106.女の戦い
玉座の間。壁一枚を挟んだその外側で、混じり合う刃。
イルシオンの持つ紅龍王の神剣の切っ先は、同じミスリアへ向けられていた。
「ビルフレスト・エステレラ! 貴様の目的は何だッ!?
玉座の間で、何を企んでいるッ!」
赤い刀身を持つ刃。神器の力を捻りだしてもビルフレストの剣は決して折れない。
彼は剣に施された魔術付与に加え、自身の魔力で強化をする事により耐久力を底上げしていた。
瞬間的な火力こそ神器に劣るが、ビルフレスト自身の能力でその差を補っていた。
「答えれば、賛同をするのか?」
距離を置いたビルフレストが、その腕を下げる。
隙を見せているというのに、イルシオンは踏み込めない。
交差法が、容易く自分の腕。もしくは首を斬り落とすだろう。
そんな光景が容易に浮かぶ。この男は、それぐらいはやってのける。
「いいや。貴様はオレを納得させられないだろう」
イルシオンは、彼とは対照的に剣を構えた。
ビルフレストに悪意が無いのであれば、何度も刃を交わす必要はない。
しかし、彼はそれを主張する事が無かった。意味が無いと言わんばかりに。
その時点で、ビルフレストがイルシオンに理解されない事を確信している。
イルシオンは、彼の機微を感じ取っていた。
根拠はそれだけではない。
初撃。城壁すら軽々と斬り裂いた紅龍王の神剣の一撃。
それを受けてなお、玉座の間だけは傷つけられる事が無かった。
強固な結界が張られているのは明白だった。
玉座の間を封じ込めて、彼が何を企んでいるのかは解らない。
クレシアが聞いた会話から、国王と第一王子が刃を交えている事しかイルシオンは知らない。
逆に言えば、それだけで十分なのだ。
不自然な状況を、見張るかのように立ち塞がる存在。
そんな存在が、何を語ろうともイルシオンの心には響かない。
ビルフレストもまた、そうであろう事は織り込み済みだった。
イルシオン・ステラリードは青臭い英雄像に憧れを持っている。
子供の頃に見た伝記や御伽噺の主人公。そんな存在に自分もなれると思い込んでいる。
奇しくも、自らの主も英雄という称号を欲していた。
相反し合う二人が、同時に英雄となる事は無い。
その眼差しの先に映る光景。その違いが、今の状況を生み出している。
コツコツと、貴族と神器という過ぎた玩具を振り回していればよかったのだ。
そうすれば、彼の知らぬ間に世界は変わっていた。
今まで以上に張り切る機会も、増えていただろうに。
この場に現れた以上は、始末をつける他ない。
幸い、自らの主が神器を欲しがっていた。
国王の持つ黄龍王の神剣に加え、紅龍王の神剣も回収しておくに越したことは無い。
アルマが黄龍王の神剣を継承できるとは限らない。予備は、いくらあっても困らない。
「その通りだ。イルシオン・ステラリード」
(来るッ……!)
目の前に居る男は、人間のはずだ。
だが、到底自分と同じ存在だとは思えない。それだけの威圧感が殺気という形でイルシオンに重く圧し掛かる。
それでも、退く訳には行かない。
彼の後ろでは、国王がその心身を削っている。
クレシアの話では、中に王妃も居るという。益々、放ってはおけなかった。
「紅炎の貴公子。イルシオン・ステラリード、参る!」
紅龍王の神剣の切っ先が、床に触れる。
カリカリと削られた床の傷をなぞる様に、炎の柱が舞い上がる。
入り込んでいた雨粒が次々と蒸発をする。
蜃気楼のように歪んだ視界は、ビルフレストの視覚に負荷を与える。
「熱よ、収束せよ! 悪しき存在を、焼き尽せ! 紅炎の槍!」
イルシオンの指から放たれるのは、炎で創られた小型の槍。
詠唱を簡略化したそれは、ビルフレストに向かっ真っ直ぐ放たれる。
歪められた視界により狂った目算。ビルフレストは多少大きくその身を動かす。
イルシオンの追撃は、止まらない。
「迅雷よ! 瞬きの間に、敵を貫け! 稲妻の槍!」
紅炎の槍より威力こそ劣るが、速度を上げた雷の槍が次々と襲い掛かる。
全て同じ方向へ動くよう、意図的に放たれる稲妻の槍。
壁際まで追い詰めたビルフレストに向かって、イルシオンは一気に距離を詰める。
紅龍王の神剣を振り被り、肩口へ向かって下ろす。
ビルフレストの指が、パチンと鳴った。
「!?」
イルシオンの体重が乗った右脚。それを支えていた足場が、突然と崩れる。
混乱しそうな思考を踏み留まらせたのは、頭上に迫ってくる『死』への拒絶反応からだった。
「こ……ンのおおおおっ!」
振り下ろしていた紅龍王の神剣。その動作を止める事は『死』に直結する。
そう判断したイルシオンは、むしろ神剣へ喰わせる魔力を咄嗟に増やす。
勝手に身体が動いた。とても、合理的な判断によるものでは無かった。
足元に振れた切っ先は爆発を生み、互いの身体が後方へ吹き飛ばされる。
崩れた床の破片が身体のあちこちに当たる。額から流れる血を、イルシオンは拭った。
爆炎の向こうに見える影が、風の魔術で煙を払う。
身体のあちこちに傷や痣を作る自分とは対照的に、無傷で土埃を払うビルフレストの姿がはっきりと映った。
「やるではないか。腕の一本は、貰ったと思ったが」
鉄仮面を被ったまま、ビルフレストは言った。とても感心しているようには見えない。
しかし、その言葉に偽りが無い事を証明するかのように、イルシオンの左肩から胸にかけて真っ直ぐと剣による一本の筋が引かれていた。
流れ続ける血を止める為に、イルシオンは炎の魔術で無理矢理傷口を塞いでいく。
「……化物め」
激痛に耐えながら、イルシオンは呟いた。
荒くなった呼吸を整えながら、自分が体勢を崩した足場をじっと見つめる。
崩れた床の下に、もうひとつ床が存在していた。
(……そういう事か)
イルシオンは、先刻の攻防。そのカラクリを理解した。
崩れた足場の下にあるもの。それこそが、本当の床。
今、自分が立っている場を含めて、この足場はビルフレストによって創られた物。
地の魔術を応用して、床の上にもう一枚薄い膜を張る。
階段を通って来ていれば、段差から違和感を覚えたかもしれない。
しかし、イルシオンは外壁を破り侵入した。
その結果、彼の張った罠に気付く事は無かった。
「用意周到じゃないか、ビルフレスト。そんなに、やましい事をしているのか?」
「やましくは無い。アルマ様に必要で、神聖な儀式を護っているに過ぎない」
「詭弁だな。自分を、自分達を正当化する為の言い訳にしか聞こえないぞ」
「貴殿こそ、ここに現れるべきでは無かった。
現れなければ、まだ英雄を志す事も出来ただろうに」
イルシオンの血を吸った刃。その切っ先を本人へ向ける。
滴り落ちる赤い雫が、彼の運命を予言しているかのようだった。
「違う。オレは英雄を志しているからこそ、今ここに居る。
この場から逃げるようであれば、オレには英雄を目指す資格すらない!」
力の入らない左腕は、添えているだけ。
絶望的な状況。次の攻防で、首が飛ばされていてもおかしくはない。
それでもイルシオンの眼には光が宿っている。
策がある訳では無く、ただ戦う意思を見せているだけ。
イルシオン・ステラリードの辞書に『退却』の二文字は、記されていなかった。
……*
乱暴に振るわれる、ドーンのフレイル。それを受け止める、ヴァレリアの大剣。
「ぐっ……!」
肥大化した筋肉から、力任せに振るわれたそれはヴァレリアの体勢を容易に崩す。
涎を垂らし、だらんと空いた口からどうしてそんな力が湧いてくるのかとヴァレリアは吐き捨てた。
ヴァレリアに生まれた隙を狙って、ライラスが斧を振り被る。
しかし、それが彼女に振り下ろされる事は無かった。
グロリアが、ドーンとライラスの間にぬるりと潜り込む。
肩口に向かって突きさされた双剣が、彼から斧を支える力を奪う。
その重みを支えきれなくなり、押し倒されるように背中から崩れ落ちるライラス。
斧が床を割り、仰向けになって倒れる。
動きを奪おうを追撃を試みるグロリアの視界を、ラヴィーヌが妨害する。
「閃光」
放たれた強烈な光が、ヴァレリアとグロリアの視界を奪う。
ライラスも巻き添えを喰らっていたが、構わなかった。
光源から背を向けていたサーニャが、ナイフをグロリアへと投げつける。
同様に、同じく閃光を背中で受けたドーンがヴァレリアへフレイルを振り被る。
しかし、二人にもまた強力な魔術師が控えていた。
クレシアの判断は早かった。ラヴィーヌが視界を奪ったその瞬間に、既に魔術のイメージは固めてある。
ヴァレリアとドーンの間に割って入る、空気の壁。風防壁。
それはクッションのようにフレイルによる衝撃を吸収する。
殺しきれなかった分はヴァレリアが身体で受け止める事となったが、耐え切れない程ではない。
サーニャの投げたナイフは床に向かって風を放ち、その全てをハエ叩きのように落とした。
グロリアは床に音が響くと同時に、視界がはっきりしないまま前へと進む。
気配と殺気を頼りに、繰り出した剣。それはラヴィーヌを狙っていた。
魔術師を自由にする訳には行かない。閃光による妨害ひとつでも、それがはっきりと判る。
不意に、ラヴィーヌより先に邂逅する殺気があった。
「させませんよ」
「やるな……!」
グロリアの双剣を受け止めたのは、サーニャだった。
逆手に持った左手のナイフで、彼女の利き腕である右の剣を止める。
そのまま自分の右手に握られたナイフが、グロリアの左肩。その肩口を突き刺す。
その一方で視界が覚束ないグロリアの左手が握る刃は、サーニャの首筋に一本の線を引いていた。
(いやいや、おかしいでしょう……)
このまま押し込まれては頸動脈を裂かれてしまうと、サーニャが距離を取る。
首筋を撫でると、ぬるりとした感触が彼女の血の気を引かせた。
閃光による妨害が効いていないのかと思う程、正確な攻撃をしてくる。
ラヴィーヌの為に命を棄てる気にはなれないサーニャの気持ちを、一歩だが引かせた。
しかし、グロリアも無傷ではない。
左の肩口にぐっさりと刺さったナイフ。このままだと左手の稼働範囲が著しく奪われる。
「っ……。いいウデをしてるわね」
ナイフを引っこ抜くと、彼女の左肩が真っ赤に染まっていく。
鎧の繋ぎ目を狙われた形だった。咄嗟にラヴィーヌを庇いつつも、的確な攻撃。
ただの侍女ではない事を、グロリアは実感させられた。
「つう……!」
一方で、フレイルを突きつけられたヴァレリアの身体がふわりと浮く。
歯を食いしばり耐えた彼女は、お返しと言わんばかりに大剣を振り下ろす。
こんな危険な物を妹に向けようとしたのかという怒りが、彼女を突き動かした。
「おおおおぉぉぉ!」
叩きつけた大剣は肩を守っていた鎧ごと、切り裂いていく。
ドーンの右肩と胴体が、ばっさりと離れる。
肩口から吹き出す血が噴き出し、床へボタボタと零れていく。
鮮血が雨で濡れた床と混じり合い、その色を薄めていく。
閃光により奪われた視力が、クレシアにその光景を見せる事を阻害した。
多量の出血により、ドーンの足取りが覚束ない。
ふらふらと、肩口からの出血を噴水のように周囲へばら撒いていく。
ヴァレリアの顔を、グロリアの背中を返り血が汚していく。
それでも目は虚ろで、だらしない顔は痛みを感じていないようだった。
もう彼は、マトモでは無いのだと悟った。
「……せめてもの情けだ」
視力が段々と正常な状態を取り戻していく。瞬きをする度に、視界が輪郭を捉えていく。
裏切った同僚といえど、自分に何が起きているかも理解できていないのは不憫だ。
次の瞬間、大剣がドーンの首から上を斬り離す。
支えを失った頭が、ゴトリと転がった。
ラヴィーヌは初めて見る惨劇に、固唾を呑み込んだ。
いくらでも話は聞いてきた。想像も、覚悟もしてきた。
それでも、足りなかった。その光景に対する耐性が、穢れつつも純真な少女には足りなかったのだ。
誇らしげに語る同僚の姿から、誰もが容易に克服出来るものだと思い込んでいた。
聴くのと観るのでは、大違いだった。催す吐き気を、懸命に堪えた。
(……精神が弱すぎる)
よろよろと後退るラヴィーヌ。
サーニャはそんな彼女へ、冷ややかな視線を送っていた。
あれだけ息巻いていた割に、なんと情けない事かと軽蔑すら込められている。
同時に、サーニャはここが潮時だと判断する。
あっという間に、形勢が逆転されてしまった。これ以上の戦闘は悪戯に消耗をするだけだ。
「ラヴィーヌ様、後退しましょう」
「わ、わかりましたわ……」
ラヴィーヌの声は、震えていた。
貴族ですらない下民の言葉を素直に受け入れるぐらいには、混乱していた。
刹那、閃光が再びヴァレリア達の視界を奪う。
遠ざかっていく足音を、クレシアは空気の振動で感知していた。