88.マレットの決意
薄暗い部屋で、スタンド型の魔導具から発せられる光が手元だけを照らしていた。
ここはマレットの研究室。実質的に、寝室も兼任をしてしまっているが。
マレットは椅子の背もたれに頭を預け、天井を見上げていた。
見慣れたいつもの光景。染みの場所や数さえも暗記をしている。
こうしていると、掃除や食事を運んでいるピースが怪訝な顔をしてこちらの様子を窺ってくる。
からかうように「そっちからじゃ、ムネは見えないだろ」というとあからさまに動揺をしてくれるので面白い。
シンはからかいがいが無かった。その分、フェリーをからかって遊んでいた訳だが。
ピースが今の姿で居る事に疑問を持ち、仮説を立てた。
それには単なる知的好奇心以外の理由があった。
フェリーの不老不死。そのカラクリについて。
何度、どのタイミングで身体測定をしても体型や顔つきに変化が無い。
それだけではない。彼女はかつて、この屋敷で自らを傷付けた。
どれだけ血を流しても、瞬く間に治ってしまう。
爪や髪を切っても、怪我と同じように治ってしまう。
シンがかつて、毒を彼女に盛った事がある。
フェリーが同意した事とはいえ、その事を話すシンはどこか辛そうな顔をしていた。
それでも、彼女が死ぬ事は無い。体内に毒が残る事も無い。
マレットには、ある違和感があった。
自分ですら気付いているのだ。ずっと傍にいるシンだって、薄々勘付いているに違いない。
彼女は、本当に治っているのか。
治ったとして、どうしてまるで何事も無かったかのように消えてしまうのだろうか。
現象として、不適切ではないのだろうかと思う。
そう、どちらかと言えば戻っているという表現が当て嵌まる。
「……だから、どうだって話なんだけどな」
マレットはぽつりと呟いた。
治っているにしても、戻っているにしてもフェリーが不老不死という事実には変わりがない。
この違いが何を意味しているかは、まだ判別が出来ない。
それに、膨大な魔力をその身に宿した理由も解らない。
シンやフェリーの話を鵜呑みにするなら、彼女の魔力は後天的に身に着いたものだ。
まだ、何かが足りない。シンは何か掴んでいないだろうか。
尤も、次はいつ戻ってくるか判らない。
ならば、今持っている情報である程度の整理をしておく必要がある。
最近のマレットは、とても楽しかった。
ピースが色んな話をしてくれる。とても刺激になって、創りたいものが増えた。
魔導石も、もう一段階進化させる事が出来ると思った。
今は新型魔導石の開発に、フェリーやピースの体質。
シンがくれた『核』や土の調査もまだ終わっていない。
極め付けは新しい魔導具の製作と、時間がいくらあっても足りないぐらいだ。
まずは基点となる魔導石。
既に設計は済ませ、開発も大詰めに進んでいる。
後は試行錯誤で自分の望む形に仕上げていくだけ。
気合を入れ直し、完成させんと机と向き合う。
意識が魔導石に向かった、その時だった。
不意に、屋敷の呼び鈴が鳴る。
ペラティスが魔石を持って訪れるには早すぎるし、ピースなら呼び鈴を鳴らすような真似をしない。
真昼間に自分を尋ねる人間に、マレットは心当たりが無かった。
「ったく、誰だよ……」
頭をポリポリと掻きながら、マレットは毒づく。
折角上がったモチベーションに水を差された形で、あまり良い気はしない。
八つ当たりでもしてしまいそうだった。
「マレット! ベル・マレットはいるか!」
「うるさいな。ちゃんといるっての!」
扉を開いたマレットの眼前には、見知らぬ男が立っていた。
いや、その男自体を知らないだけで、彼の装いがどんな意味を持つかは知っていた。
この男は、マギアの軍人だ。
男は表情を変える事なく、淡々とマレットへ告げる。
「貴女に、国王からの命を授かっている」
今まで、マレットは自由に魔導具を発明してきた。国がそれに異を唱える事は無い。
それはご機嫌取りの一環でもあるが、彼女を越える者が居ない事の証明でもある。
どうにもきな臭さを感じたマレットが、顔を訝しめた。
……*
「あー。マレットにどう説明してたら、貸してくれるかな……」
ピースは頭を呻らせながら、マレットの屋敷へと帰っていく。
彼女にマナ・ライドを借りる口実が、未だ思いつかない。
最初は南部へ物資を運ぶ依頼を請けるというつもりだった。
だが、「別に南部へ行く必要がないだろ。物騒なんだし」とでも言われる可能性に気付いてしまった。
下手に依頼を口実に使えば、断られた時に別の手段が用意出来なくなる。
やはり正直に言うのがベストなのだろうか。
(いや、でもなあ……)
説明したところで、解ってもらえるだろうか。
嫌な予感がします。マレットが心配です。根拠は特にありません。
自分が逆の立場なら、これで貴重なマナ・ライドを貸してもらえるとは思えない。
それに、マレットを心配しているなんて軽々しく言おうものならどんな返しが待っている事か。
一丁前に心配しているのかと、からかわれるかもしれない。
意外に可愛い反応を見せてくれる……とは思えない。
頭を悩ませている間に、とうとうマレットの屋敷へたどり着いてしまった。
(ええい、ままよ!)
こうなれば、完全アドリブで頼み込むしかない。
やましい事はしていないと、ピースは開き直った。
「……あれ?」
だが、どうやら屋敷の様子がおかしい。
普段は誰も居ないはずの玄関。そこに、男が立っている。
詰襟の服に身を包み、すらりとした真っ黒なパンツがシルエットを細く見せる。
真っ黒な髪の上に帽子を乗せた、生前の自分よりやや年下と思われる男。
その向かい側に、面白くなさそうな顔を男へ向けているマレットの姿が見える。
あの服は、軍服によく似ていると思った。
だとすれば、あの男はマギアの軍人なのだろうか。
一方のマレットは、白衣を羽織っているのでピースは安心をした。
男は背筋をピンと立てたまま、淡々と何かを話し続けている。
途中でマレットが言葉を遮るが、後ろ姿からは男の変化が読み取れない。
やがて痺れを切らしたマレットが、男を拒絶するようにその扉を閉ざした。
軍人の男はその後、一言だけ発するとマレットの屋敷を後にする。
なんとなく、近付いてはいけないという空気だけを読み取っていたが、あんなに不機嫌なマレットは初めて見た。
「おう、ピースか。おかえり」
男が完全にその場から去ったのを確認して、ピースは恐る恐る屋敷へと戻る。
扉の向こうに居るマレットは、あっけらかんとしていた。
「お、おう。ただいま……」
「なんだよ? 変な顔して」
あまりにもいつも通りの反応だったので、ピースは目を丸くした。
その様子を面白がったマレットが、くすりと笑った。
「いや、その……」
ピースは言葉を淀ませた。マナ・ライドを借りたいという事か、さっきの軍人の話か。
黒いローブの集団の演説や、南部へ行こうと思った理由。
それらが混じり合って、上手く言葉へと変換できなくなっていた。
「どした?」
マレットがピースをからかおうと、自らの持つ双丘を彼の目線まで持ってくる。
普段なら釘付けになる所だったが、先刻の軍人とのやり取りがある。
その上でこんな行動を取るという事は、マレットは先刻の出来事を無いものをして扱おうとしている。
彼女の態度を目の当たりにして、自ずと何から話すかは決まった。
「……あのさ、さっきの人。誰?」
マレットは一瞬、顔を強張らせる。だが、すぐにいつものケタケタとした笑いに変わる。
「なんだよ? いい男だったからっていっちょまえに妬いてんのか?」
「おれは真面目に訊いてるんだけどさ」
口に出した以上、ここで引くつもりは無かった。
前世で、親友のSOSを見過ごしてしまった事を後悔している。
同じ過ちは繰り返さない。理由を聞いたうえで、本当に大したこと無ければ自分が謝ればいい。
ピースは、じっとマレットと視線を交わした。
「……分かったよ」
普段はケタケタ笑っている彼女にも、その意図はきっちりと伝わったようだった。
つまらなさそうに、口を尖らせながら彼女は答えた。
「……武器や兵器になりそうな魔導具を、作れって言われたんだよ。
後、魔導石も出来るだけ欲しいって」
「それって、魔導具作成の依頼って事か?」
マレットは首を縦に振った。勿論、つまらなさそうに。
「仕事の発注なら、別に断る理由はそんなにないんじゃないのか?
そりゃ、武器や兵器って言われるとあまりいい感じはしないけどさ」
「元々、マギアの軍には最低限は寄越してるよ。それこそ国の防衛に問題ないぐらいにはな。
魔導石自体だって、別に作る事を気にしてはいない。
理由を聞くまではな」
「理由?」
確かに、マレットは魔導刃や魔導弾を作っている。
一般に流通させていないとはいえ、武器を作る事自体に抵抗は持っていないはずだ。
現に、自分が話したフィクションの武器や兵器を本気で作ろうと考えているぐらいなのだから。
そんな彼女が、製作を渋るという事はそれ以外の要素が気に喰わなかったという事だ。
量か、納期か、はたまた別の事情か。
「軍部の奴ら、ミスリアに攻め込むとか言い出してるんだよ」
「は? なんでだよ!?」
ピースは思わず声を荒げた。どうしてそうなるのか。
意識していない方向から、力いっぱい殴られた気分だった。
「アタシが知るかよ。なんでも、ミスリアはじきに疲弊して国力が落ちるそうだ。
そこを攻めて、属国にしようと企んでいるらしい」
「無茶苦茶だろ。何を根拠に……」
「確かな筋からの情報らしい」
マレットは呆れ気味に言った。どうにも、軍人の男が言った事を鵜呑みにはしてない様子だった。
ピースの視点からも、根拠のない絵空事のように思える。
だが、もしそれが本当であるのなら。
ミスリアには、たくさんの恩人が居る。
師匠に、受付のお姉さんに、海の男。皆、自分を助けてくれた。
シンとフェリーは、何処にいるのか解らない。
だけど、まだミスリアに居るかもしれない。
そうだとすれば、やはり心配だ。
「それで、マレットはその話……」
「受ける訳ないだろ。アタシをなんだと思ってるんだ」
「だよな。よかった……」
ピースはホッと胸を撫で下ろした。
ミスリアで出会った皆には世話になっている。そして、マギアではマレットの世話になっている。
結果的に、マレットが作った魔導具で自分の恩人が傷付いて欲しくはない。
生み出した道具がそういう物だと解っていても、やはり気分は良くない。
「ただ、確かな筋とかいうのが気になるんだよ。
軍部のヤツらはどうやら本気らしいしな。このアタシに脅しまがいで言ってきたんだから」
マレットの額には、うっすらと青筋が浮かんでいた。
相当、彼女の神経を逆撫でしたらしい。
「なんなんだろうな……」
この世界に疎いピースが、マレットでも解らない情報源を知る由もない。
だが、ミスリアが疲弊する。その原因には少しだけ、思い当たる節がある。
「邪神……」
ピースが、ぽつりと呟いた。
ミスリアで自分が遭遇した騒動。『邪神』という存在がその背後に見え隠れした。
そして、今日。古市での演説で聞こえた『神』という単語。
偶然で片付けていいとは、思えなかった。
「マレット、あのさ――」
ピースは、南部に行こうと思っている事を話した。
マレットの心配をしている事までは照れくさくて言えなかったが、『神』という単語が引っかかる事。
だから、調べたいという意思をはっきりと伝えた。
マレットは茶化す事もなく、真剣に聞いてくれた。
その証拠にピースの話が区切りを迎えると、自身の庭に一台のマナ・ライドを引っ張り出す。
「これを使っていいぞ。後でアタシも行く」
「え?」
マナ・ライドを貸してもらえる事は有難かったが、続く言葉は予想していなかった。
思わず間の抜けた声が漏れ出てしまう。
「本当に邪神とやらが関わっているなら、ミスリアが疲弊するというのは頷ける。
実際、お前の話通りなら騎士団がひとつ壊滅している訳だしな。
ただ、それならシンから預かった指輪の件もあるだろう。アタシが、何か調査した方がいいかもしれない」
「それは、そうかもしれないけど……」
だったら、一緒に行けばいいのでは? と思ってしまう。
それを見透かしているかのように、マレットは続けた。
「アタシはもう少し、やる事がある。だから、南部には遅れて到着する。
心配すんな、ちゃんと行ってやるから」
「いや、別にそこを心配している訳じゃ……」
「じゃあなんだ? アタシの腰にでもしがみつきたいのか? 抜け目ないヤツだな」
「ああもう! 解った、先に行くよ! また後でな!」
折角真面目な話をしていたのに、台無しだ。
ケタケタと笑うマレットに見送られながら、ピースはゼラニウムを発った。
「さて、と……」
残ったマレットは、自らの研究室へと戻る。
多少、順序は変わったが優先して創るべきものが出来た。
「後は、ゼラニウムから無事に出られるか。だな」
軍人が、あのまま立ち去ったとは考え辛い。
ピースを巻き込む訳にもいかない。
だけど、自分もここでマギアの手駒になるつもりは無かった。
まだまだ知りたい事、やりたい事が沢山残っている。
マレットは、腹を括った。きっと明日には、この国を発っているだろう。
住み慣れた屋敷との離別が、こんな形になるとは思っていなかった。
気に入っていただけに、もう少し感動的な別れを演出したかったと思ってしまった。