第90話 不思議な夢
なんだか不思議な光景が見える。
緑と花に覆われた豊かな大地が。
おかしいな、俺は雪原にいたハズなんだが。
でも光景は俺の意思に拘らず動いている。
それも含めてとても不思議と言える感覚だったんだ。
この景色は……青空界かな?
それも大陸端、崖部の所だ。
その隅っこで二人の牧羊民が羊と一緒に歩いている。
老人と子供、それと仲良さそうな子羊が。
耳を澄ませばこうして声も聴こえてきた。
「おじいちゃ~ん、早くきてーっ!」
「こらこら待ちなさい。焦ると空の底に落ちてしまうよ」
とてものどかな光景だな。
いつかこんな場所で暮らしてみたいとも思う。
平和や安寧……そんな言葉を絵にした様な雰囲気だから。
でもおかしいな。
俺はこんな場所を知らない。
この二人にも会った事が無いし、なんなら子羊を見るのも初めてだ。
ならこれが俗に言う魂の記憶とかいうものなのだろうか?
魂の記憶とは詰まる所の前世の記憶の事を指す。
なんでも今の身体に宿る前、別の身体だった頃の記憶らしい。
といっても、とある宗教の逸話だから眉唾なんだけどな。
それに、俺は今彼等を空から眺めている。
となると魂の記憶なら前世は神か鳥人族って事になるな。
けど手を目前にかざしても見えないし、とてもそうとは思えない。
ま、深く考えても意味がないんだが。
その間にも光景はずっと進み続けているんだから。
俺の意思に関係無く。
お陰で「俺にこの光景を見せたい誰かの策略」とも感じてならない。
となれば大人しく見ていた方が良いのだろうか。
「ねぇおじいちゃーん! あれ! 羊が一匹、崖から落ちそう!」
「なんてこったぁ! ありゃ不味いな」
とはいえ、どうやら終始穏やかって訳にはいかないらしい。
崖の中腹に茶羊が立ち往生しているのが見える。
羊飼いとしてもこの光景はショックが大きいだろう。
だからか、子供が何とかしようと崖傍でウロウロしている。
こらこら、危ないからよすんだ。
「ありゃ自力で上がれなきゃ無理だな。落ちちまったらいかんし、諦めるしかねぇ」
「そんな、かわいそう……」
残念だが、老人の言う通りだな。
一歩踏み外せば空の底へ、そっちが帰らぬ人になる。
羊には悪いが、自分で降りただろうから自業自得さ。
にしても、俺をここに導いた奴はこんな光景を見せたいだけなのか?
それとも羊を助ける手段でも考えさせたいのか?
まぁ俺ならあの崖くらいは難なく往復出来るだろうが。
ただ、見るしか出来ないから退屈でしかない。
いっそまた目を瞑ってしまいたい所だよ。
けど、そう思っていた時の事。
それは突如として、何の前触れも無く起きていた。
えっ……?
待て、なんで子供と老人が崖から落ちているんだ?
羊じゃなくて、なんであの二人が落ちているんだよ……ッ!?
――いや、違う!
これは二人が落ちているんじゃない!
崖そのものが崩落していたんだ。
彼等の乗った崖の一部が割れ、空の底へと落ちていく。
羊達がただただボーっと眺めるその中で。
悲鳴さえ、もう聞こえはしなかった。
二人は何が起きたのかもわからないまま世界から消えたから。
まさか世界の片隅でこんな悲劇が起きていたなどとは。
こんな事があっていいのか!?
そもそも何を考えてこんな残酷な光景を見せたんだ!?
ここに連れて来た奴は俺に一体何を求めているっていうんだよ……!
誰か教えてくれ!
夢なら醒めてくれ!
こんな意味のわからない光景をッ、これ以上見せつけないでくれぇーーーッ!!
―
――
――――
――――――
「んはッ!?」
それはまるで自分の叫びで起こされたかの様だった。
それだけ辛くて悲しい悪夢の様な光景だったから。
けど今は現実だってわかる。
雪蔵の天井がすぐ目の前にあったから。
それでふと首を傾けてみれば、灯ったままのランプがあって。
そのまま横へと振り向けば、小さな穴だけが残されていた。
どうやら塞がる程には積もらなかった様だ。
お陰で窒息死せずに済んだらしい。
そこで俺は寝袋から這い出てすぐさま穴へと手を伸ばす。
すぐにでも外の空気を吸いたくて。
例え寒くたって構わない。
先程の光景を忘れられるくらいに思いっきり呼吸が出来るならば。
そう思って雪を掻き出しては穴を拡げて。
気持ちの赴くままに身体をも突っ込み、強引に押し開く。
するとたちまち、外の光景が露わに。
快晴だった。
空が真っ青で、陽珠もが輝いて見えていて。
先の雪嵐が嘘だと思えるくらいに清々しかったんだ。
「あ……あれは、出発した村か」
おまけに言うと現在の進捗もすぐ見えた。
出発地が景色の先に映っていたからな。
それも半時間くらい滑っただけで辿り着けるくらいの距離に。
「結構進んだと思ったんだが全く進めてなかったんだな。正直、山って奴を舐めてたよ……ここまで辛いとは」
どうやら初日の進捗はそれ程でも無かったらしい。
大体五%くらいと言った所か。
想像以上の辛さだよ、全く。
けど、今は断然気持ちがいい。
少し息苦しいが、それでも心地良さを感じていて。
「よし、なら今の内に少しでも進んでおくとしようか」
きっとぐっすり眠れたからというのもあるのだろう。
なにせ日照外の間ずっと寝ていた訳だしな。
でもお陰で今は体力気力共に申し分ない。
だったらこのチャンスを逃す訳にはいかないだろう?
だからと、俺は荷物を纏めて再び発った。
魔力関係の道具一切を雪蔵の中へと置いたまま。
もし無事に帰って来れたなら後でちゃんと回収したいからね。
さぁて、今日はせめて一割分くらいでもいいから進むとしようか!




