89.ピースと廃教会
マナ・ライドを思い切り飛ばし、ゼラニウムの街から飛び出す。
慣れない運転で事故でも起きないように、ピースはなるべく見晴らしの良い道を選択した。
心理的な余裕が出来た所で、マレットの事を考える。
兵器や武器。つまり、人の命を奪う魔導具を作るように軍から言われたマレット。
彼女は断ったと言っていたが、そんなに簡単に諦めるだろうか。
ミスリアへ攻め込むと言った。そして、その手伝いをするようにマレットへ命じた。
彼女は断ったと言ったが、簡単に首を縦を振らない事ぐらい軍部だって解っているはずだ。
本当に、先にゼラニウムを発って良かったのだろうか。彼女の準備が整うのを、待つべきでは無かったのだろうか。
マレットは表には出す事は無いが、きっとかつて魔導石が大量の人を殺めた事を気に病んでいる。
その証拠が、魔導弾だ。
使用者を選ぶ魔導刃と違い、魔導弾は誰にでも使える。
そして、その威力はこの目で見た。魔術よりも簡単に放つ事の出来る、強力な武器。
消耗品だから、コストがバカにならないとマレットは言っていた。ピースには、それが本心とは思えなかった。
魔導弾を流通させない事が、彼女なりの答えなのではないだろうか。
誰にでも使える、殺傷能力の高い武器。不用意に世にばら撒いていい代物ではない。
持っているのは、シンのみだと言っていた。彼は道を踏み外さないと、心から信じているのだろう。
彼女はこうも言っていた。「神器を越える魔導具を生み出したい」とも。
ただ殺傷力だけを追求すればいい訳ではない。
生み出す者と、扱う者。ただ、無差別に、誰かの命を奪う道具にしない者。
それでも、本懐を成し遂げる為に力を必要とする者。
彼女が戦う力を授けたいのは、きっとそういう人間なのだ。
それがベル・マレットの矜持。彼女が、胸を張って生きる為の境界線。
軍部からの命令は、その境界線を土足で踏みつけるに等しい行為だった。
一方で、彼らは今まで踏み込まないよう保っていた距離を一気に詰め寄った。
その行動からも本気度が伺える。マレットは、本当に無事なのだろうか。
後ろ髪を引かれる思いを感じながら、ピースはマナ・ライドを走らせる。
……*
マギアの南部へ差し掛かったところにある小さな村、ポピー。
休憩と情報収集を兼ねて、ピースは一旦マナ・ライドを停めた。
「あの、ちょっとお尋ねしたいんですけど……」
「ああ、それはですね――」
食堂で軽く黒いローブの集団を尋ねると、驚く程簡単に情報が手に入った。
この街から西へ進んだ先にある街、ロベリア。
そこで、ある団体が最近活発に活動しているという。
自らがその名を名乗った訳では無い。だが、彼らは自然とこう呼ばれるようになったという。
「……セイブル」
ピースは食堂の給仕に教えてもらったその名を、復唱するように呟いた。
黒いローブを着て、魔導具からの解放を訴える謎の集団。
彼らは廃墟となったロベリアの外れにある廃教会を買い取り、日夜同志で集まって集会をしているという。
何を話しているかは、誰も知らない。そもそも顔を隠しているので、所属している人間とすれ違っても解らないらしい。
今のところ、延々と演説を語っているだけで特に害も発生していないとの事だ。
「ちょっと、気味が悪いとは思いますけどね」
給仕の娘は、料理をテーブルに並べながらそう言った。
一応、客商売だからか「今の話、ナイショですよ」と人差し指で口止めのポーズを取って見せていた。
(ふーむ……)
湯気の立ち昇る料理を睨みながら、ピースは鼻から息を吐きだす。
セイブルについては憲兵としても、しょっ引く理由が無いらしい。
だが、こうも考えられないだろうか。仲間だから、しょっ引かない。
このセイブルと呼ばれる団体が『神』、つまりは『邪神』を用いてミスリアへ牙を剥く。
対応に追われたミスリアが、著しく疲弊したところでマギア軍が侵略を行う。
そういう筋書きではないのかと。
「……まさかね」
いくらなんでも、穿って物を見過ぎだとピース自身も思っている。
根拠は自分の勘。ただそれだけ。
だけど、南部まで出向いた以上は調べない訳に行かない。
マレットだって、思う所があったからこそ自分にマナ・ライドを貸してくれたはずだ。
ここで中途半端に足を止める事は、一番やってはいけない事だ。
それでは何も解らない。何も生み出さない。
ピースは皿の料理を食べ終えると、ロベリアへ向けてマナ・ライドを走らせた。
……*
夕日が景色を茜色に染める中、ピースはロベリアの郊外へ到着をしていた。
小動物の喧騒もなりを潜め、静かな空間となっていた。
「あれか……」
件の廃教会は、すぐに見つける事が出来た。
二階建ての建物で、屋根には十字架が掲げられている。
趣を感じさせる木造の作りが、良く言えば自然と調和している。
悪く言えば……塗装が剥げて外観はボロボロだ。
すぐには見つからない場所へマナ・ライドを隠し、一歩ずつ廃教会へと近付いていく。
木の陰に隠れながら、様子を窺うが人が出入りしている様子はない。
時折吹く隙間風が声のように聴こえて、思わず身を震わせてしまうぐらいだろうか。
(行くしかないよなあ……)
生前、ピースは廃墟というものに縁が無かった。
特段苦手という訳ではない。怪談の類も、好きでも嫌いでもなくいたって普通だ。
ただ、それに関わる機会が無かったというだけ。
しかし、実際にそれを目の当たりにすると妙に身体を強張らせる。
何があるか解らない世界だからだろうか。
自分の直感が警戒心を露わにしているからだろうか。
それとも、単に自分がビビッているだけだろうか。
(よし!)
大きく息を吐き、覚悟を決める。
極力音を出さないよう、姿が見えないように廃教会の中へと潜入を試みる。
廃教会の中。入ってすぐの礼拝堂に変わった様子は無かった。
所々床が抜けており、歩くとギシギシと音を鳴らす。
もし建物内に人が居れば気付かれるかもしれないと、ピースは壁際にその身を張り付ける。
「なんだ……これ」
壁沿いに歩いていると、部屋の隅に小さな扉を見つけた。
木製の扉は、建付けが悪くなっているのかカタカタと揺れている。
ゆっくりと手を当てると、小刻みに揺れる扉の感触を得る事が出来た。
この扉は決して、隙間風で揺れている訳では無い。それならもっと、振れ幅があってもおかしくない。
この揺れ方は、もっと小さな振動を浴びてのものだと思った。
ある一定のリズムと、定期的に訪れる振動の区切れ。
(声……か?)
誰かが言葉を発している。その声の振動が、扉にまで伝わっているように思えた。
それも一人ではない。何人もの声が重なって震えを増幅している。
耳を当ててみるが、ぶつぶつと言っている事は解っても、詳細までは聞き取れない。
扉のすぐ向こうではなく、廊下を挟んでいるようだった。
ピースは扉の隙間から漏れ出る空気が妙に冷たい事に気が付いた。
建物の中だというのに、冷え切っている。
勿論、人が居なければそれを特段不自然に思う事は無かったと思う。
だが、扉の向こうでは声が聞こえるのだ。しかも、複数人の声が。
空気は暖まっているべきではないだろうかと、不審に思う。
(……よし)
軋んだ音など発さぬように、ピースはゆっくりと扉を開ける。
所々穴の開いた床が彼を出迎える。
ここを足音を立てる事なく、一発勝負で歩くのは流石に無理があるのではないだろうか。
ピースは頭を悩ませる。ここでずっと立っていても、事態が好転する事は無い。
ならばと、ピースは必死にイメージを浮かべた上でそれを具現化すべく言葉にした。
「空気の膜よ、我が身体を受け止め、流れを調和せよ。
この空間に平穏をもたらし給え」
ピースは小声で思い浮かべた詠唱を唱えながら、魔術を放った。
魔術名は、咄嗟には思いつかなかった。
しかし、詠唱されたうえで放たれた魔術は思った通りに発動し、自分の足元に透明の板が張られていく。
「……いけるか?」
アメリアは言っていた。言葉にする事で無意識に最適化されると。
そして、彼女の言う事は正しかった。足を置いても、床にまで届かない。
薄い膜がクッションとなり、床と自分の足の裏。その狭間で確かに存在している。
これならと、ピースは歩く速度を速める。
足音を殺して歩く。その様はさながら忍者のようだった。
声のする方向へ導かれるように、ピースは歩みを進める。
たどり着いた先は、石壁に囲まれた部屋だった。
この木造建ての廃教会で明らかな異質であるそれが、重要なものであると直感した。
息を潜め、石造りの壁に身体を貼り付ける。
ぴたりとつけた壁越しに、声が聞こえる。やはり、この部屋が音の発生源だった。
ぶつぶつと、複数の人間が同じ言葉を重ねている。
何を言っているかはっきりとは聞き取れない。
推測をするにも限界があると、ピースは音を鳴らさないよう、慎重に扉をずらす。
(……なんだ、あれ)
眼前に広がるは、奇妙な空間だった。部屋の壁に巡らされている蝋燭の発する灯りが、不気味さを増幅させる。
視線を動かし、出来る限りの情報を得ようと試みる。
部屋の中心にあるのは、人ではなく石像だった。左腕だけがどす黒く違う材質のようだった。
その石が光を吸い込んでいるようで気味が悪い。
石像を中心に、円と紋様、そして文字が描かれている。
恐らく、あれは魔法陣だろう。ウェルカで双頭を持つ魔犬が現れた際に、似たようなものを目にしている。
ただ、床に直接描かれた魔法陣は、あの時とは違う紋様だ。部分的に見えているのに、複雑という事だけが伝わってくる。
極めつけは、その魔法陣を囲むようにして手を組んでいる黒いローブの男女。
体躯の違いから若い人間も、老人も、子供さえも居るようだった。
頭を俯いて、ぶつぶつと呟くその様は祈りを捧げているようにも見える。
この光景だけでも、明らかにマトモな団体ではない。
一旦、身を引くべきかと思考を張り巡らせた時の事だった。
「――なあっ!?」
石壁に衝撃が走り、瞬く間に身体を預けていた石壁が瓦礫へと変わる。
九死に一生を得るとはこの事だろうか。その穴は自分の真横を貫いている。
下手をすれば、今の一撃で自分は瓦礫の山へと埋もれていた。
「お客さん? 呼んだ覚えはないのですけど」
穴の開いた壁の向こうから、黒いローブを着た女性がピースを見ていた。
間を挟むように立っているのは、二体の魔造巨兵。
今の大穴は、魔造巨兵によって開けられたものだとピースは察した。
「あ、ははは。ちょっと迷っちゃって……」
両手を上げて、敵意が無い事を示してみる。
黒いローブの向こうで、彼女がどんな顔をしているかを知る事は出来なかった。
「友達と探検してたら、廃教会が目に入っちゃったんです。
ごめんなさい! すぐに出ていきますから!」
見た目は子供なのだから、見逃しては貰えまいかと嘘を並べてみる。
その隙に、広がった景色を網膜に焼き付ける事も忘れなかった。
魔法陣はやはり、円の形を取られていた。中身の複雑な紋様は、自分が解読できる代物ではない。
中心に置かれた像は、基本的には石だと思う。しかし、あちこちに色の付いた半透明な石が埋め込まれている。
そして、やはり奇妙なのは左腕だ。悪意を煮詰めたような、どす黒い色の左腕。
そう。この世界に入って、あの色は見た事がある。
ウェルカでシンが破壊した球体。そして、マレットへと預けた指輪の石。それに酷似している。
祈りを捧げている黒いローブの男女も、円を囲むように配置する者と像の後ろに一直線で並べられている者。
その全員が、魔石を持っている。手に握る者、首から下げる者。それぞれだが、所持していない者は居ない。
ペラティスの話を思い出した。大量の魔石を集めている輩がいると。
眼前にいる集団はゼラニウムの古市で見たローブと同じものを着ている。
彼らも、ここに居る人間もセイブルの連中だったのだろう。
魔導具の解放を謳っていた彼らが、魔石を大量に集めていたのだ。
適切な理由かどうかは解らない。だが、ピースは魔導具の解放というのは建前に過ぎないと判断した。
マレットは大量の魔石を買い取っている。自分達も魔石が必要になったから、その需要を減らして自分達に回そうとしていたのではないかと。
最後に、石像を囲っている人達が呟いている言葉。今も淀みなく続いている状況が奇妙で仕方ない。
だが、同時にこうも思う。これは、祈りではなく詠唱だと。
同じ訴えかける言葉にしても、言葉を選んでいる感じがするのだ。
祈りならば、既に言う言葉は粗方決まっているのではないだろうか。
悩んでいる理由はそれが詠唱で、今まさに新しい魔術を生み出そうとしているから。
もしくは、中心の石像。そして魔法陣。これらを利用して、何かを企んでいるか。
どちらにしても、ピースはクロだと断定した。
こいつらは、ミスリアを混乱に陥れた奴らと何かしらの関係がある。
「迷い込んだ……ですか」
「そうなんです。勝手に入って、ごめんなさい!」
ローブの女が、ふふっと自分を鼻で笑う声が聞こえた。
平謝りをするピースを見て、彼女は微笑んだ。
「構いませんわ。丁度良かったです」
「……え?」
丁度良かったとは、何なのか。迷子に対する言葉として、不適切ではないのかと思う。
そう思った時には、ピースの脳内は戦闘態勢に入っていた。
「丁度、邪神様へ捧げる供物が欲しかったのですから!」
魔造巨兵の拳が、ピースを掴もうと伸びてくる。
身を屈めてそれを躱すピースだが、もう一体の魔造巨兵が横から腕を伸ばしてくる。
「やっぱ、そういうパターンか!」
魔導刃を起動し、若草色の刃を生成する。
咄嗟に風の塊を魔造巨兵へぶつけ、その反動で二体の魔造巨兵から距離を取った。
「へえ、やりますわね。邪神様に捧げるには、ちょうどいいですわ」
「いやいや、おれなんて不味いと思いますよ……」
ローブの女が、口元を緩める。
ピースの頬を、冷や汗が伝っていた。