111.王都へ集うものたち
シン達はドナ山脈を下り、ミスリアへと歩み進めていく。
表面上は塞がったものの、まだオリヴィアの傷は完治をしていない。
それでも、焦りがフローラとオリヴィアを前に進む事を選択させた。
「はぁ〜。良い眺めですねぇ」
レイバーンの背中に乗るのは、怪我人のオリヴィア。
主君であるフローラを差し置いて自分が楽をする訳にはいかないと、初めは断固拒否をした彼女なのだが。
――ケガ人なのだから、ちゃんと言う事を聞きなさい。
その主君の鶴の一声で、レイバーンの背中にその身を預ける事となった。
言い聞かせる様はまるで姉妹のようで、イリシャがくすりと笑っていた。
「それに背中がもふもふしてて、眠っちゃいそうです」
「レイバーン! 私! 帰りは、私ねっ!」
「ははは。リタなら帰りと言わず、いつでも良いぞ!」
体毛に埋もれるオリヴィアを、羨ましそうにリタが眺める。
ぴょんぴょんと跳ねる様子に、レイバーンは笑いながらリタの頭を撫でていた。
「あっちは楽しそうねえ」
先導するシンとフェリーにくっつく形で、イリシャがそのやり取りを眺めていた。
険しい顔をするフローラの気を少しでも和らげようとしたのだが、あまり効果は得られなかった。
刺客としてスコアがドナ山脈に送られた。
つまりそれは、第一王子派の動きが活発である事の証明。
父は、母は。そして、臣下達はどうなったのか。
改めて、焦燥感がフローラの身体を包み込む。
「大丈夫よ」
その様子を見たイリシャが、フローラの頭に手を乗せる。
無責任な言葉だが、それでも言ってあげるべきだと判断してのものだった。
「フェリーちゃんも、リタも強い娘よ。レイバーンに至っては、見た目通りね」
「シンさんは……?」
フローラが彼の事について尋ねると、イリシャは少しだけ困ったような顔をした。
先日の戦闘から察するに、彼も相当な手練れだ。敢えて外す理由もない。
「シンはね、頑張り屋さんなの。ちょっと、無理をしすぎちゃうぐらいに。
そういう意味では、オリヴィアちゃんと似てる所はあるかもね」
フローラは、先日のオリヴィアを思い出す。
どれだけ心身ともに傷付いても、自分の役目を果たそうとした彼女。
今、思い出すだけでも血の気が引く。指先の感覚が、鈍くなる。
「だから、シンの強さはちょっとだけ危ないの。その次に、フェリーちゃんかな」
「……そうですか」
釘を刺された気がした。
先日の強さは、余裕でもなんでもないものだと。
善意から力を振り絞っているものなのだと。
妖精族の里が人間の国と揉めた話。
フローラとオリヴィアは、出発前にリタからその顛末を聞いた。
ウェルカでの件もある。だから、余計に彼らに期待を抱いてしまった。
自分達も、また彼らに救けてもらえるのではないだろうかと。
目の前にいる彼らは決して万能でもなければ神でもない。ただ、優しさから己を貫き通しているだけなのだと。
フローラは、その事を肝に銘じるように諭されているような感覚だった。
先頭を歩くシンとフェリー。
周囲の警戒を怠っては居ないが、索敵はこの場に誰よりもレイバーンの鼻と耳が頼りになる。
道筋に至っては、過ごしていたイリシャが庭の如く最短ルートを指示をしてくれる。
二人は実質的に、歩きやすい道を作り出す役割と化していた。
「シン。あのね」
「どうした?」
「えと、その……」
声を掛けたものの、その先の言葉を放つ事を躊躇う。
第一王子が手に掛けようとした人間は、自分の父親。
そんな事はあり得るのだろうか。シンはそれをどう思うのだろうか。
そして、自分達と同行をしているフローラ。彼女は、自分の父親を手に掛けた人間をどう思うのだろうか。
家族だと思っていた。シンは勿論、彼の両親や妹も。
自分はそれを手に掛けた。それを第一王子と重ねてしまう。
そして、シンとフローラの立場も。
勿論、全くの別物だと頭で理解はしている。
それでも考えてしまうのだ。フローラが、第一王子をどう思うのか。
同時にこうも思う。それが抑えきれない程の負の感情だった時。
自分はシンと共に居られるのだろうかと。
脳裏に蘇るのは、故郷を炎に包んだあの日。網膜に焼き付いた吐瀉物。拒絶の証明。
それ以上のものを呼び出してしまいそうで、フェリーは訊けなかった。
シンと共に居られる理由を、自分の手で失いたくはなかった。
「きっと大丈夫だ。ミスリアも、アメリアも」
「……ん」
シンは言い淀むフェリーを見て、また故郷を重ねているものだと思った。
天真爛漫で、表情がコロコロと変わる。それはつまり、哀しみの感情すらも幾度となく表に出てきたという証明。
その原因の一端を自分が担っている事も、決して少なくない。
フェリーは優しい。それ故に傷つきやすい。シンは、彼女をそう評している。
理由の解らない事件を引き摺って、自己否定に陥る彼女をどうにかしたい。
彼女のトラウマを、どうにか払拭したい。
彼女がやりたい事を優先するのには、そういった目論見もあった。
どうにか、自分自身を好きになって欲しい。『呪い』を解いたその先の世界で、彼女が心から笑えるように。
「……あ」
ふと、シンが気付く。フェリーの事ではなく、オリヴィアの事で。
フェリーが小首を傾げる。一本に結ばれた美しい金色の髪が、重力で垂れた。
「どうしたの?」
「いや、オリヴィアの事で。顔はアメリアに似ているけど、仕草はフェリーに近いと思ってな」
彼女もコロコロと表情を変え、よく笑う。
どことなく、妹と遊んでいた頃のフェリーを思い浮かべた。
「ええ? あたしは、シンに似てると思ったけど」
フェリーが反論を試みる。
死ぬ直前まで無茶をして、周囲の心配に耳を貸さない。
自分のよく知る男性にそっくりだった。
「どこがだ」
「どこもだよ! 見たらわかるでしょ!」
「俺はあんなに慌ただしくないぞ」
「あたしだって、そんな無茶しないもん!」
「いや、してるだろ」
「してないってば! シンのあんぽんたん!」
イリシャだけでなく、リタとレイバーンもそれには異論を唱えたくなった。
彼女は時にシン以上の無茶をする。不老不死があるが故に、その身を投げ出す事に躊躇はしない。
それでも、二人の会話に割って入る気にはなれなかった。
彼らにとって、大切な時間だという事を理解しているから。
「えーと。もしかして、わたしディスられてます?」
レイバーンの背中にもたれながら、オリヴィアがなんとも言えない顔をしていた。
全ての体重を預け、身体は体毛に埋まってしまっている。リタがそれを羨ましそうに見ていた。
「じゃれあっているだけだ、許してやってくれ」
「いえ。怒ってはいないんですけどね」
自分を口実に、姉の想い人が女の子とイチャイチャしている。
その事実に申し訳なくなり、オリヴィアは遠くに居るアメリアへ頭を下げた。
……*
王都へ到着したアメリアの瞳が捉えたもの。
災害に見舞われたかのように崩れている王宮を見て、夢ではないかと自らの眼を疑った。
一方で、それが現実である事は覚悟していた。
コリーナの宿でルクスから聞かされた話。皮肉にも、それが狂言ではない事を証明するという形で。
「アメリア姉」
不意に知っている声が、彼女を呼び止める。
炎のような真っ赤な髪を携えた、紅眼の剣士。
自分と同じミスリアに伝わる神器の継承者である、イルシオン・ステラリード。
隣には、彼と行動を共にするクレシア・エトワールの姿もあった。
「――イルくん。それに、クレシアさんも」
いつもよりテンションの低いイルシオンを見て、アメリアは察した。
彼らは、第一王子派と交戦したのだと。
「その様子だと、アルマ様と……」
「第一王子派の事、知っていたんですか?」
クレシアが怪訝な顔をする。
疑われている。そう感じたアメリアは、慌てて手を振った。
「いえ、私は先日知ったばかりです。ルクス様から聞かされて」
「……オヤジが? そうか、ウチは第一王女派だからな。
それで、まさかステラリード家は第一王子派についているのか?」
英雄を志す彼からすると、国を窮地に陥らせている第一王子派と第一王女派の所業は到底許せるものではない。
怒りと、若干の軽蔑が込められた声をイルシオンは発した。
「いえ。ルクス様というより、ステラリードの本家は違いますよ。
ルクス様は間者の目を盗んで私に知らせてくれたのです」
「そうか……」
「良かったね、イル」
イルシオンは胸を撫で下ろす。奔放しており、家に帰る事は無い。
正直、逢ったら逢ったで喧嘩になるだろう。それでも、刃を交える事は求めていなかった。
「王宮は今、どんな状況なんですか?
こんなに破壊されて、大規模な戦闘があったとしか……」
実際に訪れた王宮は、アメリアが想定したよりも酷い有様だった。
壁は壊れ、まるで大規模な竜巻にでも遭遇したようだった。
イルシオンとクレシアは、互いの顔を見合わせる。
数秒の沈黙の後、挙がる手と対照的にイルシオンの視線は下へ逃げていた。
「それ、半分以上はオレとクレシアがやった……。
魔術と、神器で……」
「……え?」
予想外の回答にアメリアは目を丸くする。
王宮を一番破壊した人間は、クーデターを企む第一王子派ではなく英雄を志す少年とその仲間だったのだから。
「し、仕方がなかったんです。イルは国王陛下、私はフローラ様と、オリヴィアが危なかったから」
緊急事態で、それにより最悪の事態を防ぐことが出来た。彼女は懸命にそれを伝える。
クレシアの補足で、アメリアはハッとする。
「そうです! 陛下は、フローラ様は!? オリヴィアは、どうなったのですか!?」
今、この場にイルシオンやクレシアが居るという事は、最悪の事態が起きている訳ではない。
そのはずだが、破壊された王宮から最良の結果でもない。
一体、どういう状況になっているのか。
イルシオンとクレシアは再び顔を見合わせ、眉を下げる。
即答されないという事実が、芳しくないという事を暗に伝えてくる。
「アメリア姉。それは、王宮で話をしよう」
イルシオンが指を差したのは、壊れた王宮。
そこにどうやら国王と王妃は居るという事で、アメリアは頷いた。
……*
「そんな……」
アメリアが言葉を失う。
王宮内でアメリアが見聞きした事は、自分の想定よりも遥かに悪い結果だった。
第一王子派と第一王女派が反旗を翻した。自らの眼と耳で捉えたその結果は、痛々しいものだった。
国王は左手の人差し指と中指を失い、黄龍との同盟が破棄された。
更には、黄道十二近衛兵の大半である九名が裏切り。特に分家の者は全て、第一王子派へとついた。
その内、先日の戦闘で一名が死亡。黄道十二近衛兵同士の戦闘によるものだった。
それだけではない。どさくさに紛れて、黄道十二近衛兵であるカルロパが囚人達を解放したという。
その中には、ピアリーで騒動を起こした研究者。マーカスが含まれている。
(という事は、邪神に纏わること……)
これで、件の邪神騒ぎやウェルカでの出来事との接点が明確になってしまった。
ビルフレストを要するエステレラ家。彼らの管理する領地の全てが、きな臭い。
これでは、黄道十二近衛兵結成の目的である相互監視も役に立たない。
いや、元々形骸化していたのだ。ビルフレストをアルマへ同行させた時点で。
誰もが指摘する事を躊躇っているが、ネストル自身が気付いている。
自分の落ち度だと、大きく肩を落としていた。
極めつけは、フォスター家で侍女を務めるサーニャ。彼女さえも裏切ったという事実。
それだけならまだいい。彼女がナイフで刺したのは、自分の大切な妹だった。
クレシアの乱入により、絶体絶命のオリヴィアとフローラを逃がす事には成功したという。
しかし、戦闘から三日が経過した現状でも彼女達の姿は見つかっていない。
フローラを想い、憔悴するフィロメナの心の内をアメリアは痛いほどに理解できた。
戦力は大きく削られるどころか、大半が敵に回った。
その事実をどう受け止め、どう対処するべきか。
魔術大国ミスリア。研鑽を重ねた魔術師によって統治された世界。
平穏の続くはずだった国が、突如先の見えない闇に放り込まれたようだった。
次はいつ、第一王子派は攻めてくるのか。
その時、国王は我が子に再び刃を向ける事が出来るのか。
答えを出す為の猶予は、あまりにも短いものだった。