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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第一部:第十章 邪神顕現
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116.魔法の手

 時は少しだけ巻き戻る。


 ビルフレストとの邂逅により、フェリーの手から離れて放物線を描く小さなオリヴィア。

 彼女に出来る事は、フェリーとビルフレストが交戦する様を見届ける他にもうひとつだけ残されていた。

 

 ……*

 

 玉座の間でシンとサーニャの睨み合いは続いている。

 リタの妖精王の神弓(リインフォース)によって暴かれた龍族(ドラゴン)の群れは、徐々に降下を始めていた。

 それに対してある者は迎撃態勢を、ある者は自分へ被害が及ばぬように身を丸める。慌てるだけの、邪魔になるような貴族も居た。


 奇襲には失敗をしたが、サーニャから見ればまだ時間を稼ぐ事が出来ている。

 唯一、自分から主導権を奪おうとする男。シン・キーランド。

 彼は龍族(ドラゴン)へ注意が向けられる状況下でも、決して自分から目を離さない。

 本当にやり辛い人間だと、サーニャは毒づく。自分がもし指先ひとつでも不審な動きをしようものなら、シンは躊躇いなく引鉄を引くだろう。


「シンさんっ」


 硬直状態の二人。その状況を動かしたのは、オリヴィアだった。

 決してサーニャには聞こえないように小さな声を出しつつ、オリヴィアは振り返る。

 僅かにシンの視線が揺らぐが、それはすぐにサーニャへと戻された。

 ただ、視界に自分を捉えているという事は彼の様子から窺えた。


 あまり悠長に話すと、サーニャに気取られるかもしれない。

 警戒するオリヴィアは人差し指を真下へ向け、唇を動かした。

 声に出す事は無いが、その形はシンを動かすには十分なものだった。


 ――フェリーさん。ピンチ。


 オリヴィアの口の動きが、そのまま開戦の合図となる。

 絞られた引鉄は、銃口から一発の弾丸を宙へ放たせる。


「甘いですね!」


 シンへの警戒に意識の大半を割いていたサーニャは、それを難なくと躱す。

 銃弾はサーニャと黄龍の間を通り、玉座の間と空との境界線。崩れた壁へと着弾する。


 一発目は囮かもしれないとシンへの意識を切らさない一方で、サーニャに疑問が浮かぶ。

 彼はこれまで威嚇に留め、沈黙を守ってきた。過去の戦闘を視た際も、こんな悪戯に弾丸を消費するような人間だとは思えなかった。


 その答えは、サーニャの背後に起きた現象で示される事となる。

 着弾した先から瓦礫とは明確に違う、土の塊が生成される。土を生成させる魔導弾(マナ・バレット)創土弾(クレイ・バレット)の効果だった。

 シンの目的は初めから、サーニャではなく崩れて脆くなった壁だった。壁を補強するかのように、土の突起物が現れる。


 背後での出来事に、サーニャは一瞬だが気を取られた。

 何が起きているのか、シンの狙いは何なのか。その真意を掴み損ねている。

 迷いの生じた一瞬。彼が意識から消えた時間、シンはサーニャへ向かって真っすぐと駆ける。その手には剣が握られていた。


「……突然ですね!」


 その剣幕に、玉座の間に居る者はシンに道を譲る様に避けた。

 サーニャと黄龍以外、彼の進路を阻むものはもう居ない。


 右にはナイフを取り出し、迎撃態勢に入るサーニャ。左には大きく息を吸い込み、風の息吹を吐こうとする黄龍。

 怯む事なく進むシンに黄龍がその息吹をぶつけようと口を開くが、それが彼に届く事は無かった。


水の牢獄(アクアジェイル)

 

 水の環が、強引に黄龍の口を塞ぐ。吐き出した息吹を抑える事は叶わず、黄龍の口の中で圧縮された空気が暴発する。

 風船のように口が膨らみ、鼻と口の僅かな隙間から空気が抜けていく。

 自爆し、白眼を向いた黄龍が天に顔を向けた。


「シンさん! 行ってください!」


 水の牢獄(アクアジェイル)を放ったのは、アメリアだった。

 彼女もまた、(オリヴィア)の挙動が気になっていた。オリヴィアがシンへ送った合図(ハンドサイン)と、直後の彼行動から援護が必要と判断した。

 反射的に放つ事の出来る得意魔術(アクアジェイル)が、黄龍にダメージを与えられる最も的確なタイミングで放たれる。


「全く、厄介なひとですね!」


 シンが動く事により、彼を知る者はそれを援護する。

 何者でもないとは言うが、大した人望だとサーニャは舌打ちをした。

 小さな動作で、最短距離を描くシンの剣筋。その軌道を、サーニャはナイフで逸らそうと試みる。


「邪魔だ!」


 しかし、シンもまたそれは織り込み済みだった。

 コンパクトに纏められた動きは、次への動作を容易にする。サーニャのナイフと己の刃が交わった瞬間。

 彼女によって力が逃がされるよりも早く、シンは身体を僅かに彼女へ沈むよう押し込んだ。


 それによりサーニャの重心がズレるが、態勢を崩しきるほどでもない。

 シンが次の一撃を狙うのであれば、カウンターを放つ事は身軽な彼女にとっては容易だった。

 実際に、サーニャはそれを前提とした体勢に修正をする。のだが。


 シンは彼女との交戦が目的では無かった。剣を引き、前を向き、真っ直ぐに創土弾(クレイ・バレット)が生み出した突起へ向かって走る。

 あくまで自分が交戦する事を想定していたサーニャは呆気に取られるが、彼が躊躇なく崩れた壁を越えた事で彼の意図と置かれている状況を粗方察する。


 自分が陽動として隠したかったもうひとつの存在。ビルフレスト。

 上空に群れる黄龍すら、彼を隠す為の撒き餌。

 

 国王(ネストル)自体はあくまでアルマの標的だが、その他の人間は彼にとっては大した意味を齎さない。

 上下の挟撃によりミスリアの戦力を削る事が目的だった。

 中でも、王宮に残っている事が確実されている王女(イレーネ)

 状況に流されて第一王子(アルマ)派へ寝返ると思われていた彼女だったが、目論見が外れた。

 故に、彼女の抹殺が今回の襲撃の主な目的でもあった。


 剣の施された魔術付与(エンチャント)から、水の羽衣が姿を現す。

 創土弾(クレイ・バレット)で生み出した突起に巻き付け、命綱とするシン。

 羽衣に擦れて土の塊が粉を吹くが、やがてそれは止み、彼の重みを支えた事を暗に伝えた。

 

 いつ気付いたのか。何故気付いたのか。

 疑問はいくらでも湧いてくるが、優先順位としては高くない。

 自分が今するべき事は、この男(シン)を止める事だとサーニャは判断する。

 

 土の塊に巻き付いた羽衣。これさえ破壊すれば、シンの身体は地面へと叩きつけられる。

 その結論に至ったサーニャを妨害したのは、大剣による大振りの一撃。

 マトモに受ければ胴体が真っ二つになりそうなそれを、サーニャは間一髪で躱す。


「こっちにはアタシたちも居るんだ。そう、男にばっかちょっかい掛けんなよ」


 大剣を肩に抱え、ヴァレリアが挑発をする。

 

「ほんっとうに、忌々しい……」


 サーニャは苛立ちを隠すことなく、毒づいた。

 前回の交戦時に、片手間に相手を出来る人間ではないと身をもって知らされている。

 

 視線を大臣達へ向けると、戦闘に巻き込まれまいと部屋の隅へと身を丸めている。

 実際に間者(スパイ)はこの場に居る。サーニャとしては汚らしい貴族(ブタ)でも、ミスリアの統治をするにあたってその全てを切り捨てるのは難しい。

 間者(スパイ)が少しでも役に立てばいいのだが、己の身が可愛いらしい。場を乱そうとか、援護をしようとかそういう気は一切感じされない。

 サーニャは小さく、舌打ちをした。


 ……*


 シンが動いた事により、崩れた膠着。

 彼は瞬く間に消えてしまった。向かう先は判り切っている。

 正確に言えば、それ以上に優先されるものが思い浮かばなかった。


 思考面以外で、その状況を感じ取っている者が一人。

 ミスリアに訪れてから、魔力の感知が研ぎ澄まされているリタだった。

 シンとサーニャの舌戦中に、上空に居る龍族(ドラゴン)の群れを察知。

 これは、第一王子派にとっては想定外だった。万が一を考え、かなりの高度から進攻を試みていたにも関わらず、看過されてしまった。


 同様に、自分の足元でぶつかるふたつの魔力にも彼女は気付いていた。

 ひとつは良く知っている魔力の持ち主。自らの身を傷付ける程の魔力を持つ、不老不死の魔女であり、大切な友人でもあるフェリー。

 相対する魔力は、リタにとっては初めて感知するものだった。人間でいえば、かなりの魔力を持っているだろう。

 だが、個人の魔力総量としてはフェリーに劣る。それが、リタによるビルフレストの魔力を評したものだった。


 それなのに、感じ取られる魔力が絶え間なく揺らぐのはフェリーの方だった。

 対するビルフレストの魔力は一切揺るがない。巨大な岩のように、ずっとその質を保っていた。


 魔力の総量が、戦闘に対する優位性(アドバンテージ)に直結するとは限らない。

 魔力が低くとも、多彩な魔術を創意工夫する事によって補う者も居る。

 ヴァレリアのように、魔術が不得手でも身に宿った魔力をそのまま武力として用いる者も居る。


 それでも、こうして感じ取られる魔力にブレが生じるのは、フェリーの精神状態をそのまま表しているようだった。

 リタは迷っていた。間も無く、この場に降臨するであろう龍族(ドラゴン)の群れも脅威だ。

 しかし、それ以上にフェリーは、彼女を追ったシンは、無事で居られるのだろうか。


 迷う、固唾を呑むリタの頭に、手が乗せられる。

 大きくて、暖かい。自分の好きな手。レイバーンのものだった。


「リタの好きなようにすると良い。こちらの事は、余に任せろ」

「レイバーン……」


 レイバーンの言葉で、リタの頭から迷いは消えた。

 為すべき事を、己の意思で決める。


「ありがとう。もしかしたら、私ちょっと集中しすぎるかも。

 危なかったら、助けてもらっていいかな」

「うむ。余に任せるが良い」


 レイバーンはイリシャやフローラ。そして、フィロメナを呼び寄せる。

 戦闘の邪魔にならないよう、その身を挺して護るという姿勢を見せるとネストルが頭を下げた。

 時を同じくして、黄龍の群れが玉座の間へと降臨する。

 大きな衝撃が、既に半壊した部屋に容赦なく瓦礫を増やしていった。


 ……*


「シン・キーランド……」


 突如、窓を破って自分の眼前に現れた男の名を、ビルフレストは口にする。

 二度に渡って自分の邪魔をした男が、三度立ちはだかる。


 忌々しい存在だった。

 不老不死という、興味深い素体であるフェリーとは違う。

 何の価値も感じないただの人間が、自分の前に立ちはだかる。

 不愉快極まりない男が、そこに居る。

 

 シンは、眼前の男が自分の名を知っている事に驚きもしなかった。

 いや、どうでも良かった。この男がフェリーを傷付けた。その事実以外は、彼にとって不要だった。


「フェリーに、何をするつもりだ」


 明確な怒りが込められた言葉だった。

 ビルフレストは鉄仮面を被ったまま、淡々と返す。

 

この魔女(フェリー・ハートニア)を渡してもらおう。そうすれば――」


 彼の口が全てを語る前に、銃声が部屋に鳴り響く。

 シンにとってはあり得ない選択肢。それを提示した時点で、これ以上の会話に意味は生まれない。


 放たれた銃弾を剣で弾く傍ら、ビルフレストは己の認識を改めていた。

 シン・キーランドは、もう少し利己的な人間だと思っていた。

 いや、何も持たないからこそ利己的であるべきだと評していた。

 神経を逆撫でされた程度で、無様な行動に走らない人間だと結論付けていたのだ。


 かつて、テランが似たような誤解をしている。シンは合理性で動いていると。

 魔力を持たず道具頼りであるからこそ、そうあるべきだと。


 認識のズレは、ビルフレストに思考の修正を与える。

 自分の評価が誤っていた事により、足元を掬われないかと警戒を強める。

 同時に、無駄に舌を回す必要が無くなった事で気が楽にもなっていた。


 ビルフレストの評価などどうでもいいシンは、もう一発銃声を鳴らす。

 策も無く撃って当たる相手ではない。次に狙うは、彼の足元。

 床へ着弾した高熱弾(ヒート・バレット)は、高熱から炎を生み出す。

 決してフェリーの魔導刃(マナ・エッジ)よりも強い炎が放たれる訳ではない。

 それでも、絨毯が燃え、そこから家具へと炎が移る。立ち昇る炎が、互いの視界を遮断した。


「下らない」

 

 ビルフレストが水の魔術を込め、剣を振るとそれらは瞬く間に消えた。

 黒く焦げ臭い煙が部屋中に充満するが、それだけだった。

 シンもフェリーも、小さなオリヴィアすらも既に部屋から姿を消していた。

 

「……逃げたか」


 ふと、斬り落としたフェリーの右手を探すが見当たらない。

 握られていた魔導刃(マナ・エッジ)共々消えている。


 力量差を把握しているのか。それともこちらが欲しいものを把握しているのか。

 案外冷静なのだと、ビルフレストはまたシンの評価を改める事となった。


 ……*


 高熱弾(ヒート・バレット)により視界を遮り、その場から去ったシン達だが、遠くに逃げられた訳では無い。

 近くの部屋に潜伏している形となり、ビルフレストが捜索を始めればすぐにでも見つかってしまう位置に居た。

 それ以上に、意味の無い撤退は玉座の間に居る仲間へ迷惑を掛ける事となる。あの男(ビルフレスト)を野放しにする訳にもいかなかった。


「大丈夫か?」


 何はともあれ、まずはフェリーの回収に成功した。

 落ちていた魔導刃(マナ・エッジ)と右手も。

 シンはなにひとつとして、あの男(ビルフレスト)に触れられたくは無かった。

 

 フェリーの左腕はもう動くようになっており、右手も見た目だけは既に再生されていた。

 斬り落とされた手首から魔導刃(マナ・エッジ)を抜き取り、フェリーへと渡す。

 

「シン……。ありがと」


 彼女がそう呟いたのは、魔導刃(マナ・エッジ)を渡されたからではない。

 怖かった。明確に自分へ向けられた悪意が、これほど恐ろしいものだと思わなかった。

 抵抗しても、全く歯が立たなかった。絶体絶命だと思った。

 

 もう駄目だと思った時に、彼は来てくれた。助けてくれた。

 かつて大好きだったアンダルが亡くなった時のように、彼は当たり前のように自分の傍に現れる。


「フェリー……?」

「え……?」


 気付けばフェリーの視界はぼやけていた。

 大粒の涙が頬を伝い、ぽたぽたと落ちていく。


 恐怖が表に出て来たのか、安心したからなのか、嬉しいからなのか。

 もしかすると全部なのかもしれない。間違いなく言える事は、シンがこの場に居るという状況がフェリーに涙を流させた。


「ご、ごめん」


 慌てて拭っても、涙は止めどなく溢れる。

 心臓の音が煩い。こんな姿を、見られたくないと思う程に涙が溢れる。


「大丈夫だ。気にしなくていい」


 それだけ言うと、シンはフェリー目元に溜まった涙を優しく拭う。

 固い指先で、ゴツゴツとしている指。決して、感触がいい代物ではない。


 それなのに、彼が拭うだけでフェリーの涙は止まっていた。

 どんな魔術よりも凄い、魔法の手だった。こんな状況でなければ、ずっと感じていたい程に。


「……ありがと」


 言葉に言い表せない様々な感情を乗せてフェリーが呟くと、シンの手がポンと頭に乗せられた。

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