121.三日月島へ
ミスリアを駆ける三台の馬車と、一体の龍。
馬車は隊列を組み、数名ずつが乗り込んでいた。
先頭には国王たるネストル。味方の士気を高める意味でも、息子にけじめをつける意味でもこの位置は譲れなかった。
他には護衛としてアメリアが同乗する予定だったが、直前にイルシオンが立候補をする。
アメリア曰く「やる気になっているイルくんの気を削がない方がいいのでは」と進言し、自分は殿を務めると言った。
神器の所有者であるイルシオンの戦闘力は申し分ない。
更に、探知の使えるクレシアが同行するのは心強いので、ネストルも了承をした。
馬車の中に広がる沈黙。クレシアは探知に専念をしていたが、あくまで建前。
ずっと黙っている国王の圧から逃げていた。どう声を掛ければいいのか、判らないが故に。
「陛下」
その沈黙を破ったのはイルシオンだった。
クレシアは胸を撫で下ろす反面、彼が何を口走るのかとハラハラしていた。
せめて馬車内の空気が悪くならないようにと、必死に祈る。
「陛下は、どのような決着を望まれているのでしょうか。
アルマ様は陛下に、ミスリアに刃を向けました。深い傷も負いました。
その覚悟は相当なものでしょう。迷いのある刃では、恐らくアルマ様は止まりません」
そう語るイルシオンの瞳は、真剣だった。
彼は自分の力を誇示したい訳ではない。英雄を志し、そして実現するべく彼なりに動いている。
ネストルの意思は、ミスリアの決定そのもの。イルシオンは、自分も選択を誤ってはいけない一心で尋ねた。
再び、沈黙が流れる。車輪が轍の生み出す音が、やけにクレシアの耳に残った。
ネストルは眉間に皺を刻んだと思うと、それをすぐに解いた。
目の前に居る少年と少女に気を張る必要はないと判断したのか、本心を語り始める。
「今も信じられないというのが、私の本音だ。
久方ぶりに会ったアルマが、まさか自分の命を狙う等、考えた事も無かった」
そう語るネストルの表情には、自嘲が混ざっていた。
「アルマは大勢が不利になったと思うと、妻を狙った。大勢の死者も出た。
到底許しがたい事だ。それでも、息子なのだ。
アルマも、フリガも。私にとっては、可愛い子供なのだ。
誰かに、何かに唆された。染まってしまった。そう考えてしまう私が居る」
ネストルは俯き、顔を覆う。その表情を、二人に見られたくないようだった。
国王自身が臣下に情けない姿を見せるなど、今までのネストルには考えられなかった。
それでも、アルマと年の近い二人を前にして、彼は揺れる感情と吐露した。
或いは、彼も恐れていたのかもしれない。自分の出した結論を、否定される事が。
「私は今まで、平和な日々が続くようにと統治を行っていた。
今回、敵対する事になったのは五大貴族の分家や、下民の者も居た。
争いが起こらない事だけに気を張っていた。民に寄り添っているつもりが、募っていく不満すら見えていなかったのだ」
「それは違います」
己を卑下するネストルを止めたのは、イルシオンだった。
顔を上げたネストルの眼を、真っ直ぐ見つめる。本気の言葉だと、理解してもらう為に。
「オレは神器を授かってから、好きなようにこの国を巡っていました。
そこでオレは色んな小競り合いこそ目にしましたが、陛下のことを悪く言う人間は一人も居ませんでした。
だから、貴方のやり方が間違っていた訳ではありません。誰かが、唆したんです。悪意を植えて、それを育てて。
優しい陛下が、最も苦しむ方法で」
イルシオンの言葉に、クレシアも肯定の頷きを見せる。
ネストルは目頭が熱くなるのを感じた。その上で、自身の願いを口にした。
「私は、子供達の目を覚ませたい。アルマを、本当の意味で救いたいのだ」
唆した人間の名前を敢えて口にしなかったのは、その者にも情が残っている証明でもあった。
ネストルの心根が垣間見え、イルシオンは賛同するように身を起こした。
勢いよく立ち上がり、隣に座っていたクレシアが驚く。
「陛下のお気持ちは解りました。アルマ様までの露払いは、オレとクレシアにお任せください。
道はオレたちが拓いて見せます」
「イル。ビルフレストさんに手も足も出なかったのに」
「ぐっ……。今度は必ず勝ってみせる! クレシアもいる事だしな!
オレたちが揃えば、勝てない相手などいないぞ!!」
「……うん。そうだね」
実際のところ、前回の交戦時にビルフレストは罠を張っていたという。
自分の探知があれば、打破できるものもあるかもしれない。
クレシアはイルシオンの顔を見上げる。自分が護るべき英雄の卵。その顔を。
「……ありがとう」
再び顔を俯かせるネストルの瞳には、涙が浮かんでいた。
声でその事を察していたイルシオンが、それ以上何かを言う事は無かった。
……*
中段の馬車にはシン達が居る。状況に応じて動く遊撃部隊と第三王女の護衛として。
イリシャへの嫌疑こそひとまず決着したが、結果としてフローラが付き添う形となってしまった。
故に護衛も必要という事で、オリヴィアが同乗している。
流水の幻影にて全ての馬車にオリヴィアを配置する案もあったが、負担が大きすぎるという本人の進言により却下となった。
実際、王宮で同時に二体を動かした時にオリヴィア自身はフローラの部屋にて状況の把握に努めていた。
魔術もタイミングをずらす事でラヴィーヌを困惑させたが、複数体同時で使うとなればイメージに乱れが生じる。
情報の共有だけに役割を特化させるには効率が悪いと、魔術の開発者である彼女は語る。
ただ、先日の小さな分身には何か手応えを感じたようで術式の改良は試みるらしい。今回の戦闘には間に合わない事だけが残念でもあった。
残るメンバーはシン、フェリー、リタ、イリシャ。計六名という、この中では最も大きな馬車となる。
索敵と、精霊魔術による結界、更には妖精王の神弓による遠距離攻撃が行えるリタはオリヴィア同様に護衛がメインとなる。
イリシャとフローラに戦闘力が無いので、実質的に遊撃として動くのはシンとフェリーだった。
ガタガタと揺れる馬車で、簡易的な女子会が開かれている。
「いやー、シンさん良かったですね。こんな美女たちに囲まれて。
あー、でも。お姉さまやエトワールの三姉妹も美人ですからねえ。より取り見取りでしたね!
因みに、どんな女性がタイプなんですか?」
クスクスと笑うイリシャに対して、フェリーが怪訝な顔をする。
シンにとっては、地獄のような状況だった。
「……勘弁してくれ」
「ええー! 釣れないですね、もう!」
頭を抑え、おふざけをするオリヴィア。
一応、彼女にも考えはあった。先日の、ビルフレストに怯え切ったフェリーを想って気を紛らわせようとしたのだ。
シンが無理に付いてこなくていいと言う程には、フェリーは怯えていた。
実際、彼女がビルフレストに斬られる様をオリヴィアは目の当たりにしている。
フェリーが不老不死だと知らなければ、自分も相当狼狽えていただろう。
シンもそれを理解しているからこそ、気まずそうにしながらもオリヴィアを咎めようとはしない。
ただ、時々逃げるようにリタへ魔力感知の様子を尋ねる姿は面白いと思ってしまった。
「じゃあ、リタさんはどうなんですか? レイバーンさんとは、どのように!」
「えと、私は周囲に気を遣わないといけないから……」
まだ語れるような出来事はあまり起きていないと、リタはやんわりと拒否をする。
唯一起きた、ギランドレの件は知られている。あれ以上の出来事など、早々起きるわけもなかった。
「むう、じゃあ――」
次はフェリーを標的にする。これがオリヴィアの本来の目的でもあった。
深く繋がっているであろう二人の絆。10年も旅をした結果、どのような関係なのか。
はっきりと、それを確かめたかった。結果次第では、姉にもチャンスがあると期待と不安を抱いて。
そう思ったのだが、フェリーの様子がおかしい。
照れているというよりは、困っている様子だった。しかし、シンの方はちらちらと目線を向けている。
恋バナが苦手なのかと思ったが、どうにも雰囲気が怪しい。
(怯えている? いえ、そんな風には見えないですね……)
少し考えた後、思い当たる感情がひとつ浮かんだ。これは、『罪悪感』だ。
彼女が罪悪感を抱く理由は判らない。シンだって、彼女の事となると目の色を変えていた。
実際、ビルフレストから護った時はいい雰囲気だったじゃないかと、オリヴィアは首を傾げる。
イリシャが言っていた危なっかしい強さの理由が、すんなりと腹に落ちたぐらいだ。
フェリーだって、胸元を握っては離してを繰り返している。
あれは完全に惚れている人間の仕草だ。姉もシンの話を振るとよくやっていた。
完全に想い合っていても、引け目を感じている。
意味が解らないと戸惑うオリヴィアはイリシャと目が合う。
口元に人差し指を当てている彼女を見て、触れてはいけない領域なのだと察した。
「なんだか、色々と大変なのですね」
「ええ。そうなのよ」
イリシャの隣に座るフローラが呟くと、彼女は苦笑した。
……*
殿を務める馬車には、アメリアとヴァレリア。そして、グロリアが乗っている。
王都へ向かう前にルクスから話を聞いた事もあって、アメリアは別方向からの襲撃に備えていた。
現状、予兆が見えないのはルクス自身が抑えているからだろうか。
そうなのだと信じ、アメリアは伝えてくれた彼へ感謝の念を捧げた。
「それで、よかったのか?」
「何がですか?」
頬杖を突きながら、ヴァレリアがアメリアへ問う。
「いや、アメリアはあの男に惚れてんだろ? 一緒が良かったんじゃないかって」
唐突にシンの話題を出され、アメリアが咳き込む。
全く警戒していなかったせいで、その動揺は相当なものだった。
「ごほっ! ななな、なにを!?
オリヴィアですか!? それともフローラ様が……」
「いや、見れば分かるだろ。なあ?」
同意を求められたグロリアが「ええ」と首を縦に振る。
「むしろ、何で気付かれていないと思っているのか不思議でしょうがありませんわ。
アメリアさんがあんなに殿方へ話し掛けるのを、見た事ありませんもの」
「え、ええ……」
アメリアの顔がみるみる紅潮していく。
自分はそんなに分かりやすかったのかと、行動を振り返るとまた恥ずかしくなってきた。
「あー。でも金髪のコとか、銀髪のコとか可愛い娘がいっぱいいたよな。
アメリアも、今まで以上に積極的にならないとだよなあ」
「……そういうお二人に、お相手はいるんですか?」
軽い反撃のつもりだったが、沈黙がその場を支配する。
もしや地雷を踏んでしまったのかと、アメリアの額から冷や汗が流れた。
「いや、それは……。なあ?」
「ええ、仕方ありませんわよね」
「な、何がですか……?」
まさか貴族だからだとか、身分がだからとか言われるのではないだろうかと、アメリアは警戒する。
もしそうなると、自分の恋慕すら否定されてしまう。
「最低限、自分より強くないとお断りだよなあ」
「勿論ですわ」
「あ、そうですか……」
アメリアは安堵する一方で、こうも思う。
この二人より強い男性など、ミスリアに何人居るのだろうかと。
……*
大地を走る馬車の上空で、並行して進む一匹の龍族。
紅龍族の王であるフィアンマだった。その背には、体格から馬車に乗れないレイバーンが胡坐をかいて座っている。
「レイバーン、良かったのかい? 妖精族の女王と一緒に居たかっただろうに」
「気にするでない。リタとは、これから先も沢山一緒に居るのでな!」
高々と笑うレイバーンに釣られて、フィアンマも口元を緩ませる。
彼の明るさに、少しだけ救われた。その根拠のない自信が、少し羨ましくもある。
黄龍を追って、戻って来ない同胞がずっと気掛かりだった。
第二騎士団と同じように、見失った末に謝った方向を探し続けているのならまだいい。
しかし、もしもの事があったとすれば……。そんな事ばかりが、脳裏を過る。
「案ずるな、フィアンマよ」
心の機微を感じ取ったのか、レイバーンがフィアンマの首元をポンと叩いた。
「お主は独りではない。余や、ミスリアの者がついているであろう。
それに、シンやフェリーも頼れる者だぞ。余は、シンたちに救われたのだからな」
「お前は、その話ばかりだな」
フィアンマはもう何度も、妖精族の里での諍いを聞かされたか分からない。
その度に彼は褒めちぎるのだ。リタを、シンを、フェリーを。
「うむ。フィアンマが不安がっているからな。
安心してもらう方法を、余はこれしか知らんのだ」
「……そうか、悪いな」
ため息を鼻から漏らすと、少しだけ空気の焼ける臭いがした。
魔獣族の王。世間では魔王と認識される存在だが、どうもこの男は心根が優しい。
それでいて、頼りになる。縁には恵まれていると、フィアンマの口角が上がった。
「……む?」
そんな中、その景色を最初に捕らえたのは上級に居るレイバーンとフィアンマだった。
段々と近付く、三日月の形をした島。あれが目的地なのだと、すぐに判った。
一方で、感知した理由はその形によるものではない。
目に見える程の闇が、島から立ち上っているのを見てしまった。
良くない事が、今まさに起きている。
そう確信させるには、十分なものだった。