119.決戦前夜
突如、平穏を荒らすように現れたビルフレストとサーニャ。
彼らは再び黄龍の背に乗り、遠くへと姿を消した。
残ったのは、伝説上の生き物と言っても過言ではない龍族。
その一族である黄龍の死骸と、何名かの貴族。
確かに、貴族の中にも裏切り者は居たのかもしれない。
それでも、命を失った事には変わりがない。
初めからなのか、唆されたのか、それとも他に事情があったのか。
それは本人にしか判らないが、これまで身を粉にしてミスリアに貢献した事実は揺るがない。
命を落とした彼らを弔い、埋められた亡骸に手を添える。
この数ヶ月で、多くの命が失われた。
自分が護っていたと思っていた世界は、まやかしだったのか。
受け入れなければならない事実が、アメリアの胸を締め付けた。
第一王子派を止めなくては、また血が流れる。
国王を含め、誰もが同じ気持ちだった。勿論。アメリア自信も。
「アメリア」
自分を呼ぶ声に応じるように、アメリアは振り向く。
そこには、父と母の姿があった。
「お父様、お母様」
「……やはり、行くの?」
憂慮の顔をしながら、母が尋ねる。向かう先は改めて訊くまでもなく、ひとつしか無かった。
三日月島。銀髪の不思議な女性がぽつりと呟いた。ミスリアに存在する魔物の巣窟。
盲点だった。第一王子派が潜伏するとなれば、シュテルン家のあるウェルカ領、もしくはエステレラ家の管轄だと考えられていた。
王都より東。その二家が手を組んでいれば国土の三分の一は第一王子派のものと言っても過言ではない。
だからこそ、第二騎士団はウェルカ領の警戒に当たっていた。
それがまさか、よりによって王都とフォスター家の管轄に挟まれた存在である三日月島という。
確かに黄道十二近衛兵の一人である、フォスター家の分家。リシュアン・フォスター。
彼が手引きをしたのなら、不可能ではないだろう。
分家の裏切りに気付かなかったのは、フォスター家の失策でもある。
それでも愚直に、懸命に王家へ仕えた信頼。それが命綱となっているものの、アメリアの心中は申し訳なさが勝る。
フィロメナからのそれは、未だ揺るぎない。互いの誠実さが、実を結んだ形だった。
しかしそれは、味方全員が疑心暗鬼になってはいけないという負の一面もある。
同時にアメリアやオリヴィアが身を挺して戦ってきた事。
特に、今回のオリヴィアの働きが考慮されてのものでもあった。
立派に自らの責務を勤め上げた妹を誇りに思うと同時に、アメリアは蚊帳の外であった自分を強く非難する。
もう少しで、取り返しのつかない事になっていた。
アメリアの脳裏に浮かぶのは、シンの顔。
彼とフェリーは、自分の大切なものをいつも護ってくれる。
返しきれないほどの恩が、既に積みあがっていた。
「……はい。陛下も向かうとの事ですし、神器を持つ私やイルくんの力は間違いなく必要ですから」
「でも、オリヴィアまで……。大怪我を負ったばかりだというのに」
「オリヴィアも、黄道十二近衛兵の一員です。
それに、色々と果たさなければならないこともあるようですから」
自分だけではない。オリヴィアも、フローラでさえも三日月島へ向かうと言っていた。
第三王女であるフローラが赴くことは、誰もが止めた。特に、母親であるフィロメナは相当に狼狽をした。
しかし、彼女は毅然とした態度でこう言ったのだった。
――私が戦いに巻き込んだ方が居るのです。その者達を見届けるのが、私の役目です。
――同時に、彼らを守れるのは私しかいないのです。あまり興味の無い権力ですが、今だけは存分に使わせてもらいます。
あれで、フローラは言い出すと聞かない事をアメリアは良く知っている。
フローラも負い目を感じているのだ。シンやフェリーだけではなく、魔獣族の王や妖精族の女王すら巻き込んだ事を。
彼らの存在は今後の政治的にも強い意味を持つ。
誰かが、権力を持って守らなくてはならない。その役目は自分だと、フローラは主張をした。
勿論、国王もリタやレイバーンをぞんざいに扱うつもりは無い。
それでも、息子に刃を向けられて憔悴している父にこれ以上の負担を掛ける事を、フローラが良しとはしなかった。
自分にとっても大切な父親だが、今は血迷った姉と弟に心血を注ぐべきだと判断をした。
イルシオンが向かうという事で、自動的にクレシアは同行をする。
そうなると、妹が心配なヴァレリアとグロリアが付いてくる。
紅龍王に関しては、偵察に向かわせた同胞が戻って来ない。放っておいても、単独で向かいかねない勢いだった。
結果、王都に残るのは王妃と第二王女。そして、第二騎士団という事になった。
流石に全戦力を投入する訳には行かないが、現状で第一王子の狙いは国王の命。
そうなるとどうしても国王が出向き、王都や国民への懸念を取り除く方向性になってしまっていた。
冒険者ギルドに警護の依頼を出すという事だが、変な人間が入り込むといけない。
上級大臣であるアメリアの両親が、その選別を任されていた。
「お父様もお母様も、気を付けてください。
まだ王宮が狙われる可能性だって、十分にあるのですから……」
今回の件は、まさにそうだった。
裏切り者の貴族がまだ残っている可能性もある。
ビルフレストのように、王妃と第二王女が狙われる可能性だって残っているのだ。
「それはお互い様だ。だから、必ず帰ってこい。
オリヴィアと、フローラ様も連れて」
「……はい。必ず」
頬に触れる両親の手を、アメリアは自らの手で覆いかぶせる。
それは、誓いの証だった。
……*
「はぁ~~~~っ」
部屋中に充満しそうなぐらいに吐き出されたため息。
ため息の主であるイリシャは、医務室で傷薬をシンの身体に塗りたくる。
身に宿した魔力を殆ど持ち合わせていないシンは、治癒魔術の効きが悪い。
中途半端になるぐらいならと、イリシャの手当を受けていた。
「そんなにため息を吐かれる様な怪我はしてないだろう」
「じゃあ、これ全部フェリーちゃんに見せてみる?」
「……悪かった」
それだけはやめて欲しいと、シンは切に願った。
戦闘後、自分の身を心配するフェリーには「薄皮一枚裂けただけだ」と説明をした。
勿論、目立つ箇所は掠り傷で済んでいるに見える。
しかし、その実は致命傷を避けるので精一杯だった。
フェリーが機を窺って、身を隠している間に裂かれた傷の中には、決して浅くないものもあった。
それを知られると、きっと自分を責めてしまう。絶対に、フェリーにだけは知られたくなかった。
フェリーでさえ、単独ではビルフレストに歯が立たなかった。
今回退けられたのは、オリヴィアとリタの力によるものだ。
自分はただ、彼女が傷つけられた事に怒り狂っていただけ。
彼女達が居なければ、ジリ貧だった。何とも情けない話だと、シンは己を卑下していた。
「はい。おしまい。あんまり無茶はして欲しくないけど……。
それは、無理な話よね」
治療を終えたイリシャが、神妙な顔をする。
理由は彼女自身が一番理解をしている。サーニャの去り際に自らが呟いた『三日月島』という言葉。
サーニャの表情が図らずとも答え合わせになった、その単語は味方にも影響を与えた。
まず、当然の指摘として挙がったのが「何故知っているのか」という言葉。
それはイリシャがシンへ預けた『お守り』に起因するのだが、今の時点で語る訳には行かなかった。
とはいえ、黙っていたままだとミスリアからの心象は悪い。
段々と糾弾をするような雰囲気になりかけていた所、フローラの一喝でその場を治めた。
フローラからすればイリシャも恩人の一人で、偶発的に出逢った人物である。
邂逅自体が罠だと言うのであれば、一緒に居たシンとフェリーがビルフレストの左腕を落としてまで撤退させた説明がつかない。
サーニャの襲来だって、状況を動かしたのはシンなのだ。彼が居なければ、最悪の事態が訪れていた可能性だってある。
それにオリヴィアも同調をした。ミスリアの誰もが手を焼いている人物を、退けたのは誰だと強い声で語った。
結果、イリシャはそれ以上を追及される事は無かった。
ただ、どことなく居心地の悪さは残してしまったようだが。
「正直、俺もなんで知っているのか訊きたいとは思ってる」
シンがそのやり取りを知ったのは、全てが終わった後。
フェリーと共に、玉座の間へ戻った時の事だった。
謂れなき中傷を受けたと勘違いしたフェリーが憤慨をしたが、リタがその誤解を解いてくれた。
「……やっぱり、シンもわたしのことを疑ってる?」
「なんで俺の事を知っているのかだとか、隠し事が多いとか思うところは多い」
イリシャの問いに、シンは自分の本心を伝える。
「だけど、イリシャのお陰で助かった事も沢山ある。
そこに悪意が無いっていうのも、判るよ。
だから、俺はイリシャを信じる。いつか、ちゃんと説明してくれるって事も含めて」
「そうね。近いうちに、必ず話すわ。
――ありがとう、シン」
イリシャは優しく微笑む。心なしか、シンにはそれが少しだけ物憂げなものに見えた。
……*
「フェリー・ハートニア」
「ええと、ステラリードさん……だっけ」
リタと共に佇んでいるフェリーを呼び止めたのは、燃えるような紅い髪を持つ少年。イルシオンだった。
特に呼ばれるような事をした覚えが無いフェリーは、首を傾げる。
心なしか、隣に居る少女の視線が刺さるように痛かった。
「先ほどは見事だった。オレは先日、あの男に後塵を喫してしまった。
そんなヤツに一太刀。凄い人だ、尊敬に値する」
「いや、ええっと。あたしはゼンゼンダメで……。
シンやリタちゃんやオリヴィアちゃんのおかげで……」
フェリーは困ったように眉を下げる。自分一人ではビルフレストの前に何もできなかった。
それどころか、はっきりと向けられた強い悪意に怯えていただけなのだ。
救けてくれたのはシン。勿論、それを彼へ伝えてくれたオリヴィア。
打破する決定機を作ってくれたのはリタ。なんてことは無い、自分はただ最後の一撃を加えただけだった。
「謙遜はしなくていい。オレも炎の神器を扱うからこそ判る。
あの高熱の刃は、素晴らしいものだと」
「ええと、その……」
しかし、イルシオンは賞賛を止めない。
焼け崩れて落ちたビルフレストの左腕。それが彼に、フェリーへの興味を持たせた。
自分の好敵手に成り得る人物だと、思ってしまったのだ。
「オレは英雄を志している。キミはどうなんだ?
悪を打ち滅ぼしたいと思っているのか? 何のために、キミは戦うんだ?」
「え、えと……」
「はいはーい。英雄オバカさん。お客さんが困っているので、そこまでにしてくださいねー。
保護者の方も、ちゃんと見張っておいてくださーい」
言い淀むフェリーを助けるかの如く、不意にオリヴィアが割って入る。
手を大きく振り、フェリーから離れる事を命令するようなジェスチャーで、イルシオンを追い払う。
「……別に、イルの保護者じゃない」
「言葉のアヤですって」
イルシオンの隣に居たクレシアが、口を尖らせる。
そのままオリヴィアが、先日の礼を言おうとするとイルシオンを連れて立ち去ってしまった。
どうやら本気で礼を言わせないつもりらしいと、オリヴィアがため息を吐いた。
「オリヴィアちゃん、ありがとお……」
「いえいえ。あいつはあんな感じであしらっていいですよ。
それに、わたしたちの方がお世話になっているんですからね」
「でも、やっぱりありがとうだよ。
今日はいっぱい助けてもらったから……」
リタがくすりと笑う。本当に言いたい人物の名前を、彼女は敢えて避けている。
「シンくんにも。でしょ?」
「……うん」
顔を赤らめながら、フェリーが頷く。
弱くて情けない自分を、彼は救ってくれた。当たり前だと言わんばかりに。
赦されないはずの自分にさえ、救いの手を差し伸べてくれる。
イルシオンが言っていた言葉が反芻される。
自分が戦う理由は、人に語れるようなものではない。賞賛される様な事は、何ひとつない。
ただ、自分の大切な男性に誇れる自分で居たいだけ。隣に立てるだけの、理由が欲しいだけ。
三日月島へ向かう話が出た時、シンにミスリアへ残ってもいいと言われた。
しかし、フェリーは固辞をした。シンだけを危険な目に遭わせたくは無かった。隣に居る理由を、失いたくは無かった。
だから、あの男がどんなに恐ろしくても前へ進むと決めた。
決戦の日は、翌日。
各々の思いを募らせたまま、夜は更けていく。
シン達の運命は、明日を境に大きく変わっていく事となる。
戦いの渦からは、もう逃れられない。