112.アメリア、再会する
静まり返った王宮。
謀反を企てた者はその殆どが、その武力を評価された者達。
だからこそ、この状況が厄介だった。
アルマは、ビルフレストは、王の座を奪い取った後にミスリアをどう統治するつもりなのか。
政治力に長けた者。ビルフレストなら、あるいは可能だろう。
しかし、彼も人間だ。一度に出来る事にも限りがある。
アルマの右腕として働くにしても手の届かない部分が生まれる。
聡明な彼が、その可能性を考慮していないはずがない。
アメリアの意見は、ネストルも同調をした。
きっと、まだ居る。
のうのうと王宮に、王都に潜伏している第一王子派の者が。
拭いきれない不安が、アメリアの表情を強張らせた。
「久しぶりだな、アメリア」
「ヴァレリアさんにグロリアさん。お久しぶりです」
思慮に耽るアメリアの思考を止めたのは、ヴァレリアだった。隣にはグロリアもいる。
彼女は三名残ったうちの黄道十二近衛兵。その一人だった。
「あの、ヴァレリアさんがドーンさんを……」
「ああ、殺った」
申し開きをする事なく、はっきりとヴァレリアは言い切った。
尋ねたアメリアが逆たじろいでしまう程に、彼女は堂々としていた。
「ドーンは正気じゃなかった。痛みも感じてなさそうだし、殺さなきゃ止まらなかっただろうな」
「そうですか……」
アメリアはかつて、共に黄道十二近衛兵で任務を行っていた頃の事を思い浮かべる。
気の良い力持ちという印象が強かったが、そのころから既にビルフレストと共謀していたのだろうか。
自分が気付いていれば。
(……よしましょう)
意味のない仮定だった。きっと、彼はボロを出す事は無かっただろう。
少なくとも、自分が黄道十二近衛兵に居た時点では。
「シュテルン家といえば、ライラスさんも気を失っていたのですが……。
他の者同様に回収されたようですわ。これは、わたくしたちの落ち度です。
目を離すべきではありませんでしたわ」
グロリアが、拳をぎゅっと握り締める。
玉座の間へイルシオンの加勢に行った際、クレシアに死体の元へ居させる事を躊躇った。
既に多量の魔力を消費し、身体の限界の近かった妹。
彼女をその場から離れさせるのだから、自分かヴァレリアのどちらかは残っておくべきだったのだ。
揃ってビルフレストの元へ向かい、碌な戦闘もしない。挙句にアルマ共々退却を許す。
姉がそこまで気が回る人間ではない事を知っている。妹にはその場から離れさせる事を選んだ。
それならば、自分が監視を続けておくべきだったのだ。
「いえ、それを言うなら私はそもそも到着すら出来ていませんでしたから」
彼女達はその場で出来る事に尽力をした。何も出来なかったアメリアには、悔やむ事しか出来ない。
黄道十二近衛兵の大半が内通しているのであれば、自分の行動は筒抜けだった。
明らかに自分が国の最端。王都から一番遠い位置にいる状況を狙い打ちされている。
もっとエステレラ家を追及するべきだっただろうか。
当主のサルフェリオはウェルカでの事件で散々追及されたにも関わらず、有耶無耶にしてしまっている。
段々とやつれてはいったそうだが、それでも今日まで逃げ切った。
いや、ひょっとすると本当に何も知らなかったのかもしれない。
今となっては、彼の証言自体に意味は持たない。
ミスリアがそれを真実と判断するのか、嘘と判断するのか。そのレベルとなってしまっているのだ。
「お前達、終わった事をいつまでも悔やむな」
割って入るのは、男の声。
真紅の髪はイルシオンを彷彿とさせるが、彼ではない。
彼は角なんて生えていないし、翼も尻尾も持ち合わせていない。
目の前の男は人間ですらない。魔術大国ミスリアと同盟を結ぶ龍族の一族がひとつ。
紅龍族の王、フィアンマだった。人間に擬態した形で、王宮で行動を共にしている。
「――フィアンマ殿」
アメリアが声を漏らすと同時に、その姿をまじまじと見つめる。
同盟を結んでいる事自体は知っているが、それはあくまで神器に説得力を盛らせるための御伽噺だと思っていた。
伝承上の存在である龍族。人間の姿に擬態し、自分の前に立っているというのは奇妙な感覚だった。
「今、するべき事は後悔じゃないだろ。裏切り者も、黄龍族もまた攻めてくるぞ。
奴らは目的を達成した訳じゃないんだから」
諭すように言ったフィアンマだが、彼自身も苛立ちを抑えていた。アメリア達へ向けた言葉は、自分に言い聞かせるものでもある。
ヴァンを、黄龍族を負わせた自分の同胞が一体たりとも戻って来ない。
見失ったならまだいい。もし、同胞の命が奪われているのなら自分の失態だ。
それと、もう一人。
彼の頭を悩ませる人物が居た。
「紅龍族の王、フィアンマ! オレと手合わせ願おう!」
鼓膜を強く揺さぶるような、力強い声。
紅龍族から賜った神器。紅龍王の神剣の継承者、イルシオン。
訓練用の木剣。その先端をフィアンマへ向け、彼は居丈高に立つ。
「お前も懲りないねえ」
紅龍王の神剣にもっと相応しい人間へならなくては、ビルフレストには勝てない。
そう考えたイルシオンは、神器と関りの深いフィアンマに手合わせを求めた。
木剣とはいえ、彼の才能を実感させるには十分だった。
剣術にも、魔術にも言える事だが、彼の特筆すべき部分は魔力の使い方だった。
身体に巡らせた魔力が、身体能力を強化する。魔力を持つ者がその身を操る際に、誰もが無意識に行っている事。
ただ、無意識ゆえに染みついた癖が足を引っ張る事もある。
イルシオンは、その魔力操作に淀みが殆ど感じられない。
人間が到達する高みへの、最短距離を走っているかのような人間だった。
先が楽しみである事は、フィアンマも認めている。
しかし、今は戻って来ない同胞について頭を悩ませている。少しは考える時間を与えて欲しい。
かつてミシェルが、人間は他種族より心に寄り添う事が上手なのかもしれないと言っていた。
イルシオンを見る限り、彼女が特別優しかったのではないだろうか。そう考えを改めるぐらいに、遠慮が無い男だった。
「行くぞッ!」
「……また、始まった」
木剣を振り被るイルシオンに、クレシアがつまらなさそうにため息をついた時だった。
「こっ、国王陛下! 王妃様!」
門番をしていた門番が慌てた様子で駆け付ける。
その剣幕に只事ではないと、全員の視線が門番へと集められた。
第一王子派がもう攻めて来たのかと、臨戦態勢に入る者も居た。
「一体、どうしたというのですか?」
ネストルに代わり、フィロメナがたじろぐ門番へと問う。
彼は息を切らせながら、身振り手振りで状況を伝える。
「そ、外に大きい人間がいて! 狼人のようで……!」
狼人というワードに反応を示したのは、アメリアだった。
かつてウェルカで戦った、双頭を持つ魔犬の存在を思い浮かべる。
それに近しい存在が、第一王子派の手先として攻めて来たのかと警戒心を強めた。
しかし、門番の焦り。その理由はもっと先の部分にあった。
浅い呼吸を繰り返すが、彼が落ち着く様子はない。
「その背中に、オリヴィア様が背負われていて……!」
唐突に出て来たオリヴィアの名前に、その場の全員が固まった。
唯一アメリアだけが、その場を飛び出してしまいそうな自分を辛うじて抑えていた。
「え……」「は?」「どういう事だ……?」
ざわつく王宮の人間の中で、真っ先に行動を起こしたのはクレシアだった。
得意の探知で、城門の音を拾おうと試みる。
「よく見るとフローラ様も居たのですが、その……」
「構わん、申せ」
躊躇する門番に、ありのままを伝えるようにネストルは促す。
逡巡しながらも、門番は国王の命に応じ、自分の見たままの事を語り始めた。
「なぜか、村娘のような恰好で歩いています……。
その周囲には、狼人の他に、男が一人。女が三人いまして……。
何がなんやら……」
門番が話せば話す程、状況が判らなくなっていく。
慌てながらも自分が見聞きした物を伝えようとする仕草に、狂言が含まれている気配はない。
「あなた、フローラが……!」
「待て。罠かもしれぬ」
「ですが……!」
娘を想う、母親の気持ちは痛いほどに判る。
行方知れずとなっていた娘に逢いたい。無事を確かめたい。それはネストルも同じだった。
しかし、ネストルは血を分けた息子と刃を交えた。
その結果、深い傷を負った。長女も謀反を企て、この場に居るのは次女のイレーネのみ。
慎重にならなくてはならない。娘が人質にされている可能性だって、まだ残っているのだ。
「まずは、私が行こう。狼人と、その仲間から何か要求があるかも知れぬ」
もしフローラが本人だと判れば、ネストルはどんな要求でも受けるつもりでいた。
それが例え、自分の命だったとしても。
「陛下、お待ちを。ここはクレシアに任せてください。
クレシア、頼む」
「うん。分かった」
立ち上がるネストルを止めたのは、イルシオンだった。
探知を行うクレシアが、彼の要求に応えるべく城門の会話をこの場に再現する。
――私は紛れもなく、フローラ・メルクーリオ・ミスリアです。
――わたしもちゃんとオリヴィア・フォスターですよー!
精一杯の精度で探知を行い、声質の再現を試みる。
その結果、自分達のよく知っているフローラの声や、オリヴィアの声が王宮内に響いた。
「あなた、やっぱりフローラなのよ!」
「う、うむ……」
胸を撫で下ろすフィロメナと、まだ狼人の意図が掴めないと警戒を解かないネストル。
アメリアに至っては、その能天気な声が自分の妹のもので間違いないと一先ずは安心をした。
その一方で、魔術に精通したミスリアの民だからこそ気付く事がある。
クレシアの探知。その精度は、彼女の卓越した魔力制御が生み出したもの。
唯一無二の、秘術と言っても差支えのないものだった。
隣で術を使用していないはずのイルシオンが、鼻を高くしていた。
探知は彼女達以外の声も拾う。
入り混じる男女の声。その中に、アメリアが知っている声色も混じっていた。
――余は、負傷しているオリヴィアを背負っただけだ。特に何も要求する気は無いぞ!
――レイバーンの言っている事は本当だ。俺達は、殿下の要望でここまで訪れた。
(シ、シンさん!?)
かつてウェルカで共に戦った者。自分の想い人。シン・キーランド。
何故、彼がミスリアの王宮に現れたか。しかも王女や妹だけではなく、狼人と共に。
彼が居るという事は、フェリーも傍に居るのだろうか。
それでも、まだ計算が合わない。残る二人の女性は、いったい何者なのか。
「あ、あの! その人達、信用できると思います!
私、ちょっと見てきます!」
「アメリア!?」
声だけでは判らない。王宮に現れたのが本当にシンであるなら、ウェルカの件を話せば皆信用してくれるはず。
その一心で、アメリアは王宮の中を駆け抜けていった。
止めるヴァレリアの制止など、耳に一切入らない。本当に必死な様で。
……*
顔を目いっぱい紅潮させ、息を切らせる。心臓が破裂しそうなぐらい、全力で駆けた。
酸素の供給が足りていないのか、はっきりとしない視界で聞き覚えのある声を耳が捉えた。
「アメリアさん!」
ゴシゴシと眼を擦ると、視界が輪郭を取り戻す。
声の主は、長い金髪を一本にまとめた少女。シンと同じく、ウェルカで自分達を救ってくれた不老不死の魔女。
フェリー・ハートニアその人だった。
「おひっ、さし……っ。ぶり、です……!」
「……だいじょぶ?」
心配そうに手を伸ばすフェリーを手で制し、大きく深呼吸をする。
落ち着いて、背筋を伸ばしたアメリアを待ち受けていた光景は、半分が知らない者で埋め尽くされていた。
「アメリア、居てくれたか」
「よかったよね。門番さん、全然通してくれそうになかったもん」
フェリーと共に安堵の表情を見せるは、黒髪の青年。
かつて二度に渡って自分の大切なものを護ってくれた男性。シン・キーランド。
恋焦がれた男性の姿が、そこに在った。
「この娘がオリヴィアちゃんのお姉さん? とっても美人さんね」
「本当だね、美人姉妹さんだ」
「そう言われちゃうと、なんだか照れますねー」
「いやいや、リタも十分に美しいぞ」
「もう、レイバーンってば」
(私は、何を見せられているのだろうか)
次に浮かんだのは、そんな思いだった。
見知らぬ銀髪の女性は、大人っぽさと同時に儚さというのか神秘さというのか。
不思議なものを秘めている。頬に手を当て、くすくすと笑っていた。
リタと呼ばれた女性も銀髪で、一見すると姉妹のようにも見える。
だが、よく見ると彼女は耳が尖っている。
思い浮かべるのは妖精族。しかし、仮に妖精族だとして何故シンと行動を共にしているのか。
それが不思議で仕方なかった。
極めつけは、門番が真っ先に報告へ上げた狼人だ。
確かに体長こそ高く、どことなく威圧感もある。
だが、表情そのものは優しく、警戒心を抱いているのは自分と門番だけのように思える。
それどころか、オリヴィアに至っては物凄く馴染んでいる。
その下でフローラも、うんうんと頷いている。
警戒心の欠片も見当たらなかった。
「それで、アメリア。出来れば色々事情を聞いてもらえないか?」
「えっ!? あ、はい。それは勿論です!」
焦って返事をした事もあり、アメリアの声が裏返る。
混乱した中に飛び込んでくるシンの声は、彼女にとってはとても心臓に悪いものだった。
「あらあら、アメリアったら」
「どうしてそんなに慌てているんでしょうかねー」
その様子を見たフローラとオリヴィアが、口元を手で覆いニヤニヤと笑みを浮かべる。
元はと言えば、行方不明の主君と妹が戻ってきたのだ。シンとフェリー、更に狼人と妖精族を添えて。
これで慌てないはずがない。自分が、周りがどれだけ心配したと思っているのか。
決定打となったのが、シンである事は間違いないが。
「……慌てるに、決まってるじゃないですか!」
アメリアの声が、城門に響き渡った。
クレシアの探知がそれを拾い、無害な人物だろうと国王達に判断されたのは別の話である。