113.繋がる縁、痛む胸
「いやー、ご心配おかけしましたー! オリヴィア・フォスター、ただいま帰還です!」
オリヴィアの能天気な声が、室内に響き渡る。
頭に手を当てながら軽いトーンで発せられたそれは、彼女の身を案じていた者達を脱力させる。
一応は心配を掛けまいとするオリヴィアの気遣いだったのだが、アメリアの咳払いによってオリヴィアはその空気を察した。
やらかしたのだと、冷や汗が流れる。
「オリヴィア」
「は、はいっ! 皆さん、大変ご心配をおかけしました。
この通り、フローラさまはご無事です!」
咳払いによって背筋をピンと伸ばしていたオリヴィアは、深々と頭を下げる。
足元に影が見えたので頭を上げると、自分の両親の姿があった。
顔を上げると両親共に涙ぐんでいたので、オリヴィアはぎょっと身体を仰け反らせる。
「オリヴィアちゃん、良かった。行方が判らないって聞いて気が気じゃなかったわ……」
「全く、お前は昔から無茶をして」
「いやー。一応、わたしも護衛ですし。そりゃあ、フローラさまを護る方が大切ですから。
多少の無茶はしますよ」
役目を果たしただけだと主張するオリヴィアだが、子を想う両親の前には意味を成さなかった。
眼に涙を浮かべたままの母が、オリヴィアを優しく抱きしめる。
「それでも、親なんだから子供の心配ぐらいはするわ。当然でしょう」
「その通りだ。お前が護衛の任を全うした事は誇らしいが、それ以上に心配もしている」
「お父さま、お母さま……」
能天気な態度を取りながらも、本心ではずっと気が休まる事は無かった。
自分一人では、主君を護る事が出来なかった。護衛失格だと、その事ばかり考えていた。
だけど、誰一人としてその事を責める者は居ない。
それどころか、両親も姉も自分の身を案じてくれている。
「すいませんでした。でも、少し恥ずかしいので離れてください」
母の腕を解き顔を背けるオリヴィアだが、その口元は僅かに緩んでいた。
アメリアも、その様子を見てホッとひと安心をした。
「……本当に、ヴァレリア姉さんの言った通りになった」
「な? オリヴィアはそういう奴なんだって」
その様子を見る、エトワールの三姉妹。
クレシアは呆れたような、ヴァレリアに感心したような、なんとも言えない気の抜けた声を発した。
見事に同僚の様を言い当てたヴァレリアが、高笑いをしていた。
「後でクレシアの所にもお礼を言いに来るんじゃないですの?」
「いい。別に、オリヴィアと仲が良いわけじゃないから」
グロリアの言葉に対して、めんどくさそうにクレシアが断った。
実際に、オリヴィアが自分へ寄ってきたのでイルシオンの後ろへ身を隠す。
二人の姉は、思ったよりもちゃんと周りを見ているのだなとクレシアは感心をする。
一方で。イルシオンを二人で行動してばかりの自分に出来るだろうか。と、同時に頭も悩ませていた。
オリヴィアの様子を遠目に見ている者達は他にも居た。
彼女をミスリアまで連れて来た張本人。シン達だった。
仲睦まじい親子の様子を見て、フェリーは内心では複雑な気持ちだった。
勿論、フォスター家の仲が良くて、オリヴィアを心配している事はとても良い事だと思っている。
ただ、仲が良ければ良いほどに、どうしても重ね合わせてしまう。
顔を碌に覚えていない自分を産んだ人間達の事ではない。
とても優しかった、シンの家族。優しい、彼らの姿。
自分がシンから奪ってしまった光景。彼は、オリヴィア達の様子を見てどう思っているのか。
シンの顔を見るのが怖くて、フェリーは自然と俯いていた。
その様子を見たシンが、訝しむ。
「どうかしたのか?」
「え? ううん。オリヴィアちゃん、良かったなって――」
そこまで言ってしまい、フェリーは慌てて口を手で塞ぐ。
無神経だった。絶対に、自分がシンに対して放っていい言葉では無かった。
「ああ、そうだな」
しかし、シンの口から出たのは肯定の言葉だった。
フェリーは意外そうに眼を丸くしたが、彼もまた優しいのだとすぐに納得をした。
こんな時に自分への恨みを出す程、彼は愚かでない。
自分はまた、シンの優しさに甘えてしまったのだとフェリーは反省をする。
オリヴィアが家族と再会を果たしている一方で、こちらもまた両親との再会を果たしていた。
「お父様、お母様」
「フローラ! 無事で良かった……」
駆け寄るフローラを、フィロメナが優しく受け止める。
抱擁に込められた力が、どれだけ彼女を心配しているかを表していた。
「お母様こそ、ご無事で」
「ええ、ですが……」
フィロメナの視線に誘導されるように、フローラは傷付いた父親の姿を確認した。
左手に包帯が巻かれているが、その巻き方がおかしい。目を凝らすと、指が欠けている事に気付いた。
「これか? 気にするな。アルマやフリガ。
いや、家臣の謀反に気付けなかった私への罰がこの程度で済んだのだ。甘んじて受けよう」
「そんな事……!」
フローラは声を荒げる。父は国王として自分達を愛し、国民の安寧を護り続けてくれた。
その父が、悪意に晒されて自分の行いを悔やんでいる。赦される事では無かった。
謀反を企てた第一王子、ビルフレストを初めとした裏切り者への怒りが、フローラのここに湧き上がってくる。
「そんな事より、お前が無事で良かった。本当に……」
彼女の怒りを解したのは、父の優しい手だった。
頭に乗せられた手が撫でるごとに、怒りが霧散していくようだった。
代わりに、その空白へ再会できた喜びの感情が満ちていく。
「……彼らのお陰です。正直、もう駄目かと思っていました」
「そうか、改めて彼らにも礼をしなくてはな」
正直に言うと、ネストルを含めた全員がレイバーンとリタの姿に警戒をしていた。
人間と異なる種族が、どうしてこのタイミングで現れたのかと邪推をしてしまう。
王宮へ案内する時も異種族の彼ら。少なくとも、魔物であるレイバーンだけでも拒否するべきだと主張する者も居た。
それを止めたのが、フィアンマだった。
リタとは面識こそないが、レイバーンは気の良い魔王だという事は知っている。
だから、何かあれば自分が責任を持つと言ってくれていたのだった。
同盟である紅龍王の言葉は、重い。
黄龍の一族との同盟が反故にされた今、これ以上の戦力を失う事は避けたい。
無論、この状況自体が罠だと主張する大臣も居た。
一方で、それならとうに国王の命は奪われているとイルシオンが主張した。
フィアンマを庇ったというより、手合わせをする傍らで彼もまた紅龍族の王を自らの目で見極めていた。
結果、彼はフィアンマが信用に値する者だと結論付けていた。
勿論、国中をフラフラと歩き回っているイルシオンの主張に異を唱える者も居た。
子供に何が判るなどとも言われたが、イルシオン自体は左程気にしていなかった。
最終的には、ネストルの鶴の一声によりリタとレイバーンは受け入れられる事となる。
そんなリタとレイバーンだが、初めて訪れるドナ山脈の南側。
人間の世界に、戸惑いを覚えていた。
アルフヘイムの森に居た箱入り娘は、外の世界を識らない。
それは同時に、濃度の高い魔力で埋め尽くされた世界以外を体験していないという事。
濃い色に塗り潰された世界。その外へ踏み出した一歩。
想像以上に魔力の薄い人間の世界で、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じた。
――もっと、もっと、もっと。
大気中に漂う魔力を感じる事が出来るかもしれない。
他種族との干渉を拒んでいたが故に、伸ばす事の無かった能力が開花を始める。
リタは、自分の可能性を追い求め始めた。
一方のレイバーンは、リタとは逆だった。
踏み入れた人間の世界は、色々な臭いで溢れている。
特に人工的に作られたものが、彼の鼻を鈍らせる。
幸い、耳はそこまで影響が表れていない。
しかし、今まで頼りにしていた鼻が思うような働きを期待できない。
その事実に、不安を覚えた。
「レイバーン」
「フィアンマか。どうやら手を貸してくれたようだな。感謝する」
「気にするな。ボクも肩身が狭かったところだ、来てくれて助かる。
やはり人間の国は、龍族にとっては窮屈だからね」
レイバーンを呼び止めるは、フィアンマだった。
龍人族のように擬態したフィアンマと、3メートルを超える魔獣族の王。
立っているだけで威圧感を発している異様な光景が、周囲の人間に距離を置かせる。
平然としていたのは、二人の存在に慣れているシン達だけだった。
「貴方が、レイバーンのお友達の龍族?
初めまして、妖精族のリタです」
「ああ、レイバーンが言ってた妖精族の女王か。
初めまして。ボクは紅龍族の王、フィアンマだ。
まさか、こんな所で逢うことになるなんて思ってもみなかったよ」
「あはは、本当ですね」
ちょこんと座る妖精族も加わり、その光景の異様さが増した。
美しい妖精族へ声を掛けたいのに掛けられない。そんな者すら、ちらほらと現れるぐらいには。
「あの、ご婦人。貴女はもしや……」
イルシオンが声を掛けたのは、銀髪の美女。イリシャ。
彼は、イリシャがこの場に現れた時からずっと彼女を気に掛けていた。
というのも、既視感があるからだ。
くすくすと微笑んでいる様子を知っている。逢ったのは10年近く前だが、彼女の姿は記憶そのままだった。
子供の頃、クレシアへ渡した滋養強壮の薬。
その薬を調合した、銀髪の薬師。彼女の姿が、記憶の女性と一致した。
だからこそ、イルシオンは確信をもって声を掛けた。
「わたし? キミとどこかで、逢った事あるかしら」
「やはりそうだ!」
しかし、イリシャの記憶からイルシオンの姿は一致をしなかった。
無理もない。イリシャと違い、彼は子供から成長をしている。
背も伸びて、声の変わった。顔つきも逞しくなった。
それに、薬の調合も色んな人に教えた事がある。
彼女にとっては、特別な事は何ひとつ行われていなかった。
「イル。……ナンパ?」
面白くなさそうに、クレシアがイルシオンの裾を引っ張る。
その表情には明らかな嫉妬が含まれており、後ろでヴァレリアとグロリアが顔をにやつかせていた。
「違う! このご婦人がクレシアに飲ませた薬を、調合してくれた女性だ!
ええと、オレが集めたカシア草や、タミルの葉を混ぜて……」
クレシアは目を丸くした。イルシオンが女性を一発で判別したのは面白くないが、これほどの美人なら覚えていてもおかしくはない。
見た目が若々しいので、当時の姿が全く想像できないが。
「ああ、あの時の少年なの?」
イリシャがポンと手を合わせる。
頼まれて薬を調合する事が多いイリシャだが、材料を自分で集めてきた人間はそれほど多くない。
大体がイリシャの持ち合わせか、市場で集めてくる。
自力で野に出て集めたのは、赤髪の少年ぐらいのものだった。
「後ろの娘が、飲ませたいって言ってた娘?
元気にしたいって言ってたもんね。一緒に外で遊ぶんだって」
「なっ! ちょっ!」
「イル、そんな事言ってたんだ」
「いや、それはだな!」
慌てふためくイルシオンを見て、クレシアはくすりと笑った。
恥ずかしがる彼の姿を見るのは珍しい。そして、自分の為を想ってしてくれた事が本当に嬉しかった。
「イル、ありがとう」
「……ああ」
頬をポリポリと掻きながら、イルシオンが答える。
あの時の礼を言いたかっただけなのに、どうしてこうなってしまったのか。
偶然というものは、恐ろしかった。
……*
「シンさん。意見を窺ってもよろしいでしょうか?」
「ああ。俺も伝えたい事がある」
シンはアメリアと真剣な様子で話を始める。
アメリアは敵がどのように攻めてくるか、どう対処するべきかを相談する。
初めは黄道十二近衛兵を差し置いて、彼に相談すると角が立つのではと懸念もした。
しかし、彼がウェルカでの戦いで尽力をしてくれた事を伝えると、意見を訊くべきだという声が挙がる。
「彼らの話はとても貴重な意見です。どうか、耳を傾けてください」
と、フローラやオリヴィアが背中を押した事もあり、既知の間柄であるアメリアが対応する事となる。
その背景には第二王女派である第二騎士団。彼らが、エステレラの管理下であるウェルカ領。
王都と隣接しているその地域の警戒に当たっており、戦力が分散している事も要因だった。
シンもまた、アメリアへ伝えるべき事は沢山あった。
ギランドレとの戦いで出た『邪神』という単語。今回の件と無関係とは、思えない。
レイバーンから預かった本に記載された、魔物を人間へと換える研究。
そして、土の精霊が語った『邪神』という存在の意味。
本来、神に善悪は無い。
土の精霊の言った通り、邪神という役割を定義された存在。
異質な神を、どうして創り出そうとしているのか。
考えても判らない事ばかりだが、それでも伝えなくてはならない。
渦中の真ん中にいるのは、ミスリアなのだ。見殺しには出来ない。
その様子を、フェリーは遠目に見ていた。
所々、顔を赤らたり、微笑むアメリアを見ると少しだけ胸が痛んだ。
しかし、彼に拒絶される。赦されない存在の自分が居なくなった時。
彼を幸せに出来る人が居て欲しい。
(アメリアさんはキレーだし、かわいいもんね。
シンのコト、ずっと好きでいてくれるといいな……)
シンが自分を救ってくれた後、沢山苦しんだ彼を救ってくれる人が居て欲しい。
あまり深く人に関わろうとしなくなった彼が、深く関わる機会なのだ。
自分の知らないシンを知っている、イリシャやマレットにはつい嫉妬をしてしまった。
本当に、狡い女だとフェリーは自分自身を卑下する。
ただ、その様子をずっと見ていたいと思うかどうかは別問題だった。
フェリーは、二人の邪魔をしないようにそっと部屋を後にした。
一応、傍に居たグロリアへ周囲を出歩く許可を貰って。
上空から風を斬る音と共に龍族が降ってくるのは、それから少ししてからの事だった。
束の間の休息は、一方的な終わりを告げられる。