90.混沌が生み出される
襲い掛かる二体の魔造巨兵。
大雑把な動きだが、その拳を正面から受ければひとたまりもないだろう。
ピースは神経を削りながらも魔導刃や魔術で生み出した風を駆使し、それを抑えつける。
同時に、違和感が彼の脳裏にこびりついて離れない。
かつて見ていたロボットアニメの話をマレットへした際、彼女はそれを魔造巨兵だと言った。
この世界で適切な表現を当てはめるなら魔造巨兵となるのだろう。
実際、目の前にいる魔造巨兵はロボットと言っても差支えがなさそうだった。
どういう原理で魔造巨兵が生み出されているのか。それをピースに知る由は無い。
魔造巨兵自体を魔術で生み出しているのか。それとも、元々この形が存在したうえで動かされているのか。
ただ、魔術の一種であるという事はマレットから聞かされている。
だから、おかしいと感じた。
魔造巨兵を動かすという事は、動かしているあの女は魔術師という事になる。
マレットは言っていた。この国に、高名な魔術師は居ないと。
これだけの質量を人間のように操れる者が、大したことないと言えるのだろうか。
大雑把に見ても、魔導刃を起動できそうに思えてしまう。
「あら、すばしっこいですわね」
「チビなもんでしてっ!」
時に左右から、時には隊列を組み襲い掛かってくる魔造巨兵の攻撃。
捌く事に精一杯で、思考をまとめる事もままならない。
「こんの……っ!」
若草色の刃を魔造巨兵の肩口に叩きつける。微かに刃が食い込み、傷をつける。
フェリーがやったように、そこから思い切り魔力を込める。
魔導刃を中心として風が魔造巨兵の肩を抉っていく。
やがて自重に耐えられなくなった腕が、魔造巨兵の身体から崩れ落ちた。
ローブの女は、驚きで声を漏らしていた。
そんなはずないと。魔力を込めた、魔術の結晶である魔造巨兵が砕かれるはずはないと。
(あれは……)
ピースもまた、砕かれた魔造巨兵の肩。その断面が覗かせる物に目を奪われていた。
透き通った石が、蝋燭の灯りを反射している。あれは、マレットの屋敷で何度も見た。
「まさか、魔石?」
この魔造巨兵は、表面だけ取り繕っていて、中身は魔石で固められているのかもしれない。
だから、術者自身の魔力が低くとも魔石に貯えられている魔力がそれを補助してくれる。
そうやって取り繕われた存在ではないだろうか。
彼女の動揺が、答え合わせをしていると思った。
最初こそ余裕ぶっていたが、魔導刃で腕を破壊した時に明らかに狼狽えていた。
そんなはずはあり得ないと。
ピースが落としたのは、二体いる魔造巨兵の片割れ。そこから漸く砕いた一本の腕。
形勢を逆転する程のものではない。何なら、無傷の魔造巨兵がもう一体いるのだ。
熟練の魔術師であるなら、この程度は危機だとは思わないのではないだろうか。
そう思った時、ピースの心に余裕が生まれた。
魔造巨兵と戦闘になった時から、ずっと感じている違和感がある。
石像に向かって、言葉を紡ぎ続けているセイブルの者達。
彼らはこの女に加勢する気配を一向に見せない。
それどころか戦闘を見ようともせず、一心不乱に念を込めている。
やはりこれは詠唱なのだと、ピースは断定した。それ故に違うイメージを巻き込まないようにしているのだと。
同時に好機だと思った。魔法陣でも、石像でもどちらでも良い。
ローブの女が油断しているこの隙に、組み立てられようとしている魔術。その中心にある石像と魔法陣を破壊する。
「いっけえええええ!」
魔導刃に魔力を込め、空気の刃を石像へ向かって放つ。
こういう時こそ、詠唱やイメージを必要としない魔導刃は真価を発揮する。
魔造巨兵やローブの女が反応する時間を与える事なく、空気の刃は石像へ向かって伸びていく。
しかし、ピースの思い通りには事が進まなかった。
魔法陣や黒いローブの集団。その手前で、風の刃は透明な何かにぶつかる。
宙に亀裂を生み、風の刃は解けて大気中へ還っていく。
「なっ……」
ピースは驚きで身体が強張るが、すぐに力を抜いて冷静さを取り戻しにかかる。
風の刃が届かなかった事よりも、空間に亀裂が入った。その事実を受け止める事にした。
自分がいつも練習している、無詠唱で咄嗟にイメージが出来る魔術。
ただ風を生み出すだけの基礎的なもの。それを、亀裂の出来た方向へ放つ。
破壊力はゼロに等しい。魔導刃の刃ですら破壊が出来ない物を、こんなそよ風でどうにか出来るとは思っていない。
だから、確かめるだけだった。
風はその空間に通り過ぎると思われたが、一部がはじき返されるようにピースの前髪を持ち上げる。
そして、残りの一部が口笛のような妙な音が部屋を震わせた。
(やっぱり)
不自然に戻ってくる風。そして、空間に刻まれた亀裂。
そこにあるのは、壁。魔力で作られた、透明な壁だった。
これも魔石を使って生み出しているのだろうか、かなり強度のように思える。
その安心感故に、壁の向こう側では詠唱を続ける事が出来ているのだろうが。
兎に角、あの詠唱を完成させる訳には行かない。
先刻、魔造巨兵の腕を破壊したように、亀裂へ魔導刃を差し込み風を発生させる。
壁さえ破壊してしまえば、魔術の妨害をするのは容易だ。
力強く一歩を踏み出したピース。それを阻害するように、真横から強い衝撃が与えられる。
小さな身体は部屋の端まで吹っ飛ばされ、ゴロゴロと石の床に身体が打ち付けられた。
「……がはっ!」
口の中に滲む血の味が不快だった。
飛ばされた衝撃で、掌から魔導刃が転がり落ちる。
(まずい! まずいまずいまずい!)
すぐに拾わなくてはいけない。ピースは口に溜まった血を吐き捨て、身体を起こそうとする。
魔導刃が無ければ、自分なんてちょっと魔術が使えるだけの子供だ。
焦るピースを見て、逆に冷静さを取り戻したのがローブの女だった。
どうにかしないといけない。その一心で動かした魔造巨兵の一撃が流れを変えた。
色々と、運が良かった事もある。
念の為にと張っていた魔石による魔力障壁。それが儀式を破壊されるという最悪の事態から守った。
その少年が魔力障壁を破壊する為に動き出した。
魔造巨兵の腕を破壊するような子供だ。一体どんな手段を用いるか解らない。
現に、一撃で魔力障壁へ亀裂を入れている。
だから、細かい芸など考えずに魔造巨兵を突進させた。
結果的に、それが功を奏した。扱い慣れていない、自分自身の魔力では到底扱えない魔造巨兵を自在に動かせる事で調子に乗っていた。
そのまま、操作性を重視していたならピースが冷静に対処をする余裕を与えていた事になる。
そして、彼は今慌てている。
持っていた武器が手から離れただけで、狼狽えている。
あの武器は魔導具だ。恐らく、ベル・マレット謹製の。
どんな経緯でこんな子供が手にしているか、ローブの女に知る由もない。
だが、その厄介さは身をもって味わっている。
女はピースの手の届かない所へ、魔導刃を蹴り飛ばす。
そのまま、魔造巨兵の腕でピースの身体を床へと押し付ける。
「ぐっ……。はな……せっ!」
腕を抑えられ、頬が平になるほど床へと押し付けられる。
抵抗を試みても、子供の力で魔石の塊である魔造巨兵を持ち上げる事が出来るはずもない。
「ふ、ふふ。いい気味ですわね」
ローブの女は思わず吹き出しそうになる。
さっきまで、自分の操る魔造巨兵すら破壊する子供。
そんな危険人物が、今度は自分の操る魔造巨兵に抑えつけられている。
腕の一本でも折ってやろうか。脚のひとつでも潰してやろうか。
そうすれば、この子供は悲鳴を上げるだろうか。
滑稽で、また笑みが零れてしまう。
(いや、いけませんわね)
優位に立った事で緩んだ気を、引き締め直した。
次は何をしでかすか解らない。この子供は、危険だ。
その一方で、こうも思う。邪神に捧げる供物として、これ以上の素材を見つける事は難しいのではないかと。
ローブの女はピースを見下し、言った。
「あなたは、邪神様へ捧げさせていただきますわ。
ですから、もうしばらく大人しくしておいてください」
「誰がそんな事を!」
ピースは抵抗を試みても、がっちりと魔造巨兵に抑えつけられて動く事が出来ない。
魔導刃無しの、自分の魔力では魔石の塊には到底叶わない。
「――常闇より培われし――……。総てを――」
焦燥するピースの鼓膜を、大勢の人間の声が揺さぶる。
所々止まりながら、しっかりとイメージを練られていく魔術。
中心に置かれた石像は黒い模様が左腕から肩を通り、身体へと浸食している。
魔術が確実に進行している証だった。
(どうする、どうするどうする……)
焦っても、自分の腕力や魔力が急激に上がる事は無い。
抵抗を試みるほどに、魔造巨兵の力は強まって床に密着する面積が増えていった。
ピースはひたすらに考えた。何か、こんな自分に出来る事は無いのかと。
焦りが呼吸を浅くする。地に溜まった埃が鼻や口に入るが、気にしている余裕が無かった。
「冥府の力を我が物とし、哀れな者に裁きを――」
その単語が切っ掛けだった。『冥府』という、『死』を連想させる単語。
固唾を呑み込む。じっくりと、黒い面積の増えていく石像。思い出されるのは、ウェルカでの出来事。
そのふたつは共に、ピースがこの世界に来てすぐに体験した出来事を思い出させる。
脳裏を過ったのは、ミスリアでアメリアが自分に魔術を教えてくれた際に語った事。
ひとつ。たったひとつだけ、今の自分に出来る事を思いついた。
「おれは、一度死んでいる! 死んで、この世界で生き返ったんだ!!」
何を言っているのだと、ローブの女が眉を顰めた。
詠唱をしている者達は、言葉に淀みを見せたが止まるほどではない。
「冥府? あの世だろ。おれ、知ってるよ。アンタら、本当にそれちゃんとイメージできてる?
教えてやるよ! あの世は真っ白でさ、意外とあったかいんだよ!」
傍から見れば、それは子供の妄言だろう。
もし街中でこんな事を言っていれば、ピースの姿が見えなくなった後に話題として扱われる程度だ。
今だって、詠唱をするローブの人間に迷いを与えられたかは微妙だった。
だから、ピースは敢えて混ぜた。自分の言葉を、イメージを、魔力に乗せて。
魔力障壁の亀裂を通り、それは確実に石像へ干渉していた。
この場の誰よりも強い魔力を持つピースの魔力を、石像が享受しない理由は無かった。
「それでさ、人間もみんな白くなっちゃうんだ。そんで、色んな景色が見えてさ!
おれは、この世界が綺麗だと思ったんだよ! 緑がいっぱいで、空も海も大地も、綺麗だと思ったんだよ!」
彼らの詠唱を台無しにしようと、精一杯の言葉を重ねる。
思いつく限りの言葉で、ピースはあの白い世界を表現した。
石像へ言葉を送っていた者達が、ずっと石像へ送っていた言葉。段々と言葉を紡ぐ速度が遅くなる。
反対にピースは、どんどん言葉を紡いでいく。
正直に言うと、記憶は朧気で自分が言っている事が正しい表現なのかも自信が無い。
それでも続ける。続けなくては、良くない事が起きるという直感に従った。
「あなた……黙りなさい!」
「ッ……!」
魔造巨兵がピースの頭を、石床へ打ち付けた。
頭が割れて、血の染みが床を赤く染める。
言葉が止まっても、自分のイメージを魔力に乗せる事は忘れない。
絶対に邪魔をする。その強い意志が、ピースの意識を辛うじて保っていた。
ローブの女が、ピースの口を止めるために取った行動。
彼女が採る対策としては、何も間違ってはいない。
しかし、それは詠唱をする者達に迷いを与えていた。
マギアに高名な魔術師は居ない。それは本来の土地柄に加えて魔導具の発展が理由として絡んでいる。
だから、魔術を正しく学んだ者は数えるほどだった。
自分達より遥かに優れた魔力。子供ながらに、魔石で強化された魔造巨兵と渡り合える少年。
先刻見せた不自然な強さは、一度死んで生まれ変わった。その珍妙な話に説得力を与えた。
その少年の口を、力づくで封じた。その結果、無意識にピースを高名な人間だと認識する結果となる。
生まれ変わったと自称する男を、一瞬でも受け入れてしまった。
必然的に、ピースが見たという『あの世』の話を無意識に受け入れる。
個人差はあれど、受け入れてしまった。そして、その意思は統一できていない。
それでも魔力だけは、石像へ供給され続けた。しかも、ピースが魔力を送り、促進された形で。
結果、この場の誰もが望んでいない形で魔術は発動をした。
石像から、魔法陣全体に向かって闇が広がる。
狙いは失敗したかと、ピースが目を逸らした。
ローブの女は、邪神が降臨したとほくそ笑んだ。
刹那、広がった黒い闇の中心から白い光が新たに現れる。
全員の視界を、眩い光が覆った。
……*
「……っ」
ゆっくりと瞼を上げながら、ピースは視力を取り戻す。
機能を取り戻した瞳が映したのは、奇妙な生き物だった。
ふらふらと、細い二本の脚で左右に触れる物体。どうして立っていられるのか不思議な程、不安定だった。
大きく膨れ上がった腹と、真っ黒な左腕。黒光りするそれは、見るものに威圧感を与える。
まん丸の頭から、足の先まで白と黒が流線形に混ざり合った、男とも女ともいえない存在がそこに立っていた。
ピースの毛穴という毛穴が開き、脂汗が流れる。
防衛本能が、目の前の存在を拒絶していた。