102.異邦人に、助けを
「誠に申し訳ございません……」
部屋に入ったシンを出迎えたのは、ベッドの上で正座をしながら深々と頭を下げるオリヴィアの姿だった。
救けられた事に、迷惑を掛けたと思っているのだろうか。
それなら気にする事ないのにと、シンは眉根を寄せた。
「あの状況なら、仕方ないだろう。大体の経緯は、殿下から聞いている」
「いえ、そうではなくてですね……」
口をもごもごとしているオリヴィアが、何を伝えようとしているのか判らない。
シンの眉根が、また寄せられた。
「シン、なんかあったの?」
「いや。判らない……」
フェリーが首を傾げながら見上げるが、シンには覚えが無い。
リタとイリシャが、隣でくすくすと笑みを溢している。
その隣でフローラが「まったく……」と、恥ずかしそうに呟いていた。
……*
オリヴィアが目を覚ました事により、物理的に入れないレイバーンを除く全員をイリシャが部屋に集めた。
薄着で、汗を搔いているオリヴィアがちらちらとシンの様子を窺う。
なんとなく、近くに居て欲しくないのだろうと察したシンが少し離れた場所に座る。
露骨に避けた風にならないようにかつ、彼女が安心するであろうギリギリの位置に。
それを見たフローラが「ほう……」と何やら感心をするが、その事によりフェリーが己の居場所に困ってしまう。
フェリーは逡巡した後に、ちょいちょいと手招くイリシャの隣へと腰を下ろした。
「貴女が、フェリーさんですか?」
「え? あ、ハイ!
えーと、オリヴィアさんはアメリアさんの妹さん……なんですよね」
「はい。わたしとも仲良くしてもらえると嬉しいです」
「えっと! こちらこそ、お願いします」
深々と頭を下げるオリヴィアに釣られ、フェリーも頭を下げる。
頭を上げる際に揺れる二つの丘を見て、オリヴィアは姉が胸をさすった理由を理解した。
姉も決してない訳ではないのだが、これは凄い。
そんな事を考えていると、フローラが咳払いをしたのでオリヴィアが我に返る。
「えっと、すいません! ええと、まずは救けて頂いて本当にありがとうございます。
この御恩は必ずいつか返させていただきます」
「礼は外にいるレイバーンにも言ってやってくれ。
アイツが貴女たちを見つけたんだ」
「レイバーン?」
オリヴィアは首を傾げた。
まだ、誰か居るのだろうか。何故、ここに入ってこないのだろうか。
「外に居る魔王様よ。身体が大きいので、この家には入れないそうなの」
「そういう事だ!」
フローラの言葉に応えるように、レイバーンの声が壁を通して聞こえてくる。
妖精族の女王だけでも驚いたのに、魔王までいる。
オリヴィアは「なんでもありなんですね……」と、呟いた。
その一方で、受け取り方によっては僥倖だと思った。
第一王子の帰還により、おかしな動きを見せている自国。
悔しいが、自分の実力だけではどうしようもない。
そんな時に、運命だと言わんばかりに出会った人物。
かつて、姉を救ってくれた二人。
自国のゴタゴタに巻き込む事自体には、気が引ける。
それでも、今のオリヴィアには縋ることしか出来ない。
フローラも、同じ思いだったようだ。
考え込むオリヴィアと目が合うと、彼女は深く頷いた。
協力を得る為には、まずは話さなくてはならない。
自分が見た事の、総てを。
オリヴィアがゆっくり口を開くと、全員が静かに彼女の言葉に耳を傾けた。
……*
一通り、自分の体験を話し終えたオリヴィアが「ふう」と息をつく。
結局、自分は第一王子の元へたどり着く事は無かった。
だから、事がどれぐらい深刻なのか伝えきれていない部分はあるだろうという不安は抱いていた。
お家騒動に実感が湧かないというのもあるかもしれない。
妖精族や魔族がどのように次代の王を決めるかは知らない。
人間とは違う寿命だから、やはり理も違うのだろうか。
それとも、争いが激しくて世代交代が激しかったりするのだろうか。
「皆さま。無理を承知でお願いします。
どうか、私たちに力をお貸しいただけないでしょうか」
フローラは立ち上がり、深々と頭を下げる。
両手に力いっぱい握られたスカートが、深い皺を刻んでいた。
「お願いします……!」
オリヴィアも立ち上がり、フローラより低い位置まで頭を下げる。
力不足を嘆くのは、後だ。まずはミスリアに戻らなくてはならない。
そして、願わくばこの争いに終止符を打ちたい。
「お礼は、なんでもします! ですから、どうか――!」
フローラの声は、僅かに涙ぐんでいた。
静まり返った部屋に、鼻を啜る音が響く。
リタは、他人事のように思えなかった。
侵攻を試みたギランドレ。それと結託した、レチェリの事を思い返す。
彼女の動機は、自分に対しての苛立ちだった。
目の前の王女とその護衛が語る事情とは程遠いものだろう。
その点を真の意味で理解する事は不可能だと思った。
しかし、信じていた者に裏切られた。いや、騙されていた。
その一点については、思うところがある。
「フローラさんと、オリヴィアさんは……。
その、サーニャさんという人とは仲直りをしたいんですか?」
フローラとオリヴィアは顔を見合わせ、そして顔を曇らせた。
それが叶わないであろう事を、察してのものだった。
「きっと、それは難しいと思います。
サーニャは、元々第一王子派だったように思えます」
欺かれたというよりは、見抜けなかった。
それどころか、彼女の姿を見た時に緊張を綻ばせた。
オリヴィアは思い返すたびに、不甲斐無いと歯噛みする。
「そうですか……」
曇る彼女の顔から、心を痛めているという事は伝わった。
きっと、本心では彼女と敵対する事なんて望んでいないのだろう。
それでも、その先に相手が居る以上は叶わない事もある。
レチェリとも話が出来て、自分も最愛の男性を殺めずに済んだ。
リタはちらりと、部屋を見渡す。瞳に映るは、イリシャ。そして、フェリーとシン。
自分は運が良かったのだと、リタは改めて理解した。
その上で、こうも思う。きっと、この二人はお願いを受け入れるだろう。
フェリーがどんな無茶をするか解らない。シンがどれだけ無理をするか解らない。
今度は自分が力になりたいと思った。
滞在させてくれて十分恩返しは受けたと、シンから言われた事がある。
きっと、彼ならそう言うだろうとは思っていた。それでも、自分の気が済むかどうかは別だった。
(ストル。ごめんなさい)
申し訳程度に、妖精族の里で帰りを待つストルに詫びの言葉を送る。
念は、ドナ山脈を越えるだろうか。そんな事をぼんやりと思う。
今度は自分が、誰かを救う番だ。フェリーやシンの、力になる番だ。
理由は、それだけでは無い。
衰弱して、いつ命の灯が消えるかも分からなかったオリヴィア。
自分が治癒魔術を掛け、イリシャが調合したポーションと交互に治療を施していた。
その間、フローラはずっと傍に居た。
祈るようにオリヴィアの手を握り、何度も自分達に頭を下げていた。
一命を取り留めた時の顔は、忘れられそうにない。
何度も、同じ苦しみを味合わせたくなかった。
「分かりました。私に出来る範囲でしたら、お力になります」
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……」
深々と頭を下げるフローラから、大粒の涙が零れた。
フェリーには、跡目争いの事はよく解らない。
だけど、大切な友人の妹が傷付いている様を見るのは心苦しかった。
彼女が気にしたのは、跡目争いよりもその内容だった。
息子が、自分の父親に刃を向ける。どんな気持ちで、それを行っているのだろうか。
自分を産んだ人間に対しての感情は、何も思い浮かばない。
でも、アンダルが死んだ時に自分はずっと泣いていた。
胸にぽっかり孔が空いた気分だった。シンが居なければ、今でも孔が空いたままに違いない。
焼け野原となった故郷を瞳が映した時もそうだった。
家族を、シンの大切な人をその手で壊してしまったからこそ分かる。
元来それは、起きてはいけない事。考えてはいけない事なのだと。
第一王子のしている事は、間違っている。
フェリーは、ちらりとシンの顔色を窺う。
きっと彼は、自分がやりたい事を優先してくれるのだろう。
いつもそうなのだ。旅に出た時から、ずっと。
故郷の、親の仇である自分を優先してくれる。
気持ちを押し殺してまで、手を差し伸べてくれる。
こんな、汚い魔女の自分に。本心では拒絶したくて堪らないであろう、自分に。
だからこそ、フェリーは必死に考える。
フローラやオリヴィアを救けたい。でも、シンに無茶をして欲しくない。
どうすればいいか判らなくて、自然と彼の顔を見ていた。
視線の先にいるシンが、小さく頷いた。
フェリーは、唇をきゅっと噛む。
「あたしも、行きます」
顔を上げて、はっきりとフェリーは言った。
続けざまに、シンが口を開く。
「フェリーが行くなら、俺も行く。
……ただし、条件がある」
イリシャとリタが、目を丸くする。
こんな事を言う人間だっただろうかと、訝しむ。
「条件……ですか」
オリヴィアも、意外そうな顔をしていた。
姉の話を聞く限りは、そのような人間には思えなかった。
聖人君子だと思っていた訳では無いが、やはり国の存亡に関わると知れば目の色も変わるのだろうか。
「私に出来る事でしたら、なんなりと。
爵位でも、お金でも、必ずご用意して見せます!」
立ち上がるフローラの剣幕は、それまでとは違ったものだった。
ここまで来た以上、何が何でも協力を得ようという覚悟が垣間見える。
「……リタとレイバーンは、人間に攻め込まれた事がある」
シンが語り始めたのは、ギランドレの事だった。
突然、何を言いだすのかとリタが驚く。
聞こえているであろうレイバーンは、何も反応をしない。
「だから、二人の安全は殿下が保証して欲しい。絶対に、危害は加えないと。
……一応、友人なんだ」
イリシャとリタは、大きく息を吐いた。
余計な邪推をしてしまったと。彼は、自分達の知っているシンそのものだったと。
壁の向こうでも、レイバーンが笑みを浮かべている。そんな人間だからこそ、自分は彼を気に入ったのだと満足げに。
オリヴィアは顔を手で覆いながら、シンから視線を外す。
権力争いに晒されていたからだろうか、年下の自分の方がよっぽど擦れていると思ってしまった。
「ああ、お姉さまが惚れた理由はなんとなくわかりました」
誰にも聞こえないように、オリヴィアはぽつりと呟いた。
「分かりました。お約束します。貴方のご友人に、私たちの恩人に決して危害は加えさせません」
フローラは元よりそのつもりだった。ただ、それを口にすると脅しているようにも聞こえる。
きっと、シンが欲しかったのは言質なのだろう。
彼女にとっては、渡りに船だった。
「……頼む」
話が纏まったと言わんばかりに、イリシャがポンと手を叩く。
「それじゃあ、皆で準備しないとね」
「ちょっと待て。イリシャ、ついてくるつもりか?」
「そーだよ。イリシャさん、戦場に行くんだよ?
せっかくおうちに帰ったのに……」
同行を止めようとするシンとフェリーに、イリシャは指を交差させて反論する。
「だって、この家バレてるかもしれないでしょ? わたし一人で留守番をして、襲われたらひとたまりもないわ。
妖精族の里に一人で戻ったって、ストルやルナールに何言われるか分からないし」
「いや、それは……。そうカモだけど……」
「後方で治療するだけだから、みんなが護ってくれれば安心安全! よろしくね!」
そう言うと、イリシャはパチッとウインクをした。
可愛らしい仕草なのだが、シンは頭を抱えた。
イリシャには、同行する理由がもうひとつあった。
誰にも言えないけれど、とても大切な事がある。
きっと、今がその時なのだという予感。それに従う事を決めた。
頭を抱えるシン。不安そうにきょろきょろと二人の顔を交互に見るフェリー。
腕を組みながら「まあ、仕方ないですよね」と納得するリタ。
その様子を眺めながら、呆気に取られるフローラとオリヴィア。
彼らの意識を統一するかのように、部屋の壁がコンコンと鳴らされる。
外に居るレイバーンが、合図をした。
「シン、誰か近付いている。人数は、二人だ」
「分かった」
シンは頷くと、フェリーを連れて部屋の外へと出る。
どうやらミスリアへたどり着く前に、ひと悶着起きそうだ。