103.希望を与えるもの
シンが追手との戦闘に備えて、外に出ようとしていたその時だった。
「シン、ちょっとだけいい? すぐに済むから」
「……どうしてだ?」
「いいから」
イリシャに呼び止められ、促されるままに足を止める。
すぐにでも外の状況を確認したいのだが、彼女の瞳に力が籠っているのを見て断れなかった。
「はい、これ。お守り。貸してあげる」
渡されたのは、リングネックレス。
よく見ればそれが年代物だということは、なんとなく判る。
ただ、丁寧に手入れが施されているそれが、大切にされてきた物だという事も伝わってきた。
「大切な物だから、ちゃんと後で返してね」
「そんな物を俺に預けないでくれ」
これから自分は戦闘を行う可能性が高い。そんな大切な物を預かる訳にもいかない。
失くしたりでもすれば大事だと思い、渡されたリングネックレスをイリシャへ返そうとしたのだが拒否されてしまう。
「いいから。きっと貴方の助けになるわ」
彼女の眼差しは真剣そのもので、何が何でも持っておけと目で訴えてくる。
イリシャは、肝心な事をはぐらかす。どうしてそんな行動をするのかは解らない。
シンに辛うじて判るのは、真剣に自分達を想っての行動だという事。
「……この件が終わったら、返してもいいか?
ずっと預かっていると、失くしてしまいそうだ」
「わたしが、いいって言ったらね」
「なんだよ、それ……」
やはり、何がイリシャの真意は判らない。
言われるがまま、リングネックレスを首から掛けた。
「むぅ……」
ふと、声の漏れた方向に視線をやると、フェリーがつむじを曲げていた。
口を尖らせて、拗ねているようにも見える。
兎に角、機嫌が良いようには見えなかった。
「……なに、怒ってるんだよ」
「え? あたし怒ってる? シンばっかりズルっことは思ったけど、怒ってるかなあ……?」
フェリーは首を傾げて、視線を上に逃がす。
口ぶりから、彼女は本当に怒ってはいないようだった。
ならば、先刻の態度は何だったのか。今度はシンが眉間に皺を刻んだ。
「安心して。フェリーちゃんにもちゃんと用意してあるから」
「ホント!?」
そう言って、イリシャはフェリーの首にネックレスを掛ける。
シンのものとは違い、先には石がついている。
造られた年代も、シンに渡された物よりかなり後のように思える。
それでもやはり、イリシャが大切にしてきたのであろうという事だけは伝わってきた。
頬を緩ませ、フェリーは随分とご満悦そうだった。
これから戦闘が始まるかもしれないのに、緊張感は微塵も感じられない。
フローラやオリヴィアに心配を掛けないという意味では、正しいのかもしれないが。
「シン。思う通りにしなさい」
改めてレイバーンの待つ外へ出ようとすると、イリシャの声が聞こえた。
彼女が何を伝えようとしているのかは判らないまま、シンは太陽の光を浴びる。
……*
「悪い、遅くなった」
「気にするでない。向こうも、まだ来てはおらぬ」
レイバーンが腰に手を当てて、高らかに笑う。
彼の話によると、来訪者は二人。固まっている訳ではなく、距離を取って動いているとの事だった。
「十中八九、後方支援だろうな」
戦闘に入れば、前衛に意識を集中させている間に魔術を放つのであろう。
距離を置いているのは、自分の存在を気取られない為。
使用するとすれば、威力の高い魔術が考えられる。
「じゃあ、後ろの人にも気を付けないといけないんだよね」
シンは頷いた。
その上でフェリーは前衛で。自分は、後衛の対処をすると簡単に打ち合わせをする。
「余はどうすれば良いのだ?」
レイバーンが、自らの顔を指で示す。
「レイバーンは、裏で待機しておいてくれ。
俺とフェリーで対処する」
「え?」
フェリーが目を点にする。てっきり、レイバーンとも共闘するものだと考えていたので、呆気に取られてしまう。
それは彼女に限った話ではない。レイバーンもまた、納得がいかない様子だった。
勿論、シンとてそういう反応をされる事は織り込み済みだった。
レイバーンの顔をじっと見上げ、諭すように語り掛ける。
「戦闘になった場合でも、後衛の人間が退却を決めると厄介だ。
ミスリア王家に、第三王女は魔族と通じている。なんて言われれば、弁明するのにも時間が必要だろう。
最悪、ミスリア自体が敵に回る可能性がある」
「ううむ……。しかし、だな……」
それならば、自分がミスリアに向かう事自体が危険なのではないだろうか。と、レイバーンは考える。
「こっちから向かうのであれば、殿下の言葉を無下にはしないだろう。
俺が警戒しているのは、魔族を手を組んだという内容が独り歩きする事だ。
敵だと思われたまま、ミスリアに飛び込む事を避けたい」
「ふむ……」
「ええと、つまりレイバーンさんの悪いウワサを流されたくないってコトだよね?」
「ああ、そうだ。変な先入観さえなければ、大丈夫だろう」
シンは再び頷く。現に、レイバーンはギランドレへ向かった際に孤児の子供達に短時間で懐かれている。
先入観さえなければ、心根の優しい彼はすぐにでも受け入れられるだろう。
「分かった! ここはシンとフェリーに任せよう!
ただし、危険だと思ったら余は躊躇しないぞ」
レイバーンは自らの腿をパンと叩き、小屋の後ろへと自らの姿を隠す。
シンがそういう人間だという事は、レイバーンも知っている。
彼なりの厚意を、無下にはしたくない。
反面、それでシンやフェリーが傷付く事はレイバーンも望んではいない。
危機になったら、有無を言わさずに出てくると忠告を添えた。
「すまない」
「だから、すぐに謝るのがシンの悪い癖だ」
姿を隠したレイバーンが、苦笑した。
追手と思われる騎士が現れたのは、それから少し経っての事だった。
レイバーンの嗅覚には、恐れ入る。
現れた騎士の姿を、相手に存在を気取られないように注意を払いながら確認する。
フローラとオリヴィアが男の顔を見るなり、唇を噛んだ。
「あれは、スコア……」
フローラが、ぽつりと呟いた。
男の名は、スコア。ミスリア王国、第一騎士団の隊長。
優れた剣士として、武勲でその地位を高めていった男だった。
彼がこの場に現れたという事は、やはり追手なのだろう。
そして、第一王子とビルフレストがまだ健在という事を証明していた。
父は、母は。そして、自分達を救けてくれたクレシアやイルシオンは無事なのだろうか。
最悪の状況が、脳裏を過る。
「大丈夫、です。絶対に」
「オリヴィア……」
オリヴィアが、そっとフローラに手を重ねる。
彼女を励ます為であり、自分にも言い聞かせているようでもあった。
銀色の胸当てには、紋章が象られている。
恐らくはどの部隊であるかを示すものなのだろうが、シン達には関係の無い事だった。
細身ながら鍛えられた身体は、積み上げてきた研鑽を証明するかのようだった。
兜を脱ごうともせず、堂々とした立ち振る舞いでスコアは言った。
「お初にお目にかかる。某は、スコア・グラダと申す。
お尋ねするが、貴殿らはここに住んでいる者なのだろうか?」
案の定と言うべきか、いきなり斬りかかるような真似をするつもりはないようだ。
社交辞令のような言葉を投げかけてくる。
値踏みをされているような、確認をされているような視線が添えられているのが不愉快だった。
「……そうだと言ったら?」
「気を悪くしたなら謝るが、妙だと思ったまでだ。
貴殿らの恰好は、まるで冒険者のようだ」
隣でフェリーが「冒険者では、ないけど」と呟いた。
スコアの真意としては、小屋に留まっているとは思えないという意味合いなのだろう。
「この辺りは物騒だから、それなりの装備が必要なんだ」
「成程成程。ドナ山脈の北側は、危険だからな」
そう言いながらも、兜の向こう側にある目つきは鋭さを増した。
あちらも腹の探り合いという、もどかしい事をしたくはないのだろう。
無表情を装ってはいるが、落ち着きの無さが重心の揺れに現れていた。
それに、視線の種類と言うべきだろうか。
初めから小屋の住人ではない事を知っているような違和感。
シンは状況を整理する。
オリヴィアも、フローラも自分達の存在をすぐに受け入れた。
特に、自分の顔はよく似た人相書きを見たという。
それを描いた張本人は、裏切り者だった。
少なくとも自分の顔。もしかするとフェリーも顔が割れている。
スコアはそれを把握しているからこそ、このやり取りに意味を見出せないのではないか。
こんな場所なら、多少の事が起きても隠匿は簡単だ。
自分達の素性が判っていながらも、強硬手段に出ない理由を考える。
すぐに思いついたのは、妖精族の里と同様のケース。
レイバーンが臭いを感知した、後方にいるもう一人の人間。
その者が、魔術で援護するだけの時間を稼いでいる。
永い詠唱や多くの魔力を必要とする魔術を使用しているという仮説を、シンは立てる。
もし当たっているのであれば、決断に時間をかける訳に行かない。
シンは、銃口をスコアへ向けた。
「何を――!」
「見ての通りだ」
残りも貴重な弾だが、彼に躊躇は無い。シンは、そのまま引鉄を絞る。
「くっ!」
間一髪、放たれた銃弾をスコアは躱した。
シン・キーランドの情報はウェルカでの戦闘から報告を受けていた。
故に、飛び道具に対する警戒を怠ってはいなかった。
シンが放った銃弾は、水流弾。
スコアを通り過ぎた弾丸は、木々の群れへと命中する。
放たれた魔導弾の水圧が、メキメキと木をなぎ倒していく。
驚いた鳥の群れが、逃げ場を求めて空を舞った。
「貴様……ッ!」
次の瞬間には、シンは既に彼の隣を過ぎ去ろうとしていた。
自分に一瞥もくれず、明らかに目的のある動き。
間違いなく、あの男は後方に待機させている魔術師の存在に気付いている。
好きにさせてはならないと、スコアは投擲用のナイフをシンへと投げつける。
それをミスリルの剣から放たれる羽衣で受け止めると、彼は山の中へと姿を消していった。
あの男がどれだけ、地の利を生かしてくるかは解らない。
しかし、自分にとってマイナスはあれどプラスに働く事はないだろう。
そう判断したスコアだったが、フェリーが追う事を許さない。
「行かせないっ!」
振りかぶられた茜色の刃を、咄嗟に自らの剣で受け止める。
チリチリと空気が灼ける。熱された兜や胸当てが、自分の身体を焼き尽くそうと襲い掛かる。
二人の情報は、サーニャを通して共有されていた。
しかし、聞くのと体験するのでは大違いだ。スコアは奥歯を噛みしめる。
同時に、シンの初動が速かった事によりスコアは確信に至る。
この二人は、間違いなく第三王女派と接触をしている。
そして、自分との戦闘を厭わないという事は彼女が生きているという証。
この情報を、戻って伝える必要が出てきた。
フェリーが自身の体重を乗せて放った渾身の一撃。
手応えはある。実際に、彼の剣はその刃を徐々に溶かしている。
しかし、スコアもまた自身の魔力をふんだんに注ぎ込み魔導刃に対抗をする。
「むむ……!」
想像以上の抵抗に、フェリーはムキになって力を込める。
生まれた隙を、スコアは逃さなかった。
「――あ、れ?」
フェリーの膝が、ガクンと折れる。
彼女の腿には、シンへ投げられたナイフ。それと同じものが突き立てられていた。
スコアのナイフには、毒が塗られている。
死に至るほどではないが、身体の自由を奪う物。
力の抜けたフェリーが地面へと倒れ込む。
いくら負傷をしても立ち上がる、不老不死の魔女。
ビルフレストが警戒していた不確定要素。その存在がドナ山脈の向こう側にいるという話は事実だった。
対策として用意した毒が、今まさに役立っている。
いくら不老不死と言えど、身体の自由を奪えば成す術はない。はずだった。
彼女の動きを縛ろうと、スコアが覆いかぶさった瞬間。
「がっ……!」
フェリーの魔導刃が、彼の顔を貫く。
そのまま、スコアの身体は熱を持った刃により真っ二つに両断される。
彼は認識を誤っていた。フェリーは、あらゆる毒も中和する。
スコアも、可能性は考慮していた。ただ、彼が思っているよりもそれが早く訪れた。
まるで毒そのものに意味を持たないかの如く。
「ごめんね。あたし、すぐ治っちゃうの」
それだけ言い残すと、スコアの身体は焼け焦げていく。
焼き切られた肉の塊が、言葉を発する事は無かった。
フェリーは、気付いていなかった。
かつて、ピアリーで薬を盛られた時よりも中和が早く訪れてることを。
……*
山を駆けるシンが、目を皿にして周囲を確認する。
水流弾は元々、スコアへの攻撃が狙いではない。
自分が走りやすいように木を破壊する事を目的としていた。
後でイリシャには怒られるかもしれないが、背に腹は代えられない。
シンの左側。剣を持っていない方角から魔術による攻撃が襲い掛かる。
水の羽衣でそれを受け止めると、攻撃があった方向に顔を向ける。
木々の群れではっきりとは確認できないが、大砲だろうか。魔術師は、それを生成している途中だった。
一度、シンの脚を奪おうとした事によりその生成が中断される。
その隙をシンが逃すはずもなく、銃弾を魔術師へ向かって放つ。
「くそっ!」
大砲の生成を諦め、魔術師はその場を離れる。
逃がす訳には行かなかった。シンは、木々の群れを抜けて魔術師との距離を詰める。
「喰らえッ!」
魔術師もシンが追ってくるであろう事は想定していた。
自身の得意な、風刃をシンに向かって放つ。
ダメージが与えられなくとも、舞う風が彼の視界を奪うはずだと考えての事だった。
しかし、風刃は消えた。相殺された訳でも、防がれた訳でもない。
忽然と、消えてしまったのだ。
魔術師が、目の前の出来事を理解する事は無かった。
驚き、意識が逸れたその一瞬にシンは木々の群れに姿を消す。
次に彼の存在を認識した時には、魔術師の喉に古ぼけた短剣が突き刺さっていた。
「が……はっ」
抵抗を試みようと、イメージが固まっている得意魔術を放とうとする。
しかし、一向に魔術が創り上げられる事は無かった。
片っ端から、練った魔力が吸われていくような奇妙な感覚。
喉に突き立てられている古代魔導具の短剣による、魔力を吸い取る効果が彼の魔術を阻害していた。
そのまま抵抗を許す事なく、魔術師は息絶えた。
……*
フェリーの戦う様を近くで、そして無傷で戻ってきたシンを見てフローラは言葉を失った。
協力こそ要請したが、ミスリアの誇る騎士団。その隊長ですら、彼らの前では赤子同然だった。
同時に、それは彼女にとって希望でもあった。
自分の愛する人達。もし、彼らが窮地に陥っているのであれば。
それらを救えるだけの力が、彼らにはあるのではないか。
大切な人を、これ以上悲しませずに済むのではないだろうか。
フローラは、彼らに大きな希望を寄せる。
自身に何が待ち受けているかは、まだ知る由も無かった。