第59話 思想が歪んだワケ
あのバウカン大統領ととうとう対峙した。
しかし巧みな口ぶりとあって油断ならない相手だ。
「君は三二年前のドワーフ・エルフ融和思想を知っているかね? あの出来事以来、この赤空界ではとても凄まじい速さでの改革が始まったのだ。それこそ目が回りそうなくらいにな」
「例の二人が結婚したっていう話か」
「そう。あの二人の巡り合いは二大陸の常識を塗り替えるのに充分過ぎるほど衝撃的だった。かくいう私も当初はとても感銘を受けてね、彼等を心から祝福したものだ」
ならこんな論点ずらしも手の内か?
……いや、コイツにとってはこれもまた筋が通っているのだろう。
語りからはその二人への敬意さえ感じられるしな。
ただ、こうして語っている間も眼差しの輝きだけは一切曇らない。
俺を視線で突き刺さんとばかりに睨み続けているのだから。
「――だが、その後は散々だった。これほど異文化を受け入れるのが辛いと思った事は無かったよ。いっそ関係を断ち切りたいと心から考えてしまうくらいにね」
「……一体何があったと言うんだ」
「文明劣化だよ、少年」
「ッ!?」
けど、この視線が向けられているのはきっと俺だけにではないだろう。
赤空界に住む全ての者に向けられているんだ。
それも冷酷に、それでいて無関心に。
まるで手馴れた屠殺者が家畜を見るかの如く。
そうさせるまでの出来事を体験してきたからこそ。
「文明とは織り成す者達の文化レベルによって変動するものだ。だから意識を高め、己を戒める者が増えれば自然と高文明化する。しかし逆に民度が下がれば自然と文明は劣化し、衰退し、堕落していく。末には己の事ばかりを考えるという思想が広まり、いずれルールさえ無視する様になるのだよ」
「まさかそれが当時の赤空界!?」
「その通りだ。エルフどもは緑空界に引き籠っていたが故に文明レベルが低く、更には我々の文化を理解しようとしなかった。おまけに意識改革によって訪れた者達はどいつもこいつも愚か者ばかりだったよ。例えば所構わず野糞を垂れたりな」
きっと当時は壮絶だったに違いない。
なにせ互いにいがみ合っていたから文化に対して理解が及ばなくて。
それで突然と融和してみてもいきなり馴染める訳がない。
考え方そのものが違うからこそ。
「とはいえ、まだ教えれば言う事は聞くだろう。だから草の根活動で改善する事は充分可能だった。しかしそれを行うべき民衆どもはどうしたと思うね?」
「ッ!? まさか!?」
「そうだ、あろう事か民衆どももが野糞を垂れ始めたのだよ! 融和を喜ぶ余り、己のやっていた事が如何に愚かかとさえ気付きもせずになッ!!」
それでも普通なら異常な行動と思えば忌避もするだろう。
けどもしその行動に思考補正が掛かっていたならば。
〝相手にとってはこれが普通〟なんて意識が刷り込まれたならば。
この時、人は正常な判断力を失う。
自分のやっている事が正しいと思い込んでしまうんだ。
例えば批判が横行すれば、自分も批判していいと思ってしまう様に。
例えば一度叩かれれば、自分は何度も叩き返していいと思ってしまう様に。
きっと当時の赤空界の民衆もそうだったに違いない。
なまじ融和出来た事に喜んでいたから。
訪れたのが低俗な奴だったって事にも気付かずに。
それで自分達も愚かな事をやっていいと思ってしまって。
結果、自ら低俗に成り下がってしまったんだ。
「とはいえ全てのエルフが愚かという訳ではない。故にこの事実は緑空界との間でも問題になったよ。しかしこの時、彼等はこう宣ったのだ。〝緑空界としては移住者達を指導する立場に無い〟とな。無責任も甚だしいと思わんかね?」
そしてそんな者達を誰もがコントロール出来なかった。
恐らく、緑空界の者達でさえも。
だから見放したんだろう。
……あるいは手に余る奴を敢えて送り込んだか。
元はいがみ合っていたと言うしな、有り得ない事も無い。
きっとその事も踏まえてバウカンは猛っているんだ。
「故に私が立ち上がったのだ! この国に相応しき高位文明を確立する為にも! そして愚かな民衆どもを律し、適応出来ない者を排除し続けてここまで造り上げたッ!!」
「つまり今がお前の理想通りだという事か!?」
「その通りだよ少年ッ!! この体制を維持する為にも金は要るのだ! ならば愚図で無知な民衆どもから徴収するのが筋だろう! 奴等の無能を我々が支えてやろうというのだからッ!!」
しかしこの怒りは余りにも個人的感情過ぎる。
まるで民衆全てを厄介者として扱っているかの様だ。
とても指導者としての姿勢とは思えない……!
「そうしなければ所詮、民衆など糞製造機に過ぎんのだよ! 私の様な高位存在が管理運営して初めて世界に貢献出来る低俗な存在だと言えようッ!!」
そうか、これが本心か。
何となくお前という奴の事がわかった気がするよ。
最初は国を良くしようとした熱心な政治家かと思っていたのだが。
それもただ少し矛先が違えただけの。
だけどそうじゃなかった。
こいつは間違い無く邪悪な存在だ。
自らを神の様に宣う事さえ厭わない――真の愚者だったのだ!
「そして少年、君もまた低俗な存在に過ぎん。この場にノコノコと現れた時点でな」
「何ッ!?」
「私が何の策も弄していないと思ったかね?」
しかも残忍で狡猾な。
おまけに知恵が回るからこそ、何事にも抜け目が無い。
どうやら今までの会話は囮だった様だ。
俺の意識を奴の眼に釘付ける為のな。
故にバウカンは既に事を起こしていたらしい。
気付けばその指先が机へと触れられていて。
するとその途端、周囲の景色が変わっていく。
白壁通路が「パラパラ」と掠れ、消えていったんだ。
「私が熱弁するのはね、決まって勝利を確信した時なのだよ。そう、つまり君はこの場に来た時からもう既に負けていたという訳だ」
そして俺は目の当たりにする事となる。
このバウカンの自信の根源を。
奴がここまで強気でいられたという理由を。
なんとあの【ランドドラーケン】が俺の頭上より顔を覗かせていたのである。




