96.二人のオリヴィア
「うおおおぉぉぉぉ!」
ライラスがその筋肉に任せた大振りで、雷光の檻に斧を打ち付ける。
雷の檻がバチバチと火花を散らし、刃を弾く。
そのまま斧を伝い、ライラス本人の身体を痺れさせる。
思わず手を離してしまい、斧がゴトリと床に転がった。
「……真面目にやってます?」
「勿論、やっているに決まっているだろう!」
じっと睨みながら怪訝な顔をするオリヴィア。
慌てて否定するライラスだが、彼がさっきからやっている事は力任せの破壊を試しているに過ぎない。
「氷精よ。無数の凍てつき槍が総てを貫く事を赦し給え。凍撃の槍」
宙に、無数の氷柱が現れる。本来なら大きな氷の槍を生成する魔術だが、オリヴィアは詠唱に一文を加える事で複数の生成を行う。
そのまま先端をラヴィーヌへ向けて、凍撃の槍を射出した。
しかし、雷光の檻に触れた瞬間から凍撃の槍は分解され崩れていく。
ガラガラと音を立て、氷の山が積み重なる。
「あらあら。オリヴィア様らしくもない。
そんな可愛らしい魔術で、私の雷光の檻が破れると思っていたのですか?
それとも、本心では私とお話がしたかったのかしら?」
「相変わらず、嫌味たっぷりですね」
くすくすと笑うラヴィーヌに、オリヴィアは頬をひくつかせる。
挑発だと解っていても、やはり彼女とはウマが合わない。
「いえいえ。そのような邪推をされても困りますわ。
オリヴィア様を評価しているからこそ、こうやって見張らせていただいておりますので。
尤も、これを機にお互いを知って仲良くなるのも悪くないとは思っていますけれど」
「……じゃあ聞きますけど、貴女の背後にいるのはビルフレストさんですね?」
「なにっ!? そうなのか!?」
(本当にこの脳筋は……)
このタイミングで事が起きて、ライラスは本当に何も気付いていなかったのか。
オリヴィアは思わず舌打ちをしそうになるのを堪える。
「私がそれをお答えになると思いますか? お話をすると言っても、話題ぐらいは選ばせて頂きますわ」
「ああ、そうですよね」
期待はしていなかったが、やはり教えてはくれないようだ。
ラヴィーヌは警戒している。余裕を見せた所で、万が一にオリヴィアを逃がしては全てが水の泡となる。
そして、オリヴィア・フォスターはその可能性を万が一以上の確率で引き起す危険性がある。
「わたし、やっぱりラヴィーヌの事は大嫌いです」
じっと、オリヴィアは檻の向こうに居るラヴィーヌを睨みつける。
その様子が面白おかしくて、ラヴィーヌはくすくすと笑っていた。
「私も、やはりオリヴィア様の事は好きになれそうにありませんわ。
気が合いそうなのに、残念ですわ」
「口の減らない……」
オリヴィアは奥歯を噛みしめながらも、状況を整理する。
雷光の檻は、内外互いの干渉を阻害する雷の魔術。
話をしようというのは、ラヴィーヌが一方的に攻撃出来ない事を意味している。
今更、弓を引くのを躊躇しましたという訳では断じてない。
一方で、彼女は自分の扱いに困っているだろうと推測をした。
閉じ込めておきながら、放置が出来ない状況。つまり、こちら側にも切り札がある可能性を考慮している。
自分が自由になる事を、彼女は恐れているのだ。
その考察が当たっているのであれば、ライラスは確かに敵ではないのかもしれない。
オリヴィアは、ライラスの眼をじっと見つめながら問う。
「ライラスさん。ほんっっっっとうに、ラヴィーヌの仲間じゃないんですよね?」
「違う! 断じて違う! その証拠に、一緒に閉じ込められているではないか!」
「そんなのはどうにでもなります。例えば、わたしを始末した後に出してもらうとか」
「物騒な事をポンポン思いつくな……」
目を丸くして驚くライラスを見て、本気で気付いていなかった事を把握した。
現状だけ言うと、彼は本当に巻き込まれただけかもしれない。
もしくはある意味で動きが読めないので、一緒に封じ込めようと考えたか。
しかし、どうしても説明のつかない事がひとつ残っている。
「ライラスさん。わたしを追いかけた時、この部屋に誘導しましたよね?」
「い、いや。自分はそのつもりは……」
「だったら、どうして訊いた時に答えなかったんですか?
ラヴィーヌのグルじゃないなら、答えられたはずでしょう」
しつこく追い回しておきながら、ライラスは不意に大人しくなった。
それがどうしても腑に落ちない。
「それは、その。何故ここに来たかまでは……。
ただ、自然と足が赴いたというか……」
オリヴィアは眉を顰めた。
確かに自分は、ライラスと共に第一王子の元へ向かう事は避けた。
その結果、角部屋に到着をした。
前を歩いていたのは自分とはいえ、結果的にライラスに誘導された形となる。
彼がそんな小賢しい策を取れるとは思っていない。それだけは、自信を持って言える。
だから、他の誰かの意思が働いていると思った。
実際、それは正しいのだと思う。
それなのに、当の本人がよく解っていないのだ。
無意識下なのか、そもそも操られている事に気付いていないのか。
「そうですわ。私はオリヴィア様とライラス様が歩いているので、その後を尾けさせていただいただけですの。
ライラス様は、何も知りませんわよ」
「ラヴィーヌは黙っておいてもらえます?」
彼女の言葉に耳を傾けてはいけない。
きっと本質の外へ誘導されてしまう。ここで時間を喰われているのがその証拠だ。
(仕方がない……)
オリヴィアは腹を括った。
自分がここに捕らわれていてもやりようはある。
ここに彼女を足止めできているという点では、現状維持でも構わなかった。
不確定要素は、ライラス。彼が敵か味方か、確信が持てない。
それを炙り出したかった。
「ラヴィーヌ。わたしに一杯食わせたつもりなのはいいですけど。
この檻、ちょっと作りが甘いんじゃないですか?」
砕けた凍撃の槍の破片。まだ溶けずに残っているそれを、雷光の檻へ放り投げる。
バチバチと氷の礫を弾き、今度は粉々となり蒸発していく。
「ふふ。負け惜しみですか? 私の雷光の檻に歯が立っていないようですけれど」
「いえいえ。確かにすごいですよ。わたしなんかじゃ、触った瞬間黒コゲですね。
まあ、触る必要すらないんですけど」
「……は?」
ここに来て、初めてラヴィーヌの顔が動いた。
ずっとスカしていた彼女の顔が引き攣るのを、長い前髪からでも確認する事が出来た。
「雷光の檻は、貴女の周囲総てを取り囲んでいます。そんな嘘で……」
言いかけた言葉を、ラヴィーヌは呑み込んだ。
誰も通らない、城の隅に追いやったはず。それなのに、コツコツとわざとらしい足音が廊下に響き渡る。
このタイミングで、都合よく誰かが現れた。
そんなはずはないと、ラヴィーヌは音の鳴る方へと顔を向ける。
ややウェーブのかかった、肩に触れるぐらいの青い髪。
端正な顔立ちと、無邪気さを残す立ち振る舞い。
絶対に、居るはずのない存在。オリヴィア・フォスターが、廊下に居た。
「――なっ!?」
ラヴィーヌは雷光の檻に囲まれた部屋を、再び眺める。
そこには間抜け面を晒しているライラスと、不敵な笑みを浮かべているオリヴィア。その二人が確かに居た。
オリヴィア・フォスターは、確かに部屋に居た。
廊下を歩くオリヴィアと、部屋に閉じ込められたオリヴィアを交互に見る。
目に見える違うは、全くない。両方、本物にしか見えない。
ラヴィーヌの眼には、そう映る。
「わたしが何を研究しているか、教えてあげましょうか?」
したり顔で、部屋に閉じ込められたオリヴィアが言った。
「主に探索や捜査関連の魔術ですよ。
魔術で造った分身体が居れば、かなり危険を減らせますからね。
この魔術は流水の幻影。見事な分身でしょう」
人差し指をぐるぐる回しながら、オリヴィアは得意げになる。
彼女は本当の事を、全て教えた訳ではない。
あくまで、ラヴィーヌの意識を割く為の手段として話したに過ぎなかった。
オリヴィアが研究しているものは、探索魔術ではない。
魔術による、人間の転移。魔法陣を用いて、召喚術で魔物を召喚する技術は確立されている。
しかし、それは術者の元に呼び寄せているだけ。
オリヴィアは逆に、指定した位置へ自由な移動が出来る事を求めていた。
生憎、研究は思い通りに進まず。人間どころか物体の転移すら成功していない。
術式自体は構築できそうなのだが、転移先に魔力を用意する手段がネックとなっていた。
一人で秘密裏に行っているので、その事を知っている者は居ない。
アメリアやフローラにすら、恥ずかしいので話せていない。
その過程で、ある程度の魔術があれば行けるのではと思い立って創った魔術。
それが、流水の幻影だった。
尤も、流水の幻影による魔力の分身でも転移は成功しなかったのだが。
故に、流水の幻影の構築に探査能力は求めていない。
術者からある程度離れると、魔力の塊は霧散してしまう。
「さて、ラヴィーヌに本物が見抜けますかねー?
わたしの事、何も知らないラヴィーヌが」
分かりやすい挑発と思いつつも、ラヴィーヌは顔を引き攣らせる。
罠に嵌めたと思っていたら、嵌められていた。これ以上の屈辱は無い。
(落ち着きなさい、ラヴィーヌ)
凝視をしても、どちらのオリヴィアが本物かは見分けがつかない。
彼女の言う通り、表面的なものしかオリヴィアを見ていなかった。
常に第三王女とお茶会をしているお調子者。
ただ、生まれ付いた魔術の才能を振り回しているだけの者。その実力に、精神が追い付いていない者。
ビスフレストの元で研鑽を続けていた自分が、肉薄さえすれど劣る事はないと思っていた。
その認識を、改める。
オリヴィアを認めた時、ラヴィーヌは少しだけ冷静に二人のオリヴィアを視る事が出来た。
現状で、言葉を話したオリヴィア。魔術を使ったオリヴィア。それは、部屋に捕らわれている方のみだった。
彼女は、分身を造ると言った。それはあくまで、見た目だけの話ではないだろうか。
雷光の檻を突破する為に、自分の集中力を削ごうとしているのではないだろうか。
安い挑発はその為ではないだろうか。ラヴィーヌは、そう結論づけようとした時だった。
「あれれー? ラヴィーヌ、悩んでいるみたいですね」
部屋のオリヴィアが、口角を上げる。
挑発に乗る者かと、ラヴィーヌも不敵な笑みを彼女へ返す。
「その手には乗りませんよ。廊下の貴女が、分身ですわね。
ただ歩いているだけ。唐突に現れたのが、何よりの証拠です」
「そうですか。廊下側にしましたかー。
じゃ、答え合わせですね」
廊下に居るオリヴィア。彼女がラヴィーヌの方へ身体を向ける。
手を翳したそれは、威嚇のようにも見えた。
「嘘ですわね。生憎、それぐらいでは……」
「凍撃の槍」
「――なんですって!?」
詠唱を破棄し、放たれる一本の氷槍。凍撃の槍。
それは、廊下にいるオリヴィアから放たれた。勿論、魔術名を口にしたのも同様だった。
雷光の檻を解除する訳に行かないと、咄嗟に魔力を練り上げただけの壁でラヴィーヌは受け止める。
詠唱を破棄して、更に小型化されたイメージだったからか。砕けた破片が彼女のローブを裂く程度の威力に留まる。
「へえ。これで檻を解除してくれれば楽だったんですけど。
ラヴィーヌ、中々やりますね。ま、わたしはこれで失礼します!」
廊下側のオリヴィアは、そう言って手を上げると廊下を駆け抜ける。
軽快な足音が廊下に響き、段々遠くなるのが判る。
「……ッ!」
ラヴィーヌは混乱と共に、選択を迫られていた。
どちらも言葉を発し、魔術を使用した。何なら、廊下側は詠唱を破棄までしてみせた。
つまり、分身のあるなしはもう関係ない。自由なオリヴィアが、そこにいる。
「ほらほら、わたしが行っちゃいますよー。
あ、でも。ラヴィーヌはわたしとお話するんでしたっけ?」
立場が逆転したと言わんばかりに煽るオリヴィアに、ラヴィーヌは苛立つ。
彼女は解って言っている。雷光の檻は、術者が離れれば離れるほどにその威力が弱まる。
逃げたオリヴィアを追えば、捕えているオリヴィアが自由になる可能性が高まる。
優位に立っていたつもりが、逆転している。
あちら側も、まだ終わっていないだろう。
オリヴィアが遭遇する事は絶対に避けなければならない。
どんな邪魔をしてくるか判らない。それがこの一瞬で理解させられた。
「……仕方ありませんね」
まだ不完全で、接続も安定していない。
この状況で、これを使う羽目になるとは思わなかった。
しかし、ビルフレストも第一王子も解ってくれるだろう。
自分は、一番重要な事が何かを解っている。
ラヴィーヌは、右眼を覆っていた前髪を上げる。
「……なんですか、ソレ」
蛇眼のような金色の瞳が露わになる。
以前の彼女とは、明らかに違う瞳だった。彼女の眼は、緑色をしていたはずだ。
吸い込まれそうなほど、美しい瞳なのに。
オリヴィアは、それがとても不気味に思えてしまった。
このまますんなりは終わらせてくれない。
彼女の怪しく光る瞳が、そう語っていた。