第34話 愚劣なる戴冠式
微かに扉を開き、中を覗いてみる。
すると謁見の間で行われていた事が早速と露わに。
場はまさしく戴冠式の真っ最中だった。
輝く程に白い大理石の床・壁と、厚い赤絨毯をまっすぐと引いた王道と。
それらが彩るのはとても広く、かつ日が差して温かみのある空間で。
そんな中にまず多くの人影が見える。
それも左右に分かれて立ち並ぶ十数人の者達が。
いるのは全て貴族だろう。
それもヴェルストに与する者達。
ちらりと見た感じ、いずれも笑みを浮かべていて随分と余裕そうだ。
そして中央、赤絨毯の上にいるのは二人の人影。
手前の一人はみすぼらしく茶こけた布一枚の服装。
それで両膝を床に付き、頭を垂らしていて。
身体を支える腕はとても細々しく、簡単に折れてしまいそうだ。
しかし頭には輝く王冠が重々しく載せられている。
となると恐らく、彼が皇帝なのだろう。
ならばその向こうに立つのが――第一皇子ヴェルストだな。
その印象通り豚みたいな奴だ。
顔はまだ少し整っているよ。とても美男子とは言えないが。
ただひねくれ過ぎて、下卑た片笑いが凄く様になっている。
ただ腹はダメだ、服の下腹部がはちきれんばかりに膨らんでいるよ。
なのに腕と足は細めだな、少し運動した方がいいんじゃあないか?
それでも煌びやかな服を纏っている辺り、身なりには気を付けているらしい。
だけどノオンの兄らしい姿は見えない。
青髪の長髪だと聞いているから気付けるとは思ったんだが。
貴族達に隠れて姿が見えないだけかもしれん。
……少し、様子を伺うか。
「父上ぇ、いい加減人の言う事聞いてくださいよぉ。ほら、その頭に乗った王冠を俺に掲げるだけでイイですからぁ」
「断る!」
「全く、それは冗談ですか? ほら皆、笑え~!」
「「「ハハハハ!!」」」
どうやら皇帝が戴冠儀式を拒んでいるらしいな。
ヴェルストが頬を叩いたり腕を蹴ったりとやりたい放題だ。
明らかに外道のやり口だぞ、これは。
おまけに誰も止めるつもりは無いときた。
それどころか笑い、拍手し、皇帝をこれ以上なく蔑んでいる。
とても今まで忠義を尽くしてきた者達とは思えない所業だろう。
「ねぇ、ルークランの奴がどうなってもいいの? あ、俺は一向に構わないよぉ? だって俺、アイツ嫌いだもん。俺の良いとこ全部かっさらっていったしな」
「ぐく……」
「でも俺が勝った! つまり俺が皇帝になるに相応しかったって事なのさ。なのにいつまで意地張ってんの? それが皇帝の潔さなのかな~?」
にしてもヴェルストめ、知恵や品性の欠片も感じない奴だ。
これだけでブチのめしたくなる事請け合いだな。
親さえ人道的に扱えない様なこの人間性では!
しかし惜しむらくは、奴にターゲットを充てられない事か。
皇帝の位置が悪くて罠が仕掛けられん。
――というのも俺は今、謁見の間に罠を巡らせている。
微かな魔力の糸を無数に這わせ、部屋の床に奥まで伸ばしているんだ。
これはよほど魔法に精通している人間でないと気付けない技さ。
でももう準備は整った。
これ以上豚語を聴く気にもなれないしな。
ならばと頃合いを見て、コイツを発動させる。
「【痺雷流陣】……!」
これは指定範囲全体に神経系電流を流す弱体魔法だ。
攻撃力はほぼ無いが、範囲全体の相手を麻痺させられる。
しかも俺なら意識をも奪うくらいなんて事は無い。
張り巡らせるのが大変だが、罠としては充分。
未だ気付いていないなら、痺れさせられた事にも気付けないだろう。
故に、発動した瞬間に貴族達がバタバタと倒れていく。
おぉ、全員痙攣までしてるな。思った以上に効果てきめんだぞ。
とても騎士出身とは思えない身の弱さだよ。
「な、なんだ、何が起きたっ!?」
「悪いな、余計な奴は全員眠ってもらったよ」
「「ッ!?」」
こうしてお膳立てが整った所で扉から姿を晒す。
あと残るは皇帝――そしてヴェルストだけだ。
「第一皇子ヴェルストだな。お前の陰謀は全て知っているぞ」
「なあッ!?」
「俺は今、非常に怒っている。貴様の様な奴が国を担う皇帝になろうとしている事が堪らなく許せなくてな……!」
そうだ。俺はもう我慢出来ない。
今すぐコイツをブチのめしたくて拳が疼いている。
あんな見苦しい真似を見せられて黙っていられる訳が無いだろう!
「皇帝陛下、すいませんが今から少し騒々しくなる。コイツの悲鳴でな」
「お、おお……」
それでいざこうして声を掛ければ、皇帝が驚きの目を返してくれた。
例え枯れようとも威厳を損なわない逞しい眼差しで。
確かに、こんな人物なら希望に添えたいと思えるな。
ツァイネル、アンタの気持ちが少しわかった気がするよ。
「ラターシュ! どこにいるんだラターシュ! 早くコイツをなんとかしろぉ!」
「ッ!?」
しかしそんな時、ヴェルストが突然こう叫び出した。
でもこれが、俺に全てを悟らせるキッカケとなったんだ。
空かさず横へと飛び退く。
床を打ち割る程に強く速く。
するとその途端、俺のいた場所が――爆ぜた。
「くッ!?」
それでも怯まず受け身を取り、即座に姿勢を立て直す。
そうして先の場所へと目を向ければ――奴がいた。
長い青髪に鋭い眼。それでいて面長の美形。
肩幅も狭く女性かと思える程に細く見える体格。
しかし自信にも足る鋭い動きが力強ささえ感じさせる。
そんな美と強さを重ね揃えた、アイツが。
「……全く、皇子が余計な事を口走らなければ今頃は終わっていたのに」
そう、ラターシュだ。
ノオンの兄ラターシュが平然と立っていたのだ。
一体どこに潜んでいた!?
部屋には見当たらなかったのに!
ん、待てよ。部屋、床?
……まさか!!
「貴方はいつもそうだ。先に余計な事ばかり口出すから面倒ばかりが起きる。そもそもこんな奴が近づいていたのに気付かない事自体がダメだと言っているんですよ皇子ィ……!」
「わ、悪いラターシュ。ついつい動揺しちゃって」
コイツ、最初から気付いていたのか!
それも俺がこの部屋に来る前から。
それで予め、こっそり隠れていたんだ。
部屋の天井に貼り付いて!
だから床が小さい一箇所だけ爆ぜている。
少しでも角度があれば破片が抉れて吹き飛ぶからな。
つまりコイツは真上から襲撃して来たという訳か。
早速してやられたよ……!
「まぁノオンが来た時から何となくこうなるかもとは予想していた。とはいえ、変に神経質になるとそれも面倒だから黙っていたのだけれど……来たのが君の様な得体の知れない人物とはね」
話し方が大人しい時のノオンとそっくりだ。
いや、ノオンがコイツとそっくりと言った方が正しいか。
とても淑やかで落ち着きのある声質。
しかし一句一句にキレがあって、どこか謀略性を感じさせる。
加えて剣を薙ぎる速さもなかなかだ。
まさしくドゥキエル家の集大成と言った様な感じだよ。
これで前向きハイテンションが合わされば最高なんだがな……!
「得体の知れなさには定評があるからな。ツァイネルにもそう言われた」
「ほう、彼を前にして生きているとは。これは少し油断出来ないかもしれないね」
「少し、で済めばいいけどな」
そんな奴の持つ剣は――細身突剣だ。
ただ、振ったのを見た感じ普通の剣とは訳が違う。
全くしならなかったぞ。
まるで剛剣の様に堅牢で、それでいて軽さは据え置きと言った感じの。
そしてあの煌びやかな装飾。
間違いない、あれも聖剣だ。
「皇子、少々お待ちを。今すぐこの賊を血祭りに挙げますゆえ。あ、返事は要りません。その間に戴冠でも済ませておいてください」
「時間稼ぎでもするつもりか?」
「いいや、君の代わりに見届けてあげるつもりだよ。これでも皇子は忙しいんだ。この後【陽珠】の下にも赴かないといけないからね」
こうして観察する時間を与えてくれるのは、よほど自信があるからか。
今見せる全てを晒してでも俺を倒せるつもりなんだろうか。
いや、ハッタリだな。
ツァイネルの名を出した時、少しだけ動揺を見せた。
俺の力を測りきれないからカマを掛けているんだ。
どうやって無敵の歴壁を突破したのか、とかを知る為にな。
ただ、それでいてすぐ現実を受け入れられる器量もある。
剣そのものに迷いは無いし、構えていないのに隙も無い。
よほど現実主義だな、コイツは。
だとすると動揺を誘うのは無理か?
いや、ドゥキエル家の人間なら多少はボキャブラリティに富んでいるだろう。
期待は出来なくとも、狙う価値はある。
「あ、知っていると思うけれど、私の剣はとても痛いよ。この第二聖剣【ウィルナンジュ】は一瞬で君の体を蓮の芽に出来る力があるからね」
「いいのか? そんなネタばらしをして」
「これでも騎士さ。君が例え愚かで間抜けで浅はかでも正々堂々と戦う気概がある。〝我は皇国第一近衛騎士団団長、ラターシュ=ハウ=ドゥキエル。いざ尋常に勝負〟ってね」
「なら俺も名乗ろう。俺はアークィン=ディル=ユーグネス。皇国の平和を脅かしたお前達に罰を刻みに来た」
「言うねぇ。では刻み合おうじゃあないか。どっちの罪が重いのか、ってさ」
宣ったほどの騎士道精神があるとは思えない。
しかし名乗るだけなら別に吝かでもないさ。
出来うる事なら知っておいて貰いたいからな。
罰が刻まれてもなお生きていた時、戒めとなるように。




