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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第一部:第九章 狂乱の大国
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99.絶望を吹き飛ばす風

 ミスリア王国第三王女。フローラ・メルクーリオ・ミスリア。

 彼女の私室で紅茶を飲み干したオリヴィアは席を立ち、進言をする。


「フローラさま、ここはまずいです。逃げましょう」


 フローラが、目を丸くする。

 淡々と言ってはいるが、彼女がそんな笑えない冗談を言う人間ではない事を良く知っている。

 それほどに状況は芳しくないのかとオリヴィアへ尋ねると、彼女は静かに頷いた。


 勿論、オリヴィアが何をしているかはフローラも把握をしている。

 アメリアが不在の中で、第一王子(アルマ)が帰還を果たした。

 その状況を訝しんだオリヴィアの提案を許可したのは、他の誰でもない彼女自身だった。

 

 ラヴィーヌが見た二人のオリヴィア。

 雷光の檻(ライトニングプリズン)に閉じ込めたオリヴィアも、ドーンと共に相対しているオリヴィアも正体は分身だった。

 本物のオリヴィアは今ここで、フローラの護衛をしつつ流水の幻影(ブルー・ミラージュ)で様子を探っていた。


 ラヴィーヌは目先の二択に捕らわれ、どちらも偽物である可能性を無意識に排除をしていた。

 その点はしてやったりなのだが、どうにも分が悪い。


 二体目の流水の幻影(ブルー・ミラージュ)が破壊された時点で、フローラの元に居る事はバレてしまうだろう。

 このままでは、フローラに危害が及ぶ。分身が持ちこたえている間に、彼女だけでも安全な所へ避難させなくてはならない。

 

「そうなると、お母様が……」

 

 逡巡するフローラだったが、発しかけた言葉を呑み込む。

 今、自分が言うべきは彼女を悩ませる願いではない。その事を理解している。


 王妃(はは)の元には、国王(ちち)が居る。自分がのこのこ顔を出すよりは、安全なはずだと言い聞かせる。

 オリヴィアに導かれるまま、フローラは自室を出て廊下を渡る。


 地面を打ち付ける雨の音が、廊下中に鳴り響く。

 冷え切った空気は、人の動きが少ない事の現れだった。

 万が一の事があってはいけないと、オリヴィアが目を皿にして周囲に気を配る。

 第一王子(アルマ)派は、まだ姿を現していない。今ならまだ、彼女を安全なところへ逃がす事が出来る。

 

 流水の幻影(ブルー・ミラージュ)は、まだ必死にラヴィーヌとドーンの猛攻に耐えている。

 自分の身体をふたつ動かしているようで、頭がガンガンと打ち付けられるような痛みに襲われながらも、オリヴィアは警戒を怠らない。


「フローラ様。オリヴィア様」


 前方から不意に聞こえた声に、二人は肩を跳ねさせた。

 廊下の柱に隠れ、声の主は顔だけをひょっこりと出す。

 

 正体は、フォスター家に仕える侍女(メイド)のサーニャだった。

 ほんの少しベージュに寄った、光沢のある茶色の髪は薄暗い雨雲のせいで暗く沈んでしまっている。

 真っ黒なお仕着せと、白いエプロン。エプロンが無ければ、背景に同化して軽くホラーだ。


「……なんだ、サーニャですか」


 気の抜けた声を漏らすオリヴィアだが、内心は安堵していた。

 この状況で追手に見つかったとなれば、戦闘は避けられない。

 とても流水の幻影(ブルー・ミラージュ)の戦闘と並行して行える状況だとは思えなかった。


 必然的に分身は消え、分身と気付いたラヴィーヌとドーンがこの場に現れる危険性(リスク)が高まる。

 部屋の外へ連れ出してしまった以上、フローラの安全だけは自分が何に換えても護らなくてはならない。


「……? オリヴィア様、どうかしたんですか?」

「いえ、戻ってくるのが早いなって思っただけですよ」


 小首を傾げる彼女に、オリヴィアは手をひらひらと振って応えた。

 

 一瞬、彼女に協力を仰ごうと思ってしまった。だが、それは彼女を巻き込むという事。

 ただの侍女(メイド)である彼女を、巻き込む訳には行かない。

 黄道十二近衛兵(ゾディアック・ガード)としても、職務怠慢だ。


「フローラさま、サーニャには内密に……」


 オリヴィアの提案に、フローラは小さく頷いた。

 彼女としても、ただの使用人であるサーニャを巻き込む事は本意では無かった。


「もう。アメリア様の反応が早く知りたいって言ったのは、オリヴィア様では無いですか!」

「あー。そうでした……」


 頭から蒸気を発しそうな仕草で、サーニャは頬を膨らませる。

 その仕草は可愛らしくて、ほっこりとしてしまう。今、この状況でさえなければ。

 悪気の無い、サーニャの行動にオリヴィアは頬をポリポリと掻いてしまう。

 普段から無茶な要望を出す自分に、彼女は応えてくれる。とてもありがたい存在だった。


(……あれ?)


 そこでふと、オリヴィアは疑念を抱いてしまう。

 何故、()()()()()()()()()()()()

 彼女が仕えているのはあくまでフォスター家。つまり、戻るべきはフォスターの本家なのだ。


 疑念はまだある。

 この雨だというのに、彼女の服は()()()()()()

 急いできたというのに、服を乾かす時間があったというのだろうか。


「ねえ、サーニャ――」


 浮かび上がってしまった疑念を、オリヴィアは問いかけようとする。

 しかし、その言葉は遮られてしまう。

 腹部に襲い掛かる強烈な痛みが、その続きを言わせてはくれなかった。


「サ……ニャ?」


 自分へ覆いかぶさるサーニャの手には、ナイフが握られていた。

 光沢を消していたのだろうか、刃は光を一切反射をしなかった。故に、気付く事ができなかった。

 彼女のこの行動は、衝動的なものではない。激痛に顔を歪める中で、それだけが辛うじて判別できた。

 

 緊張が張り詰めた状態で、信頼していた人物に逢う。

 たったそれだけで、容易く意識は逸れてしまった。安心してしまった。

 刃を伝って、オリヴィアの腹から流れた鮮血が雫となり、滴り落ちる。


「――っ」


 悲鳴を上げそうになったのは、オリヴィアではなくフローラだった。

 目の前の光景が理解できない。ただ、姉妹のように共に過ごしたオリヴィアが膝から崩れ落ちる様をすぐ傍から見せ付けられた。

 それでも声を上げなかったのは、彼女がたった独りでも自分を護ろうとしてくれている。それを台無しにしない為だった。


「ど……して……」


 信じられないと言った様子で、オリヴィアはサーニャの顔を見上げた。

 どうして。いつから。彼女へ問いたい事はいくらでもある。

 流水の幻影(ブルー・ミラージュ)との接続(リンク)が消えた。今はただ、水の塊となって廊下を濡らしているだろう。

 ラヴィーヌも、ドーンもじきにやってくる。万事休すという奴だ。

 

 何に換えても、主君(フローラ)を護らなくては。

 その使命感が、オリヴィアの意識をギリギリの所で保つ。

 しかし、強い意志とは裏腹に彼女の思考は定まってはいない。困惑と焦燥が彼女から余裕を一気に失わせた。


 手を着き、必死に呼吸を整えるオリヴィアの視界に一枚の紙が舞い落ちる。

 描かれているのは、黒い髪を持つ青年の人相書きだった。


人相書き(それ)、本当によく()()()()()んですよ」

 

 サーニャが口角を上げながら、恍惚の笑みを浮かべた。


「オリヴィア様には、街の人に話を訊いたと言いましたけれど。

 あれ、嘘なんです」

「なにを、とつぜん……?」

 

 突然、何を言いだしているだろう。オリヴィアの思考に困惑が入り混じっていく。

 明確な時間稼ぎなはずなのに、その事から意識が逸らされる。

 

「ワタシ。あの日、あの場(ウェルカ)に居たんです。

 視ていたんですよ。黒髪の青年(シン・キーランド)が戦っている姿を」


 オリヴィアは頭を思い切り、ハンマーで殴られたような気分だった。

 ウェルカに居た? どうして?

 突きつけられた事実が、他の事を優先して勝手に思考を始めてしまう。


 サーニャはあの日休みだったか。はっきりとは覚えていない。

 仮に休みだったとして、あんな事件を目の当たりにして何も報告が無いのは不自然だ。

 現に、いくらでも話す機会はあった。

 

 (アメリア)が復興の為にウェルカへ顔を出していた際。黒髪の青年(シン)、その人相書きを入手しようとした時。

 それでも、サーニャは決して話す事が無かった。話す事で起きる不利益(デメリット)が大きい事を、暗に示していた。


 オリヴィアは、受け入れ難い事実を受け入れた。

 自分の腹部に刺さっている刃と同じだ。

 サーニャの行動は、決して衝動的なものではない。ずっと前から、彼女は第一王子(アルマ)派と内通をしていた。

 だからこの場に居る。第三王女(フローラ)を暗殺する為に。


 フローラならば、突然サーニャが訪れても受け入れただろう。

 ずっとフォスター家へ仕えていた。時には、自分の提案に乗って一緒に笑い合ったした仲。

 それが嘘だと、最期の時まで気付く事は無かったかもしれない。


 動機は判らない。

 しかし、自分と同じ時間を過ごした侍女(メイド)のサーニャ。

 共に笑って、時には淑女らしくない振舞を叱られもした。

 それは全て、(まがいもの)の思い出。刺された腹部とは別の場所。胸が、ちくりと痛んだ。


 サーニャからすると、この場にオリヴィアが残っている事は想定外だった。

 意気揚々と第三王女(フローラ)の自室を出ていったオリヴィアが、何故か今も傍にいる。

 計画ではラヴィーヌが彼女を抑えている予定だった。

 事実、戦闘が始まっているであろう気配は感じていた。それなのに、オリヴィア・フォスターはここにいる。


 眉を顰めると同時に、サーニャは嬉しくもあった。

 計画では、彼女を始末するのはラヴィーヌの役目だった。

 長年かけて得た信頼を、グチャグチャに壊す快感を得る事は出来ない。

 それだけが、少しだけ残念でもあった。


 しかし、オリヴィアは想定を上回る抵抗を見せていた。

 故に、彼女に手を下す好機が回ってきた。

 上辺に笑顔を張り付けて仕えた相手。積み上げてきた者を、一瞬にして破壊する瞬間。

 刺されたその瞬間に、自分ではなくその光景が信じられないと言ったオリヴィアの表情は堪らなかった。


「何故、なのですか……?」


 寒さか、恐怖か、怒りか。小刻みに震えるフローラが、サーニャへ問う。

 今更、どんな答えが返ってきても状況が変わる事は無い。

 それでも、訊かずにはいられなかった。


「お話はしてもいいですけどね。それで困るのは、姫様ですが」

「っ! サーニャ!」


 混濁した思考で、イメージを練り込む事なんて出来ない。

 オリヴィアは力任せに絞り出した魔力を、サーニャへと叩き込む。

 腹部から流れる血の量が増え、意識が遠のきそうになる。


「さすがはオリヴィア様。その状況で、まだ動けるなんて」


 大振りで、雑に放たれた魔力の塊がサーニャに命中する事は無かった。

 廊下の壁へ当たったそれは、音を立てて壁の石を僅かに砕く。


「お、オリヴィア……」

「そんな顔をしないでください。だいじょうぶ……です、から」


 狼狽するフローラを手で制し、オリヴィアはサーニャとの間に割って入る。

 彼女の護衛として、妹分として護る為に。そして、顔を見られない為に。

 きっと、今の自分は酷い顔をしている。頭の整理が、未だに出来ていない。


「その忠誠心。その精神力。さすがです、オリヴィア様。

 ワタシはよく知っています。つい、頑張り過ぎて書斎で夜を明かす姿も。

 飄々と過ごしていながらも、本当は誰よりも護衛という任に誇りを持っていることも」


 これだけ褒められるのであれば、恥ずかしくなって軽口のひとつでも叩きたくなる。平常時なら。

 ぱちぱちと手を鳴らし、薄暗い廊下の中で微笑むサーニャ。

 彼女の手に握られているのは、自分の血が付着したナイフ。

 今の言葉には、「決して油断する事は無い」というメッセージが込められている。

 

 それを証明するかの如く、無数の足音が近付いてくる。

 瞬く間にそれらは、オリヴィアとフローラを包囲する。

 ミスリア王国、第一騎士団。その小隊だった。

 

「だから、ここで確実に始末させて頂きますね」


 にこりと笑いながら、サーニャは言った。


「貴方たち……」


 フローラが軽蔑を込めた眼差しを送るが、第一騎士団(かれら)に効果は得られなかった。

 第一騎士団は、元々第一王女(フリガ)派の人間で構成されている。

 弟である第一王子(アルマ)と手を組んでも、おかしくは無かった。


「さようなら。フローラ様、オリヴィア様。

 あ、お茶会を楽しませて頂いていたのは本当ですよ」


 サーニャが手をかざすと同時に、第一騎士団が二人へ襲い掛かる。

 昨日まで仲間と思っていた人間に、刃を向けられる。

 計り知れない精神的負荷(ストレス)が、フローラの胸を痛ませた。

 

 オリヴィアは歯軋りをした。彼女は最後にまた、人を混乱させるような事を言う。

 何が楽しくて、何が楽しくなかったかなんて今はどうでもいいのに。

 それでもやっぱり、信頼していたという記憶が勝手に反芻される。

 迷いとして、脳裏へこびり付かせようとしているだけなのに。


 今、最も大切な事は主君(フローラ)を護り抜く事。

 何に代えても、フローラだけは逃がす。

 命を棄てる覚悟で、オリヴィアが下唇を強く噛みしめた時の事だった。


「――なっ!?」


 城壁が、爆発でもしたかのように砕け散る。

 暴風によって壁へ打ち付けられていた雨が、盾を失った事で廊下を水浸しにする。

 それも束の間。今度は雨すら吹き飛ばすかのように、竜巻が廊下のあらゆるものを滅茶苦茶に破壊した。


 その中心。唯一無風である場所にオリヴィアとフローラは居た。周りの悪意から護るかのように。

 正確には、もう一人。薄い紅色の髪を風に靡かせる、朱色のローブを着た可憐な少女の姿。

 

「久しぶりに会ったと思ったら……。ボロボロね、オリヴィア」

「く、クレシア!?」


 クレシア・エトワール。英雄症候群(イルシオン)腰巾着(こぶん)が、そこに居た。


「ちょっ、ええ? ええっと……」


 オリヴィアは状況の理解が、一切追い付かない。

 自分の目の前に、どうしてクレシアが居るのか。そもそも、彼女は味方なのか。

 たった今、信頼する人物に裏切られたばかりのオリヴィアは、彼女を疑り深く見てしまう。


「どうしてって。フローラ様が危機だから助けてあげたのよ。

 私だって、別にオリヴィアだけならほっといたかもしれないわ」

「……とりあえず、本物っていうのは判りました。

 でも、どうしてわたしたちを……? エトワールは、第二王女(イレーネ)派じゃないですか」


 このウマが合わない感じから、彼女がクレシア・エトワールである事に疑いようはない。

 一方で、違和感も抱いていた。何か足りないような、そんな感覚。


「イルが言ったのよ。別に、私もイルも誰派とかはどうでもいいもの。

 家の事情なんて、私たちは気にした事がないわ」

「そういえば、そうでしたね……」


 そうだ、英雄症候群であるイルシオンがそんな跡目争いに興味を示すはずがない。英雄とは程遠い、骨肉の争いなんて。

 そして、その引っ付き虫であるクレシアも同様に。

 ある意味では、一番信用できる存在(じんぶつ)でもあった。


「イルシオン? 彼も来ているのですか?」

「勿論です。私は、イルについてきただけですから」


 フローラの問いに、クレシアは頷いた。

 違和感の正体が判った。クレシアが居るのに、イルシオンが居ないのだ。


「でも、見当たらないですけど……」


 こんな状況なら、真っ先に飛び出してきそうな人物が姿を消している。

 しかし、クレシアの口ぶりでは王宮に来ているはずだ。

 はぐれた? いや、クレシアの性格上それはあり得ない。

 はぐれたなら全身全霊を持って彼を探し出すだろう。


「イルなら、諸悪の根源(わるいひと)を断ちに行ったわ」


 クレシアの瞳は、天井。いや、その遥か上を見ていた。

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