9.魔女と約束
「君は何者だ?」
マーカスが顔を訝しめながら、シンへと問う。
シンは少しの間沈黙し、答えた。
「そこで喰われている女の関係者だ」
「ちょっと! シン!」
怒気の籠った声でフェリーが反応する。
関係者って!
もっとこう、色々あるでしょう!
などと言いたい事はあるが、それどころでは無かった。
「シン、どうしてここに!?」
「この館にフェリーが行っているかもしれないって話を耳にしてな。
変な煙も上がっていたし、来てみれば案の定だ」
当然のようにトラブルの中心に居ると思われている事は少し癪だけれど、自分を気に掛けてくれている。
それだけでフェリーは温かい気持ちに包まれた。
「ほう、彼女の騎士という事か」
「そんな格好良いものじゃない」
シンとフェリーの声が重なった。
「――どのみち、マトモな状況じゃなさそうだな」
シンは周囲を見渡しながら、状況の異常さを少しずつ自分の中へ落とし込む。
周囲の掘り返されてデコボコに荒れた芝生、大きく壊された館の壁、その向こう側に横たわる大男や血痕。
そしてフェリーに覆いかぶさるように喰らい付く異形の怪物と、されるがままの彼女。
給仕服のエプロンは真っ赤に染まり、血の臭いが辺りに充満している。
色々確認したい事はあったが、まずは件の原因と思わしき男へ銃口を向ける。
「怪物はなんだ?」
「それを君に教える必要はあるのかい?」
マーカスはつまらなさそうに答えた。
折角の自信作が少女と戯れている様を邪魔され、腹が立っていた。
「……ないな」
「そうだろう。私としては侵入者が現れて困っているぐらいだよ」
やれやれ。と、マーカスは両手を広げて見せた。
ただ、シンの持つ銃。それ自体には興味を持ったようだった。
「それはマギアの武器だね。君への興味は毛ほどもないが、その武器は欲しいかな。
あの国の武器は中々出回らないからね。それを運んでくれたと思えば、溜飲が下がる思いかな」
「そんなに欲しいのなら、鉛玉だけくれてやる」
シンの人差し指に力が籠められる。マーカスはまだ余裕の顔を崩さない。
「本当に私を撃てるのかい? 私はこれでも貴族でね」
「関係ない」
マーカスの眉間が、僅かに動いた。
「私を撃てば、彼女を制御する者が居なくなるが?」
「関係ない」
マーカスの貼り付いた笑みが、僅かに引き攣る。
「あぁ、君は彼女の恐ろしさを知らないからね。
ちゃんと君にも理解させてあげるから、少しだけ待ってもらえ――」
言い終わるより先に、乾いた音が鳴り響く。
銃弾がマーカスの頬を掠め、遅れて血が頬を伝う。
「御託はいい。フェリーを放せ」
「……やれやれ、やっぱり彼女の騎士じゃないか」
マーカスは怒りを押し殺そうとして笑みを浮かべるが、その顔は怒りで引き攣っていた。
「心配しなくても、二人揃って同じところに送ってあげよう。私は慈悲深いからね。
それとも、彼女を殺した時は生首だけ返してあげようか?
君みたいな冷めた人間が、絶望する時はどんな顔をするのか楽しみでしょうがないよ!
愛しい人間の生首を抱きかかえる絵面は案外、美しいかもしれないからね」
「アンタ――!」
趣味の悪さにフェリーが嫌悪感を露わにするが、シンも例外ではなかった。
乾いた音がマーカスの頬に二本目の線を引く。
「お前の下らない考えはどうでもいいが、フェリーをお前に殺させるつもりはない」
「――っ!!」
それはフェリーにとって目が覚める一言だった。
(そうだ、あたしは――)
かつて彼と交わした約束を思い出す。
10年経っても彼はずっと約束を守ろうとしてくれている。そして、そんな彼だからこそ自分は『死』という『救い』を彼に求めた。
何があっても、何度失敗してもずっと一緒に居てくれている。
自分にはその気持ちに報いる義務がある。
シンに殺される事が自分の『救い』であり、『贖罪』だ。
どれだけこの身を呪っても、決して忘れてはいけなかった。
フェリーは安易に浮かぶ『死』に『救い』を求めた自分を恥じた。
それは同時に自分が今やらなくてはならない事を、決定付ける。
「……シン、あのね」
唇が震える。
まだ少しだけ、覚悟が決まっていないらしい。
「この館の地下に女の子たちが捕まってるの。
お願い……助けに行ってあげて」
「ここの村人か?」
「……うん。あと、賞金首が一緒に転がってるからついでに持ってきて欲しいかな」
「お前はいいのか?」
フェリーの口元が緩んだ。
「空気読んでよ。まったく、これだからシンは」
シンには、この場に居て欲しくない。
見られたくない。
巻き込みたくない。
自分がこれからする事を。
「……わかった」
彼女の様子から察したシンは、短く返事をした。
「待ちたまえ、ここは私の館だ。
主人の許可しない来客を許す訳ないだろう?」
自分を余所に話を進める二人に対して、マーカスが不機嫌を露わにする。
「そうだったな。だが、お前の意見を聞く気はない」
シンは威嚇として二発、銃弾を放つ。
既に二度、頬を掠めていた事もあってマーカスは反射的に目を閉じる。
その隙を逃さず、シンは壁の大穴から館の中へと姿を消した。
「……まぁ、いい。君の死体を見せつけてやれば、彼も後悔するだろう。
一体どんな表情をするんだろうね?」
「そうやって余裕ぶって見せても、何も変わらないよ」
マーカスが余裕を見せるように毒づくが、それがただの虚勢だという事はフェリーも見抜いていた。
シンの威嚇にも怯えて、怪物や賞金首の後ろ盾がないと何もできない人間。
もっと言えばこの状況で自分の不自然さに気付いていない。その程度の相手。
何も怖がる必要はない。あの男に対して生まれるのは嫌悪感だけだ。
「言うじゃないか。君こそ瘦せ我慢をしているように見えるがね。
命乞いのひとつでもしてみれば、私の気も変わるかもしれないよ」
「だから、そういうのはもういいよ」
虚勢はもう、聞き飽きた。
マーカスは思い通りの反応を示さないフェリーに苛立ちながら、指輪を口元へとやった。
「……もういい、その女を殺してしまえ!」
「オォォォアアァァァァ!!」
枝分かれした腕で頭を抱え、拒絶の姿勢を見せるが命令には逆らえない。
大粒の涙を浮かべる彼女達の顔。その中で一番近くにある顔を、フェリーは優しく撫でた。
「……ごめんね」
これは決して、あなた達への『救い』ではない。
その事に対しての、精一杯の謝罪だった。
「あたしを殺していいのは、あなたじゃない」
申し訳なさそうに言い終えると、フェリーは魔導刃に己の魔力を注ぎ込む。
核となる魔導石がそれらを吸い込み、刃を形成する。
彼女の意志を代弁したような、真紅の刀身だった。
魔導刃の発する熱が陽炎を生み出し、マーカスの視界を歪める。
刹那、怪物の巨体は肩口から斜めにばっさりと焼き斬られ、ふたつの肉塊となる。
「な……」
言葉を失ったマーカスだが、彼女には再生能力がある。
すぐに再生し、あの女を苦しめるだろう。今度はこちらが肉塊にしてやる。
この時までは、本気でそう思っていた。
しかし、マーカスは漸くフェリーの不自然さに気付く。
間違いなくフェリーは肩から彼女に喰われていた。
真っ赤に染まった給仕服と、流れ続けて一面の染みとなった芝生。
そして周囲に充満する血の臭いがそれらを証明する。
致死量には十分な出血のはずだった。
それなのに、彼女は死んでいない。
十分にあの男と話をし、自分とも話をし、あまつさえ彼女を斬った。
いつしか彼女の出血は、止まっていた。
マーカスが生み出した怪物は、優れた再生能力を持つ。
ただ、それはかなり歪な形であり、生物として正しい形を持たないが故に造形を自由に変えられるとも捉えられる。
しかし、フェリーはそれとは明らかに違う。
人間の形を保っていながら、怪物である彼女を凌駕する再生能力。
「ばけ……もの……」
そう言葉を漏らすと、フェリーの鋭い眼光が突き刺さる。
マーカスにはそれがとてもおぞましいものに見えてしまい、身体が無意識に後ずさりをする。
今、自分が相対しているものは一体何なのか。
これまでの自分は他人の理解を求めず、そんな他人を見下していた。理解をされない事に優越感すら感じていた。
そんな自分の目の前に、自らの理解が及ばない存在がいる。
恐怖のあまりマーカスは腰が抜ける。これでは逃げる事すらままならない。
いや、逃げても無駄だろう。この女はきっとどこまでも追ってくる。
あの男だって、追ってくるかもしれない。
この状況を切り抜けるには、全員始末するしかない。
「は、早くやってしまえ!」
ふり絞った声で指輪越しに命令を出す。
彼女が悲鳴を上げながら、その身をまた再生させる。
しかし、フェリーがそれを許すはずもなかった。
「……ああああああっ!!」
魔導刃が彼女の巨体を串刺しにし、そこへありったけの魔力を込めた。
刀身から放たれた熱はさらに温度を増していき、炎となって彼女の身体を焼き尽くす。
再生しても、再生しても、その炎が止まる事はない。
「ま、まて……! 待ってくれ!!」
マーカスの言い分など、聞く耳を持たない。フェリーは魔力を止めどなく流し続け、彼女の肉体を燃やし続ける。
やがて炭化した身体がボロボロと崩れ落ちる始める。それは彼女の最期が近い事を意味していた。
「アリ……ガ、トウ……」
崩れ落ちる彼女が、そう言った気がした。
あるいは、彼女の姿を直視できないフェリーの幻聴だったのかもしれない。
決して彼女に『救い』を与えたわけではない。
自分の我儘を通しただけだという事は、フェリーが一番理解していた。
「……ごめん」
小さな声で呟くと、彼女が灰となって散っていった。
フェリーの足元にはマーカスの指輪と同じ色をした石が転がっていた。
それを拾い上げると、真っ直ぐにマーカスの方を向く。
「ひっ……」
「あなたは、ゼッタイに許さない」
恐怖で歯音を鳴らすマーカスに対して、フェリーは怒りを露わにしながら言った。




