120.交錯する運命に向けて
三日月島へと戻ってきた黄龍の群れ。
それを出迎えたのは、ラヴィーヌの悲鳴が入り混じった怒号だった。
「どうして!? どうしてビルフレスト様の腕が……っ!!」
前髪に隠れた右眼から、血の涙を流す。
ビルフレストの失った左腕を見ては狼狽え、同行していたサーニャへ食って掛かる。
「サーニャ! 貴女が居ながら何故!
私が、私がその場に居ればこんな事には……!!」
「落ち着いてください。ラヴィーヌ様」
「これが落ち着いて居られますかッ!」
ラヴィーヌは奥歯が砕けそうな程に、歯を食いしばる。
彼女にとって、ビルフレストは憧れでもあり恋慕を抱く相手。絶対的な存在だった。
どのような所作でも完璧にこなす超人。彼に出来ない事など、何ひとつない。
そこまでに誇大化した想いは、最早崇拝の域に達していた。
「ラヴィーヌの言う通りだわ」
怒り狂うラヴィーヌの同調するものがもう一人。
サーニャにとっては目の上のタンコブである女。第一王女、フリガ。
「低俗で下賤な人間が、ビルフレストの時間どころか腕まで失わせて。
この失態、貴女の命程度では償えないことを理解しているのかしら」
普段なら、ヘラヘラと笑ってやり過ごしていただろう。
王女様や貴族様のご機嫌を窺う事には慣れている。緩衝材としての役割も担っていると自覚している。
だが、今回の件はサーニャにも衝撃が吸収しきれなかった。
人を顎で使うだけで、自分では何ひとつ行動に移さない第一王女。
それでいて、自分の判断や行動が絶対だと思い込んでいる。自分の力では、服を着替える事すらままならない人間とは思えない。
彼女が生まれて29年。積み重なったのは年齢と自尊心だけだ。
生まれながらにして搾取する、し続ける者だとフリガは思い込んでいる。
サーニャにとって、一番嫌いな貴族と同類。いや、その完成形だった。
ラヴィーヌはまだいい。初めに王都へ向かう事を立候補した事もあり第一王女より心象が悪い訳ではない。
ただし、邪神の持つ能力。その一部を宿した右眼には限界がある。たった二人では、玉座の間で多人数を相手取る事には向いていない。
更に言うなれば、間者を連れてくる事が出来なければ殺す予定でもあった。実際に、黄龍の尾が間者を仕留めている。
トマトのように潰れる人間を目の当たりにして、果たしてラヴィーヌは正気で居られただろうか。
先日の戦闘から鑑みるに、それを期待するのは難しいだろう。
そもそも、ラヴィーヌには成さねばならない事があった。
邪神の能力を威力した右眼の調整。邪神像を用いた、強化。
今のメンバーでは、実際に体内に取り込んだラヴィーヌにしか出来ない事。
ビルフレストがそう説得すると、彼女はあっさりと引き下がった。勿論、サーニャに羨望の眼差しは送っていたが。
そういった経緯もあって、同行者にサーニャが選ばれた。
サーニャもまた、自分が赴く事になるであろう想定はしていた。
間者以外にも多くの貴族と寝たのは、疑心暗鬼の種を植え付けるようなものだったのだから。
その間にビルフレストが、第二王女を暗殺する。もしくは、国王側の戦力を削るというのが今回の作戦。
目的が済めばすぐにでも去る予定の電撃作戦だった為、陽動の黄龍以外は必要最小限の人数で行われた。
第二王女はあまり社交的でなく、自室に閉じこもっている事が多い。
実際、この緊急事態でも玉座の間に第二王女は居なかった。
ヴァレリアの姿はあったので、残る黄道十二近衛兵が第二王女の護衛に当たっていたのだろう。
最悪、ビルフレストは黄道十二近衛兵二人を相手取る事を想定していたので朗報ともいえる展開だった。
それが終わってみれば、どうだ。
暗殺は勿論、国王側の戦力を削る事も出来なかった。
第三王女が健在だという事は、それほど驚かなかった。
スコアが戻って来なかった時点で、予感はしていた。
ただ、サーニャの想像以上に厄介な男が居た。
シン・キーランド。彼は面倒な存在だ。
口車に乗せられないどころか、主導権を自分から奪ってくる。
時間稼ぎは出来ているはずだったのに、それが自分主導で無かった事は非常に気持ち悪かった。
そして、突如動いたと思えばビルフレストの元へと向かう。
自分が察する所では無かったのだが、ビルフレストによるとオリヴィアの分身が居たらしい。
彼女も彼女で、面倒な人間だと思った。
それでもまだ、サーニャには余裕があった。
ビルフレストなら問題が無いと、妄信していたのだ。
彼自身も、援けを呼ばなかった事から対処できると判断していた。
その結果が、この様だ。まさか妖精族の女王を、あんな風に使ってくるとは思ってもみなかった。
シンは魔力を殆ど持たない。彼がマギアでどういう立ち位置だったかは不明だが、ミスリアに於いては致命的だ。
魔術により発展したミスリアは、魔力量でヒエラルキーが決まる場面も数多く存在している。
故にどれだけ面倒だと、厄介だと頭で理解していても目の前にある膨大な魔力を持つ者。例えば、不老不死の魔女に意識を割いてしまうのだ。
ビルフレストが帰りながらに呟いた「あの男は、厄介だ」という言葉の意味には、その事が含まれているだろう。
今回の奇襲は失敗したどころか、色々と考えさせられる結果となった。
サーニャとしても貴族を手玉に取った上で、その内容に狼狽えるお嬢様を見るのが楽しみでしょうがなかった。
それなのに、全てが壊された気分だった。ただでさえ、不完全燃焼だというのに戻ってみればフリガとラヴィーヌの口撃だ。
ヘラヘラとした表情を取り繕う余裕もない。
「申し訳ありません。ワタシの失態には違いありません」
「その通りよ! 全く、どうしてビルフレストはこんな小娘を――」
本心からの言葉でなくても、そう言っておく必要はあった。
この状況で一番避けるべきは、仲違いによる空中分解。
表情を取り繕えなくても、せめて言葉だけは彼女達の望む物を用意して見せた。
勿論、本心では「それだとビルフレスト様の位置がバレるでしょう。バカですか?」ぐらいは言ってやりたい気持ちもある。
思った事を口にしないだけ、第一王女よりは大人なのだとサーニャは自分へ言い聞かせた。
「サーニャは任務を忠実にこなしてくれました。私が、奴らを甘く見ていたのです。
彼女への糾弾を本来向けるべき相手は、私ではなくてはなりません」
罵倒を一身に受けるサーニャを擁護したのは、他の誰でもないビルフレスト自身だった。
彼は空虚となった左腕。その根本を残った右手で摩る。痛みは既に治まったようで、苦痛に表情を歪める事は無かった。
「そんな……。ビルフレスト、貴方はいつもよく仕えてくれているわ。
悪いのはこの小娘よ。貴方の意図をもっと理解していれば……」
それでも第一王女は止まらない。どうあっても、悪いのはサーニャという事にしたい。そんな意図が透けて見えた。
先日の事を根に持っているのだろうか。本当に虚栄心だけが成長した浅ましい人間だと、サーニャは胸の内で嘲笑した。
「フリガ様。お心遣いに感謝いたします。
しかし、現実を受け入れなければ国王は倒せない。
それを理解したと思えば、安いものなのです」
「そ、そうなの……。貴方がそう言うなら……」
やはりこの女は何も理解はしていないのだと、サーニャは悟る。
この女を黙らせる為に、ビルフレストが気を遣っている事も。
そう思うと、途端に馬鹿馬鹿しく思えてくるから不思議だった。
ラヴィーヌに関しては、ビルフレストがそう言った以上は追及してくる事が無い。
元々、彼女は第一王女とは違い戦闘を経験している。
策も、第一王女よりは意味を理解している。ただ、崇拝するビルフレストが傷付いて怒り狂っただけなのだ。
本当に矛先を向ける相手が、サーニャでない事も理解していた。
第一王女に比べると物分かりのいい人間だった。
「時にラヴィーヌ。色欲の能力はどうなった?」
「はい、この通り」
ビルフレストに言われるがまま、ラヴィーヌは右眼を覆っていた前髪を開けた。
埋め込まれた金色の瞳は美しく輝く。以前よりも、より強い魔力を宿している事は明らかだった。
「コスタ卿のご尽力で、色欲の邪神像から神の分身は無事に降臨なされましたわ。
先日のような無様な真似は、決して見せません」
「そうか。期待をしている」
「お任せください」
ラヴィーヌの表情は、恍惚に塗れていた。
今度は彼の役に立てる。それを期待されている。ラヴィーヌの原動力は、それだけで十分だった。
第一王女やサーニャと違い、彼は自分に触れる事が無い。
その事実すら「本当に大切にされているのは自分だ」と思い込む程には。
隣で歯軋りをするのは、嫉妬深く愚かな第一王女。
いくら王女といえど、ラヴィーヌに迂闊な事は言えなかった。
彼女はその身に邪神の能力を移植した最初の人間。言わば先駆者。
その結果にビルフレストがどれほど期待しているかは、第一王女と言えど理解している。
更に言えば、ラヴィーヌは期待に応えるべく全力を尽くした。
サーニャとは違い、糾弾する材料すらない。
そもそも、ラヴィーヌは分家といえ五大貴族の一角。しかもビルフレストの遠縁だ。
一介の侍女であるサーニャとは立場が違う。
この軍の首魁は第一王女ではなく、第一王子。下手をすれば鼻つまみ者になるのは自分なのだ。
「ビルフレスト、負傷したと聞いたが……。
まさか、お前に傷をつけられる者がミスリアに居るとは」
そして、その第一王子が姿を現す。
アルマは驚いた顔で、ビルフレストの焼け焦げた左腕。その切断部分を見て、驚きの声を漏らした。
「不覚を取りましたが、問題ありません。
左腕なのが幸いでした。丁度、私が移植をするのも左腕ですから」
「そうか、そうだったな。お前が移植する分身は――」
「はい。マギアでの協力者達へ邪神像を扱わせた際に、顕現しています。
マギアに用意した邪神像は何者かに破壊されたようですが、一度顕現した事により再現は幾分か容易かと」
マギアにてピースと交戦をした黒いローブの集団。
コリス以外の全員が、顕現した邪神の分体により命を落とした。
ピースとマレットにより邪神像が破壊され、一度はその姿を消したものの、既にこの世界との接点は完成している。
ビルフレスト達が行おうとしているのは、その際の情報を元にしての再降臨だった。
「残す適合者は、この中だと……」
「今、居るのはワタシだけですね」
サーニャが手を上げると、第一王女が顔を歪める。
下民が力を持つ事が気に入らないのか、それとも別の理由なのか。
彼女に対しては敵愾心を隠す気もないようだった。
「この小娘が扱える能力なんて、知れているわ。
ビルフレストの左腕が移植できるのなら、それを優先して頂戴。
その後はもう、邪神本体のどうにかすればいいじゃないの」
一切合切、私欲を隠そうとしないのは大したものだと、サーニャはため息をついた。
どうやら、アルマも姉の態度に思うところがあるらしい。
「姉上。口を慎んでくれ。聞けばサーニャは、僕たちが居ない間にその身を粉にして働いてくれていた。
誰も見ていない、評価できない状況にも関わらずだ。それなのに、彼女の功績を評価しないどころか蔑ろにするのは良くない。
ましてや、貴族以外には罰だけを与えると思われれば士気にも関わる」
14も離れた姉に対して、アルマは強い口調で非難をした。
初めは生意気だと思っていたフリガは、ビルフレストの顔色を伺う。
彼が頷く様を見て、漸く自分の立場を悪くしている事に気付いた様子だった。
「私はただ、失敗の許されない状況だから口添えをしただけよ!
そこまで言うのなら、勝手にしなさい!」
どうやら一連の発言は、彼女にとっては助言のつもりだったらしい。
苦しい言い訳をしながら、第一王女この場を去っていく。
気まずそうな顔をして、アルマは口を開く。
「サーニャ。すまなかった。
何もしてない姉に言われるのは、腹が立っただろう」
「いえ、ワタシは気にしていませんので」
実際、サーニャは頭から蒸気を吹きながら去っていく第一王女を見て溜飲が下がった。
そう言った意味では、アルマに助けられたともいえる。
「それに、ビルフレスト様の左腕に邪神の能力を移植したなら、本体の顕現を急いだほうがいいとは思います」
「どうしてだ?」
「この島に潜伏している事が、何故か知られているからです」
アルマの質問に、いつになく真剣な顔でサーニャは答える。
銀髪の女性が、どうして三日月島に潜伏している事を知っていたのか。
その理由は誰にも判らない。ただ、国王軍が攻めてくるのは間違いない。
更に、魔獣族の王や妖精族の女王。そして、不老不死の魔女も合流している事を伝えた。
勿論、面倒な何も持たない青年の存在も。
アメリアも合流した事により、彼らの戦力は相当に出そろっている。
黄道十二近衛兵が八人、この場に居るとはいえ邪神の顕現は急務だった。
「……そうか。ならば、君の言う通りにしよう」
口元を抑え、人差し指で頬をなぞりながらアルマは言った。
ビルフレストも頷く。元々、サーニャは彼と帰還中に話し合っていた事でもあった。
「決戦、間も無くだろう。僕は今度こそ国王を殺す。
君たちの働きにも、期待をしている」
はっきりと『殺す』という強い言葉を、アルマは敢えて使用する。
自分の強い意志が、味方の士気に直結する事を理解しているからだった。
第一王子派もまた、決戦に備えていた。
運命と悪意が交差する。その刻は、すぐ傍に迫っていた。