98.交わる刃、離れる心
刃と刃が交わり、火花が散る。
ネストルが持つ神器。黄龍の王と同盟を結んだ際に授かったと謂われる黄龍王の神剣。
その一振りは、息子の持つ剣を折るつもりで振るわれた。
実力の違いを、格の違いを見せつける事で息子の戦意をも折る。
その目論見は失敗した。あの剣はただのミスリルではない。
魔石で、アルマ自身の魔力で強化された剣。その奥底にはドス黒い物を感じ取った。
一体何が、息子を歪めたのかとネストルは切歯した。
「……ッ! やるではないですか、父上!」
アルマは不敵に口元を緩ませる。
平穏な世で、ただ受け継いだ地盤をそのまま時間に流しているだけだと思っていた国王。
見くびっていた。自身はその実力を振るうことなく、年齢を重ねた者を。
それは単に平穏の世を紡ぎ続けてきた者の証だった。
力の程を見せなくても、相手に理解させていた。
ミスリアという大国を隠れ蓑にしていた、矮小な人間では無かった。
黄龍王の神剣が、神器が主を認めたのは血統によるものだけでは無かった。
アルマは初撃で受け入れた、国王の実力を。今まで、知らないでいたものを。
「アルマ。一体誰に、何を吹き込まれた!?」
「父上こそ、どうしてそれだけの実力を持ちながら!
いくらでも、どんなものでも手に入ったでしょうに!」
「お前は何も解っていない!」
「弱腰な男の考えている事など、解りたくもないッ!」
二人の刃が交わる度に、心は離れていく。
純真な息子に、悪意を吹き込んだ者は誰なのか。
迷いのない、心から自分へ刃を振るう息子の姿にネストルは心を痛めた。
一方のアルマは、国王に対して湧き上がる感情があった。
この感情は、嫉妬。あるいは憤怒。いや、ひとつの感情では言い表せそうにない。
王の座も、神器も眼前の男は持っている。本人がその気であれば、英雄の称号さえも容易く得る事が出来たであろう。
だからこそ、自分とは相いれぬ存在という事を強調された気がした。
力を誇示せずとも、相手を屈服させるだけの実力差。
耳障りはとてもいいだろう。気持ちがいいだろう。
だが、この男は解っていない。その者が消えた時に、何が起きるかを。
だから、自分が頂上に立つ。そして、世界に理解させる。
総てを手に入れる。
その目的の為に最もな邪魔な男を、排除する。
望まれ、愛され、人の上に立つ事を義務付けられた自分だからこそ出来る。
そう信じて疑わない。そのように、教えを受けた。
アルマは、剣に込める力を更に強めた。
……*
オリヴィアは、流水の幻影によって造られた自分の分身が消える事を察知した。
流水の幻影は、分身が得た情報を共有する事が出来る魔術でもある。
何が起きたかは、廊下を走るオリヴィアも当然、把握していた。
人間の限界を超える力まで、引き出す程の魅了。
いや、引き出すというには聞こえが良すぎる。
あれには、人間を使い捨てにしても構わないという悪意すら感じる。
ラヴィーヌが金色の瞳を露わにした、あの瞬間からなのか。それよりも、もっと前から時間を掛けて操られていたのか。
オリヴィアには判断がつかない。
自分の分身体が影響を受けなかった事から魔力の塊には影響が無いか、速効性が無い事ぐらいは予想出来るが。
いや、まだ可能性はあった。
異性にしか効力を発揮しない。そもそもラヴィーヌが自分を操るつもりが無かった。など、枚挙すればキリが無い。
どのケースにしろ、今この場で推察を重ねる事に大した意味は持たなかった。
分身が破壊され、挟撃は不可能となった。
それどころかラヴィーヌは勿論、操られたライラスにまで追われる可能性が出てきた。
どうするべきだろうか。
オリヴィアは、ラヴィーヌの立場になって考えてみる。
彼女は自分の足止めを成立させたい。第一王子やビルフレストと接触する前に。
いや、状況が変わったかもしれない。
雷光の檻の影響下にない自分が、こうやって自由に動いている。
自分が誰かにラヴィーヌの行動を伝えれば、そこから芋づる式にビルフレストまでたどり着く可能性は高い。
最優先は、自分の始末に変わった可能性もある。
どちらにしろ、その為にはラヴィーヌが自分へ追い付く事が必要不可欠だ。
第一王子やビルフレストの元へ向かうか、誰かに彼女の狼藉を伝えるか。
選択権はオリヴィアにある。ラヴィーヌは、彼女の思考を追跡かつ間違わない事が絶対条件。
そう思っているのであれば、オリヴィアの勝ちだった。
オリヴィアは迷う事なく、当初の目的。第一王子の部屋へと走る。
後はラヴィーヌがどう結論を出すか。オリヴィア・フォスターを、どう評しているか。
ハイリターンと、ローリスク。どっちを選ぶ人間だと、考えているか。
優位なのはまだ自分であると、オリヴィアは廊下を駆ける。
「あっ、オリヴィア様!」
懸命に掃除をしている侍女が、オリヴィアの姿を見て目を丸くする。
いつもの飄々とした態度からは考えられない全力疾走をしている姿に、侍女も驚いているようだった。
「すいません! また後で!」
軽く視線を合わせて、そのままオリヴィアは侍女を横切る。
ラヴィーヌの事を伝えて、戦闘能力の無い彼女達を巻き込むのは本意で無かった。
角を曲がった先で、人影が視界に入った。
ぶつかりそうになった身体を止めるため、オリヴィアは慌ててブレーキをかける。
既の所で、接触は避ける事が出来た。
「オリヴィア様。どうされたのですか?」
「……ドーンさん」
姿を現したのは、中年の男だった。
骨格のしっかりした、ライラスにも劣らない筋肉質な男。
ドーン・シュテルン。五大貴族シュテルン家の、分家の者。
そして、黄道十二近衛兵の同僚。
(どっち……?)
オリヴィアはじっと、彼の眼を見た。ライラスと違って、おかしな様子は見当たらない。
しかし、シュテルン家は元々第一王子派の人間だ。
駒として扱い辛いであろうライラスと違って、彼は長く黄道十二近衛兵の任に従事している。
ビルフレストとの付き合いも長い。
単純に彼らの仲間である可能性は高い。
ラヴィーヌの補佐として、この場所に配置されていると考えるのが妥当だろうか。
それなら、ライラスのように虚ろな眼でもしておいてくれた方が、却ってわかりやすいのだが。
「オリヴィア殿? ずっと私を睨まれて、どうされたのですか?」
「ああ、いえ……」
ドーンに言われて、オリヴィアはハッとした。
自分がどんな顔をしていたのか、判らなくなっている。
冷静な女を気取りつつも、その実態は焦燥感に支配されつつあった。
とはいえ、悠長に時間を使える状況ではない。
ここで逡巡している時間。その数秒ですら、今は惜しい。
「ドーンさん。単刀直入に訊きます。
ビルフレストさんと、何を企んでいますか?」
「ビルフレスト殿と? まだ戻られてからお会いしていませんが……」
「なら、結構です。では」
オリヴィアは一方的に会話を打ち切る。時間の掛かる押し問答をする気は無い。
ドーンがとぼけた顔をすると同時に、オリヴィアは彼の隣を横切る。
「ですが――」
刹那、ドーンが己の持つフレイルを力いっぱいに振る。
オリヴィアは咄嗟に水の牢獄を放ち、ドーンの身体を拘束する。
ゴトリと、フレイルの落ちる音が廊下に響いた。
「正体を現すなら、もっとタイミングを考えるべきでしたね」
警戒心を最大限まで引き上げている今、彼の立場になって考えるとこのタイミングでの攻撃は読めていた。
角で遭った瞬間に不意打ちをしなかった事で、オリヴィアに迷いが生じていた。
だから、自分に牙を剥くのであればその警戒心を解いた瞬間。
オリヴィアはそれを予測し、敢えて強引に横切る方法を選択した。
仮にドーンがシロであったとしても、自分の普段の立ち振る舞いならおかしくない範囲で採れる方法。
結果的にそれがドーンの選択肢を削り取った。
このまま素通りさせていては、自分の役目が果たせない。
その思考が、オリヴィアの警戒が解けていない可能性を思考から排除する。
都合の良い結果を求める為に、都合の悪い不安は捨てる。
結果として、それは彼女に読まれていた。
ドーンを拘束する水の牢獄は、詠唱を破棄したにも関わらずしっかりと彼を拘束している。
そのイメージがそのまま、彼への警戒心を現していた。
補足するならば、ギリギリのタイミングでオリヴィアも焦りはしている。
だが、そんな余裕のない姿を見せる必要はない。
強がりを見せるという行動自体が、彼女に余裕を残している事を現しているのだから。
決して、弱さを表に出してはいけない。姉なら、そうするはずだ。
「ぐ……。な、ぜ……」
「第一王子派の人間なんですから、疑われて当然でしょう」
オリヴィアはそれだけ言い残し、拘束されたドーンをその場に放置していく。
第一王子の部屋までは、もう少し。だったのだが。
「見つけましたわよ。オリヴィア様」
肩で息をするラヴィーヌの声が、オリヴィアの背中を震わせる。追い付かれた。
ゆっくりと振り向くと、そこに居るのは自分の知っているラヴィーヌからかけ離れた姿を見せていた。
髪はボサボサに乱れ、呼吸は乱れている。
前髪から金色の右眼と緑色の左眼。
こうしてみると、やはり蛇のような金色の瞳が異質なものだと強調されている。
「ラヴィーヌ。淑女なんですから、もっと身だしなみに気を付けた方がいいと思いますよ」
「ええ、今後は気を付けたいと思いますわ」
皮肉のつもりだったが、自分を見つけたという安堵からか。
それとも、追い詰めたという余裕からか。
いつもの不敵な笑みで、ラヴィーヌは答えた。
「思ったより、早かったですね。わたしが逃げるとは思わなかったんですか?」
真っ直ぐに追いかけてこない限り、こんなに早く追い付かれる事はないはずだった。
呼吸を乱す程の全力疾走で、自分の元へたどり着いた。それはどういうカラクリだというのか。
「オリヴィア様なら、私から尻尾を巻いて逃げるような真似はしないと思いまして」
「そいつは、どーも……」
成程、そういう考え方もあったか。と、オリヴィアは素直に感心をした。
相手の立場で物を考えているつもりだったが、どうやら自分の行動も読まれていたらしい。
「ラヴィーヌ殿……」
「まぁ。ドーン様ったら……。おいたわしい姿になっていますのね」
水の牢獄に拘束されているドーンが、眉を下げている。
その情けない姿を見たラヴィーヌが、金色の瞳でじっと彼を見つめた。
ドーンの顔がとろんとし、目が虚ろになる。
脱力した顔とは裏腹に彼の筋肉は限界を超えて膨れ上がり、ライラスと同じように水の牢獄を打ち破ってしまう。
反則的な能力だと、オリヴィアは舌打ちをする。
ライラスと同質のものであるなら、ドーンの攻撃は掠る事すら許されないだろう。
二人の連携がどれほどのものかは解らないが、接近戦の苦手な自分に捌き切れるとは思えなかった。
「……いいんですか? 廊下に侍女、居ましたけれど」
苦し紛れの言葉だった。
ラヴィーヌが今更、その程度の事で躊躇をするとは思えない。
「ご心配なく。あの侍女は、こちら側ですので」
「ああ、そうですか……」
という事は、エステレラ家とシュテルン家以外にも第一王子に加担する者が居る。
気軽に誰にでも援けを求められる状況ではない。
頭を悩ませる情報を、この場面で追加されてしまった。
「仕方ありませんね」
オリヴィアは杖を取り出し、先端に取り付けられた魔石を二人へ向ける。
戦闘を避けていた彼女が、正面を切って臨戦態勢を取ったという事実に、空気が一段階重くなった。
この女は、二対一でも油断してはいけない相手。
ラヴィーヌは、それを思い知らされている。
戦闘が始まる前特有の緊張感が、心臓の鼓動を早くした。
しかし、ラヴィーヌには知る由も無かった。
その時、既にオリヴィアの思考は次へと向かっているという事に。
彼女の狙いは、時間稼ぎへと変更している。
ラヴィーヌは決してビルフレストや第一王子の元へ向かわせないよう必死に妨害している。
同様に、オリヴィアにも護り抜かなくてはならない存在がある。
決してそれを悟られぬよう、オリヴィアは自分から攻撃魔術を放つ。
一秒でも長く、時間を稼ぐために。