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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第一部:第九章 狂乱の大国
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101.ほんの少し、休息を

 とても、暖かい。太陽の匂いが、心地いい。

 このままずっと、眠っていたいと思った。


 気持ちよさに身を任せ、もぞもぞと布団の中に潜り込む。

 自分の体温で温められた空気の塊は、また一段と気持ちが良かった。

 

 いつもなら真面目に、毎朝起きて身支度を整えている時間だろう。

 背徳感が、オリヴィアの心地よさを更に増幅していた。

 

(……ん?)


 不意に思考が働き始めた。

 こうなるともう駄目だ。再び眠りに落ちる事が困難になる。


 眠る前の事を思い出そうと、鈍い頭に血を通わせていく。

 取っ散らかったおもちゃ箱でも整理するかのように、記憶を並べていった。


 掘り起こされるのは、戦いの記憶。

 ラヴィーヌとの戦い。サーニャの裏切り。クレシアの救援。

 そして、雨が降りしきる中で自分を庇う主君の姿。


「――フローラさまっ!!」


 思い出した以上は、じっとしていられない。

 そもそもどうして自分は布団で寝ているのか。

 主君(フローラ)は無事でいるのだろうか。


 オリヴィアが勢いよく布団から身体を起こすと、まずは周囲を見渡した。

 一面、木材を活かした基調の部屋。成程、中々に赴きがある。

 質素だが、それがまたいい。


「じゃなくって!」


 どうして、こんな所で自分は寝ているのか。

 牢屋ではないので、捕まった様子ではない。


 ふと、サーニャにさされた自分の腹部に手をやる。

 滑らかな手触りで、傷の存在を微塵も感じさせない。押すと痛みが顔を出すが、僅かなものだ。

 服をめくってみてみると、感触の通り傷跡は綺麗さっぱりと消えていた。

 誰かが治癒魔術を唱えてくれたのは、明らかだった。


「一体だれが……」


 そんな人物に心当たりはない。

 そもそも、ドナ山脈に小屋があるなんて思ってもみなかった。

 人間と他種族の世界。その境界線に住むような奇特な者は、一体何者なのか。


 気を失う前に、更に言えばフローラが自分を庇おうとした後に。

 誰かが現れたような気がする。知らないけれど、知っている誰か。

 自分で勝手に生み出した問いかけに頭を悩ませている時だった。


「オリヴィア……」


 現れたのは自分のよく知る人物が扉を開く。

 薄く赤みが掛かった光沢のある金髪。榛色の瞳。

 フローラ・メルクーリ・ミスリア。紛れもなく、その人物だった。


 ただ、やや動きやすそう(ラフ)な格好をしている。

 髪を後ろで纏め、袖なんて捲られて白い肌が露わになっているではないか。

 その腕で抱えるように持たれているのは、洗面器。

 まるで、誰かの看病でもしているように。


(あれ?)


 自分はベッドで寝ている。主君は洗面器を抱えている。

 もしかしなくても、看病されているのは自分ではないだろうか。


 一瞬にして重たい頭は覚醒を果たす。

 よりによって、フローラに看病をさせていたと思うと恐縮どころではない。

 まるっきり、立場が逆ではないかと冷や汗が流れる。

 

「フローラさま、よしてください!」

「ダメよ。まだ寝ていなさい、オリヴィア」

 

 ベッドから起き上がろうとするオリヴィアだったが、フローラに肩を掴まれそのまま寝かされてしまう。

 あまりにも真剣な眼差しを送られるものだから、オリヴィアも命令に従うしかなかった。


「あの。フローラさま、ここは一体……。

 わたしたち、どうなったんですか?」

「助けてくれたのよ。シン・キーランドが」

「え……」


 間の抜けた声を漏らすが、その名を聞いてフローラの記憶が鍵を手に入れたかのように開いていく。

 そうだ。自分が息絶えそうな時に、フローラがその身を挺して護ってくれようとした。

 自分はそれを拒絶しようとしたけれど、身体が動かない。


 受け入れ難い光景から目を背けたが、その通りに事は運ばなかった。

 崩れ落ちたのはフローラではなく、追手の者達。そして、新たに増える人影。

 その顔は人相書きで見た通りのシン・キーランドだった。サーニャが似ていると言ったのは事実だったのだ。

 限界が訪れた自分の意識は、そこでブラックアウトしてしまった。


 そう言えば、敬愛する姉(アメリア)が言っていた。

 すごく危機(ピンチ)の時に、颯爽と彼が現れたのだと。


 自分達のケースにも当て嵌まる。

 そういう星の下にでも生まれてきたのだろうか。

 まさかとは思うが、いつも誰か危機(ピンチ)を見張っているのだろうか。

 

「じゃあ、ここ。シン・キーランドのおうちなんですか?」


 ピンチに颯爽と現れる、人が到底住まないであろう山奥に住む人物。

 成程、意味が解らない。しかも、ここはミスリアと他種族の境界線。

 マギアの人間である彼が、住み着くのもおかしい。というか、旅をしているはずでは無かったのか。

 

 しかも、フローラに着せている服装は女物だ。彼以外の人物が居るのは明白だった。

 確か、(アメリア)の話を聞く限り彼には連れが居た。フェリー・ハートニアという少女。

 ブロンドの髪を靡かせ、笑顔が素敵な女性だと言っていた。

 彼女の話をする時、何故か(アメリア)は胸をよくさすっていたような気がする。


 オリヴィアは、シン・キーランドという人物像を考えるにつれて迷子に陥っていった。

 持っている情報が圧倒的に足りないせいで、無理矢理にくっつけて弊害が出てしまう。


「ええと、どう説明すればいいのかしら」


 フローラが言葉を選んでいると、扉が再びゆっくりと開く。

 現れたのは、二人の女性。


「具合はどうですか? オリヴィアさん」

「え? あ、はい。ばっちりです」

「もう。ばっちりじゃないから、寝込んでいたのでしょう」

「あはは。そうでした」


 安堵混じりのため息をするフローラを見て、後ろの女性達もくすくすと笑っていた。

 その様子を見て、ここは安全なのだとオリヴィアも頬が緩む。

 漸く生まれた余裕を元手に、二人の女性をまじまじと眺めた。

 

 銀色の髪を靡かせる、とても美しい女性。絶世の美女という単語とはこういうものだろうとぼんやり思い浮かべてしまう。

 もう片方の少女も、同じく銀髪だ。顔立ちは美女とは違うがこちらも整っている。可愛らしくて思わず抱きしめたくなるほどだった。

 

 思わず見惚れてしまったオリヴィアだが、すぐに顔を訝しめる。脳裏に過るのは、ある男の存在。

 フェリーや(アメリア)だけではなく、こんな美女と美少女まで囲っているのかと。

 

 女誑しだろうか。節操ないのだろうか。姉が惚れてしまった男は、そんなにだらしない人間だったのだろうか。

 あわよくば、自分とフローラもハーレムの一員にしようとしているのではないかと。

 そう思うと、命の恩人にも関わらず姉を誑かしたシンに対してふつふつと怒りが湧いてきた。


「スケコマシじゃないですか!」


 この場にいる全員が、ポカンとしていた。

 完全に言いがかりであり、誤解なのだがオリヴィアの脳内では事実と異なったストーリーが展開している。


「ちょっと、失礼しますね」


 コホンと咳払いをして、背の小さな銀髪の少女が椅子へと腰掛ける。

 オリヴィアの服をめくり、傷の様子を確かめる。白く細い指が、腹部をなぞるとほんのりと暖かくて気持ちが良かった。


「豊穣の神よ。御身に宿りし力で、この者に癒しを与え給え。癒しの陽光(ヒールライト)

 

 指先がぽうっと輝き、僅かに残っていた痛みが消えていく。

 自分の知らない治癒魔術で、ついついその効能や詠唱を観察してしまうのは術者としての性だろうか。


(……あれ?)

 

 ふと、少女の髪から覗かせている耳が目についた。長く伸びており、先端が尖っている。

 もう片方の美女へ視線を上げる。彼女の耳は、人間と同じものだ。

 揃って銀髪だったので、つい姉妹かと思ってしまった。よく見ると顔立ちも眼の色も違うし、他人なのだろう。


 そう思うと、また新たな疑問が湧いてきた。人間とは、ほんの少し見た目の違う種族。

 耳が尖っていて、魔術に長けた、美しい種族。

 オリヴィアの知識で該当するものは、ひとつしか無かった。


「あの、つかぬ事をお伺いしますが」

「はい、いいですよ」


 にこやかに、少女が微笑んだ。やはりかわいいとオリヴィアは見惚れてしまった。


「お嬢さんは、妖精族(エルフ)だったりしますか?」


 自分の知識で、知っているその名を尋ねる。

 半信半疑ではあるが、訊かずにはいられなかった。

 

 ドナ山脈の向こうにあるアルフヘイムの森。そこに妖精族(エルフ)の里があるという事は知っている。

 だが、駄々をこねる子供のように気候が崩れるドナ山脈を越えるのは危険だし、妖精族(エルフ)は排他的な種族だ。

 それ以上に、越えた所で妖精族(エルフ)だけではなく魔族をはじめとした他種族が入り混じった世界。

 遥か昔に魔物が攻めてきてミスリアと争ったという記録すらある。故に、永遠に交わる事はないと思っていた存在。


「はい、私の名前はリタ。リタ・レナータ・アルヴィオラです。

 妖精族(エルフ)の女王をさせてもらっています」

「……え?」


 オリヴィアが、目を点にした。

 妖精族(エルフ)である可能性は、ほんの少しだけ受け入れる準備をしていた。

 まさか、それ以上の情報をぶつけられるとは、思ってもみなかった。

 

 その隣で、少し前に同じ反応をしたフローラが恥ずかしそうに口元へ手を当てていた。


 ……*


「レイバーン、どうだ?」


 イリシャが住んでいたログハウス。その屋根の上で、シンは尋ねた。

 自分から見える範囲に人気は無い。

 それに、木々に囲まれて見切れる視界ではレイバーンの方が余程頼りになる。


「いや、特には感じぬな。臭いも、音もしないぞ」


 地面に腰を下ろしながら、レイバーンが答えた。

 突如現れた魔獣族の王に驚いたのか、獣の気配すら感じ取っては居ない。


「ホント、ビックリしたよ。シンがいきなり女の人背負ってるんだもん」


 屋根の上。シンの隣で同じく山を見渡すフェリーが太陽を遮りながら言った。

 衰弱しきってきた女の人を連れて来た事も驚いたが、それがミスリアの王女とアメリアの妹だというのだから更に驚いた。


「レイバーンの手柄だな」

「よさぬか。現場に向かったのはシンであろう」


 事の発端は、荒天の日に遡る。

 ミスリア以上の雨が、山に降りしきった。

 

 その直前にイリシャの家にまでたどり着いていたのは幸運だった。

 一行は家の中で、雨が止むまでやり過ごそうとしたのだが、そこでネックとなったのが魔獣族の王(レイバーン)だった。

 

 小人族(ドワーフ)の里同様に、彼の巨躯はとても人間用の家に収まる高さではない。

 泣く泣く一人で大木に身を寄せていたのだが、雨が僅かに弱まった頃、規則正しい雨音とは別の音をその耳が捉えた。

 

 食事を持って来たシンに何気なくその事を話すと、彼はいつものように眉間に皺を寄せた。

 過去の自分達のように、山越えをしようとするにもこの気候では危険だ。

 実際に大雪と直撃して遭難しかけたのだから、間違いない。


 リタやレイバーンの事も懸念した。

 突然妖精族(エルフ)や魔族に遭遇して、その人間は平静さを保てるだろうか。

 そう思った時、保護するか帰るように促すか。どちらかを案内(エスコート)しないといけない。


 こんな天候で山を越えようとする人間が、善人だとは考え難かった。

 最悪、戦闘になるかと思いレイバーンに教えられた方角へシンは向かう。


 結果、シンはミスリアの王女とその護衛に邂逅する事となる。

 服を血と泥で汚し、衰弱しきったオリヴィア。

 虫の息である家臣を見棄てる事など出来ずに、刺客に向かって自らの命を差し出す王女。


 そして、無抵抗の人間に刃を向ける二人の騎士。

 悪天候で視界がはっきりしない事もあって、彼女達が何者かという事は判らなかった。

 ただ、身を挺して誰かを護ろうとする彼女の姿が妖精族(エルフ)の里でのフェリーと重なった。


 あの時は、フェリーが不老不死だという事。更には、大型弩砲(バリスタ)が控えていた事もあって奥歯を噛みしめながらも堪えた。

 きっと、それが胸の奥に引っかかったままだったのだろう。馬鹿な行動をしたと、時折思い出しては自己嫌悪をしていた。


 人によっては憂さ晴らしにも見えるかもしれない。けれど、シンにとっては大切な事だった。

 シンは、彼女を救ける事を選んだ。

 道中でミスリアの王女には気付いたが、その護衛がアメリアの妹だと気付いたのはイリシャの家に連れて帰った後の話だった。


「シン、フェリーちゃん。オリヴィアちゃんが起きたわよ」

「はーい。シン、いこっか」

「ああ」

 

 イリシャが、天井に居る二人へ声を掛ける。

 フェリーが手を振り、シンと共に屋根を降りていく。


「レイバーンは、悪いけどまた待っていてくれる?」

「うむ。任せておけ、余が見張っておいてやろう」


 胸をドンと叩き、独り外へと残るレイバーン。

 シンが「悪いな」と言うと、「すぐに謝るのがシンの悪い癖だな」と窘められる。


「人間の国も大変なのであろう。しっかりと、話を聞いてくるが良い」

「……ああ」


 レイバーンの激励に、シンが頷く。

 オリヴィアがフローラを連れて王宮を抜けてから、既に二日が経過している。

 何が起きたにしろ、状況が変わっている可能性も否めない。

 

 それを証明するかのように、ドナ山脈にまた足を踏み入れる者が現れた。

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