重なって、挟撃される事態は避けたい。
橋を渡っている最中なら、尚更だ。逃げ場が用意されていない。
「フェリー、アメリア――」
シンがその事を言い終わるよりも早く、敵が姿を現す。
群青色の髪をした、魔術師の男。そして、その傍には角刈りの筋肉質な男。
リシュアン・フォスターとライラス・シュテルン。共に黄道十二近衛兵を務めていた者だった。
「リシュアンさん……」
「お久しぶりです。アメリアお嬢様」
群青色の髪をした魔術師はローブに隠していた杖を取り出すと、先端に取り付けられた魔石をアメリアへ向ける。
その眼は真っ直ぐで、躊躇いが無い。酔狂で行っている訳ではないという意思表示だった。
「この島は、貴方が手引きをしたのですか?」
リシュアンは沈黙を貫く。それが、答えである事は明白だった。
強く握られた拳により、手袋の皮が擦れて静寂な空間に一音を奏でた。
「自分が何をしているのか、判っているのですかっ!?」
アメリアの脳裏に蘇るは、ウェルカでの戦い。
民が魔物へと姿を変貌していく、惨劇。
それだけではない。フェリーが戦ったという、ピアリーでの怪物も村の女性を取り込んで生み出されていた。
人を人とも思わぬ、非人道的な研究。悪魔の企みに自分の一族が絡んでいる。信じたくなかった。
だが、目の前に居る男は紛れもなくフォスター家の者だ。
突き付けられる現実を前にして込み上げてくるのは、怒りよしも哀しみだった。
「アメリアお嬢様こそ、民を平和を守っている。それを確認したい。
そんな高尚な事を述べておきながら、起きている事になにひとつ気付いては居なかった。
向けられる世辞すら、言葉通りに受け取って何も見えていない貴女に、自分を非難する資格は無い」
「――っ」
耳の痛い話だった。自分の地位を、立場を、正しい意味で理解できていなかった。
五大貴族であり、神器の継承者である自分の気分を害そうという者など、早々現れるはずもない。
貴族を動かす事に戸惑ったり、引け目を感じてもおかしくは無い。結果、当たり障りのない平和な話だけに耳を傾けていた。
もっと民に耳を傾けていれば、救えた人間も居たかもしれない。
邪神の『核』など、創られる事が無かったかもしれない。
ビルフレストが動き始める前に、止められたかもしれない。
後の祭りではあるが、そんな可能性が頭にこびりついて離れないのは事実だった。
「いや、あるでしょ」
「……なんだと?」
言い淀むアメリアの代わりに答えたのは、フェリーだった。
リシュアンは眉間にいくつもの皺を刻みながら、鋭い眼光をフェリーへと向ける。
「悪いコトしといてさ、バレたら『お前が悪い』なんて、言っちゃダメだよ。
アメリアさんはなにも悪くないよ。そうやってヒトのせいにするの、よくないと思う」
「貴様に何が解るというのだ」
「わからないよ。あたしは、ゼッタイにヒトのせいなんかにしない」
フェリーの言葉。その裏にあるのは、自分が故郷を滅ぼしたという事実。
その時の記憶だけが無いなんて、言い訳に過ぎない。
咽る程に充満した煙も、ヒトが焼ける臭いも、この身体は覚えている。
誰のものでもない、自分が背負っていくべきものだと、はっきり認識している。
「……もういいだろう」
リシュアンへ向けられたのは、鈍く光る銃口。
これ以上、フェリーに嫌な記憶を反芻させたくないシンが強制的に話を止める。
シン以外の全員が、時間稼ぎを中断させるためのものだと勘違いをするほどにその瞳に温度は込められていなかった。
「何を言おうが、お前達を止めさせてもらう。
その為に、三日月島へ来たんだ」
シンの人差し指に力が加り、乾いた音を鳴らす。
それが戦闘開始の合図となった。
「誰が止めさせるものかッ!」
風の魔術で防壁を張り、リシュアンは放たれた銃弾を叩き落す。
杖を向ける動作で腕が上がり、生まれた死角へフェリーが飛び込む。
魔導刃が、腕を焼き切らんと切り上げられる。
「オオオオオッ!」
「フェリーさんっ!」
だがそれは、雄たけびを上げる男にとって阻止される。
ライラスの横薙ぎに振るわれた斧が、フェリーの身体を両断しようと襲い掛かる。
咄嗟にアメリアが小型の水の城壁をフェリーと斧の間に生み出すが、勢いまでは殺しきれずにフェリーの身体を数メートル吹っ飛ばす。
すかさずにシンが斧を振り切ったライラスの指を狙って銃を放つ。
指にこそ当たらなかったが、避けきる事の出来なかった銃弾が彼の右腕を貫いた。
「けほっ、けほっ」
フェリーの脇腹に激痛が走る。衝撃だけで身体が粉々になるかと思ったぐらいだった。
間違いなく肋骨は折れているが、それはすぐに治る。
口元から漏れた胃液と、頬についた砂を、手で拭う。
痛みこそあるが、ビルフレストの時のようなおぞましさは無い。まだやれると、フェリーは立ち上がった。
「大丈夫か?」
「うん、だいじょぶ。アメリアさんも、ありがと」
アメリアの水の城壁のお陰でもあった。
もし、身体が両断されていたなら回復にはもっと時間が掛かっていただろう。
そこいらの魔物よりずっと力が強いのか。フェリーが、ライラスの顔をじっと見る。
「役に立つんだ。それで、ラヴィーヌと……」
ぶつぶつ言っている内容は聞き取れないが、目の前の戦闘が上の空だという事は感じ取れた。
ただ、あの怪力は脅威だ。迂闊に魔術師でありリシュアンだけを集中して狙う訳には行かなさそうだった。
アメリアもまた、自分が知っている以上の怪力を発揮するライラスが疑問だった。
オリヴィアから聞かされた話によると、眼が虚ろになって筋肉が膨張したという。
しかし、目の前にいる彼はぶつぶつ何かを呟いてこそいるものの、眼は決して虚ろでない。
むしろ、何かの目的があってそれを成し遂げようとする気概さえも感じる。
(ライラスさんは、裏切った訳ではないと思っていたのですが……)
ラヴィーヌの瞳を見た途端、ライラスの様子がおかしくなったという。
ならば、ライラスは操られているだけで裏切った訳ではないのではないか。
そう踏んでいたのだが、読みが外れた形となる。
「ライラスさん。『役に立つ』とは? ラヴィーヌさんと、何か話されたのですか?
貴方も、第一王子派の人間なのですか?」
最後の希望として、アメリアが問う。
話が理解できていないのか、意味もなく首を傾げるライラスに代わって答えたのは女の声だった。
「そうですわ、アメリア様」
刹那、黒い火花が出現する。それは地面に触れると、帯のように伸びる。
瞬く間に、闇のカーテンが周囲の空間を遮断した。
「今の声は……!」
姿こそ確認できなかったが、あの声はラヴィーヌのものだった。
操っているのが彼女であれば、術者を倒せばあるいはと希望を抱く。
「……シン?」
アメリアが抱いた淡い期待は、フェリーの声によってかき消される。
彼女が呟いた事により、まさかとは思ったがシンの姿が見当たらない。
この場に居るのは自分の他にはフェリー、リシュアン、ライラスだった。
考えられるとすれば、遮断された向こう側。
シンは孤立した状態で、彼女と相対をしている。
……*
遮断された向こう側で、シンは闇のカーテンへ向かって銃を放つ。
弾は衝撃が吸収されたかのように、その場へポトリと落ちてしまう。
音も遮断されているようで、反対側で何が起きているか解らない。
「くそっ……」
一刻も早く、フェリーとアメリアの元と合流しなくてはならない。
ただでさえ、イリシャ達の様子も気掛かりだというのに、間が悪い。
(いや、それが狙いか)
相手の思う壺に陥ってはいけない。頭では理解しているが、実際には気が逸る。
焦るシンの気など意に介さず、女の声が鼓膜を揺らす。
「初めまして、シン・キーランドさん」
「……誰だ?」
振り向いた先に居るのは、黒い衣装に身を纏った女。
顔立ちこそ幼さを残しているが、ボディラインをはっきりと見せるその装いは妖艶な雰囲気を醸し出している。
「私、ラヴィーヌ・エステレラと申します。以後、お見知りおきを」
そう言って、ラヴィーヌは黒く艶やかな前髪を上げる。
金色の瞳が、妖しく輝いていた。