97.牙を剥く悪意
オリヴィアがライラスと共に雷光の檻に捕らわれた頃と同時刻。
玉座の間では、親子が数年ぶりの再会を果たしていた。
「久しいな、アルマ。息災であったか」
「はい。お久しぶりです、父上」
玉座に座り、息子を見下ろすのはミスリア国王。ネストル・ガラッシア・ミスリア。
その隣には座るは王妃のフィロメナ。
フィロメナは、この場に居合わせたくなかった。
久方ぶりに見る庶子は、まだ顔つきに幼さを残していた。
それなのに、どこか不気味に感じてしまうのは気の持ちようからだろうか。
愛娘であるフローラに苦労を掛ける発端となった存在。
産まれてきたこの子に罪は無い。ただ、自分が跡継ぎを産む事が出来なかっただけ。
ただ、それが出来ればどのように運命が変わっていただろう。幾度となくそう考えてしまった。
夫はいい。息子と再会する日を、楽しみにしていた。
最近は国内でも胸の痛む出来事が起きていた。
ウェルカ領で起きた、人間が魔物に変わる。造り出した魔物に、人間を喰わせる。
そして、魔王の眷属すら呼び起こす。おぞましい事件。
病んだ気を取り戻すには、彼の存在はうってつけだった。
エステレラの管理下だというにも関わらず、当主であるサルフェリオは何も知らないと言うばかり。
捕らえたマーカスも口を閉ざし、その父であるダールは戦火の中で命を落とした。
何から何まで、受け入れ難い事件だった。
ネストルは勿論、フィロメナも多くの民が命を落とした事は悔やんでも悔やみきれない。
その報を受けて、アルマと同行したビルフレストが進言でもしたのだろうか。
予定を切り上げ、アルマがミスリアへ帰郷する旨の連絡が届いた。
夫は喜んだが、フィロメナは眉根を寄せた。
「それで、留学先はどうだったのだ?」
「はい。見識の広がる思いでした」
にこやかに交わされる会話。
留学中でどんな事を学んだか。
どの様な人物と交流を深めたか。
時には特産品についても触れ、ネストルの興味を引く。
なんて事はない。留学に行った息子と、久しぶりに談笑をする父の姿がそこにあった。
フィロメナはこの中で唯一、眉を顰めている自分が異常なのだとさえ思った。
このまま父子水入らずを、自分のしかめっ面で台無しにするのは忍びない。
席を立ち、二人きりにしてあげるべきだと思い立った時だった。
「――それで、父上。欲しいものがございます」
空気が変わった。
さっきまでの、父と子がおりなす和やかな雰囲気。
それと同じ声のトーンで発せられるにも関わらず、言葉に込められた威圧感は先刻までとは比が違う。
「なんだ、急に。遠慮せず言ってみよ」
ネストルも剣呑な雰囲気を感じ取ってはいた。
しかし、久しぶりに再会した可愛い息子が殺気を自分に向けるはずがない。
我が子への愛情が優先され、無意識化で殺気を受け流してしまっていた。
「ミスリア王国。その国王の座を、頂きたいのです」
驚く程すんなりと、はっきりと。そして、真っ直ぐな瞳でアルマは言った。
突拍子もなく放った言葉だというのに、本気だという事が伝わってくる。
「な……にを、急にっ!」
狼狽して声を上げたのは、言われた張本人ではなく隣にいるフィロメナだった。
当のネストルは、口を真一文字に結んでいる。
先ほどまでの和やかな雰囲気は、一瞬にして消えてしまっていた。
「いずれ僕が国王となるのです。
ならば、早い段階から父上には退いて頂いた方が、何かと都合がいいかと」
「……アルマよ。都合がいいとはどういう事だ?」
流石のネストルも渋い顔をしている。
いくら王位継承権が第一位とはいえ、はいそうですかと簡単に渡せるものではない。
「父上がミスリアの国王でいるこの時代は、とても平和なものでした。
ミスリア自体が既にその地位を確立しており、大国であるミスリアに牙を剥くような国も居ない」
「民が平穏に、幸福に過ごせて何が悪いのですか」
割って入ったフィロメナの言葉を、アルマは鼻で笑った。
「その結果がどうですか? 我が国は何も進歩をしていません。
世界に目を向けてください。ただ資源があるだけだった弱小国は、我が国に匹敵するだけの力を持っている。
あらゆるものが進化を遂げている中、我が国だけが何も変わってはいない」
「……お前なら、それが変えられると?」
「あなた!」
声を荒げたフィロメナを、ネストルは目で制した。
決して、アルマの言葉に揺れた訳ではない。多感な時期で、色々な事に影響されたであろう息子。
頭ごなしに否定するでなく、きちんと聞き入れたうえで答えるべきだという考えだった。
「ええ、世界中に理解してもらいますよ。ミスリアの力を。
じきに、この国を欲して世界中から刺客が襲い掛かってくるでしょう。
それだけではありません。様々な不幸が、世界を包むでしょう。ウェルカのように」
このタイミングで敢えてウェルカの名を出す。
何かを知っているであろうその口ぶりに、ネストルの顔が険しくなった。
ビルフレストは、ウェルカでの出来事に胸を痛めて帰国した訳では無い。
その可能性が、脳裏を過った。
「アルマ。何を知っている?」
「お答えしたところで、父上には理解していただけないでしょう。
後の事は、僕にお任せください」
アルマは、鞘から剣を引き抜いた。
様々な美しい装飾の施された、ミスリル製の剣。いくつか、魔石が埋め込まれてもいる。
その切っ先を、国王へと向ける。
「父上は、ここでご退場を」
「あなた……」
「フィロメナよ、下がっておれ。どうやら、アルマは本気のようだ。
目を覚まさせてやらねばならん」
国王は立ち上がる。奥歯を噛みしめながら。
息子の蛮行。その真意を知る為に。
……*
「やはり、こうなったか」
玉座の間。その扉の向こう側で、ビルフレストは呟いた。
表向きは親子水入らずを邪魔しないようにという配慮。
本当の理由は、玉座の間を自身の魔術による結界で内部に閉じ込める事だった。
主君には、勿論了承を得ている。
国王を超えるのは自分であると、彼本人の願いでもあった。
故に、ビルフレストの目的は目撃者を生み出さない事。
万が一、中に居るフィロメナが逃げようものなら瞬く間に城内へ知れ渡るだろう。
繋がりの深いフォスター家が、妨害を働く事は想像に難くない。
神器を持つアメリア・フォスターは王都から遠ざけた。
ウェルカでの邪魔をされた事は想定外だったが、結果的に厄介な彼女をこの場から遠ざける事が出来た。
後は、その妹であるオリヴィア・フォスター。
彼女の動きは、アメリアと違って読みづらい。
故にラヴィーヌに足止めをさせている。
「……む」
ラヴィーヌの魔力。その質が変わった。
彼女に適合した力。邪神の力を、使用している。
まだ顕現していない、解放していない力。それ故、本領には程遠い。
それを理解していながら、ラヴィーヌは使用した。
(オリヴィア・フォスター。想像以上に厄介なようだな)
邪神の力はまだ想定を大きく下回っている。
本当の意味で成功したものは、まだ存在していない。
唯一、先日マギアで顕現に成功した個体でさえ神像の破壊により消えてしまった。
しかし、それは大いなる一歩だった。
神像から接続された魔力により、新たな力を得る事が出来た。
残る懸念は、不確定要素。
ウェルカで自分達を妨害した、マギアの者達。
そして、そのマギアで邪神を撃退した者達。
アメリアを含め、その誰もが王都にはいない。
今こそが、アルマやビルフレストにとって最大の好機だった。
……*
「……なんですか、ソレ」
金色に輝く、ラヴィーヌの瞳を見てオリヴィアは呟いた。
不敵に笑う彼女の顔。今までは苛立ちが先に来ただろう。だが、今は警戒心が先に表へと出てくる。
「焦らなくても、すぐに理解できますわよ。貴女は」
ラヴィーヌはそれだけ言い残し、廊下を駆け抜けるもう一人の自分を追いかけ始めた。
それまで頑なにその場を動こうとしなかったラヴィーヌとは、正反対の行動だった。
(という事は……)
余程、自分に好き勝手動かれるのは都合が悪いらしい。
オリヴィアはラヴィーヌの立場になって考える。
ライラスに誘導されて角部屋へ移動する前の自分は、第一王子の元に向かおうとしていた。
それを妨害された事を偶然と片付けるにしては、この状況は出来過ぎている。
やはり、鍵は第一王子。それと、恐らくはラヴィーヌの上役であるビルフレスト。
(と、なると……)
廊下を駆けるオリヴィアは、当初の目的通り第一王子の部屋へと急ぐ。
まだ、ラヴィーヌとの距離的優位はある。
他の黄道十二近衛兵に彼女の狼藉を伝えるという手もある。
信用できる者に逢えば、それも良いだろう。
あの金色の瞳が何をしでかそうとしているのかは解らない。
ただ、じっと見ていて気持ちの良いものでは無かった。
妙な焦燥感が足の回転を速めた。
雷の牢獄に捕らわれているオリヴィアは、手を腰に当てて高らかに言った。
「さあ、ライラスさん。わたしたちもここから出ますよ!」
雷光の檻は、術者の魔力供給により拘束力を強める魔術。
術者であるラヴィーヌが、もう一人の自分を追い掛けた事もあってその力は弱まっているはずだった。
可能な限り早く突破し、ラヴィーヌを挟撃したい。
出来るなら、自分の力を温存して。その為には、隣に居る脳筋の協力は必須だった。
しかし、その脳筋の様子がおかしい。
先刻から、一言も言葉を発しないのだ。
不意打ちを警戒して自分の前に立たせている為に、彼の表情が読み取れない。
「あの、ライラスさん?」
「……」
沈黙を保ったまま、ライラスが振り向く。
久方ぶりに顔を合わせた彼は、目の焦点が合っていなかった。
視線は決して、自分を見てはいない。
虚ろな顔をして、口元からはだらしなく涎を垂らしている。
正気でない事だけは、すぐに理解した。
ライラスは手に持つ斧を、ゆっくりと振り上げる。
逞しい上腕二頭筋が、雷光に照らされて陰影をはっきりさせる。
「……もしかしなくても」
そのまま、ライラスは斧をオリヴィアへ向かって打ち付ける。
咄嗟に後ろへ下がる事で回避をしたが、砕けた床の破片が彼女の華奢な身体を打ち付けた。
「ですよねっ!!」
痛みに堪えながらも、彼女は分析を止めない。
ライラスの顔は正気でない。視たままに述べるなら、操られているというべきか。
走り去ったラヴィーヌの立場になって、考える。
彼女は廊下に居る自分を優先した訳ではない。両方を潰す事を選択したのだ。
それは廊下の自分も放置できない事を意味している。
つまり、自分の方向性自体は誤っていない。
次に、ライラスはいつ操られたか。
素直に考えれば、彼女が髪をかき上げた瞬間。金色の瞳によるものだろう。
もしかすると、それより先に操られていた可能性もある。無意識化でラヴィーヌに操られて、自分をここへ導いた可能性。
どちらにしても、吸血鬼族が扱う魅了のような術に掛けられたのだろう。
吸血鬼族がミスリアで発見された例はない。オリヴィアも文献のみでしか、その能力を知らない。
魅了は瞳で見つめた相手を虜にする事で、意のままに操る者だと伝えられている。
ライラスの状況は、言い伝えと合致している。
ならば、どうしてその瞳をラヴィーヌが持っているのか。移植をしたとしても、それは果たして人間が使用する事が出来る代物のか。
そもそも、似た性質を持つだけで金色の瞳が吸血鬼族のものである保証もない。
オリヴィアは少しだけ考えたが、頭の中を切り替える。
それを検証する事は出来ない。検証する必要も無い。
目の前に居る脳筋が操られた事実に変わりはない。
ならば、それを締め上げるのが自分の役目だ。
垂らした涎を飛び散らせながら、ライラスは斧を薙ぎ払う。
その唾液が服へと付着した事に、オリヴィアは顔に皺を寄せた。
お返しだと言わんばかりに、水のリングが彼の身体を拘束する。
「……水の牢獄」
飛び散った涎を心底嫌そうに払いながら、オリヴィアは魔術を放った。
姉の得意魔術である水の牢獄。
何度も、何度も見せてもらった事もあり、イメージは自分の中で出来上がっている。
「ライラスさん。後で覚えておいてくださいね」
オリヴィアは毒づいたが、正気を失っているライラスへは届かない。
別にそれでも良かった。後で自分が一発、脛に蹴りでも入れてやればいいのだから。
ラヴィーヌは何処まで追い付いているだろうか。
挟撃を成立させる為には、自分がここから脱出しなくてはならない。
今なら、強めの魔術で破壊できるだろうか。
「大気に散りし水の精よ、その御身を集結し――」
一撃でこの檻を破壊できるであろう水魔術。その詠唱を唱えている時だった。
水のリングが弾け、飛び散った水滴がオリヴィアの顔を濡らす。
「……ええっ!?
ちょっと! マジですかっ!?」
水の牢獄を力づくで破っているライラスの姿が、そこにはあった。
縛っていた脚と腕。そして手首からは裂けた肉から血が滲んでいる。
流石に、水の牢獄を無理矢理突破してくる事は想定していなかった。
というより、力づくで突破できる強度ではない。
脳のリミッターが解放されているかのような、常軌を逸した筋力。
攻撃魔術のイメージを練っていたオリヴィアが再び拘束に頭を切り替える為に要した時間は、僅かなものだった。
だが、不意打ちとなった事もあり、その一瞬が命取りだった。
人間の限界を超えた力で打ち付けられた斧は、オリヴィアの身体を真っ二つに割いた。